~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

山ちゃんのママ

2014-03-31 22:36:17 | 日記
夕方、家路に向かって歩いていると、すれ違いざまに突然

「あ!山ちゃんのママ」と言う声がしました。

山ちゃんは、亡くなった息子の愛称でした。

思わず立ちどまり振り向くと、息子が小学校の時に好きだった

女の子のお母さんでした。

私は会釈をし、また歩き出したのですが、久し振りに呼ばれた

「山ちゃん」が、眠っていた悲しみを呼び起こしたように

ふいに来た悲しみに包まれてしまいました。

まだ、あったんだ、この悲しみが…

そう思った時、初女先生に言われた「何年経っても悲しいよね」

と言う言葉が思い出されました。

こういう悲しみが、すっかり消える日というのは、来るのだ

ろうか…

先日、テレビで「釜石の悲劇」という番組がありました。

釜石にボランティアで通い続けているYさんが、

「あの、釜石の奇跡のすぐ側に、釜石の悲劇があるんだよ」と

言ってましたが、いつも避難訓練で本当の避難所は遠いので

近くの防災センターに逃げる訓練をしていたら、実際に津波が

起きた時に、そこに推計244人が逃げ込み、30分後津波が引いた

時には、34人の人しか残らなかったそうです。

番組には、防災センターに園児と共に避難した先生のご主人が

出ていました。

園児は助かったのですが、先生はお腹の赤ちゃん共に

亡くなられたそうです。

その、先生は翌日から産休に入るので、その日が最後の出勤

だったそうです。

ご主人は、防災センターに行くと、奥さんと子供に会える

気がして、通い続けていましたが、その防災センターも

取り壊されてなくなりました。

3年経っても、ご主人は1日を生きるのが精一杯だと言って

ました。

その言葉を聞いた時、私もそうだったと思い出したのです。

深い悲しみと向き合っていると、くたくたになって

その日一日生きるのが精一杯なのです。

遺されるのは、もう嫌だから早く逝ってしまいたい。と

そんなことを願っていました。

初女先生に出会い、色んな方に支えて頂き、消えない悲しみは

あるけれど、それでも前を向いて歩いていけるように

なり、「大丈夫!」と思っていましたが、

ふいに呼ばれた「山ちゃんママ」に、涙が溢れてしまう

自分がまだいました…









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羽入君・真央ちゃん…

2014-03-30 22:47:24 | 日記
先日、思わぬ贈り物を頂きました。

世界フィギアスケート世界選手権のチケットを頂いたのです。

フィギアスケートは好きでしたが、ソチオリンピックで感動し

本物が観たいなーと思っていたら、早くも叶ったのです。

ショート・フリー・エキシビジョンのチケットを1枚づつ頂い

たのです。

金曜のフリーは、息子がどうしても行きたいと言って出掛けたら

「やっぱり生で見るのは凄い」と、感動しきっていました。

私は、今日のエキシビジョンに行ったのですが、テレビでは

伝わり得ない感動に包まれました。

最初の日本の選手の時に、なぜか音楽が途中から鳴らなくなって

しまい、音のない中で一生懸命滑る選手に、観客からの手拍子が

音楽となったのです。

踊り終わった時、会場からは惜しみない拍手が湧きあがりました。

試合が終わった後に行われるエキシビジョンの滑りは、

スケートが好きで堪らないという、選手達の気持ちが

真っ直ぐに伝わってきます。

音楽にのって風のように滑るスケーター

息を呑むようなジャンプ

観ている人が感動するスケートをするには、どれほどの努力を

重ねていることでしょう…

エキシビジョンの最後は、選手が一つの輪になりました。

ロシア・フランス・スペイン・イタリア…

選手達が楽しげに滑る姿を観ていると、スポーツは平和の

象徴でもあるように思えました。

真央ちゃん・羽入君・たつき君…感動を有り難う!

親子で、すっかりフィギアのファンになってしまいました。
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ランディさん

