皆既月食を見るために、ダウンの上に息子の
フリースを着て、その上にひざ掛けをまとって
夜空を見上げていました。
宇宙を我が目で見ているという感じがして
離れられませんでした。
月が欠けて、最後は闇になると思っていましたが
全く違って、月が欠け切ったところで赤黒い月が
立体となって見えて来たのです。
それは、いつもの見慣れたお月様ではなく
もう一つの地球を見ているような不思議な気が
してきました。
私の頭上に宇宙がある
そして、私も宇宙の中にある
そんな気持ちになりました。
今日は、初女さんの写真展に行って来たので
刻々と変わっていく月をみて、宇宙の母と
なった初女さんを思い出していました。
永遠なるいのちを感じていました…
初女さんは、信じて待つ方でした。
そして、自分を信じてと…
初女さんのように深い信仰心のない私は、
自分を信じることに自信をなくす時があります。
どこまでも信じるものが自分の中に
あるのだろうかと…
そんな私を、初女さんは信じて待っていて
下さいました。
信じるということが、私自身を耕してくれるような
そんな気がしています。
何十年生きても、人間の未知数を感じます。
『海よりも雄大な光景は天だ
天よりも雄大な光景は良心だ
ビクトル・ユーゴー』
春はまだ遠い気がしますが、確実に陽がのびて
きて、それだけで嬉しい気持ちになります。
しかし、雪国の人には笑われそうですが、
この連日の寒さには、本当に参っています。
初女さんの、半ねん雪だからと言っていた言葉を
思い出し、北国の人は辛抱強いなと、つくづく
思いました。
もうすぐ、初女さんのご命日です。
命日が近づくと、いつも以上に色々な思い出が
立ち上がってきます。
前に読んだ池田晶子さんの言葉が、今読み返して
みると、本当に少しだけれど以前より深く心に
沁み込んできます。
『生とか死とかいうものも、そう思われて
いるほど確かなものでは、実はない。
自分と宇宙というものも、そう思われて
いるほど別なものではなく、案外おなじような
ものなのである。
地上の時間は、宇宙の時間に比べてあまりに
短いという言い方を、しばしば人はするけれど
そんなことは決してない。
地上の時間と宇宙の時間は、この人生の
この魂の最深部において、明らかに相交わる
相交わったそこを、努めて生きようと
することが、地上にて永遠に生きるという
そのことだ。
そして、地上にて永遠を生きた、そういった人は
その意味でも、やはり死ぬということがない。
なぜなら、そういった人々と我々とは
その永遠の時間において幾度も出会うことに
なるからである。
池田 晶子 』
何度も読み返していると、少しづつ霧が晴れて
来ます。
1月31日から2月4日まで、初女さんの写真展が
あります。
永遠の時間において出会う初女さんとの
出会いが、ここにもきっとあると思います。
田口ランディさんのツイッターに
「縁とは、世界とつながる細い水脈。
縁のある人としか関われないし、その縁は
地下で水源とつながっているんだ。
どんなに細くても人は縁なしで生きられない。」
と、書いてありました。
本当にそうです。
何だか、こうして言葉にされるとグッときます。
縁がある人しか関われないと思うと
どのご縁も大切に思えます。
一番近くて深い縁が家族
なかなか難儀でもありますが、このご縁に
心から感謝しなくては…
人は縁なしでは生きられない!
本当です。
もしも、自分はひとりぼっちだと思っていても
今、生きてるってことは縁があるからなんですね。
縁を繋げてくれるのは、生きている人だけじゃ
ないんです。
私と初女さんのご縁は、亡くなった息子が
繋いでくれました。
初女さんに初めて会った時に「あなたとは
普通の縁じゃないわね」と言われたのは
亡くなった息子の存在があったからかも
しれません。
縁ってまったく不思議です。
今こうして自分があることも、ご縁の賜物
そんなふうに思うと、初女さんの「出あうひとり
一人を大切に…」という言葉が自分の中で
深くなります。
「出会いは未来をひらく」って、初女さんは
言ってました!
