~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

運ばれて境に…

2014-06-27 22:42:28 | 日記
ちょこちょこ初女先生にお会いしているのに、なかなか時間が取れず

ゆっくりお話しできずにいました。

仕方が無いので、7月にお会いした時にと、連絡しましたら

先生からファックスが届き、「堺がよろしいですね。」と、

書いてありました。

28日の堺の講演会で、ということです。

私は、えー堺ですか~と、思ったのですが、こういう時こそ

「はい」という素直な生き方だと思い、堺行きを決めました。

考えてみれば、堺の講演会の主催者は、三浦の宿泊講演に

すべて参加して助けてくれているのです。

なのに、私は一度も堺には行ってないのです。

初女先生の深い計らいの様な気がしてきました。

なかなかホテルが見つからずにいたら、主催者のKさんが

「私のとこのスペースに泊りなさいよ」と言って下さり

宿泊代も大助かりとなりました。

何だか、いい出会いが待っているような気がします。

「はい」という素直な生き方は、気持ちがいいです。

運ばれて、明日は堺に行ってきまーす!

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へいわってすてきだね

2014-06-26 23:45:16 | 日記
昨年、2013年6月23日の「慰霊の日」に読み上げられた沖縄県

与那国町の小学校1年生の「へいわってすてきだね」の詩を読み

子供って凄いなーと思いました。

やさしい言葉で、本当に平和な世界が見えてきます。


      『へいわってすてきだね』

  へいわってなにかな。

  ぼくは、かんがえたよ。

  おともだちとなかよし。  かぞくが、げんき。

  えがおであそぶ。 ねこがわらう。

  おなかがいっぱい。 やぎがのんびりあるいている。

  けんかしてもすぐなかなおり。 

  ちょうめいそうがはえ、

  よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。

  みなとには、フェリーがとまっていて、

  うみには、かめやかじきがおよいる。

  へいわっていいね。 へいわってうれしいね。

  みんなのこころから、 へいわがうまれるんだね。

  
  せんそうは、おそろしい

  「ドドーン、ドカーン。」

  ばくだんがおちてくるこわいおと。

  おなかがすいて、くるしむこども。

 
  かぞくがしんでしまってなくひとたち。

  
  ああ、ぼくは、へいわなときに うまれてよかったよ。

  このへいわが、ずっとつづいてほしい。

  みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。

  
  へいわなかぞく、 へいわながっこう、

  へいわなよなぐにじま、 へいわなおきなわ、

  へいわなせかい、

  へいわってすてきだね。


  これからも、ずっとへいわがつづくように

  ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。


       与那国町立久部良小学校1年 安里有生      

   
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心のかたち

2014-06-25 23:01:33 | 日記
先日、田口ランディさん達のやっている「色えんぴつの会」の講演会

に参加したことを書きましたら、もっと知りたいというメールを

頂きました。

ランディさんが作って下さったレジメを見ながら、反芻してみようと

思います。

みんな生きる癖があり、考えにも癖があるそうです。

自分の考え方の癖を知ることが大事だそうです。

『自分が正しいと思って頑張れば、頑張るほど人と上手くやれなく

なってしまいますので、自分の拘りがどの程度か知っておく。

自分の拘りと周りの拘りがぶつかった時、どこまでも

自分の拘りに拘ってしまうか…

そんな時「この拘りが必要ですか」と自分に問いかける

拘りから自由になればいい…

頑なに拘ってしまうと、誰にでも鬱がやってくることがある

自分が正しいと思って、頑張れば頑張るほど人とうまく

やれなくなってしまうから…

拘りから自由になればいい

苦手な人と付き合う工夫が、鬱を寄せ付けないヒミツ!

苦手な人は苦手なのだと自覚する

相手を否定するのではなく、自分の心の癖を知る

(私はどうしても、こういう人がだめなんだなー)と、

まず認めてしまう。

誰とでも仲良くできないけれど、仲良くしなくても

人付き合いはできるから、つきあっているうちに

苦手意識が薄くなる。

自分の癖を知ることで、ひとつひとつ苦手なことが

消えていき楽しくなります。』

自分の欠点とか弱い処を癖って捉えるのが、すごくいいなと

思いました。

自分の心のかたちを知ると、

鬱鬱(うつうつ)とならず、目の前が明るくなるかもしれません。

「色えんぴつの会」で学んだこと!
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6月23日

2014-06-23 18:21:19 | 日記
今日は、沖縄慰霊の日です。

沖縄戦が終結してから69年目となります。

新聞の「戦世(いくさゆ)もう来ないで」という文字が

目に飛び込んできました。

「戦世」、人々の生活や悲しみ、苦しみがこの二つの漢字から

ひたひたと伝わってきます。

沖縄と言うと、知念さんを思い出します。

私に初めて人が人を殺すということの悲惨さを教えてくれた人

です。

何も知らない、二十歳そこそこの私を、「信頼する大和人しか

連れて行かない」という壕に案内してくれたのです。

壕の中は真っ暗で、懐中電灯で照らされた薄明かりの中で

見た、たくさんの人骨、ビール瓶 水筒などなど

何十年経っても忘れられません。

壕の中は時が止まったように、戦世の爪痕が残っていたのです。

足を進めようとすると、土の中に歯があり、私は立ちつくして

しまいました。

人が人を殺すという事を、突き付けられた気がしました。

「戦世 もう来ないで!」と、私も叫びたいです。

大きな大きな犠牲があったから、69年間戦争をしない国で

いられたのです。

日本に勝ったアメリカは、あれからどれだけ戦争をしたこと

でしょう。

もしも、私たちの国に9条がなかったら、69年も平和で

いられたでしょうか…

今、平和を守り続けた9条がチカラを失おうとしています。

私たちが受け取った平和を子ども達に手渡していきたい!

天国の知念さん、どうしたらいいのですか…

あなたが、あの壕で教えてくれた戦争を、今度は私が

伝えていかなければいけないのですね。

平和の世に育った私たちが…
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色えんぴつの会~有り難うランディさん

2014-06-22 23:58:58 | 日記
今日は、田口ランディさんに「有り難うございます」が言いたくて

湯河原の幼稚園に行ってきました。

色えんぴつの会は、ランディさん達が5年前からやっている

「発達障害者当事者研究会」です。

研究会などと言うと、偉く難しそうですが、講演会や交流会

宿泊体験などをやっているそうです。

今日はランディさんのお友達の臨床心理士・中谷恭子先生のお話

でした。私はランディさんにお会いするのが一番の目的でしたが

中谷先生のお話に引き込まれてしまいました。

ハッと気づかされることが、いくつもありました。

まだ整理が出来ていませんが、「人は正しさだけでは生きて

いけない」と言う言葉も心に残っています。

『学校でも家庭でも、正しいことを教わってきましたが、

イライラしたり、腹が立つなどの悪い心とどう付き合って

いくかを教えてもらっていない。

極端な正義感にしばられていると、悪いものを見つけた時

どう扱ったらよいかわからない。

自分はこうしてまで良いことをする、真面目で正しいことを

しなければならないと思う人ほど鬱になりやすい。

自分を犠牲にする子育ては、必ず子供を犠牲にする…』

まだ、自分の中で先生の言葉を反芻することもしてないので

今日は書きだしただけですが、中谷先生の言葉に

いくつもの石が投げ込まれ、その波紋を見つめている自分が

います。

今日の講演会のチラシには「心を知り、人生を豊かに生きる

ためにはどうしたらよいかを一緒に考えませんか」と、書いて

ありました。

心を知る。

最近、このことを考えていたので、バッチリのタイミングでした。

ランディさんに「有り難う」と感謝を伝えに行ったのに

今日の講演に、二重の感謝となりました。

「有り難う、ランディさん」



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『悲』と向き合う

2014-06-21 23:22:22 | 日記
2泊3日の「書」の合宿から帰ってきました。

体育館で大きな字を、ひたすら書くのです。

私は「悲」を書こうと決めて合宿に参加しました。

「悲」を書こうと思うと、友人に話すと「慈悲の悲ね」と、言われ

「まだ、とてもとても慈悲の悲は書けないから、強い悲しみの

『悲』を書こうと思う」と言っていました。

そんな思いで合宿に臨んだのですが、行ってみると私の先生も

「悲」を書いていたのです。

強い悲しみは自分が体験しているので、その悲しみを紙に

ぶっつけようと格闘していました。

書けば書くほど、自分の思いには程遠い字となってしまうのです。

先生の「悲」を見たら、きっと書けなくなるので、なるべく

見ない様にしていましたが、二日目の朝何気なく先生の作品の

横を通った時、足が釘付けになってしまいました。

「悲」の最後の「心」を観ていたら、深い悲しみがほたほたと

伝わって来て、気がつくと涙が溢れていました。

自分の中にあった深い悲しみに気づかされたのです。

まだ、この深い悲しみはあったのかと、自分で驚いて

しまいました。

その後、私は強い悲しみの「悲」ではなく、深い悲しみの

「悲」を書こうと、紙に向かいました。

書いても書いても、その深みには届かないのです。

自分の中の悲しみとはなんだろうと、自分自身に問い続け

ながら書いていました。

書いては捨てを繰り返し、何十枚か書いているうちに、

私はこの悲しみに支えられているのだと、気がついたのです。

そうしたら、心の底にある深い悲しみに感謝が生まれて

きたのです。

強い悲しみの「悲」を書こうと格闘していた、全身の力を

込めた筆が、変わってきたなと思っていたら、Tさんに

「山崎さんは慈悲の『悲』を書いているのね」と言われたので

びっくりしました。

作品の出来はわかりませんが、自分の中の悲しみと対峙し

この悲しみが自分を支えていることに気づき、悲しみに

心から感謝出来たということ…

亡くなった息子が、自分の中で生きている事を実感した

気がしました。

初女先生の言われている「共に生きる」とは、こういう

ことなのかと…
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正直者はバカをみる?

2014-06-18 22:34:23 | 日記
初女先生が分かち合いの質問に答えられたお言葉が、心に残って

います。

『「正直ものはバカを見る」と言いますが、初女先生はどう思い

ますか?』という質問だったと思います。

先生のお答えは「正直者は、やっぱり正直でいい方向に向かって

行くと思います。」でした。

正直者はバカを見ると、誰もが感じたことがあると思います。

でも、やっぱりどこまでも正直でいいんだと、初女先生のお言葉を

聴いて安心しました。

小さい時は、誰も見ていなくてもお天道様が見ているよと、

言われたものです。

いいことも悪いことも、お天道様が見ているんだと、子ども心に

思いました。

その心をそのまま持ち続けていいんだよと、言われたような

気がしました。

正直者は、正直でいい方向に向かって行く!いい言葉だなー

いくつになっても正直者でいこうと思いました。

明日から2泊3日の「書」の合宿です。

自分に正直な字を書こうと思います。

朝から晩まで「書」です。不安一杯ですが

頑張りまーす!
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混迷の時代を生きる

2014-06-17 21:07:57 | 日記
テレビで、辞書を出版している編集者が「この国が大きく変わろうと

している時だ、辞書も大きく変わる」と言ってました。

70年近く戦争をしてこなかったこの国は、これからどこへ行こうと

しているのでしょうか…

大きな岐路に立っているのに、私たちの関心はワールドカップ

私達は、未来を担う子供たちにこの平和を手渡せるでしょうか…

子供たちの時代も、そのまた子供たちの時代も、戦争をしない国

として、私たちが受け取った平和のバトンを繋ぐことが出来るで

しょうか…

「兵器ではなく9条を輸出しよう」と、いう声もありますが

私たち日本人の誇りである9条が、解釈一つでで何の力も

なくなってしまうなんて、誰が想像できたでしょうか…

私達は、この混迷にの時代をどう生きて行ったら

よいのでしょうか…

そんなことを思っていたら、3年前の講演会の

プログラムが出てきました。

初女先生のお言葉が、深く心に響いてきました。

  『私たちは今、混迷の時代を生きています。

   気持ちがささくれだつときもあります。

   心がゆれ動くときもあります。

   でも、どうぞそこから逃れないで。

   自然のままに受けとめて。

   芯が一本通っているのであれば、

   ゆれ動いても、いいではないですか。

   結果ばかり急ぐ事はないでしょう?

   今のあなた ができることを

   続けていけばいい。

   小さいと思われることも。

   ひとつひとつ、大事にしていけばいい、

   今、私がのぞむのは、

   「展開」ではなく「融合」です。

   支え合って、とけあってこそ、

   大きな流れは生まれるのものです。

   多様なものが、多様なまま共にいきていく

   「生物多様性」という言葉の意味を

   考えながら生きていくことが、

   未来を切り開くことにつながると

   私は思うのです。

   人にも、ものにもいのちがあって、

   そのいのちが響きあう中で、

   私たちは生きています。

   人に

   自然に

   感謝する心を忘れないで。

   それが私の、願いです。

   雪深い里から

   私は今日も

   祈りの鐘を鳴らしています。

                 佐藤 初女  』

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イスキア精神

2014-06-16 22:20:20 | 日記
初女先生が、「私が、青森で一番飛行機に乗っているかも」と

言われたそうですが、本当にその通りだと思います。

平均して1週間に1回は、飛行機に乗っているのではと思われます。

92歳のお体に、それはどんなに大変なことかと思います。

先生を突き動かすその原動力は、「イスキアの精神」にあるのでは

ないかと、私は思っています。

<イスキアの精神>

・人を信頼する

・一人ひとりの出会いも大切に

・小さいと思われることも大切に


先生の人への信頼は、揺るぎのないもののような気がします。

「人はいくつになっても成長します。人生とは気づきによって、

こころを切り開いていくことそのものです。」という

先生のお言葉がどんな時も貫かれているからだと思います。

そして、その人が成長された時「あの人変わったよねー」と

先生が嬉しそうに言われるのを何度も聞いたことがあります。

先生は、出会いには人生を変える力があると言われています。

そして、小さいと思っているところに大きなものが

あると…

この3つの精神が豊かに流れているのが、イスキア

イスキアとは、場所を作り食べ物をお出しするということ

ではないのだと思います。

先生のやさしい言葉の奥にある、精神性の高さに

立ちつくすことがありますが、心のイスキアを育てて

行かねばと、強く思いました。





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わかち合い

2014-06-15 23:16:23 | 日記
10回目を迎えた「イスキアの集い」が、終わりました。

「わかち合い」という言葉も、何のアレルギーもなく皆さんに

受け入れられるようになりました。

講演会が始まる前に、10年間の演題と初女先生の写真がスクリーン

に映しだされたそうですが、受付嬢だった私は、その写真も

心待ちにしていた「すなおに生きる」の講演も聴くことが

出来ませんでした。

でも、わかち合いになった時に会場に入ると、会場の皆さんの

集中力に驚きました。

わかち合いは、皆さんからの質問を初女先生が読み、そして

答えられるのですが、先生の誠実さやチャーミングな面も

垣間見られ、初女先生がより近い存在となって、自然に

思いをわかち合っているのです。

講演会が終わった後に、先生がゆっくりとロビーにいらして

一人ひとりの方と握手をされるのですが、そこがより深い

わかちあいの場となったのです。

先生に一生懸命話される方、何も言わずただ涙する方…

一人の女性が、子どもを亡くしました…と言われ、後は

涙となってしまいました。

初女先生が「おいくつだったの」と聞かれ、その若さを

先生自身が深く受け止めている、そんな沈黙がありました。

涙していた女性は、きっと自分の悲しみ苦しみが受け止め

られたと感じたのではないでしょうか…

短いけれど深い、初女先生とのわかち合いは、確かな支えと

なってその人の一生を支えてくれることと思います。

10年、この分かち合いの場に居られたことに心より

感謝いたします。

本当に有り難うございます。

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