~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

心の中で共に生きる

2016-03-31 23:18:51 | 日記

初女先生は、野菜をゆがく時に「野菜が透明になる

瞬間は、野菜のいのちが食べ物となって、私たちの

いのちと一つになって生れ変わる瞬間、いのちの

移し替えの時だと思います。

いのちの移し替えのときは、何もかも透き通っています」

と、言われていました。

初女先生ご自身歳を重ねるごとに、どんどん透き通って

いかれました。

先生が亡くなり、ふと先生のいのちも透明になって

ひとり一人の中で、その人のいのちとなって一緒に

生きているのではないかと、思ったのです。

そうしたら、料理家の高山なおみさんが、

初女先生から聞いた言葉として、このようなことを

記していらっしゃいました。

『にんじんを食べたら、それはにんじんが

なくなるのではなくて、私の体になるんだと思うんです

心も、誰かの心の中に入ってなくならない。

そのことを私は霊だと思うんです。』

先生のいのちが、自分の中で生きている!

そのことが実感できる生き方をして行きたいと

心から思います。

初女先生への追悼文がアップされています。

http://gakugei.shueisha.co.jp/kikan/978-4-08-781602-0.html

 

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今ここがイスキア 今ここが天国

2016-03-29 21:55:39 | 日記

昨日は、青山ブックセンターに初女先生の写真を観に

行ってきました。

青山が頭にインプットされていて、表参道で降りるところ

青山一丁目で下車してしまい、改札で駅員さんに聞くと

東北訛りで案内してくれたのです。

それだけで、ぐるりの空気が変わるのです。

いいな~訛りって

ブックセンターは、ウィメンズプラザの下にありました。

初女先生の講演会で何度か訪れた場所です。

このホールで先生がおむすびを結んだことも

ありました。

先生の写真はブックセンターの壁に、一列に

並んで飾ってありました。

どの写真も先生の祈りが届いてくるのですが

ギャラリーで静かに、写真の初女先生との時間を

過ごしたかったな~と思いました。

その日は、「いのちをむすぶ」の編集者・写真家

ライターさんと小さな森東京のYさんご夫妻と

食事をしながら語り合いました。

ずーっと、皆で初女先生のことを話し続けました。

一人ひとりの心の中に、初女先生が生き続け

今の自分の支えとなっていることを、誰もが

感じていました。

昨日の6人の分かちあいの場には、きっと

初女先生もいらっしゃったと思います。

美味しくて豊かな時間が流れていました。

今、ここがイスキア

今、ここが天国

 

 

 

 

 

