夏から秋になる時、空気が少し澄んできたのを感じただけで
「あーあの子が亡くなった秋がやって来た」と、落ち込んでいましたが
初女先生の講演会をやった年、初めて秋っていい季節だったんだと、
思えるようになりました。そして今年は、あまりの暑さに秋を待って
いる、そんな自分がいます。
先日、「4分の1の奇跡」を観に行った時、上映会場が息子の行って
いた幼稚園の近くだったので、懐かしさに包まれる思いで歩いていた
ら、会場の前にある公園に来た途端、涙が溢れてきてしまいました。
幼稚園の帰りに、子供とよく来た公園で、ブランコも水飲み場も
水の流れる水路も、まるでタイムスリップしたように、あの頃のまま
でした。子供を思い出した訳じゃなくて、その風景を目にしただけで
涙がでてしまいました。
自分の中にある悲しみを見たような気がしました。
深い悲しみは、本当に不意の涙となってやってきます。
以前は、そんな涙も受け入れられなかったけれど、今は
「お母さんだもん、仕方ないさ。」と思えるようになりました。
こういう涙は、何年たっても溢れてしまいそうです。
だって、私はあの子のお母さんだから…
「あーあの子が亡くなった秋がやって来た」と、落ち込んでいましたが
初女先生の講演会をやった年、初めて秋っていい季節だったんだと、
思えるようになりました。そして今年は、あまりの暑さに秋を待って
いる、そんな自分がいます。
先日、「4分の1の奇跡」を観に行った時、上映会場が息子の行って
いた幼稚園の近くだったので、懐かしさに包まれる思いで歩いていた
ら、会場の前にある公園に来た途端、涙が溢れてきてしまいました。
幼稚園の帰りに、子供とよく来た公園で、ブランコも水飲み場も
水の流れる水路も、まるでタイムスリップしたように、あの頃のまま
でした。子供を思い出した訳じゃなくて、その風景を目にしただけで
涙がでてしまいました。
自分の中にある悲しみを見たような気がしました。
深い悲しみは、本当に不意の涙となってやってきます。
以前は、そんな涙も受け入れられなかったけれど、今は
「お母さんだもん、仕方ないさ。」と思えるようになりました。
こういう涙は、何年たっても溢れてしまいそうです。
だって、私はあの子のお母さんだから…