何だろう、この静けさは…
空気までもが神聖になってくるような、深い静けさ
「深き森の語らい」で、先ず感じた静けさ、
これはどこから来るのだろう…
対談のことを伝えたいと、何度もパソコンを開いたが
言葉が出て来ないのです。
あまりに深くて…
いつも、講演会が終わり、初女先生を羽田に
お送りして、家に戻るとすぐにお礼のファックスを
出すのです。
先生からも、労をねぎらう優しいお言葉が
届くのです。
ところが、今回は私も先生も共に沈黙の中に
いるのです。
この気持ちが、簡単には言葉にできないので…
ランディさんが何年も前にイスキアに訪れた時
帰り際に初女先生が「言葉を超えてね…」と
言われたそうです。
そのことが、長い間の宿題になっていると
ランディさんは書いていました。
「言葉を超えてね」
この対談が決まってから、私も何度も
この言葉を呟いていました。
言葉を超えたものは、行動と
方程式を解くようには、答えはまわって
来ないのです。
すべてのプログラムが終わり、ご挨拶をして
舞台の袖に入ると、初女先生が座っていました。
私は先生の膝に顔を埋め、「やっとここまで来ました
やっと、ここまで…」と、言って溢れる涙が
抑えられなくなったのです。
初女先生も、私を包むようにして涙していたようです。
直ぐ横にいたランディさんが、すごく温かい眼差しで
「よかったね。よかったね。」と言って下さいました。
少し経ってからロビーへ行くと、沢山の人で溢れて
いましたが、どの方も皆、実に晴れ晴れとした
お顔で帰って行かれるのです。
初女先生と古くからのご縁のある方が
「これは奇跡の対談だよ」と言われました。
言われた時、私は意味が分かりませんでした。
でも、時間が経っても、この思いを言葉に出来ない
自分を見つけた時に、気がつたのです。
この「深き森の語らい」は、言葉を超えたのだと…
対談が言葉を超えるなんて、有り得ない事です。
人の思いを超えたところで運ばれたから、
このようなことが起こったのかもしれません。
翌日、長い時間をかけて、皆さんの感想を
読まれた初女先生が「二十数年間こういうことを
やってきたけれど、このようなことは初めてだよ」
と、言われました。
今回は、少しでも「我」が入ると止まってしまい
「無私」の状態でないと、進まない事が本当に
苦しくも在り大変でした。
初女先生が対談の中で「祈りとは、自分が無い
ところのものだ」と言われていました。
この「深き森の語らい」は、祈りとして運ばれて
いたのだと、初めてわかりました。
だから、言葉を超えることができたのでしょう。
初女先生、ランディさん、参加して下さった皆さん、
最後まで私を支えてくれたスタッフのみんな
この感謝の気持ちを、私は言葉にすることが
出来ませんが、
このことをやらせて頂いて本当に良かったです。
有り難うございました!!