~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

「動の祈り」

2018-07-31 22:42:03 | 日記

今日で7月も終わりです。

何という早さでしょう…

暑いと自分の感性までもが鈍くなるような

気がします。

最近、感謝の心も小さくなってしまったのかな

と、思うようになっていました。

至福に包まれる時間もなくなってきて

どうしたのかな私?って思ってました。

昨日ふと、最近瞑想してないと思って、座って

みました。

「瞑想は脳を休ませるの」という友人の言葉で

兎に角、短くても毎日やってみようと、

始めた瞑想が、忙しさの中でおざなりになって

いたのです。

昨日、久しぶりに座ってみたら、瞑想が

終わっただけで、有り難いな~という気持ちに

しみじみとなったのです。

瞑想と言うと、何か特別なことの様に思うけれど

目を閉じて、余計なことを考えず呼吸に集中して

いればいいようです。

瞑想で脳を休ませると、本来私たちが持っている

感謝や幸せの感覚がピュアになるのかも

しれません。

いつもは、色んなことを済ませて時間があったら

瞑想をしていたのですが、今日は起きたら

直ぐに瞑想をしてみました。

そうしたら、一日が違って来たのです。

友人が初女さんに朝早く電話をしたら、

「今、瞑想してました」って言われたと教えて

くれましたことがありました。

初女さんにとって瞑想は「静の祈り」だったので

しょうか…

『静かに座って手を合わせる「祈り」は

「静の祈り」

行動するということは「動の祈り」。

わたしたちはが生きて動いていることのすべてが

祈りに通じているのです。

「動の祈り」は、生活そのものだと思います。

生活している時の動作のすべてが、祈りに

つながっていると考えて毎日を過ごすと、生活の

中の些細な出来事にも、向き合う自分の姿勢が

変わってきます。

そして、心を込めて食事の支度をしたり、

一緒に食卓を囲んだりという、もっとも平凡な

営みの中にこそ、深い祈りがあると

思っているのです。

また、「動の祈り」の中でも一番大切にしている

「食」を、わたしは「命」だと思っています。

ですから、お料理を作ること、そしておいしく

いただくことは、本当は祈りそのものと言えます。

               佐藤 初女  

暑くて、ご飯作りたくな~いなんて、

言えませんね。

祈りそのものなんですね…

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美味しいご飯の炊き方を~おむすび講習会

2018-07-30 22:16:45 | 日記

ここ何年か前から、糖質制限ということが言われ

ご飯を食べない人が増えてきているように

思います。

これは、気になることです。

初女さんも心配していました。

「昔、お米は神様のような存在で、一粒たりとも

無駄にしてはいけないと教えられたものです。

ところが、食が欧米化してご飯離れが進んで、

ご飯が悪いという説まででましたね。

「ご飯を食べると太る」といわれて、ダイエットを

する人がおかずだけを食べるようになって

しまったり。

そんなことが20年くらい続いたものだから、

その結果が今、出ているように思います。

問題を抱えて『森のイスキア』に来られる方も

ご飯を食べていないことが多いのです。

ご飯は私たち日本人の、食の基本となるものです。

なぜなら、お米には「力」が宿っているからです」

と、書かれています。

今は、初女さんが心配していた時より、さらに

進んでいるように思います。

キレる人が増えているのも、食生活に関係して

いるような気がします。

『「ご飯を食べるとしゃんとする」

「ご飯を食べたら、元気になった」という感覚は

私たちの体がご飯を欲しているからだと思います。

おいしいご飯があるということは、とても大事な

ことです。

炊き立てのご飯と、きちんとだしをとった味噌汁、

それにちょっとしたおかずがあれば、日本人は

たいてい満足できます。

やはり、ご飯は日本人の食の基本だと思います。』

と、言われていた初女さんは、おむすびは

ご飯の炊き方が一番なの!と何度も言われて

ました。

おむすび講習会では、初女さんに教えて頂いた

ご飯の炊き方もお伝えしたいと思います。

是非いらしてくださ~い!


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上春樹氏のオウム事件の寄稿文

2018-07-29 22:09:28 | 日記

今朝の新聞に「胸の中の鈍いおもり」と題して

村上春樹さんが、オウムの死刑執行について寄稿

していました。

田口ランディさんも驚いたと、Twitterに書いて

ましたが、新聞の一面を書かれた文章の大半が

林泰男元死刑囚のことなのです。

林(元死刑囚)の裁判の傍聴も、東京にいる時は

許す限りしていたというのです。

村上春樹さんは、林泰男の裁判における

木村裁判長の判決文は静謐(せいひつ)な

人の情に溢れるものだったと、その判決文を

載せていました。

「『およそ師を誤るほど不幸なことはなく、

この意味において、林被告もまた、不幸かつ不運で

あったと言える(中略)

