2019年が終わろうとしています。
色々なことがありました。
息子が結婚して家を出たり、母が施設に入所したり
夫のことも…色々あるのに不思議とそれらは何か
現象の様に感じられるのです。
この一年で一番確かなことは、ほぼ毎日坐っている
ということなんです。
毎朝、坐ったからと言って何が起きる訳では
ないのですが、坐ったという事実は自分の中に
蓄積されていくように思えます。
苦しいこと、嫌なことがあると以前は、あれこれ
考えたものですが、今は考えるより
取りあえず坐ってみようと思うのです。
そして、坐ると波立っていた心が平らに
なるのです。
何一つ解決していなくても、心は納まるのです。
4月から坐り始めた時に一つだけ心に
決めたのは、当てを持たずに唯坐る
それだけでした。
続くかどうかも分からず、10分だけ坐って
いました。
今は30分です。
始めの頃は、早く時間が過ぎないかと思って
いたのに、今は30分は坐りたいと思うように
なったのです。
人は問題が起きると、頭で考えて解決しようと
します。
それが自分の思っているようにいかないと
悩みや苦しみは深くなります。
でも、そうであっても心が穏やかであれば
例え解決出来なくても大丈夫なんですよね。
人間ってそういうふううに出来ているのかも
しれません。
村上光照老師は、日々穏やかに暮らせたら
それは悟りですと、言われたそうです。
思い悩む前に坐ってしまえばいいのです。
なんと簡単なことでしょう…
大脳が複雑にしてしまいますが、私たち人間の
本質って、実はシンプルなのかもしれません。
1年坐れば顔が変わってくるといいます。
楽しみです~
冬至の翌日、Mちゃんのお母さんが突然
亡くなりました。
重い障がいのある子どもをのこして…
Mちゃんの発する言葉で私たちが理解出来るのは
わずかです
お母さんが亡くなった翌日、Mちゃんはずっと
叫んでました。
「嫌だよ!」「嫌だよ」と…
私は大声をあげるMちゃんを外に連れ出し
「嫌だよ~」という彼女に、「そうだよね。
こんな嫌なことないよね」と言うことしか出来ず
叫ぶMちゃんの横で、アメイジンググレイスを
ハミングしました。
気がつくとMちゃんは、私の下手なハミングを
聴いてくれていて、いつの間にか静かになって
いました。
突然のお母さんの死を、どのように受けとめて
いるのか分かりませんが、「嫌だよ~」の中に
ある深い悲しみは、私に伝わってきました。
25日に田口ランディさんとサントリーホールで
お会いした時、「私をデビューさせてくれた
編集者が冬至の日に亡くなったの。
私より若いのに…今晩お通夜なの」と、
とても落ち込んでいました。
第九のコンサートが終わり、駅までの帰り道
私はランディさんに「その編集者の方、納得して
亡くなって逝ったんだと思います。
人は亡くなる時、納得するんだと思う。
うちの子も、13歳の突然の死なのに納得した
顔をしてて、何で納得しちゃうのって、
すごく悲しかったけれど、息子は安らかな
顔だった…
亡くなる人はみんな納得して、逝くんだと思う
光の世界に…」と、話しました。
限られた言葉しか持たないMちゃんは、
きっと私たちより自由にお母さんとの
心の会話が出来るのかもしれません。
私たちの”生”は、沢山の死者の想いに
支えられているように思えるのです。
私の心に、今もあのクリスマスの第九が
響き渡っています。
すべてが”喜びの歌”の中にあることを
信じて生きたい…
昨日の12月25日は、「地球交響曲第9番」の
公開収録と銘打った素晴らしいコンサートが
サントリーホールで開催されました。
私は、チケットを取ってくれた友人の関係で
何と、一番前のセンター席でした。
指揮者・小林研一郎マエストロの囁くような声も
聴こえる近さ…
第一部は龍村監督の語りと、ボクネンさんや
会場にいらっしゃっているガイアの出演者の
紹介からはじまりました。
そして、監督が「短いから」という言葉を残して
舞台から去ると、”ガイアシンフォニー”の
ダイジェスト版の上映が1番から始まりました。
2番になり、当然のこととして初女さんが出て
来るのですが、その初女さんを目にした途端
涙があふれ、泣きじゃくってしまい、そんな自分に
驚きながらも、涙が止まらないのです。
なぜだか分かりません。
休憩の時に、初女さんと深い交流のあった
千葉のKさんのところへ行って「涙が出た」と
ひと言口にしたら、また涙、涙、涙…
Kさんの膝に泣き崩れてしまいました。
Kさんが「初女さんが亡くなってから一生懸命
やってきたからだよ」と言ってくれました。
自分の中の初女さんの大きさに、あらためて
驚きました。
2部は、いよいよコバケンさんの指揮による
ベートーヴェンの「交響曲第9番」です。
第九を振ってコバケンを超える指揮者はいない
という音楽関係者の声があるという
小林研一郎の指揮で、目の前で第九が
奏でられていくなんて…
龍村監督は「ガイアシンフォニー第9番」の
テーマは音楽、第九の音楽そのものだと言い、
「ベートーヴェンが、交響曲の最後に合唱を、
人の声を入れざるを得なかった心境というのは
自分のことのように感じます」と語っています。
そして、第九を作り終え後、この世を去った
ベートーヴェン。
監督は、当時すでに聴覚を失っていた彼の耳に、
人間の歌声はどのように響いていたのだとうか?
