~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

慈愛~初女さん

2018-02-28 21:42:17 | 日記

一言も言葉を交わしていないのに、初女さんに

手を包まれと涙が溢れてしまう

それって何でしょう…

私は、初女さんの前で涙している人を沢山見て

来たし、私自身もまた初女さんの手を握りながら

どれだけ泣いたことでしょう

そんなことを思っていたら、Kさんが

「ねえ、皇后美智子さまの前で人は涙するでしょ

あの涙と初女さんの前で涙する人の涙って

同じじゃないかな」というのです。

そうか、そうかもしれない…

それはきっと慈愛に包まれた涙なのかも

しれません。

慈愛とは、なんと深い愛なのでしょう

『耐えがたきを耐え

 忍びがたきを忍び

 許しがたきを許し

 あたたかい太陽を思わせる優しい言葉

 冬のきびしい寒さにも値する愛情ある助言

 慈しみの雨のように涙を流して共感する

 なごやかな風を思わせる雰囲気

 それが母の心

               佐藤 初女』


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「母の心」

2018-02-26 17:42:46 | 日記

小さい時、私はやることがすべてゆっくりで

幼稚園のお弁当の時間に食べ終えることが出来ず

よく泣いていました。

先生からそのことを聞いた母が、毎日お弁当に

一口で食べられる小さな海苔巻きを作って

くれました。

来る日も来る日も海苔巻きでしたが

私は時間内に食べ終えることが出来るように

なりました。

今でも、あの海苔巻きを思い出すと目頭が

じんと熱くなります。

の愛って、こうやって心に刻まれて

いくのですね。

今は、様々な冷凍食品が出ていて、お弁当も

鮮やかで見栄えもいいですが、母の愛を

感じられなくなってきています。

初女さんは、戦後の日本が見失ってしまったものの

ひとつに「母の心」があると言われています。

大量生産・大量消費の価値観、高度経済成長の

波に押し流されて、大切な「母の心」を

失ってしまったような気がしますと言われて

いました。

便利さを求めて、手を掛けるということが

敬遠されてしまったからでしょうか

初女さんは心を掛けるとは、手を掛ける

また、自分の時間をどれだけ差し出せるかとも

言われていました。

母の心は、親になったからといって備わる

ものではなく、体験を積み重ね育まれるものだと

思います。

初女さんは、「母の心」さえあれば、多くの

問題が解決されます。

迷ったときも、思い悩む時も「母の心」を

思い出すといいのではないでしょうかと…

その「母の心」は『受け入れる、見守る

育てる、耐える、赦す…』だと

子育ては大変で、少しでも楽をしたいと思って

しまいますが、子どもを育てているようで

実は、自分の「母の心」を育てていたんだなと

今頃になって、つくづく思います。

年老いた母に、今度あの海苔巻きの話をして

有難うと言わなくては…

母は覚えているかしら

毎日こさえた小さな小さな海苔巻きを…




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初女さんは愛の人

2018-02-25 23:29:17 | 日記

先日、木更津のKさんと電話で話していた時

やっぱり初女さんの話になり、初女さんは

最後まで、夢と希望と勇気を持っていたよねと…

でも、それって物凄いことかもしれません。

若い人でも、夢が持てない希望がないと言って

いる人が多いのですから

70歳で、森のイスキアを始めたと聞いた時は

本当に驚きました。

私たちって、もしかしたら自分で自分に蓋をして

限界を作ってしまっているのかもしれません。

初女さんの原動力はなんだろう

それは愛のように思います。

愛という言葉が、どうも私たちの生活に

馴染まないのですが…

初女さんのされることには、いつも愛が

りました。

何かする時、人と向き合うとき、そこに愛が

あるか、そのことに心を留めておけば間違いは

ない!そんな気がします。

判断に迷った時も、そこに愛があるかどうか…

その愛が、母性なんでしょうね。

初女さんは、愛の人でした。

初女さんが心に刻んでいた聖書の言葉

 『愛は忍耐強い。愛は情け深い。

  ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

  礼を失せず、自分の利益を求めず、

  いらだたず、恨みを抱かない。

  不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

  すべてを忍び、すべてを信じ

  すべてを望み、すべてに耐える。

  愛は決して滅びない。

      コリントの信徒への手紙』

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「ふきのとうの歌」

2018-02-24 23:56:19 | 日記

今日は、春を感じる暖かさでした。

コートを持たずに出かけ、春に向かって一歩を

踏み出したような気持で歩いていました。

先日は、友人から庭に出ていたのと、ふきのとうを

頂きました。

私が感じるよりも、ずっと早く春は訪れて

いたのかもしれません。

森のイスキアのふきのとうは、春の日差しを

今か今かと待っているのでしょうか…

ふきのとうが初女さんと重なります。

今も大事に持っている初女さんのお名刺には

ふきのとうが描かれています。

久し振りのランディさんが作詞した

『ふきのとうのうた』を聴いたらぐっときました

Koyomiさんの歌も素敵だし、ランディさんの

作ったユーチューブの映像に涙がこみ上げて

来ます。

初女さんに会いたくなります。

「ふきのとうの歌」(いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ・テーマ曲)

