今日で7月も終わりです。
何という早さでしょう…
暑いと自分の感性までもが鈍くなるような
気がします。
最近、感謝の心も小さくなってしまったのかな
と、思うようになっていました。
至福に包まれる時間もなくなってきて
どうしたのかな私?って思ってました。
昨日ふと、最近瞑想してないと思って、座って
みました。
「瞑想は脳を休ませるの」という友人の言葉で
兎に角、短くても毎日やってみようと、
始めた瞑想が、忙しさの中でおざなりになって
いたのです。
昨日、久しぶりに座ってみたら、瞑想が
終わっただけで、有り難いな~という気持ちに
しみじみとなったのです。
瞑想と言うと、何か特別なことの様に思うけれど
目を閉じて、余計なことを考えず呼吸に集中して
いればいいようです。
瞑想で脳を休ませると、本来私たちが持っている
感謝や幸せの感覚がピュアになるのかも
しれません。
いつもは、色んなことを済ませて時間があったら
瞑想をしていたのですが、今日は起きたら
直ぐに瞑想をしてみました。
そうしたら、一日が違って来たのです。
友人が初女さんに朝早く電話をしたら、
「今、瞑想してました」って言われたと教えて
くれましたことがありました。
初女さんにとって瞑想は「静の祈り」だったので
しょうか…
『静かに座って手を合わせる「祈り」は
「静の祈り」
行動するということは「動の祈り」。
わたしたちはが生きて動いていることのすべてが
祈りに通じているのです。
「動の祈り」は、生活そのものだと思います。
生活している時の動作のすべてが、祈りに
つながっていると考えて毎日を過ごすと、生活の
中の些細な出来事にも、向き合う自分の姿勢が
変わってきます。
そして、心を込めて食事の支度をしたり、
一緒に食卓を囲んだりという、もっとも平凡な
営みの中にこそ、深い祈りがあると
思っているのです。
また、「動の祈り」の中でも一番大切にしている
「食」を、わたしは「命」だと思っています。
ですから、お料理を作ること、そしておいしく
いただくことは、本当は祈りそのものと言えます。
佐藤 初女 』
暑くて、ご飯作りたくな~いなんて、
言えませんね。
祈りそのものなんですね…