新聞の投稿欄の「迷子札」とい文字を見た時、
小さかった時の息子の思い出が、突然立ち上がって
きました。
長男はいつも元気一杯で、じっとしていることが
なかったので、当然のようによく迷子になったのです。
名前を聞かれても、まだ「つッ君」しか言えなくて
「○○才くらいのお子さんが迷子になっています」の
放送で、何度飛んで行ったか…
一度は、いくら探してもいなくて、顔面蒼白になって
交番に行こうかとしていたら、知らないおじさんに
連れられて来たのです。
3車線の道路を超えて、工場の網の塀に
引っかかっていたというのです。
母にその話をしたら、旅行のお土産に迷子札を
買ってきてくれたのです。
でも、そんなのを大人しくしている子ではなかったので
すぐに、迷子札はなくなってしまいました。
仕方がないので、下着に住所・名前・電話番号を
書いて着せていました。
「迷子札」という文字を見た途端、遠い昔の記憶が
鮮やかに甦ってきました。
投稿の迷子札は、悲しい迷子札でした。
「戦死せし 兄のつけたる迷子札
九十の母の針箱にあり」
この短歌が語る迷子札です。
私も、この九十のお母さんも、共に子に先立たれた
母なんだなーと思ったら、心も深みに悲しみが
重なるようでした。
投稿の最後の言葉に「私は今年の年賀状に
七十年近く続いた平和で安全な日々が、
幾久しく保たれていくことを切に祈っています」
と、記されていました。
いつの時代も、子に先立たれる母の悲しみ、
これ以上の悲しみはないように思われるのは
私だけでしょうか…