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「おらおらでひとりいぐも」

2018-02-22 21:29:45 | 日記

63歳で初めて書いた小説が、芥川賞をとったという

若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」を

読みました。

読み終わり「いい本だった」と、本を閉じた瞬間

突然、声をあげて泣いてしまいました。

読んでるときは、一度も泣かなかったのに…

本の帯には『新たな「老い」を生きるための

感動作」とか「玄冬小説(歳をとるのも悪くない

と考える小説)の誕生」』とか書いてありますが

私には、これはいのちの世界(魂の世界)を

書いた文学だと思えました。

夫の死と、とことん向き合い見えてきた世界

それが、いのちの世界…

『体がひきちぎられるような悲しみがあることを

知らなかった。

それでも悲しみを知っていると当たり前のように

思っていたのだ。

分かっていると思っていたことは頭で考えた

紙のようなうすっぺらな理解だった。

自分が分かっていると思ってたのが全部

こんな頭でっかちの底の浅いものだったと

したら、心底身震いがした。

もう今までの自分では信用できない。

おらの思っても見なかった世界がある。

そごさ、行ってみって。

おら、いぐも。

おらおらで、ひとりいぐも。』

深い深い悲しみの中から見えてきた世界

それは、身を裂くような苦しみを伴う悲しみを

体験しないと分からない世界かもしれない…

そのことが、小説として文学として

書かれているのです。

凄い本です…


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「死」って

2018-02-21 23:30:33 | 日記

5月の書の東京展に向けての制作会が、来週に迫って

来ました。

字を決めるのが一苦労なのですが…

いつも書く字が浮かんでくるのを待っているの

ですが、今回はなぜか「死」という字が来ました。

死について考えていた時、明るい「死」を

書きたいと思ったのです。

ふと、本箱に眠っていた「祝魂歌」という詩集が

気になり読んでみると、後書きに詩人の

谷川俊太郎さんが、私が思っている「死」を

言葉にしていました。

ちょっと嬉しくなったので引用させて頂きます。

『死をどんなイメージでとらえるかは

文化によって、時代によってさまざまですし、

また私たちひとりひとりの感じかたによっても

違うでしょう。

現代の日本では死は暗いもの、忌むべきもの

という感じかたが大勢をしめているように

思えますが、私自身は年をとるにつれて、

死は行き止まりではなく、その先にまだ何かが

あるのではないかと考えるようになっています。

からだから解放された魂というものがあるのでは

ないか、誰もが心の奥底でそれを知っているのでは

ないか。

もしそうだとしたら、魂の新しい旅立ちを

祝うこともできるのではないか。

それが遺された者の嘆きを少しでも軽く

することができるのではないか。

そう思ってこのアンソロジーを編みました。

このささやかな詩集が、生者への慰め

死者へのはなむけとなることを信じています。

            谷川 俊太郎』



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3月24日のおむすび講習会

2018-02-19 23:13:39 | 日記

初女さんが亡くなった後、初女さんのおむすびは

個人的に作って、それ以上のことはしないと

決めていました。

「おむすびは簡単でないよ」と言われていた

初女さんの言葉が心にのこっていたので…

でも、ランディさんから「初女さんがいないの

だから私たちが伝える時代が来たんだよ」と

言われて、ハッとしました。

それで、10月の「いのちのエール」で初めての

おむすび講習会を行いました。

その時のご縁で1月にさいたまの「茶の間」で

させて頂き、両方とも参加して下さった皆さんが

とても喜んで、自分のおむすびを「美味しい

美味しい」と言って食べていたのを見て

やっぱり、初女さんのおむすびは凄いな~

私の知っていることはお伝えしなくちゃと

思いました。

初女さんは、いつもご飯の炊き方が一番なのと

言われていたので、そのことを大切に

伝えたいと思います。

美味しいご飯が炊けたら、それは一生もの

ですから…

やっていると、忘れていたような初女さんの

言葉が浮かんで来て、初女さんが応援して

くれているような気がしてきます。

まだまだ、初女さんのおむすびには遠く

及びませんが、初女さんの丁寧さを感じて

もらえたらと思っています。

初女さんのおむすびは、心を結んでくれる

おむすびだから…

「茶の間」の第2回おむすび講習会

でお待ちしてます!

