初女さんのお誕生日が近づいて来ました。
弘前では、初女さんの写真展が開催されています。
初女さんは、ひとり一人の心の中で今も生きて
いるのだと思います。
傍らに座り、静かに耳を傾け話を聴いて
下さった初女さん
あんなふうに話を聴いて下さる方は、
出会ったことがありませんでした。
その人の痛みを自分の痛みの様に感じ、
その人の今を見つめ
どこまでも信じて下さる…
だから、初女さんと出会った人は、
自ら立ち上がることが出来たのですね。
『聴くことを大事にしています。
先入観を持たず自分を空っぽにして
相手の心に寄り添い、ただ一心に耳を
傾けるのです。
はたから見ればたいしたことでない
と思うようなことでも
その方が感じている重みのまま受けとめます。
自分の考えと違っても、途中で言葉を
はさみません。
人から諭されることは、正しいことだと
わかっていても
なかなか受け容れがたいものです。
悲しみや怒りで心が詰まった人も
話して話しているうちに
心が落ち着き、自分の道に気づかれます。
答えを出すとか
なにかを与えるということでなく
私も気づきをいただきながら
ともに感じ、ともに考え、
一緒に進んでいくのです。
佐藤 初女 』
晴れの日とけの日という言葉があります。
非日常が「晴れの日」日常が「けの日」
けの日があり、たまに晴れの日がある、
だから晴れの日は、嬉しい!
そんなふうに思っていましたが、SNSの写真を
見ていると、皆さんが何だか毎日が晴れの日の
ような気がして来ます。
食事に行っても食べる前に写真を撮るのが
あたり前の様になっています。
風景もインスタ映えするというと、それだけで
人気のスポットになったり…
SNSを見ていると「けの日」がないような
錯覚になります。
日々の暮らしが大事と初女さんは言われて
いました。
初女さんのお料理は、食べれば美味しいけれど
インスタ映えする料理とは決して言えません。
日常の大切さが忘れられているのかな~
初女さんと4人で温泉に泊まり、
一緒にお風呂に入り、船盛のお刺身
なんか食べちゃって、ころころと笑い
実に楽しい夜を過ごしたことがあります。
翌日、帰られる時に初女さんが言った言葉は
「明日から真面目に生きます」でした。
あの晩は、何年経っても「晴れの日」として
私の心に残っています。
「けの日」があって、たまに「晴れの日」がある
それが暮らしなんだと、初女さんに教わった
気がしました。
私も真面目に生きます。
ね!初女さん
今朝、窓を開けるとふわ~っと金木犀の薫りに
包まれました。昨日は気がつかなかったのに…
あ~今年も金木犀の季節が来たんだな~と思った時
そうか、息子の命日月に入るんだ、いつもふっと
淋しくなる思いを、この金木犀に支えてもらって
いたな~と思ったのです。
そうしたら、花屋さんから電話があり、
お花のお届けがありますと…
今日は27日、息子の命日は10月27日だから
ひと月間違えてお花を送ってくれたんだと
思っていたら、息子の中学の保健の先生から
メールが届き「もう10月だと思って、お花を
送ってしまいました」と…
17年も経つのに、毎年心のこもったメッセージと
共に、先生からお花が届くのです。
何と有り難いことでしょう…
夕方の買い物を終えて家に帰る時、ふと見上げた
空が青くて、それだけで「私、幸せなんだ」と、
何でもないのに涙があふれてきました。
日々のあたり前と思える生活が、とてつもなく
愛おしいものに思えたのです。
多分、この感情は日常の慌ただしさの中に
置き忘れてしまうものかもしれませんが…
幸せは、心の中にあるから、
人はどこでも幸せを感じることが
できるんですね。
家に帰って来た私を、金木犀の薫りが優しく
迎えてくれました。
樹木希林さんが亡くなって、淋しい気持ちが
抜けません。
名女優が一人いなくなったという以上に、
樹木希林さんという人がいない淋しさに
包まれています。
これほど見事に自分の人生を生ききった人も
少ないのではないでしょうか…
映像の中で「面倒くさいことが嫌い」とか
「すぐ飽きちゃうの」と言っていた樹木さんですが
人との関わりに丁寧な深い優しさを感じました。
信州の無言館で行われていた成人式には、
樹木さんが成人になる人のアンケートを読み
一人一人に手紙を書いて、その成人式で直接本人に
手渡すということをされていて、その手紙が
これから社会に出て行く人の一生の支えに
なるような文章なのです。
晩年、筆で手紙を沢山書かれていたそうです。
樹木さんの心を手紙という形で差し出していた
ような気がします。
精神が本当に自由な方だったんだな~と
思いました。
ハンセン病の療養所に正体も明かさず
訪れ面談を求めたり、沖縄の辺野古埋立てに
反対するおばあたちに交じり、座り込みに
参加したそうです。
ドリアン助川さんが泣き切るまで泣いたと
新聞に寄稿を寄せていました。
『樹木さんはよく「人間の裏まで見る悪い
性格なの」とご自身を評されていた。
だが、これほど細やかに、斬新なユーモアを
持って人々を包み込んだ女優を私は知らない。
いや、女優という枠を超えて、希林さんは
私達の心を温め続けてくれた人の世の華であった。
今、その大輪を失い、喪失感から天を仰ぎながらも
私は思う。
お会いできたことは、なんという
幸運だったののだろう。
ドリアン助川』
昨日と今日で、おはぎを40個ぐらい作りました。
家で作るおはぎは、どうしてあんなに
美味しいのでしょう…
萩の花の咲くころは、おはぎといい。
ぼたんの花のさくころは、ぼたもちというと
聞いたことがあります。
今日は友人の命日で、大宮までお墓参りに
行きました。
おはぎを持って来たと私が言うと、Yちゃんが
お墓にお供えして、その場でみんなで食べるのが
彼女の田舎の習わしだというので、お供えした
一つのおはぎを5人で分け合って食べました。
亡くなった友人も一緒に食べているような
そんな気持ちになりました。
彼女は琵琶の奏者で、30歳を過ぎて始めた琵琶で
芸術祭新人賞を受賞し、私達のポープでした。
慎ましやかなのに、どんどん活動の場を
広げて行く素敵な人でした。
亡くなった息子は、「お母さんの友達で一番の
有名人でしょ」と言ってました。
だから、息子の葬儀の時には、彼女に琵琶語りを
やってもらったのです。
そんな彼女が病気になり、びっくりする程早く
天に召されてしまいました。
今日、友達が「天才は何回も生まれ変わって
いるんだって、だから出来るんだって
Nさんも琵琶を始めたのが、遅かったのに
素晴らしかったのは、前世でやっていたんだよ。
これというものが何もないという人は、
生まれ変わりの回数が少ないと思えばいいの!」と
言っているのを聞いて、何だか納得しました。
田口ランディさんに、処女作が「コンセント」
なんて凄い!と言ったら「私は前世で瓦版書いて
いたんだよ!」と言っていたのを思い出しました。
前世があって今があると思うと、様々な体験を
積むために、私たちは何度もこの世に生まれて
くるのかなと、思いました。
何をしていても、人のお役に立つ人でいたいな~
『私たちは人に仕えるために生まれてきました。
”何のために生きるのか”〝どうして生まれて
きたのか”と、頭を悩ませるより
人さまのお役に立つよう動いてください。
元気に挨拶するだけでも
じゅうぶん人を喜ばせることができますよ。
佐藤 初女 』
今日、お墓参りに行きお寺で頂いた冊子に
批評家の若松英輔さんが載ってました。
若松さんの死者に対する考えが、私の思いと
重なるのです。
若松さんも早くに奥さんを亡くされて、
大切な人の死と向き合われて来た方だからで
しょうか…
少し長くなりますが、若松さんの文章を
分かち合いたいと思います。