2014-03-28 23:19:01 | 日記
昨日は、八重洲ブックセンターで行われた、田口ランディさんの

トークショウに行って来ました。

ランディさんの到着が遅れています。と担当の方のアナウンスがあり

会場に集まった人は、学校の朝の読書の時間のように、みんな

静かにランディさんの本を読んで待っていました。

そこに、荷物を引きずって賑々しくランディさんが現れたのです。

そして、大きな声で「私 声大きいからマイクなんて要らないん

だけど、使った方がいいですか?」なんて言いながら、

ランディさんのトークが始まったのですが、小柄のランディさんの

どこに、それほどのエネルギーがあるのかと思うほどでした。

めちゃくちゃ明るくて、好奇心にあふれ、私の抱いていた

ランディさんのイメージを見事に裏切ってくれました。

でも、家に訪ねて来る人には食事をだして泊らせてと…

相談の電話もたくさん来て、昨日も「死にたい」と言って

電話してきた人がいました。と言ってました。

対談相手の方が「そういう時、どうするんですか」と

質問すると「ただ、聴くだけです」と…

「そういうのって、疲れませんか」と、聞かれたら

明るい顔で「ぜんぜん」と、答えているランディさんを見て

やっぱり、初女先生に出会っている人だなーと思いました。

しかし、ふと 出る言葉にランディさんの深さを感じました。

「ランディさんは、昔から原発のことやってましたよね」と

言われた時「あの原発事故が起きて、自分は外にいた人間

だと分かった」と、言われていました。

原発のことをやって来た人で、率直にこういうことを言って

しまう人は、ランディさんぐらいかもしれません。

ランディさんも「私、物凄く素直なの。素直だから作家で

いられるのかも…人から頼まれることは全て『はい』て

受けるんです。人から、これはいいよって言われた事は、

取り敢えずやってみるんです。」と…

ランディさんにサインをして頂く時に「初女さんとお誕生日が

一緒なんですね」と言ったら、「そうなの、初女さん一緒だねー

って言うのよ」と、嬉しそうな顔になってました。

ランディさんは、深い悲しみや辛い思いを知ってる方だから

だから、あんなにも明るいのかもしれません。

ランディさんは、まったくもって、いのちの限り

「今を生きている」という人でした。

私は、ランディさんから元気をもらって帰ってきました。




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「ごちそうさん」と初女先生

2014-03-27 11:20:46 | 日記
先日のイスキアの集いの打ち合わせの時、あの脚本家は

初女先生の本を読んでるよね。と言う話になりました。

そこにいた全員が「絶対、読んでる!」で一致しました。

今朝の「ごちそうさん」を観ていて、益々確信を強めてしまい

ました。

主人公のめい子さんは、息子が戦死しているので、どうしても

アメリカを許すことができません。

でも、アメリカの軍人さんがめい子さんのお料理を食べて

「美味しい!」と言ったあとに、めい子さんが「美味しい顔

って同じなんですよね。アメリカ人も日本人も。

食べていかなければ生きられないから…」

と、言った時「あ!初女先生と同じことを言っている」と

思いました。

この間の、細谷亮太先生との対談の時に先生が「食べないと

生きていけないから」と言われ、細谷先生が「初女さんは、

戦争を体験してるから」と言葉を足していましたが、先生の

「食べる」はいのちに直結しているのです。

だから、あれほど食べることを大切にされるのだと思います。

私が、初めて三浦半島で初女先生の宿泊講演会を主催した時

みなさんのお顔が見える席に、初女先生と座らせて

頂いたのですが、その場にいる皆が美味しい、美味しいね。

と言って食べているのを見て、本当に幸せな気持ちに

なりました。

私は「みんなが美味しそうに食べてるの見るって、

嬉しいですね!」と、何度も先生に言ってしまいました。

美味しい顔は、いのちが喜んでいる顔なんですね。

「食べる」とは、直接いのちに働きかけることなのかも

しれません。

「食べなくては生きていけません」は、肉体だけではなく

心も含めてのことなのだと…だから初女先生は

丁寧に丁寧に作り続けているんだと思いました。

以前、自然食へのこだわりが強かった私は、美味しいと

いうことよりも、食材の安全性ばかりに関心が行って

いました。

初女先生に出会い、「美味しい」ということが

心をひらかせ、いのちが喜ぶということを知りました。

戦中戦後は、「食べないと生きていけない」時代でした。

でも、今は「食べないと、心が生きていけない」時代です。

飽食の時代を生きている私達は、お金さえ出せば美味しい物は

いくらでも食べられます。

でも、今欲しているのは「心が満たされる食事」です。

いのちが喜ぶ食事です。

初女先生は、おむすびは「信仰」であり、「信仰」は

「祈り」であると言っておられます。

先生の作られるお料理は、すべてそうなのでしょう。

イスキアの台所の凛とした神聖さは、初女先生の祈りから

来るものなのだと、今気づきました。

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福島の子供たち

2014-03-25 23:38:32 | 日記
毎日、新聞には大気中の放射線量が載っています。

福島の線量は、依然高いままです。

今なお出続けているということです。

今日新聞を見ると、「被ばく線量公表せず」の大きな文字が目に

飛び込んできました。

昨年実施された個人線量計による被ばく線量調査の結果公表を

内閣府被災者生活支援チームが結果発表を見送っていたというの

です。

当初の想定より高い数値が出たため、住民の帰還を妨げかねない

というのです。

おまけに、住民が通常屋外にいる時間を短く見積もるなどの

操作もしていたようです。

何を置いても、人体への影響を一番に考えないといけないのに

なんということでしょう…

福島では、学校給食の地産地消率が震災前は、全国平均の

約25%程度だったのに、このたびの方針は100%にする

と言う事です。

考えられない事です。

この国の大人たちは、未来を担う子供たちに取り返しが

つかない過ちをしてしまったのに…

福島の子どもが、「私、将来子ども産めますか」と聞いていた

あの眼差しが忘れられません。

私達大人は、今こそ誠実にならなければいけないと強く

思いました。
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ねむの木の子供たち

2014-03-24 22:22:13 | 日記
宮城まりこさんが設立した、肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」