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最高です「ポトラ」

2018-02-18 12:09:25 | 日記

昨日は「ポトラ」の打ち上げでした。

「ポトラ」当日はずっとお台所にいたので、

他のスタッフの交流は少なかったので、昨日は

始めましての方が沢山いました。

ランディさんとの関係を聞くと、「ファンでした」

「ランディさんの講座の受講生でした」などなど…

あらためて田口ランディさんの人柄に打たれて

しまいました。

そしたら今朝、ランディさんからメールが来て

ランディさんの温かさに涙が溢れてしまい

ました。

ランディさんが犬の散歩中に思いついたという

ブックフェア

「持ち寄る」という意味から派生した「ポトラ」

知恵や個性やエネルギー愛を持ち寄って

みんなが温かい心になるブックフェアとなりました。

ひとり出版社や売れる売れないではなく

大切な本を送り出している小さな出版社と読者を

繋ぐ場が「ポトラ」

「ポトラ」の中心になって下さった丹治さんの

言葉が素敵です。

『「ちいさい」ということは「無力」という

ことではない

ひとり」ということは「ひとりぼっち」という

ことではない。

ひとりになることで人とのつながり、

ネットワークを

感じることがたくさんあります。』

ポトラ、来年もやるぞー!と、みんなで

声を合わせて叫んだよ。

お楽しみに!

画像に含まれている可能性があるもの:25人、、スマイル、室内

   ポトラスタッフ 「来年のやるぞー」

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食の記憶

2018-02-16 23:41:27 | 日記

家に帰ると、初女さんのお嫁さんから葉書が

来てました。

ご命日に送ったお花のお礼ですが、メールでの

やり取りが多くなった今、手書きのお便りの

温かみが、何かほっとさせてくれるものを

感じました。

3回忌のミサをされたとありました。

葉書を読んでいたら、急に初女さんのぼたもちが

食べたくなりました。

ほたてのスープも美味しかったし、

赤かぶの漬物も細か漬けも他におかずが

なくても、それだけでご飯がおかわりできたし

食の記憶とは、頭ではなく体に残って

いるんだなと思いました。

先日亡くなられた石牟礼道子さんの追悼文を

池澤夏樹さんが書かれていましたが、その中に

「病室の個室で炊飯器一つで煮物を作られる。

これが本当に美味しい。」とありました。

これを読んで私は、やっぱり食は残る!と

思いました。

池澤夏樹さんは、石牟礼さんを思いながら

石牟礼さんのお料理の味までもが立ち上がって

来たのではないでしょうか…

石牟礼さんの「食べごしらえ おままごと」は

料理の向こうに人々の暮らしが見え

匂いや湯気まで感じられる本です。

私は、何も遺すことは出来ないけれど

せめて母の味というものを一つ息子に

残こしたいと思いました。

あ~初女さんの黒豆のご飯も食べたくなりました…



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失うということ

2018-02-15 21:57:46 | 日記

障がい者や子育て中の母親、福祉職員ら様々な人が

語り合う、

「縁側フォーラム」というイベントが

静岡であったそうです。

3年前に筋萎縮性側索硬化症を発症した

真下さんは、3~5年で自力呼吸が出来なくなる

難病になり、人工呼吸器をつけて生きるか

死を選ぶかを自分で決めなければならなかった時に

絶望から真下さんを救ったのが

先輩患者の人工呼吸器をつけて海外旅行をし、

友人やランティアに囲まれて楽しんでいる

というブログだったそうです。

「こうやって生きれば楽しいよなあ」と…

悲しみに沈んでいた奥さんは心から泣いた

そうです。

真下さんは、人生には限りがあるという現実に

直面して、日常が変わり「おれはプラチナ

チケットを手に入れた。普通に生きていたら

体験できないことをさせたやる」と言われ、

この2度目のプロポーズに奥さんは、

初めての時より100万倍嬉しいと笑ったと…

このイベントの

「生きるとは何かを失っていくこと。

失いながら大事なものを感じられるように

なること」というテーマが、失うことを

恐れていた私の心に響いています。

 


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