~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

花たちの言葉

2012-06-29 21:38:28 | 日記
先日の新聞に「聞いている」という投稿がありました。

藤の木に虫がつき、「虫を取らなかったら、切っちゃうから」と

言ったら翌日虫が全部いなくなっていたという投稿でした。

それを読んだ時、「やっぱり聞こえているんだ」と思いました。

そして、すぐ外に行って毛虫に食われ瀕死の状態の椿の木に

ごめんね。すぐに気づいてあげられなくて…と擦りながら声を

かけました。

実家の大イチョウを切る時には、お神酒をあげて「今まで有難う」

と、母と二人でお礼を言いました。

こちらの気持ちの問題かと思っていましたが、やっぱり植物は

聞いていたんだなーと、今日の「花たちの言葉」という投稿を

読んで、あらためて思いました。

それは、 おばあちゃんが、庭の小菊を9歳の孫に切って来て

と頼んだら、孫は「一枝ちょうだい」と小菊に話したら、

小菊に「私たちは子孫増やさないといけないからダメ」と

断られたと言うのです。そして、次にコスモスにお願いしたら

「みんなで相談するから待っていて下さい」と言われ、

少しして行くと、「私を切って下さい」と一番鮮やかな

コスモスが言ったそうです。花たちの言葉が心に響き

ましたと、おばあちゃんが書いていました。

何とも、素敵な話に、読んでいて温かい気持ちになりました。

私は、葉っぱが毛虫に食べられてしまった椿の木に、また

励ましの声をかけようと思いました。

 初女先生、すべてのものに心があるのでしょうか…

そして、言葉を交わし心を通わせることが出来るのでしょうか

そう思うと、この世界が何だか輝いて見えます。

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イスキアの時間・初女さんの時間

2012-06-28 21:50:58 | 日記
私が、初夏のイスキアが特に好きなのはなぜだろう?と、思った時

梅干しを干す季節だからだと思いました。

柔らかい風が吹き抜けるイスキアの庭に、干された沢山の梅干し

その梅干しを、初女先生やスタッフが菜箸で一つひとつ

裏返していく…

梅干しにも、手を掛け心を掛けてもらっていることが伝わっている

ことでしょう…

イスキアの時間は、自然の時の流れの中にあります。

ゆっくりと刻まれていく時間は、太古の昔からの時間…

 先週、物凄く忙しかった私に「時間泥棒にあわないように」という

メールをくれた方がいます。

あ!エンデの童話「モモ」だなと、思いました。

私は、バタバタとしていた時間を、教会の礼拝堂でやっと自分の

時間に取り戻すことができました。

そこには、イスキアと同じ時間が流れていました。

慌ただしい日常の中で、時間泥棒に合わないためには

ふとした時に、初女先生の生活を思い浮かべること…

今朝、おむすびを結んでいる時に、まな板についたご飯粒を

一粒づつおむすびに戻しました。

そうしたら、慌ただしかった朝の時間が、すーっとイスキアの

時間に変わっていったのです。

掛け替えのない今を生きる、初女さん時間…

明日は、梅干しの一粒一粒を菜箸で裏返そう







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初夏の風に吹かれて…

2012-06-26 23:23:26 | 日記
今日は障害者の人とそのご家族と、社会見学に行きました。

出掛けることが、なかなか簡単に出来ない方にとって

今日はハレの日!