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初女かあさんからの遺言~田口ランディ

2016-03-28 11:13:57 | 日記

生活クラブの「生活と自治」に寄せている、

田口ランディさんのエッセイが心響きましたの、

ここに載せたいと思います。

 『   初女かあさんの遺言

 「どんな苦しみを抱えた人がそばにいても

 (わたしにはどうにもできない)、人は自分の荷物しか

 背負うことはできません。」

  人と人とのどうしようもない存在の亀裂を見つめ、

 他者と寄り添うことができる人。

 それが佐藤初女さんだった。

 94歳で亡くなる直前まで、訪ねて来られた方々と

 お会いになったと聞いている。

 決して、おせっかいはやらない。どんな苦しみも、

 喜びと同じように、この世界の一部であり、

 不要なものはないと感じていらした。

 「みなさんは、(私の)話を聞いて、うんうんと頷いて

 いてから、おっしゃるの。私にはとてもムリ。

 できません…と。

 できるできないかは、問題ではないんです。

 すればいいの。それだけなの」

 できるか、できないかばかりを頭で考えてしまう私に

 初女さんは言った。

 「ランディさん。ことばを、超えてね。」

 黙って、ダイコンを切る。丁寧に青菜をゆがき

 おむすびをにぎる。その行為にのみ集中しなさい

 うまくできるかどうか、考えなくていいの。

 いま目の前のことを、ていねいにしていれば、

 それでいいんですよと。

  初女さんの凜とした姿に多くの人が励まされ、

 (個々の苦悩から)立ち直っていった。

 言葉で考えすぎて、そこから逃げられなく

 なっていた人たちに、初女さんは静けさと、

 落ち着きを与え続けた。

  静けさに触れた人は、すっと静かになる。

 自分の中心に戻って来られる。そして、自分らしさを

 取り戻す(初女さんは)「あなたが、あなたであって

 いいの」と語りかける。

  いのちは多様なものたちの力、支え合いのなかに

 ある。そう気が付いて心がふと静かになったとき、

 いのちのエールが響いてくる。

 初女さんはいつもいのちに耳を澄ませていた。

 風のなかに、木々のなかに、ぬか漬けのなかに、

 人のなかに。

            田口 ランディ     

 「いのちのエール 初女おかあさんから娘たちへ

http://www.chuko.co.jp/tanko/2015/10/004773.html

 

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「アナスタシア」

2016-03-27 23:16:57 | 日記

何年振りかで、駅でバッタリ会った友人が

「山ちゃんに読んでもらいたい本があるから送るね」と

言って別れて、程なく1冊の本が送られて来ました。

『アナスタシア』

昨日の夜から一気に読んで、後数ページで

読み終わります。

シャーリーマクレーンの本を初めて読んだ時の様な

感覚に包まれています。

読み始めたとき、突然思い出したことがありました。

ブリュセルのミカエル教会に初女先生と行った時の

ことです。

お料理教室と講演の連日で、市街見学はその日

1日しかなく、教会に行っても私は唯一の

自由時間にちょっと浮かれていました。

教会の出口に向かっていた時、先生が「あの木彫の

アダムとイブを観て私はとても感動しました」と

涙ぐまれて言われ、そして「あなた達は何も

感じなかったのですか」と、珍しくちょっと厳しい

口調で言われたのです。

私には、先生がなぜあの苦しげなアダムとイブの

木彫の像に感動されたか、わかりません

でした。

先生がクリスチャンだからだろうと思っていましたが

「アナスタシア」を読んでいたら、突然そのことを

思い出し、宗教と言うよりもっと根源的なことで

涙するほど感動されたのではないかと思ったのです。

その根源的なことが、何かはまだ分りません…

でも、この本を読んで先生の感動の涙が、いつか

わかる日が来るような気がしました。

読んで見なければわからない、不思議な本です

なんだろう この感覚…

 

 

 

 

 

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心配

2016-03-26 09:18:20 | 日記

花冷えと言う言葉がありますが、桜の花も開花を

目前にしながら、この寒さに耐えているんだな~

あの美しさは、試練を通って来るからなのかしらと

思ってしまいます。

今日は実家に泊まるので、朝パソコンを開きました。

何気なく、ランディさんのツイッターを見たら

この言葉が目に飛び込んで来ました。

『毎日、午前零時に届く橘川幸夫師匠の今日のことば

「怒らせることは仕方がないけど、心配させるのは

よくないよ。」……ふと、考えてしまう。なんだか

響くけどなんだろう、このじわんっていう感じ。』

ランディさんの言われている感覚が分る気がします。

私の母は、何か起こると最悪のことを考え、それより

今の自分はいいから幸せと思うのです。

いつも心配事株式会社のように、心配しています。

姉も私も、よくもまあ、こんなに心配事を探して

くるよ!ぐらいに思っていましたが、橘川さんの

言葉を突きつけられると、そうやって片付けて

来たことに、う~んという感じになります。

深いな~

この言葉…

  

  4月3日まで青山ブックセンターで佐藤初女さんの

  写真展が開催されています。

  初女さんの祈りが観る人の心に届いてくると

  思います!

  http://www.aoyamabc.jp/fair/inochiwo-musubu/

  