の子供たちの美術展に行ってきました。

入口に宮城まりこさんが車いすでいらっしゃいました。

ねむの木は今年で46年を迎えるそうです。

半世紀近くやり続けることは、容易いことではありません。

車いすにちょこんと座ったまりこさんのどこに、そんな

エネルギーがあるのかと思いました。

子供たちの絵は、実に色鮮やかでまるで色が歌っている

ようです。

どのような指導のものと、このように開花されていくのだ

ろうかと、ねむの木学園に行ってみたくなりました。

不自由な体でありながら、心はどこまでも自由なんだなと

思いました。

唯、鮮やかな色彩の中に描かれている人物が、自分だったり

友達だったり、まり子さんだったり…がどこか寂しげなんです。

昔、こんな寂しげな子どもの絵を観たことがあります。

谷内六郎さんの展覧会に行った時、どの絵にも子どもが

描かれているのに、みんなどこか寂しげなんです。

なぜだろうと思ったら、谷内さんは小さい頃病弱で外で

遊べなかったと年譜に書いてあり、谷内さんは小さい時から

孤独を知っていたんだなと思いました。

ねむの木の子供たちの絵の時間を担当していたのは、

谷内六郎さんです。

障害を持っている子ども達は、きっと深い孤独も抱えて

いるのでしょう。

言葉には出来ない心の内を絵にすると、そこには

言葉には出来ない孤独が描かれるのでしょう。

そして、そのことが観ている私たちの心に寄り添って

くれるのかもしれません。

子供たちの絵に囲まれて、静かな豊かな時間が過ぎて

行きました。

谷内六郎さんも同じ空間にいるような気がしました。

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初女さんのおむすび

2014-03-23 14:14:20 | 日記
2年前の12月、三浦の宿泊講演会を終えたばかりだった私は、

その時に、皆さんから頂いた感動に何かしたいという思いが強く

なっていました。

講演を終えた初女先生に、「おむすびを教えるなんてことは

できないけれど、みんなと作って上手になっていきたいと

思いますが、いいですか?」とお聞きしました。

少しの間があり、先生は「ご飯の炊き方が一番大切だから」と

言われ、私は、それが先生の「いいですよ」という

御返事だと思っていました。

ただ、あの「間」が何だったんだろうということは気になって

いましたが…

ところが、先生からのお許しが出たと思っても、実際に

踏み出せない自分がいました。

「なぜだろう」と、自分に問いかけても答えがでてきません。

去年の11月、羽田で先生をお迎えして一緒にお食事をしていた時

おむすびの話しになり、先生が「1回教わったくらいで、

教えてしまうんだよ。そんなに簡単なことではないのに…」と

言われた時、自分が踏み切れなかったのは、ここにあったのかと

思ったのですが、

田口ランディーさんが「春秋・12月号」に書かれた文章を読み

先生のおむすびの深さが初めて分かりました。

ランディーさんに先生は「私はおむすびの作り方を教えて

いるのではないのです。

私が本当に伝えたいことは、信仰とはなにかということなの」と

言われたそうです。

「信仰ですか」とランディーさんが言われると

「そうです。信仰ということをお伝えしたいんですが、

なかなか理解されません。そして、おむすびの話しになって

しまうのです」と、言われ、ランディーさんにそのことを書いて

欲しいと言われたそうです。

ランディーさんが「信仰ってなんですか」と聞くと、

初女先生は「祈り」です。と答えられたそうです。

ランディーさんはその時、広島の原爆をテーマに書こうと思って

いるのですが、でも祈りが何か分からない私が、そんなことを

書くこと自体間違っているかもしれませんね。と、話した

そうです。

ランディーさんが帰る時、玄関まで送ってくれた初女さんが

耳のもと「ことばを、こえて、ね。」と呟かれたそうです。

ランディーさんは「信仰とは言葉を超えることなんだろうか。

なぞなぞのような別れの言葉を、私は何年も宿題として

考えている。

答えはまだでない。でそうもない」と書いていました。

初女さんのおむすびを語る時、伝説の様に「初女さんの

おむすびを食べて自殺を思いとどまった青年がいるのよ」と

言いますが、そのことの本当の意味を何もわかってなかったと

気づかされました。

「おむすびって、そんなに簡単じゃないのよ」と言われた時

私は、おむすびの作り方・ごはんの炊き方だと思ってました。

ランディーさんのこの文章を読み、信仰であるということを

初めて知りました。

これは、すぐに「ああ、そうか」と分かるものではありません。

私もランディーさんのように、宿題として持ち続け行こうと

思いました。

おむすびをみんなで作ってもいいですか?と聞いた時の

先生のあの「間」は、このことだったのか…

多くは語らない初女先生の深さに、原点に立ち返えらな

ければと思っています。

この宿題の答えを見つける為にも…



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イスキアの集い

2014-03-21 23:06:19 | 日記
今日はイスキアの集いの打ち合わせでした。

今年で10回目を迎えます。

イスキアの集いの前に「佐藤初女・映画と講演の集い」があったので

それを入れると11年目です。

最初の映画と講演の集いでは、初女先生のお声掛けのもとに

スタッフが集まったのです。

その中に、私も入れて頂けました。

初女先生のお側にいられるだけで、胸が一杯になって、先生の

顔を見ると泣いていました。

先生に「直さん、泣かなくなったね」と言われるようになるまで

何年かかったことか…

この初女先生に繋いで頂いたご縁の方々に、支えられてここまで

来ました。

10年ひと昔と言いますが、私にとってはこの10年が今の自分を

つくっているのです。

今日、小さな森東京のYさんが、10年間の講演会の演題の

リストを見せてくれました。

一番多かった言葉が「生きる」です。

本当に初女先生の生き方から、自分の生き方を見いだして

いきたと、それはスタッフ全員の思いなので、こんなにも演題に

「生きる」が付いたのだと思います。

初女先生の丁寧な生き方を見つめ続けていても、なかなか丁寧に

生きられない自分がいます。

あの時81歳だった先生が、今は92歳になりました。

高齢になっての10年は、どんなにか大変だと思いますが

初女先生はその歩みを止めることなく、行動されています。

イスキアの集いが10年を迎えるにあたり、Yさんが

「まだ、通過地点だから」と言われたのが心に残りました。

10年一区切りではなく、通過地点なんだ…

 イスキアの集い の演題も、

やっぱり「生きる」がついています。

『すなおに生きる』です。

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知識と知恵

2014-03-20 21:41:12 | 日記
初女先生は、92歳です。

先生を見ていると、生きていく上での知恵が豊かだなーと

つくづく思います。

私達は、知恵より知識の習得にエネルギーを使ってきたので、

知恵を働かすということが、頭に浮かびません。

知恵のない分を知識で補おうとしますが、所詮 知恵と知識とは

違うので、補えるわけがないのです。

初女先生は生きていく上での知恵を豊富に持っていらっしゃいます。

ー人生の失敗から立ち直るには?

この問いを投げかけられた時、私はなんと答えるだろう…

初女先生は、「失敗を深く受けとめすぎて立ち直る機会を

失うことがありますので、私は失敗から希望に移していきたいと

思っています。」と…

初女先生のこのお言葉に、成る程と思いました。

深く反省すれば、立ち直れると思ってしまいますが

立ち直る機会をうしなうと…本当にそうです。

失敗を失敗のまま深く反省するのでなく、希望にしていくこと

それは、まさに生きる知恵です。

人は知識に押しつぶされる時がありますが、知恵に押しつぶ

されることはありません。

生きる上での知恵が豊かであれば、行き詰ることもないと

思います。

知識、知識で来た私達ですが、豊かにするのは知識ではなく

知恵であったと、今頃になって気が付きました。

遅ればせながら、初女先生の知恵に学んで行きたいと

思いました。
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オルゴールさん

2014-03-18 21:40:58 | 日記
昨日のブログで、アップルさんと伊達直人さんのことを書きましたが、

今朝、テレビで山梨の盲学校に50年前から、卒業式に匿名で

オルゴールが送られているということを、放送していました。

私は、ここにもいたのか、オルゴールさん!と、嬉しくなって

しまいました。

45年前にオルゴールをもらったという男性は、自分が完全に

失明してしまった時に、どうせ見えないのだからと、

家の中のものをみんな処分してしまったけれど、

オルゴールだけは捨てられなかったそうです。

辛い時、そのオルゴールを聴くと、送ってくださった方の

思いに支えられるそうです。

卒業生に送られるオルゴールには、点字のカードがついて

いました。

辛いこと、苦しいことがあっても、人は温かい思いに支えられて

生きていけるんですね。

どこかに、アップルさんがいる、伊達直人さんが

オルゴールさんがいるって思えたら、前を向いて歩いて

行ける気がしました。

























































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