小学校の遠足気分というのを、久し振りに味わいました。

ビール工場の見学でした。

びっくりしたのは、コンピューターで管理されているのか、働いて

いる人が見えないのです。

この国は、都会でも田舎でも働く場がどんどん無くなって行ってるん

だろうかと、洗練された工場を見ながら思いました。

震災で被災した人たちが、働く場が欲しいと言ってました。

働くことの喜びは、また生きることの喜び…

ビール工場の後は、山下公園に行きました。

初夏を感じる風に吹かれ、車椅子軍団は行く…でした。

こうして、年に1回のバス旅行は皆の心に楽しい思い出を

刻み終わったのです。

さすがに疲れて家に帰って来ると、お帰りなさいという

ように、初女先生のDVDが届いていました。

観ていたら、イスキアに飛んで行きたくなりました。

初夏の風が吹き抜ける頃のイスキアが、私は大好きです。

また、あの風に吹かれてみたいと思いながら、観ていました。

初女先生が、亡くなった息子さんが「母」について書いた

文章を読んでいる場面がありました。

どんな思いで、先生は読まれているのだろうと、思ったら

胸が熱くなりました。

そこには、芳信さんの母としての初女先生がいました。

   
     神のはからいは限りなく

        生涯わたしはその中に生きる

                    (詩編139)

映像の中に映し出されたこの言葉が、先生の人生すべてを

語っているようでした。

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初女先生の言葉に流れる心

2012-06-25 21:00:42 | 日記
土曜日はスタッフが集まり、鎌倉でおむすびの練習をしました。

講演会でおむすび講習を、初女先生にして頂くので、私たちが

しっかり手順を分かってないということで、皆で集まり

お米の研ぎ方から、お米の浸水の具合などなど、みんなで心を

寄せ合い知恵を出し合いやりました。

お味噌汁やおかずも作り、皆で真剣におむすびを結びました。

なんとも言えない、ゆったりとした時間が流れていました。

先週、怒涛の様な時間を過ごしていた私は、この仲間とおむすびを

作れることが嬉しくて、「楽しい。楽しいね」と、皆に聞こえる

ような大きな声で独り言を言っていました。

こういう雰囲気の中で作ったおむすびは、やっぱり美味しく

今度は「美味しいね。美味しいね。」を連発…

打ち合わせが終わり、鎌倉駅に行くと驚くほどの観光客が…

Mさんは、何年振りかの鎌倉だというので、地元のKさんと

3人で小町通りを歩いて見ると、まるで原宿のような賑わいに

これが鎌倉だろうかと、疲れが押し寄せてきました。

その時、Kさんの教会に行ってみたい!と突然思い、連れて行って

もらいました。

小さな古い礼拝堂に入ると、まるで世界が違っていました。

明日の礼拝の為にオルガンの練習をされている方がいて

私たちは、オルガンで奏でる讃美歌を聴きながら黙って

坐っていました。

その時、ふと初女先生のことが心に浮かんで来ました。

先生はどんなに忙しくても、周りが慌ただしくても

どんな状況にあっても、この時空間を持ってらっしゃる

それが、どれ程凄いことかが初めて分かったのです。

その時、初女先生が書いて下さった「祈りのうちに今を生きる」

という言葉の中を流れている心を、ほんの少し感じることが

出来た気がしました。

初女先生の言葉は本当に深いです。

言葉の上面だけ見て、分かった気になっていた自分がいました。

その言葉が紡まれるまでの先生の思い…

幼子のような素直な心で、先生の本を読み返してみたいと

心から思いました。





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慰霊の日

2012-06-24 00:55:33 | 日記
6月23日は、慰霊の日

私は沖縄が大好きです。

でも、沖縄を思う時いつも大和人としての、後ろめたさを

感じるのも確かです。

今日、慰霊の日に高校3年の金城美奈さんが朗読した詩の一文が

新聞に載っていました。

18歳の女学生が放つ言葉が、私の心に深く突き刺さりました。

 10代で戦死した祖父の兄の両親の健康を気遣い、家族を思う

気持ちが溢れた手紙を読み、金城さんが初めて平和の礎の前に

立った時、礎に刻まれていた名前が思ったより小さく、悲しく

見えたという、その思いを詩にしたものです。

    礎に思いを重ねて (一部だけ)金城 美奈

  この文字では表せないほどの人生が あなたにはあった

  この文字では抱えきれないほどの未来が 

  あなたには待っていた


  67年前を生きた人々の後ろに 私たちは続いている

  私たちに出来ることは あの日を二度と呼び戻さないこと

  私たちに必要なことは あの日を受け止めて語り継ぐこと


  (そして詩の最後はこう結ばれていました)