連日、すごい寒さです。
昨日イスキアのスタッフに電話をしたら
弘前も大雪だそうですが、こちらの雪を心配
して下さっていました。
もうすぐ初女さんのご命日です。
冬が嫌いではないと言っていた初女さんは
やっぱり寒い季節に天に召されたのですね。
凛とした寒さに、初女さんが偲ばれます。
「ヴォーグ」に載った雪の中の初女さんの写真は
マリア様のようでした。
会いたいです…
『いのちをむすぶ』の本の帯に、吉本ばななさんが
「ほんとうに偉大な存在は、決して人に気づきを
強いない」と書いています。
本当にそうでした。
初女さんは、わかっているのに何も言わず、
その人が気づくまで信じて待っていてくれました。
答えはひとり一人の中にあるということを確信
していました。
ゲーテの「自分自身の中を探しなさい。
すべてを見つけることができるだろう」と
いう言葉を聞いた時、初女さんのことが
直ぐに浮かんできました。
ゲーテもすべての答えは自分の中にあることを
伝えていたのですね。
初女さんが亡くなってから、初女さんの言葉の
深さがやっとわかって来ました。
佐藤初女さんってどんな方でしたか?と聞かれたら
私は、この言葉の通りの方でしたと、伝えたい…
『出会うひとり一人を大切にして、
小さいと思われることも大事にして
今、ここにあることだけに一生懸命になる。
佐藤 初女 』
英国が孤独担当大臣を新設したそうです。
孤独担当大臣と聞いた時、びっくりしましたが
英国では900万人の人が孤独を感じて
いるそうです。
1か月間で友人や親せきと会話をしなかった
という人が20万人いたそうです。
孤独は個人の問題ではなく、社会問題として
考えていかなければ、という取り組みが始まって
いるそうです。
メイ首相は「あまりに多くの人たちにとって、
孤独は現代における悲しい現実だ。
この課題に向き合い、お年寄り、介護者、
愛する人を失った人、考えや経験を
分かち合う相手がいない人たちが抱える
孤独に対処するため行動したい」と話したと
いうことです。
今や孤独は世界問題だそうです。
日本も同様であるそうですが、まだ社会問題
としては、考えられてないのかもしれません。
初女さんは、話したい人は沢山いるけれど
聴く人がいないと、よく言われていました。
孤独の中で、言葉を全部自分の体の中に沈めて
いる人もたくさんいると思います。
初女さんは、ご飯さえ炊いておけば、突然人が
来ても大丈夫だからと言われてました。
そして、おいしいものを食べるのではなく
おいしく食べることが大事と…
日本人の孤独が、どれほど深くなっているかは
わかりませんが、おいしく食べることの出来る
食卓が必要とされているのは確かです。
1個のおむすびが青年の自殺を思いと留まらせた
ように、1個のおむすびが孤独を取り除くことが
出来ないでしょうか
食べることは、ストレートに心に届くから…
初女さんが言われていた「地球家族」を
感じてもらえるには、どうしたらいいのかな~
初女さんならどうしますか…
今、街の本屋さんがどんどんなくなって
行っています。
大型書店とアマゾンに小さな書店は飲み込めれて
しまったようで、とても淋しいです。
本が売れなくなり出版業界も厳しいといいますが
そんな中で頑張っている小さな出版社と読者で
繋ごうというイベントがあります!
作家の田口ランディさんが声をあげ、2月4日に
桜新町で『ポトラ』が開催されます。
本好きにはたまらない時間になると思います。
本が売れない時代に、熱き情熱を持って本を
送り出している作り手の思いが聴ける機会なんて
滅多にありませんし、魅力的なイベントも
色々あります。
私は、夏葉社の「さよならのあとで」という本に
支えられた時期があります。
息子を亡くし、時と共に死は肉体の別れだと
少しずつわかって来てはいたのですが、
やはりどこかで、息子の姿を追い求めている時
この本との出会いで、心が落ち着いたのです。
夏葉社は一人でやっている出版社です。
そんな出版社があるなんて、驚きでした。
『ポトラ』では、本を愛する人たちが心を込めて
丁寧に作っている、そんな本と出会える場です。
2月4日、『ポトラ』で会いましょう!
雪が降っています。
ドアを開けたら、そこは別世界。
ふっと、弘前が思い出されました。
ランディさんと山田スイッチさんと一緒に
初女さんを訪ねた帰りに寄った青森県立美術館
そこで観た雪の中に立つ奈良美智さんの
「あおもり犬」が、記憶の中から立ち上がって
来たのです。
あおもり犬も初女さんのお墓も森のイスキアも
みんな雪の中にあるのですね。
目の前に降る雪と青森の風景が重なりました。
初女さんの訃報を聞いて、飛んで行った列車の
車窓から見た雪景色は、色のない世界でした。
もうすぐ、初女さんの命日
何だか雪が堪えます。
今朝、糠床にかぶを漬けた時、初女さんとの
最後のぬか漬けを思い出しました。
こんなふうに、思い出が立ち上がって来るのは
やっぱり2月が近づいて来たからでしょうか…
初女さんは冬の中にも春を感じている方でした。
冬が北国の人の心を育むのでしょうか…
初女さんのご遺体が、弘前のお家を出る時
突然舞った雪は、初女さんだったのは…
『津軽では、毎年十月に初雪が舞い
翌年の三月まで雪に覆われます。
岩木山の麓では、五メートル近く雪が
積もることもあり、森のイスキアは
すっぽりと雪に埋もれてしまいます。
たいへんなことも多いのですが、
私は冬が嫌いではありません。
厳しい冬を耐え忍んだ野菜や果実は力強く
うまみがぎゅっと詰まっています。
冬の中には春の種があり
凍てつく寒さは、やがて大きな恵みを
与えてくれます。
佐藤 初女 』
奈良美智 あおもり犬
初女さんが亡くなって、随分経った気がして
いましたが、2月1日のご命日が近づいて来ると
初女さんがいなくなってからの歳月が、リアルに
立ち上がって来る気がします。
今日、家に帰ると集英社のTさんから手紙が
来ていました。
封を開くと、いきなり初女さんのお顔が…
写真展のDMが届いたのです。
3回忌を偲び、銀座の森岡書店で岸圭子さんの
『いのちをむすぶ・佐藤初女』展が開催される
そうです。
DMに『「いのちをむすぶ」の最期の撮影で
弘前イスキアにおじゃましたとき
思いがけないことでしたが、初女さんは
おむすびを、むすぶ準備を整えて迎えて
下さいました。
担当編集者が思わずおさめた15分の動画、
そのお姿を分かち合います』と、書かれていました。
この文章を読んだとき、あ~初女さんに会える!
と、胸が高鳴りました。
わずかな時間でもいいから、初女さんが湛える
あの静けさの中に自分を置きたいと、思ったのです。
初女さん、会いたいです。
会いに行きます…
岸圭子写真展
『いのちをむすぶ・佐藤初女』
息子の突然の死は、私に生きるとは
今、この時しかないということを、私の細胞に
刻みつけてくれました。
でも、このことを世界中の人が色々な言葉で
伝えていました。
レバノンの詩人ジブラーンは
『 昨日は、
今日の記憶であり、
明日は、
今日の夢である』
と書いています。
生きるとは、今この時しかないのですね。
今が幸せでなくて、未来の幸せはありません。
初女さんは、今を生き続けた方でした。
『私はなんにも心配してないの。
今を生きているから。
心配する人は必ずといっていいほど
先のことばかり考えますが
先の見えない未来のことにあれこれ心を
惑わしても不安が募るばかりです。
今ほど確実なものはありません。
今に感謝していると、とても自由な
気持ちになり
一歩一歩確実に進んでいけるように
思います。
佐藤 初女』