~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

祈りのうちに

2015-01-30 23:52:57 | 日記

あの後藤さんが、息子の高校の先輩だと知りました。

大学も同じです。

息子は図書館から、後藤さんの本を借りてきました。

いのちが取引の道具にされているが、耐えられ

ません。

新聞をひろげると、後藤さんの記事の横に

名古屋大学の女子大生の殺人事件が載っていました。

今、「死にたくはないけれど死んでみたい。

殺したくはなけれど、殺してみたいと」いう感覚を

持っている若い人達がいるそうです。

バーチャルの世界が、あまりに多くなっているから

なのでしょうか。怖い気がします。

今日、テレビで黒田裕子さんの「寄り添って生きる」

というドキュメント番組がありました。

黒田さんは、阪神淡路から東日本大震災まで

被災者支援に生涯を貫いた方です。

その黒田さんの「最後の一人まで見捨てては

いけない。人間だから」という言葉が、深く響いて

います。

いのちがあまりに軽く扱われている今、

最後の最後まで人に寄り添い、生き切った

黒田さんの人生の尊さを伝えたいと思いました。

後藤さん、どうか無事帰って来て下さい。

私は、諦めずに祈り続けます。

 「祈りのうちに 今を生きる」

初女先生のこのお言葉のように…

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今日も祈ろう

2015-01-28 21:18:59 | 日記

心の中に後藤さんのことがずっとあります。

今日、電車を降りた時にお父さんといた小さな男の子が

「おうちへ帰りたい!」と言っているのを聞いた時

囚われの身に在る後藤さんのことが思い出され

ました。

後藤さんは、どんなに家に帰りたいと思っている

ことでしょう…

自分の命の期限を言わなければならない

後藤さんの張り裂けんばかりの心を思うと

苦しくなります。

ふと開いたダライ・ラマの本に「手段がないときに

最強の慈悲の心」という言葉は書いてありました。

どういうことでしょう…

ダライ・ラマ法王の知人のチベットの僧侶が18年間

中国の収容所で強制労働を強いられ、命の危機も

あったそうですが、インドで再会した時に法王が

「辛いことはありませんでしたか、危機を感じたことは

ありませんでしたか」と、聞いた時に、その僧侶は

「中国の役人たちに対して、自分の慈悲の心を

失ってしまう危機を感じた」と答えてそうです。

人間の心は邪悪にもなるし、崇高にもなるということ

でしょうか…

兎に角、後藤さんが無事帰ってくることを祈り

邪悪な心に占領されている人達の心が

清まることを祈ろう

 