という想いが渦巻いていると…
何と、昨日の演奏は、合唱は、その監督の想いに
完璧なるこたえを与えてくれたものだったと
思います。
合唱が始まると、その歌声によって全てが浄化
されていくのを、私は肌で感じました。
そして、やがてその声は天と地とを繋いだ!
本当に一つになったのです。
コバケンさんの手が天に向けて高々と上がった瞬間
私たちは光の世界に包まれたようでした。
人間って素晴らしい!と心の底から思えたのです。
樂器の奏でる音楽だけでは無しえない世界を
ベートーヴェンは知っていたのですね。
まさに「喜びの歌」です。
言葉が見つからないくらい素晴らしかったです。
会場にいた全員が立ち上がり、鳴りやまぬ
拍手となりました。
私の人生の一ページに、このようなことが
用意されていたなんて…
感謝しかありません。
きっと素晴らしい「地球交響曲第9番」になると
思います。
間違いありません、天が望んでいること
ですから…
今日はクリスマスイブ
今、ふと初女さんのことが心に浮かんできました。
初女さんはクリスチャンでした。
森のイスキアには祭壇がありますが、十字架の下に
木彫のお観音様がありました。
イスキアを訪れた時に、一緒にお盆の送り火を
しましょうと言われ、たき火をしたことが
あります。
揺るぎのない信仰を持っていながら、囚われない
そういう方でした。
ですから、仏教の方からの講演依頼も多く、お寺の
本堂でお話しされることも珍しくなかった
ようです。
本当に心が自由な方でした。
私が最後に、田口ランディさん達と森のイスキアに
行った時、玄関に上がるや否や「一緒にお祈り
しましょう」と言われ、初女さんが祭壇の前に
坐られたのです。
長年イスキアに通っていましたが、初女さんが
そのようなことを言われたのは初めてでした。
あの時、初女さんは何を祈っていたので
しょうか…
「直さんが陰になり日向になりやってくれて
いることは、よく分かっているから…」と
初女さんに言われ、涙が止まらなく
なったことを今でも覚えています。
あの涙は、初女さんの愛の深さを感じた
涙だったかもしれません。
愛こそが初女さんの信仰…
信仰
信仰のみなもとは、愛を受け容れること
それは誰もが生まれた時からできていることで
特別なことではありません。
信仰は自分でつくるものではなく
与えられ受けとるものです。
佐藤 初女
r
発達障害の講座に行った時、講師の先生が
「ひとり一人、脳が違うんだから」と言われた
ことが忘れられません。
この当たり前のことを、私たちは本当に
分かってないんだと思ったからです。
予想もつかない相手の言葉や反応に、
どうしてよいか分からない時があります。
そんな時、今までは結構あれやこれやと考え
じたばたしたのですが、最近分からない時は
何もしないということを実行してみたら
とても楽になったのです。
それを裏打ちするっような言葉を友達が送って
くれました。
《むずかしくない生き方》
わからないものは、わからないとして無理を
しないのが一番いいのだと思います。
そうして静かに様子をみていると、とるべき道が
自然に見えて来ます。
それが自分に気に居るかどうかは分からないが
一番筋の通った道であることは間違いありません。
私たちは、自分の判断ではわからないこと
(本当はどんなことでも分からないはずですが
通常のことは大抵わかったことにしているだけ)に
突き当たったとき、わかるべきはずのない
この自分の頭で、なんとか納得しようと
もがくことは無益であります。
じっと静かに様子をみていれば、実にうまく
通れるようになってきます。
行き詰るということはありません。
人間というものは、そういう具合に出来て
いるのだと思います。
私はこんなことをよく知っていながら、やはり
凡人の悲しさで、困難な問題にぶつかった時
思い悩みますが、それでも慌てて分からないものを
無理に自分の力で決めてしまうことだけは
しません。
すると必ず、問題は向こうから解けて来ます。
生きる事は難しくないことだと思っています。
難しくない生き方があるのだ。
そして、その生き方が一番自他ともに生かす道だと
確信しています。
和田重正
今日は、東京の日野でおむすび講習会でした。
小学生の子どもさんが2人、しっかり参加して
くれたのです。
この子たちに色々気づかされたおむすび講習会
でした。
遊んでいるように見えるのに、しっかり私の話を
聴いているのです。
お米の給水の話をしていると、最初の水の高さを
覚えていて給水したら、爪のところまでになったと
いうのです。
初女さんは、すべてが”いのち”あるのもとして
見ていたことを話したのですが、おむすびを
結ぶ時の二人の手が、実にやさしくお米を
包むように握っていたのです。
「初女さんは、お米のひと粒ひと粒が呼吸で
きるように」と言われてましたと、お母さん達に
お話ししたのですが、そのことを心に留めて
いたのかと、二人がおむすびを結ぶ姿に感動して
しましました。
大切なものを慈しむように、おむすびを結ぶ
小さな手から大事なこと教えられ気がしました。
お兄ちゃんはおむすびが美味しいと3個、
ペロリと食べ、妹ちゃんも2個食べて、
家でも作りたいと帰ってからもおむすびを結んだ
そうです。
今年最後のおむすび講習会は、未来を結ぶ
おむすびでした。
初女さんが、どんなに喜んでいることでしょう…
え~聞いてないよ…ということがありました。
私の反応を感じた相手が、長い手紙のような
メールをくれたのですが、どう返信したらよいか
分からず、そのままにしてました。
Kさんに相談すると、「そのままにしておけば
いいんだよ。自分のあれこれを入れず、お任せだよ
それが、手放すってことだよ」と、言われ
急に気持ちが楽になりました。
そうか、手放すってそういうことだったんだと、
初めて気がついた気がしました。
そういえば初女さんも書いていました。
『こうしようと決めるのではなく、
「穏やかな心でありたい」「心の平安を保ちたい」
と自然に受け身になっていると、必ずそうなります。
いまのことをそのまま受け入れればいいのに
「もっとよくしよう」と思うから、穏やかに
過ごせないのです。
よけいなことに気を遣わずに感謝で生きていくこで
自然になにか感じられるようになります。
そうしているうちに自然と道が示されますから
その時初めて自信を持って前に進めばよいのです。
佐藤 初女 』
夕食を食べてから、初女さんのレシピで
”りんごのコンポート”を作りました。
私が初めて森のイスキアに行った時に、
初女さんと一緒に作ったのが、コンポート
でした。
初女さんの隣に座って、りんごの皮を
剥いたのですが、どきどきして大きさが
揃えられず、恥ずかしくてどうしていいか
分からなかったことを、今でも覚えています。
りんごのコンポートは、りんごが半分透き通って
きたら火を止めるのがポイント!
初女さんは、料理は冷めていくときに、食材に
調味料が入っていきますから、そこでじんわりと
味がしみるのです。と言われてました。
料理は休ますのも大事と…
これは生活でも同じだと言われてます。
「いつもいつも前へ進み続けるばかりでは、
誰でも疲れてしまいますね。
そうでなく、ちょっとお休みするということが
とても大事です」と…
今、時短のお料理が流行ってますが、時短では
じんわり味が沁み込んだ料理にはならないと
思います。
私たちも、いつのまにか時短の生活を送って
いるのかもしれません。
心も体もお料理も、ちょっと休ますことが
大事なんですね。
心に届く味というのは、時短料理からは
生れないかもしれません。
今日のリンゴは、同じ大きさに切れましたよ
初女さん!
12月も半ばを過ぎ、そして令和元年が終わろうと
しています。
ふと”冬が来た”という言葉が心に浮かびました。
寒い季節迎えるというのは、どこか覚悟が迫られる
ような気がします。
北国の人は毎年この覚悟をし、日々の生活を
おくっていくのでしょうか。
初女さんのあの凛とした姿は、覚悟を知っている
人の姿だと思いました。
『誰もが、それぞれの人生の中で、
何かを諦め、何かを選びとってゆくのだろう。
大きな決断などでない。
そんな時が自然にやってくるのだろう。
そしてアラスカもまた、人の一生のように、
新しい時代の中で何かを諦め、
何かを選びとってゆく。
星野 道夫』
初女さんが言われていた「鳥はどうして飛んで
いるのでしょうか。
きれいな花を咲かせるのはどうしてでしょう。
誰も答えることができませんが、これが感謝です。
こういうことを深くとらえない人もいますが
すべて感謝ですし、感謝は生活の上で基本的な
ことです。」
私は、この言葉がよく分かりませんでした。
でも、やっと少しですが、そうか~と思える
ようになりました。
今までは、何かしてもらったことに対して
感謝をしてましたが、道を歩いていて道ばたの
小さなお花が目に留まった時、有り難いな~と
思うのです。
理由は分からないのですが、唯しみじみと
有難いな~という気持ちが湧きあがって
くるのです。
『感謝で、いまというこの確実な時を
大事にしていくと自由に過ごせるのです…
こうしようと決めるのではなく「穏やかな心で
ありたい」「心の平安を保ちたい」と自然に
受け身になっていると、必ずそうなります。
いまのことをそのまま受け入れればいいのに、
「もっとよくしよう」と思うから、穏やかに
過ごせないのです。
よけいなことに気をつかわずに感謝で生きて
いくことで、自然に何かを感じられるように
なります。
そうしているうちに自然と道が示されてますから、
そのときに初めて、自信を持って前に進めば
よいのです…
日々、すべてに感謝で暮らしているのです。
佐藤 初女 』
初女さんは、本当に感謝の方でした。