林被告のために酌むべき事情を最大限に考慮しても

極刑をもって臨むほかない』

 気持ちもしっかり伝わってくる

優れた判決文だと思う。

それは希望の余地というものが殆ど存在しない

この長い裁判を通して、最後に辛うじて

差し込んできた微かな光明のようなものだった

かもしれない。」と書いています。

そして、死刑判決を生まれて初めて法廷で

耳にした時も、今オウム事件の死刑囚、13人の

死刑が執行されたとの報を受けて、同じように

胸の中の鈍いおもりの存在を感じていると、

記しています。

この寄稿文は是非一読して欲しいです。

私は、30代の頃に「人生で師と言える人に

一人出会ったら、それは幸せだ」と言われて

ずっと師を求め続けていました。

そして佐藤初女さんに出会ったのです。

木村裁判長が師を誤るほど不幸なことはなく…

と、言われていますが、高学歴で社会的地位も

あったオウムの人たちは、なぜ師を見誤ったの

でしょうか…

村上春樹さんは「我々は彼らの死を踏まえ、

その今は亡き生命の重みを感じながら、

『不幸かつ不運』の意味をもう一度深く

考えなおしてみるべきだろう。」と結んで

います。

13人の死刑執行以来、私の胸の中にも

鈍いおもりがあるの感じています。

事件は終わっていない…

この事件によって投げかけられたこたえを

私たち自身が探して行かなくては…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

微笑みのチカラ

2018-07-27 23:33:18 | 日記

夕方、家路に向かって急いでいたら、向こうから

歩いて来た外人の若い女性と目があった時、

その女性がニコッと微笑んだのです。

私も、思わず微笑んだのですが、すれ違った後も

何だか温かい幸せな気持ちに包まれていました。

普段、全く知らない人に私は、こんなふうに

微笑むなんてことはしていませんでした。

初女さんは

『朝、気持ちよく「おはようございます」

と、声をかけることでも、ニコニコと微笑み

かけるだけでも、充分に相手を喜ばせることが

できます。

人に仕えるということは本当に、どんな小さな

ことであってもいいのです。

人のために何かをするということは、挨拶

ひとつでもよいのですから。

このように人のためにできることは、自分の

足元にたくさんあるということに、

どうか気づいていただきたいと思います。』

と、書かれています。

微笑みのチカラを知りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長い長い一日

2018-07-26 21:07:19 | 日記

心地よい風が、暑かった一日を忘れさせて

くれるようです。

長い一日でした。

朝、息子に「誕生日おめでとう」と言った直後に

オウムの死刑囚の執行を知りました。

当分ないだとうと思っていたので、頭が真っ白に

なり、言葉が出て来ませんでした。

田口ランディさんから、林さんのお母さんのことを

聴いていたので、お母さんが先に亡くなっていて

良かったと、そんなことが頭を通り過ぎて

行きました。

オウムのしたことは、赦されないことですが

刑の執行を知り、何か割り切れない気持ちになり、

落ち込む自分がいます。

新聞に信者の脱会を長年支援し、自信もVXガスの

被害にあった「オウム真理教家族の会」の

永岡会長は、松本智津夫元死刑囚以外の

12人の刑の執行をしないように法務省に要望して

きたそうです。

永岡さんは、端本死刑囚との面会を重ね

「事件後は後悔の念にさいなまされていた」と

感じていたそうです。

「あんな良い子が…。執行しないでほしかった」と

言葉を失ったと書いてありました。

端本元死刑囚は、早稲田大学在学中、オウムに

入信した高校の同級生を脱退させようとして、

オウムに関わったことから逆に自分自身が入信して

しまったそうです。

なぜ、彼らがオウムに魅かれていったのかが

解明されないと…

二度とこういうカルト集団が生まれないためにも…

長い長い一日が終わろうとしています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勇気

2018-07-24 22:54:17 | 日記

WOWOWの「W座」という映画を上映している

番組があり、始まる前に脚本家の小山薫堂氏が

上映する映画に言葉を寄せるのですが、今日観た

映画は戦争で一人息子を失った父親がナチスへの

抗議を小さなカードに書いて、街のあちこちに

置いていき、最後は捕まり殺されるという

実際にあったことを映画にしたものでした。

その映画に添えた、小山薫堂氏の言葉が

とても印象的だったので、ここに載せたいと

思います。

 