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祈ろう

2015-01-27 22:24:01 | 日記

心が晴れません

胸に棘が刺さっているような痛みがとれません。

異国の地で囚われている後藤健二さんのことが

頭から離れないのです。

湯川さんは、本当に殺されてしまったのでしょうか

なぜ、人は人を殺すのでしょう…

母なる大地の上で、こんな残酷なことが赦されるの

でしょうか

地球の温暖化は、病んだる地球の発熱だと思って

います。

その地球の上で、こんなに残虐な悲しい出来事が

後を断たなかったら、地球は悲しみを湛えた星に

なってしまう

ダライ・ラマ法王が、平和は一人一人の心の

平安からと言ってました。

2015年、新年を迎えた時に「祈りの時代」に

入ったと感じました。

今、私に出来ることは祈ることしかできません。

祈ろう、後藤さんのことを、湯川さんのことを

祈ろう、人間の心を忘れてしまった人達が心を

取り戻すことを

祈ろう、世界の平安を

祈ろう、心の平安を…

祈ろう、地球の平安を

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奈良美智とあおもり犬

2015-01-26 23:42:17 | 日記

弘前出身の世界的画家&彫刻家の奈良さんの作品を

私は、あまり好きではありませんでした。

いつも怒った様な顔をした子供は、観ていると

こちらの心を見透かされているようで、落ち着かない

のです。

この絵のどこがいいのだろうと思っていました。

ベルギーの古い文房具屋さんで、奈良さんの

ポストカードを見た時は、やっぱり世界的な人なんだ

と、驚きました。

一緒にいたイスキアのスタッフが、「奈良さんの

絵葉書よ」と言って買っているのを見た時、

ふる里愛みたいな同郷の繋がりを感じました。

私には、そんなふうに奈良さんの絵を親しく

感じることはなく、奈良さんとの距離を感じた

ままでした。

それがです。今回、初めて青森県立美術館で

奈良さんの「あおもり犬」を観て、言葉を失った

のです。

あおもり犬は戸外にあり、私たちは室内から

ガラス越しに観るのですが、雪に埋もれた

真っ白な「あおもり犬」は、沈黙の中の祈り

そのものでした。

私たちは、大いなるものに祈られている存在だと

感じる時がありますが、奈良さんの「あおもり犬」は

その祈りを感じさせてくれるものでした。

ベルギーの教会で、アダムとイブが苦しんでいる様な

木彫があり、初女先生は涙ぐむばかりに感動され

なぜ、貴方たちは何も感じないのと言われたことが

ありました。

私が、この「あおもり犬」を観た感動と、あのときの

初女先生の感動は、近いものがあるような気が

しました。

「あもおり犬」を見上げていると、「あおもり犬」に

深く、深く祈られている気がしてきました。

ランディさんも衝撃を受け、「負けた、負けた

完全に負けた」と言っていました。

もう一度、雪の中の「あおもり犬」に

会いに行きたいと思いました。

苦しい時、あの「あおもり犬」を思い出したら

頑張れそうな気がしてきました。

たった一人の時も、「あおもり犬」が

遠い北の地で、祈っていてくれると、思うと

また歩き出せそうな気がします。

やっぱり、奈良美智は凄い!

有り難う、奈良さん

有り難う、あおもり犬

 

 

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いざ、弘前

2015-01-25 22:10:04 | 日記

ただいま!です。

田口ランディさんと佐藤初女先生を訪ねるという

何とも贅沢な旅をして来ました。

私達が行く前の日まで吹雪いていたそうですが

慎ましやかなる晴れ女のランディさんがいた為か

ドピーカンの晴れ渡った青空で、春を思わせる

暖かさでした。

岩木山はくっきり見え、空にドラゴンを想わせる

雲が2つ、私たちの真上に出てました。

うちの亡くなった息子は辰年だから、あの子も一緒に

来たのかなー、なんて思ったりして…

雲と友達だというランディさんと雲遊びをしたり

美味しいお蕎麦屋さんで「うま~!」と言って

お蕎麦を頬張ったりしていたら、初女先生の処に

行くのが遅くなってしまい、着くとイスキアのスタッフが

「待ち過ぎて、先生の首が折れてしまいましたよ」

何て言われてしまいました。

先生のご自宅である弘前イスキア

ここの二階で、2003年に私は初めて

初女先生とお話ししたのです。

先生が「直さんがここに座って、私がここに座って…」

と、あの日のことを思い出して下さいました。

私、ここで泣いてねーと言うと、ランディさんも

「私もここで泣いたんだよ」と…

みんな、初女先生のところで泣いて立ち上がった

子ども達なんだと思えました。

ランディさんがお土産の木箱を開けると

何とも言えないチャーミングな天使の飴でした。

飴細工の人に「天使を作って!」と言ったのと

恐らく飴細工職人さんにとっての、生まれて

初めての天使だったのでは…

大きな木箱に入れて、天使の飴を持って来た

ランディさんが、益々好きになりました。

ちょっとドキドキしていた、今回の旅でしたが

めちゃくちゃ楽しい旅の始まりとなりました~

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ティシュ配りの人から学んだこと

2015-01-20 23:12:20 | 日記

駅へ行く道を歩いている時、ふと目の端にティシュ配りの

男性が入ってきました。

ティシュ配りなど、見慣れた風景にすぎないのに、私は

振りかえり立ち止まってその人を見てしまいました。

40過ぎの働き盛りという年代の男性が配るティシュは

殆んどの人が受け取るのです。

直ぐ近くに、若い女性も配っていましたが、

受け取る人の数が、男性に比べ圧倒的に

少ないのです。

この違いは何だろうと思って見ていると、女性の方は

自分の立っている場所を動かず、目の前を通る

人にだけ差し出しているのです。

一方、男性の方は渡そうとする人のところまで

歩いて行って渡すのです。

私は、その男性の姿を見ていて胸が熱くなり

ました。

ティシュ配りなど、喜んでやるべき仕事とは

いえません。学生のアルバイトならともかく、40代の

大人には耐えがたい仕事だと思います。

けれども、その男性はティシュを渡すということに

喜びを見いだしているような、生き生きした表情で

渡しているのです。

私は、何にでも生き方がでるのだと、

自分に問われている気がしました。

その仕事が意味があるから、尊いから一生懸命

やるというのは、誰でも出来ることです。

しかし、意味を見いだすことも難しい、そんな仕事で

あっても与えられたことに、どう向き合うかで

その人の生き方が出るのだと、ティシュ配りの

男性に与えてもらった気がしました。

その男性の姿を見ただけで、清々しい気持ちの

一日となりました。

 