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幸福

2016-03-25 23:53:28 | 日記

新聞の投稿で、「誕生花」というのがあるのを知りました。

投稿した方の亡くなった娘さんの誕生日が、2月7日で

誕生花が「たんぽぽ」と書いてありました。

亡くなった私の息子も同じ誕生日、息子の誕生花は

たんぽぽだったのです。

小さい時から、黄色があの子のシンボルカラーだった

けれど、花まで黄色とは…

そういえば、よくたんぽぽの綿毛を飛ばして遊んで

いました。

「たんぽぽ」って誰が名づけたのでしょう

なんとかわいい響き、子どもだったら誰でも

好きになってしまう名前です。

たんぽぽの花言葉は

「愛の神託」「神託」「真心の愛」「別離」だそうです

この言葉に13歳で亡くなった息子の姿が重なります。

生きていると、本当に想像も出来ないようなことが

起こります。

息子が亡くなった時、人生何でも「あり」なんだと

思いました。

でも、それは終りではなく始まりだったということに

初女先生に出会い気づくことが出来ました。

きっと、初女先生は深い深い悲しみと苦しみを

知っている方だったからでしょう

   『すんなり、するすると幸福になることはなく

   生きていれば、何度でも繰り返し苦しみが

   やってきます。

   けれども苦しみは決して苦しみだけに終ることなく

   いつか喜びに変わります。

   苦しみなくして刷新ははかれません。

   真の幸福は、苦しみの中にあってこそ実感

   できるものです。

                      佐藤 初女』

 

 

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愛とは

2016-03-24 23:19:15 | 日記

ベルギーでテロが起きました。

ブリュッセルは、2010年に初女先生と訪れた地です。

落ち着いた成熟した街、というのが第一印象でした。

あちこちにベルギーワッフルのお店があって、

初女先生と半分こして食べました。

あのブリュッセルで、テロがおきるなんて…

いのちがいのちとして存在しない世界があるから、

自爆テロが起きるのですね。

悲しいです…

どうして争いが絶えないのでしょう…

       『愛する』 

  愛とは受け入れること。

   戦争が絶えないのはうけいれられないからです。

                     佐藤 初女

 

 

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郵便物~森のイスキアから

2016-03-22 23:36:55 | 日記

仕事から帰ると郵便物が届いていました。

差出人を見ると、森のイスキアの下に、初女先生の

弟さんとお嫁さんの名前がありました。

当たり前のことですが、先生の名前のないことに

ふっと淋しさを感じてしまいました。

葬儀に際してのお礼のお言葉があり

「つねづね 今を生きる と申しておりました

とおり最後のひとときまで祈りとともに真実に

生きましたことをあらためてお伝えさせていただきたく

存じます」と書いてありました。

祈りとともに真実に生きる、初女先生の生き方は

ぶれることなく、このことを貫き通した一生でした。

先生の最後の本「いのちをむすぶ」と共に

先生の遺影となった写真が入っていました。

あまりにも美しく、透明で見ていて切なくなって

しまいました。

そして、同封されていた集英社の冊子「青春と読書」に

吉本ばななさんが、追悼文を寄せ、

未収録の写真が載っていました。

ご自宅の台所で調理する先生

おむすびを結ぶ先生とおむすびを結ぶ手

どの写真からも先生の真剣さと、無音の中で

響いて来る先生の祈りを感じます。

「森のイスキア」の文字の下には必ずあった

佐藤初女という文字がないのです…

春を迎える森のイスキアの中に身を置いて

みたい、そんな思いが立ち上がって来ました。

 

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丁寧に生きる

2016-03-21 13:16:52 | 日記

三浦半島で行った初女先生の宿泊講演会に、1度だけ

スタッフで参加してくれた女性が、結婚し故郷に

帰り、ママになって横須賀に遊びに来ました。

初めてママになったのに、とてもゆったりと落ち着いて

子育てしているのに驚きました。

最初の子なのに、どうしてそんなふうに育てられるの?

と聞くと、「時間がないから急いでやろうと思ったけれど、

初女さんの丁寧な生き方を思ったら、

洗濯物を畳むのも丁寧に畳もうと思ったの。

私が丁寧にしていることを、この子はちゃんと

見ているんですよ」と言うのです。

その言葉を聞いた時、イスキアにお土産を持って

行った時、先生が包んであった包装紙のしわを

丁寧に手で伸ばしていた姿が、ふっと浮かんで

来ました。

職場に弘前で買ったお土産を持って行ったら

受け取った人が、包装紙をいきなり破りだしたので

私は、思わず「きゃー」と言ってしまいました。

その人が「どうしたの?」と聞くので、「包装紙を

びりびりに破いて開けたから」と言うと、少し驚いた

顔をした後で、「そういえば、子どもが小さい時に

こうやって開けたら、いきなり泣き出したの。

どうしたの?って聞いたら、分らないって直ぐに

泣き止んだけど」と、話してくれました。

私は、包装紙がびりびりに破かれた時、心が痛いと

感じたのです。きっと小さかった息子さんも

その時、同じように感じたんじゃないかな…

丁寧にするということは、大切にされるってこと

初女先生の包装紙を時間をかけて伸ばしている

姿を見たとき、紙一枚もこんなに大切にされるんだと

私の心に刻まれたのです。

今は、お料理番組も時短が、売りになっているし

子どもの離乳食も電子レンジが当たり前になって

います。

親がいくら丁寧にと言っても、子どもは言葉ではなく

親の行動を見ているのですから…

お母さんが、丁寧に洗濯物を畳む姿は、軟らかい

子どもの心にインプットされていると思います。

初女先生に「先生って本当に丁寧ですよね」と

言うと「当たり前のことをしているだけだよ」という

こたえが返ってきました。

世の中、速いことがいい事だと、速く速くで

丁寧さを置き去りにして、突っ走ってきました。

でも、94年間、丁寧に生ききった初女先生の

生き方が、ひとりひとりの心を支える力となって

くれています。

私も丁寧に生きなくちゃ!と思いました。

たった1回のスタッフで、先生の丁寧を感じ取って

くれた若きママ。

今ここに、丁寧に生きる子どもが育っています。

嬉しいうれしいことです。

 嬉しいことがもうひとつ

明日、22日から青山ブックセンターで

岸圭子さんの佐藤初女さんの写真展

「いのちをむすぶ」が開催されます。

岸さんはガイアシンフォニー2番が出来た直後から

初女先生を撮り続けている写真家です。

岸さんの写真からは先生の深い祈りが

伝わって来ます。

本の写真も素晴らしいですが、是非写真展に

足を運んでください。

きっと、初女先生が立ち上がって来ると思います。

http://www.aoyamabc.jp/fair/inochiwo-musubu/

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深く静かな人

2016-03-20 22:40:27 | 日記

今日は春分、自然界はとっくに春に向かっていたけれど

私達の生活も、ようやく春になって来ました。

鶯がホーケケケケからホーホケキョになってきて

何だかそれだけでも春が近づいたようで、嬉しく

なります。

初女先生が亡くなり、もう弘前に行くことはないだろうと

思っていたのですが、桜の季節が来ると

弘前のみごとな桜を見に行きたくなってしまいます。

四季のある国に生まれて本当に良かったと、

思わずにはいられません。

何があっても冬の後には春が巡って来る

この自然の誠実さに、何度救われたことか…

今日は夜に電話でkさんと、婦人公論の

ランディさんが書かれた初女先生の覚悟について

話しました。

初女先生も一緒にいるような、そんな気がしました。

ランディさんの文章に、凝縮された初女先生の

一生を感じました。

『どう生活するかをはっきり決めて、覚悟して貫いた。

人間が一生で出来ることは限られているけれど

その限られた生を、どこまでも深めることができる。

初女さんの生き方は、深さという言葉でしか表現

できない。暮らすことに深く入っていき、いのちの

源まで行き着いた方。

深く静かな人、それが、佐藤初女さん

 追悼・佐藤初女さん 田口ランディ(婦人公論より)』

 

 

 

 

 

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