    勇気礼賛

 勇気はいつも一人ぼっち

 声をあげても届かない

 立ち上がっても無視される

 それを乗り越え動くから

 勇気は勇気と呼ばれている

 勇気は何かを変えるけど

 一人ぼっちの勇気は無力

 勇気と勇気がくっいて

 勇気は勇気らしくなっていく

 孤独な勇気は無口な正義

 勇気の連鎖が明日をつくる

      小山薫堂

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦しみや悲しみ

2018-07-23 17:33:38 | 日記

「暑いね~」しか言葉がでません。

昨日は、川崎市民プラザの人形劇まつりに行って

来ました。

古くからの友達が上演するので観に行ったのですが

子ども達の熱気で、冷房が殆ど効かず、私は

室内にいたのに軽い熱中症になってしまいました。

涼みながら、体力の回復を待ち久し振りに

会った、これまた古くからの友人と

話していました。

4人の子どもの母である彼女の話を聴いていて

子育てに悩み苦しんでいた時の話に

やはり4人の子どものお母さんは、凄いなと…

みんな、苦しい時期をいくつも乗り越えて、

今があるんだな~と、つくづく思いました。

人って、本当に苦しい時は、言葉に

することも出来ないけれど、時間が

日にち薬のように効いてきて、少しづつ思いを

言葉にすることができるようになるんですね。

坂口安吾は「悲しみや苦しみは人生の花だ」

と言い、三浦綾子は「苦難の中でこそ人は

豊かになる」という言葉をのこしています。

初女さんも「苦しみ無くして刷新ははかれません

真の幸福は、苦しみの中にあってこそ

実感できるものです。」と言われています。

私たちは、苦しみや悲しみの少ない人生を

望みますが、人の心を深くしてくれるのは

悲しみや苦しみかもしれません。

4人の子どもを育てた彼女の母性の深さを

感じました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生賛歌

2018-07-21 22:16:02 | 日記

暑かった一日が終わり、夕方の風に吹かれて

歩いていた時、ふいに心の声が聞こえました。

「あなたは、今不幸ですか?」

「いいえ、今この瞬間わたしは幸せです」と

こたえている自分がいました。

そうしたら「それで、いいのです」という声が

また、聞こえてきたのです。

そうか、私は今この瞬間しあわせ!

それでいいんだ…

何てシンプルなんだ~

初女さんんも「幸せになるためには、いまの

状態に満足すればいいだけです。」と言われて

います。

そんなことを思って歩いていたら、子どもの時に

観たホームドラマの主題歌が浮かんできたのです。

小さかったから、ドラマは覚えてないのに

なぜか主題歌とタイトルの絵は覚えているのです。

森繁久彌さんの作詞だそうですが、こんなに

大らかに「人生とはいいものだ」と歌われて

小さかった私の心にも、どこか響いていたのかも

しれません。

大人が、真っ直ぐな目をして「人生とはいいものだ」

と言えたら、子どもの目も輝くだろうな~

人生賛歌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まあるいおむすび

2018-07-20 22:33:44 | 日記

最近は、「こんにちは」ではなくて

「暑いですね~」が、挨拶となって来ました。

明日から子供たちは夏休みでしょうか

おむすび講習会をして下さっている

埼玉の「茶の間」さんが、今回は夏休みなので

午前の部は、親子でのおむすびを企画して

下さいました。

初女さんが、子ども達とおむすびを

結んでいる時って何とも楽しそうでした。

そう言えば、初女さんは小学校の先生でした。

子どもって、泥団子を作るのが好きだから

おむすびも面白いみたいです。

今回のおむすび講習会は、お盆休みの最中なので

人が集まるかちょっと心配です~

初女さんのまあるいおむすびを親子で結べたら

いいだろうな~

若い方が、おむすび講習会で結んだおむすびを

見て、「おばあちゃんの作っていたおむすびを

思い出しました。

おばあちゃんのも丸いおむすびでした。」と

言われた時、何だかほっこりして嬉しく

なりました。

初女さんは「おむすびはどこでも作れるし、

誰にでもできる。

そういう意味では珍しいことではないけれど、

おむすびは心のふるさとではないかと思うのです。

おむすびを見ただけで、亡くなったおばあちゃん、

お母さんを思い出して涙が出てくる。

何か深いものが、おむすびの中に秘められて

いるようにも思えます。

でも、おいしくなければそうはいきませんので

自分のためでなく、誰かの喜びになるように、

いつもおいしく握りたいですね。」と書かれて

います。

初女さんのおむすびを一緒にむすびませんか~

8月12日「おむすび講習会」でお待ちしてま~す!!


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼロになる(生命平和憲法)

2018-07-19 23:02:03 | 日記

昨日は、ガイアシンフォニー1番の上映会を

手伝いに行って来ました。

久し振りに観た1番は宇宙のひとつのいのちの中に

私たちもあることを語ってました。

仏教でいう「空」を言っているのかもしれません。

「生命平和憲法」という冊子に載っていた

「空」の世界が、心に響きました。

 『    ゼロになる

  想像してみよう。

  私は波…。

  海の表面で揺れている。

  目を閉じて…意識を表面から波の内面へ。

  …それから、海の中へ引っ込めてみよう。

  海面を離れて…海の底へ退いてゆきます

  静かに深く息を吐きながら…水底へ…深く…

  ゆっくりと沈んでゆく。

  波間の喧噪は遠のき、揺れはなくなり、

  静寂にみたされています。

  さらに深く、海の底へ…

  海面で、私は波でした。

  深い海のなかで、波はどうなったのでしょう?

  波は溶けて、海になってしまった。

  波は消え…在るのは海だけ。

  広大無辺の海…それが私。

  形もなく、個性もない。

  海の一部さえない。

  自我は消え去り。

  ゼロになる。

  無限の海だけが存在する。

  それがほんとうの私。

  この海は仏教では空(くう)と呼ばれ、

  インド哲学ではブラフマンと呼ばれます。

  それは意識の海であり、愛の海であり

  光の海です。

 (正木 高志 生命平和憲法から)   』




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする