今日は六本木の国立新美術館に、手島右卿(てしま・ゆうけい)の
書展に行ってきました。
実に見ごたえのある作品ばかりでした。
ここ何日か、私はブログに「悲しみ」について書いてきましたが
手島右卿の作品にあった「悲大」が心に留まりました。
「悲大」という言葉があるのか知りませんが、見ているだけで
深い悲しみを感じる作品でした。
「崩壊」という作品は、空襲で爆撃を受け崩壊していく様を書に
したいと思ったそうです。
手島氏は「光をはらんでいなければならないのです。
空間も文字も 光を吸い込んで 初めて生き生きとしてくるの
です」という言葉を遺していました。
60年以上前に書かれた作品が、実に瑞々しく新鮮な光を放って
心に響いてくるのです。
そうか光をはらんでなくてはいけないのか…
人間もまた…と思ってしまいました。
誰にでも平等に降り注ぐ光
その光をもっともっと感じなければ
その光でもっともっと心を温かくしなくては…
書展に行ってきました。
実に見ごたえのある作品ばかりでした。
ここ何日か、私はブログに「悲しみ」について書いてきましたが
手島右卿の作品にあった「悲大」が心に留まりました。
「悲大」という言葉があるのか知りませんが、見ているだけで
深い悲しみを感じる作品でした。
「崩壊」という作品は、空襲で爆撃を受け崩壊していく様を書に
したいと思ったそうです。
手島氏は「光をはらんでいなければならないのです。
空間も文字も 光を吸い込んで 初めて生き生きとしてくるの
です」という言葉を遺していました。
60年以上前に書かれた作品が、実に瑞々しく新鮮な光を放って
心に響いてくるのです。
そうか光をはらんでなくてはいけないのか…
人間もまた…と思ってしまいました。
誰にでも平等に降り注ぐ光
その光をもっともっと感じなければ
その光でもっともっと心を温かくしなくては…