  礎に刻まれた人々の届けたかった思い 叶えたかった願い

  私たちが届けよう 私たちが叶えよう

     礎に思いを重ねて


どんな時代が過ぎようと、私たちは6月23日を忘れては

いけないと。強く思いました。




 

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今を生きる…

2012-06-22 22:54:27 | 日記
振り返ってもすごい一週間でした。

先週の金曜にHさん訃報を聞き、土曜にお通夜に行って、日曜に

関口教会での初女先生の講演会に参加して、火曜日にYさんの

入院を聞いて…

本当に祈りの日々でした。

今日、Yさんのお見舞いに行ったのですが、入院先の病院は

何と、創が亡くなった病院でした。

ちょっと前まで、その病院に近づくことも出来なかった私です。

とても一人で行く勇気がなかったので、同じ職場の人と2人で

行きました。

病室の窓からは、猿島が見えましたが、ベッドに横になったままの

Yさんには、手が届くようなところにある風景も、遙か遠く…

この一週間、いのちを見つめ、人は今ここを生きている

未来でも過去でもなく、この瞬間を生きているのだという

ことを、強く実感しました。

そして、私はYさんのお陰で静かな気持ちで、息子の亡くなった

病院に来ることが出来たのです。

また一つ乗り越えられました。

21歳のYさんは、はにかんだ笑顔で私達を迎えてくれました。

私は、今を生きるということを、忘れてはいけないと思いました。

明日は、スタッフでおむすびの練習をします。

みんなで「おむすびの祈り」を結び、三浦の初女先生の

講演会に向けて心を繋ぎ合おう!そう思った時

新しい明日が待っていると、思えたのです。



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祈り

2012-06-21 22:28:54 | 日記
Hさんが亡くなり4日後、今度は同じ作業所のYさんが入院したとの

連絡がありました。

祈らないではいられない日々が続いていました。

何も出来ないけれど、祈ることだけは出来る、祈りの力を信じて…

そんな思いで、祈っていました。

そしたら今日、Yさんが個室に移れたと連絡があり、

嬉しくなりました。

Yさんの頑張りと皆の祈りが届いたのかなーと思っていたら

探し物をしていた時に、27年も前に書いた通信が出て来て

その中に、私が書きとめていた詩が載っていました。

何で、今このときにこの詩が…と、思いながら、27年振りに

読むこの詩が、私の心に寄り添ってくれるのです。

静かに深く…


      神様や仏様が

      本当にいらっしゃるのかどうか

      でもあの合掌したときの

      安らぎはどこからくるのでしょう

      右の手の悲しみを左の手が支え

      左の手の決意を右の手が受けとめる

      その上を流れる静かな時間

      こうした姿勢を教えて下さったのは

      どなたでしょう


               高田 敏子



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トイレの前のサイン会

2012-06-19 22:39:43 | 日記
関口教会での、初女先生の講演会は「母さんの歌」をアレンジした

「母さんは おむすび作る 森のイスキア…」という合唱から

始まりました。

講演会で先生は「素直さが大きな力を出す。信仰の原点は素直さ

です。」と、言われていました。

私はその時、友人のMさんことを思い出しました。

長野の大鹿村へ先生を訪ねて行ったMさんのことを、先生は

「素直な人だねー」と感心するように言われていたからです。

先生に出会って救われたと言っていたMさんは、たった2ヶ月で

見違えるほど変わりました。

状況は何も変わらないのになぜなのだろうと、思っていましたが

Mさんの素直さだったのですね。

素直さが大きな力を出すという先生のお言葉が、Mさんの姿に

重なりました。

信仰の原点も素直さにあるとは…

 講演会の終わりもまた、かあさんはおむすび作るの歌で

先生が会場を後にされましたが、それで終わるはずがないのが

初女先生の講演会です。

狭い廊下の片隅で、先生に会いたいという人が集まり、

そして、本にサインを求める方も出て、なんと初女先生は

女子トイレの入り口の前に出された机で、あの丁寧なサインを

なさったのです。ふと、顔を上げれば目の前にトイレが…

もしかして、トイレの神様とイスキアのマリア様との出会いが

あったかも…

先生の求められれば、出来る限り応えようとする姿が

トイレの前のサイン会にありました。

初女先生の何があってぶれない生き方は、どこから来るのだろう

と思った時、先生の「自分は仕える者だ、神に仕える者だ」と

いう言葉が思い出されました。

初女先生の「静の祈り」と「動の祈り」を見せて頂いた

関口教会での講演会でした。

私も今日の記念にと、トイレの前でサインして頂きました。

   祈りのうちに

       今を生きる

              佐藤 初女



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教会にて…

2012-06-17 20:48:18 | 日記
昨日は、Hさんお通夜に行って来ました。

不自由な体を生き抜いたHさんなのに、これほど安らかに

旅立たれた人を、私は他に知っているだろうかと、思わせるほど

静かな、穏やかなお顔でした。

斎場にはHさんの写真が何枚も飾られていました。

私は彼があまりに重い障害だったので、生まれた時からかと思って

いましたが、子供のHさんが走っている写真があり、「両足で立ち

歩いたり走ったりしていた時があったんだ」と思ったら嬉しく

なりました。

Hさんを思い出す時、いつも彼の笑顔が心を和ませてくれます。

言葉は持ってなかったけれど、誰の心の中にも優しい存在として

しっかり繋がっていました。

そして、今日は初女先生が関口教会で講演される日でした。

私はHさんへの思いもあり、教会の御ミサに行きたいと

思いました。

随分長い間、教会に行ってないし、カトリック教会のミサは

初めてだし、心細くてドキドキしながらお御堂に入りました。

お隣のシスターに丁寧に教えて頂き、礼拝することが出来ました。

息子が亡くなった後、辛い胸の内を書いて牧師先生に送った

ところ、先生は一生懸命に聖書を引用しながら、神は一人子

イエスを…と書いて来て下さったのですが、私は神がイエスを

差し出したことと、自分の息子が亡くなったことが結びつかず

それから、教会に行けなくなりました。

礼拝の後、初女先生のところへ行き、「先生、やっと教会に

来れた」と言った時、涙が溢れてしまい先生の手を握りながら

泣いてしまいました。

Hさんを思い、創を思い先生の心に支えられた今日と言う日に

感謝が溢れました。









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Hさんのくじらの歌

2012-06-15 23:41:01 | 日記
ブログを書こうと思っていたら、悲しいお知らせが届きました。

重い重い障害を持ち、生きて来たHさんが亡くなったと…

いつも「あー、あー。うっ うっ」と言って、活発に這いまわり

興味のあるものは、伸びあがってどんなことをしても取ろうと

するHさん

Hさんの言葉は、何だか「くじらの歌」のようでした。

四十数年の人生、Hさんは不平不満を言うことなく、人を傷つける

こともなく、彼だけの歌をうたっていました。

4月には、一緒に筆を持ち、『一』を書き切ったのです。

力強いHさんの『一』でした。

Hさんの書を見たお母さんが、「何でも一から始まるものね」と

言っていたのが忘れられません。

日曜日に訪ねた時に、布団に横になりながら、絵本をめくって

いたHさんは、実に穏やかな顔をしてました。

あのくじらの歌は聴けなかったけれど、優しい静かな空気に

包まれて、悲しいけれど温かい気持ちになりました。

今日の新聞に、小児科医の細谷亮太先生が「病気は悲劇じゃない」

そう心から言えるのは、難病と向き合い生きる子供の強さに

心打たれてきたからです。と書いていました。

Hさんを見ていて、障害もまた…と思いました。

もしかしたら、Hさんは神さまが授けて下さった天使かも

しれません。

Hさんの「くじらの歌」がもう一度聴きたいな…

でも、あなたに出会えてよかった!

有難う!

もう、なんの不自由もありません。

心も体も、何もかも自由ですね…







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