『「生きている死者」という表現は、私の実感でも
あるんですけど、多くの人がそう感じていると
思うんです…
確かに自分の大切な人は亡くなった。
しかし、その存在が消えたとはどうしても思えない
その心持を映しとる言葉が必要だった。
その試みの一つが、「生きている死者」という
言葉だったのではないでしょうか。
死者の存在は、生者の記憶に依存しません。
生者が記憶しているから死者がいるのでは
ありません。
私たちが思いもしないときも、死者は生者に
寄り添っている。むしろ、生者の記憶と死者の
存在をつなげて考えるところには、生者の傲慢が
あるように感じられます。
生者は、自分の世界が中心に考えがちです。
しかし、死者たちの世界が生者の世界を包んで
いるのかもしれないのです。
死ぬとは、その世界に還っていくことかもしれない
私達が忘れていても、阿弥陀様は決して忘れる
ことはない。
それに似た関係が死者と生者にもあるのでは
ないでしょうか…
死者のことをずっと思っているよりも、
死者のことを忘れて、親しい人と交わりを深めて
いるとき、私たちは死者ともっとも近い、
とも言える。
死者と共に関係を育むということがある…
若松英輔 』
渋谷の松涛美術館で開催している「吉増剛三展」に
行って来ました。
吉増さんの詩は、どこから生まれてくるのだろう…
吉増さんのお母さんはどんな方だったのだろう…
人の根源のところに母があるような気が
するのです。
それは、実際の母でなくても、人の源には
母の存在があるように思えるのです。
100歳で亡くなった新藤兼人監督は
「僕は今、95歳でしょ、
それでもお母さんが恋しいんです。
お母さんに逢いたいです。
お母さんとは、そういうものなのです。」と
書かれています。
『 母
佐藤 初女
堅信式のとき
マリアさまのお母さんの
「聖アンナ」から霊名をいただきました。
マリアさまはすばらしいとみんな言うけれど
そのお母さんはもっとすばらしいだろうと
思ったの。
許しがたきを許し、あるときは太陽のように
あたたかい心を
またあるときは北風のように厳しい助言をし
ときとして耐えがたいことにも耐えていく。
母になるとは、なんとむずかしい
ことでしょうか。
今の時代に足りないものは、母の心では
ないでしょうか』
ランディさんが10月3日の「いのちのエール」を
ツイートしてくれました。
「佐藤初女さんから学んだおむすびが夜食として
でます。」と書いてあるのを読んで
夜食か~と、思わずにんまりしてしまいました。
ランディさんの講演は19時からなので、
お腹を空かせている人がいたら、初女さんが
心配するかも~と、おむすびを作ることに
しました。
イスキアのご飯の時、初女さんに「直さん
おかわりは?」と聞かれると、お腹一杯でも
思わず「はい!」って言ってしまいました。
最初の頃は、初女さんがご飯をよそってくれたので
皆さん嬉しくて、お釜の前に並んだものでした。
今日、久し振りに初女さんのCD
「今、ここが天国」を出してみたら初女さんの
サインがありました。
「生きるよろこびを共に 佐藤 初女」と書いて
あるのを見て、初女さんからどれだけの生きる
よろこびを頂いたことか、そして今も…
10月3日、みんなでおむすびを食べながら
ランディさんから初女さんのお話を聴き
分かち合えたら、そこはイスキアになっているかも
しれません。
初女さんは丁寧に生きることを貫かれた方です。
初女さんのおむすびを作ると、初女さんの
丁寧さを実感することが出来ます。
生きるよろこびとは、小さな小さなところにも
ちゃんと宿っているのです。
ただ、気がつかないだけ…
そう、日々の暮らしの中に…
日々の暮らしの大切さを、初女さんは見せて
くれていました。
『信念というのは
日々の生活の中から
培われていくものではないかと思います。
佐藤 初女 』
樹木希林さんが亡くなりました。
樹木さんは「癌は有難い病気よ。周囲の相手が
自分と真剣に向き合ってくれますから。
だからおもしろいんです。」
死が、『いつか来るもの』から
『いつでも来るもの』に変わってから
「がんで良かった」としばしば口に出すように
なったそうです。
そして「生きるのも日常、死ぬのも日常」と
いう言葉を寄せていたそうです。
自分の死を意識することで、どう生きるかが
はっきりと見えていたのではないでしょうか
なかなかこんな風には生きられませんが…
昨日、友人と電話で話していて「そうか」と
思ったことがあります。
友人のお嬢さんは全身癌で苦しみの極みに
いますが、深い感謝の中にあるというのです。
夜、痛みで寝られず病院の廊下を歩き
疲れて少し眠るという状態にあるのですが
こうやって少しでも歩いていると、
寝たきりにならないかもしれないと言われて
感謝しているそうです。
この連休に家に帰って来た時も、病院は
監獄のようだと思っていたけれど、布団の
重さも枕も、自分の体にいいようになっているし
静かだし…と、感謝して病院に帰って行ったと
いうのです。
この話を聴いて、自分の感謝のなさに
恥ずかしくなりました。
初女さんが「感謝なしには前に進めない」と
言われていましたが、何かすべてが当たり前
という感覚になっている自分を感じました。
歳を重ね色々なことが分からなくなっても
感謝の心は持ち続けたいと、思っているのに…
壮絶な痛みにも感謝している友人のお嬢さん
苦しみが、魂を高めていくものとなるのですね。
どんな時も、感謝の心があれば人は前を向いて
歩いて行けるということでしょうか
『感謝の気持ちを抱いている時、
目は輝きを持ちます。
特別な贅沢を望むことなく
いつも感謝のお祈りをしていることが
目の輝きに現れてくるのです。
佐藤 初女』
おむすびを持って通った書展が、今日で終わり
ました。
外へ食べにいけない時でも、おむすびがあれば
安心です。
おかずが何もなくても、おむすびだけで充分満足
おむすびって凄いな~と思った時、そういえば
子どもが小さかったとき、いつもおむすびを
持って出かけていたことを思い出しました。
小さなおむすびをタッパに入れて…
断乳のときは、枕元に小さな小さなおむすびを
置いておきました。
おっぱいが欲しくなって子どもが泣き出した時に
おむすびをあげるといいと、助産婦さんに
言われたので…
おむすびには随分お世話になっているな~と
改めて思いました。
日本人の生活におむすびは欠かせないものかも
しれません。
初女さんが「あのね、コンビニのおむすびしか
食べたことがない人がいるのよね」と、
淋しい顔をして言っていたことがあります。
コンビニに行けば、色々なおむすびが
並んでいます。
でも、それはお母さんのおむすびじゃないし…
毎日、遅くまで仕事をしている息子に、
お腹空いたらお菓子じゃなくておむすびを
食べるのよ!と言って持たせたら
「お母さん、やっぱりおむすびだとお腹が
空かないで持つよ」と言って帰って来ました。
お母さんの得意料理がおむすびって、人に
言えないよと、言っていた息子がいつか
母さんのおむすびは美味かったと思い出して
くれる日があるかもと、思いちょっと嬉しく
なりました。
初女さんは『おむすびはどこででも作れるし、
誰でもできる。
そういう意味では珍しいことではないけれど、
おむすびは心のふるさとではないかと思うのです。
おむすびを見ただけで、亡くなったおばあちゃん
お母さんを思い出して涙が出て来る。
何か深いものが、おむすびの中に秘められて
いるようにも思えます。
でも、おいしくなければそうはいきませんので、
自分だけのためでなく、誰かの喜びになるように
いつも美味しく握りたいですね』と言われて
います。
10月3日「いのちのエール」で一緒に美味しい
おむすびを作りませんか。