 

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新しい流れを感じて

2015-01-19 22:34:56 | 日記

新しい年を迎え、何か流れが変わって来た気が

すると、話していました。

去年の続きに、今年があるのではなく

新しい流れが始まったと、思えるんです。

「自分が」という、我をぬぎ捨て脱皮しようとしている

人が、新しい流れをつくろうとしている気がするのです。

初女先生が、今まであまり話して来なかった「信仰」や

「祈り」についても語りだしています。

何だろう、この流れは…

分からないけれど、何かが見えてくるかもしれない

明後日から、田口ランディさんと初女先生に会いに

行ってきます。

私自身が大切なものを見つける旅に、なりそうな

気がしています。

厚く覆っている「我」をぬぎ捨てなければ…

 

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親心

2015-01-16 22:00:07 | 日記

井上ひさしが、娘が数学の成績に「1」をつけられた時

通知表の保護者欄に「この子の将来は、どうやら

数学とは無縁のところにあるようです」と書き、枠から

はみ出したところには、「最近はよく本を読むように

なりました。ご指導のお陰です。」と、書き添えて

いたそうです。

私は、「あの、井上ひさしが…」と思いましたが

やはり親心とはそういうものかと、嬉しくなりました。

田口ランディさんも、この春から独り暮らしを

始める娘さんにツイッターで、親として伝えて

おかなければならないことを、書いています。

それが、こんなおばさんにもハッとさせられる

ものなのです。そして時には、クスッと笑ったり…

例えば『もしも目上の人が、あなたの間違えを

教えてくれたら、「すみません」ではなく、

「ありがとうございます」というんです。

謝罪の前に感謝がなければ、本当の謝罪には

ならない』

『若いから、授業中にどうしても眠くなることが

あるだろう。そういう時はどうしようもないから

寝なさい。でも寝るにしたって、がばっと机に

うつぶせになって寝るなんて本当に教授に

失礼なことなんだ。せめて鉛筆を握って眠気に

勝てません、という姿で居眠りしなさい。

礼儀を持って寝なさい。』

親心って、若い時には有難迷惑と思ってしまう

けれど、井上ひさし氏やランディさんの言葉に

親心って温かいものだなーとつくづく思いました。

 

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みんな違ってそれでいい

2015-01-14 23:37:12 | 日記

今日は、書展の飾り付けに行ってきました。

飾り終わって観てみると、みんな違うのです。

普通は、習っている先生の影響を受け、何となく

似た作品になることが多いのですが、私たちの会は

本当に同じ先生なの?と聞きたくなるほど、それぞれ

なのです。

この先生だから、続けてこられたのかなーと

思いました

お習字を習ったことがないので、私の筆体験は

小学校の書写の時間だけでした。

みんな同じような字になり、下手な字は一目瞭然

劣等感の塊になるので、お習字が大嫌いでした。

だからそれ以来、筆を持たなかったのですが、

息子が亡くなった後、息子の名前を書くたびに

涙が溢れ、書けなくなってしまったので

名前ともしっかり向き合わなければと思っていた時に

書と出会ったのです。

大きな筆で、大きな字を書いた時、全く自分の

思い通りに書けず、それが面白くて書の世界に

飛び込んだのです。

知れば知るほど、深い書の世界です。

みんな違って、それでいい!の書の世界が

大好きになりました。

これも、創がくれた天国からの贈りもの

有り難う…

 

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苦しい時に

2015-01-13 22:26:13 | 日記

友人から、どうして何事もなく行く人と、次々困難が来る

人といるんだろうと聞かれ、ふとキュブラーロスの言葉が

思い出されました。

癌になって死が迫っていた子どもが、ロス先生に

どうして自分は癌になったんだろうと聞いた時、

キュブラーロスは、「神様は小学生の子に中学生の

問題は出さないわ。」と、こんな風に答えていました。

ロスの本を読んでいた時は、私は亡くなった息子の

姿を追い求めていた時でした。

苦しい中で、神様は子に先立たれるという難問を

私が乗り越えられると思われたんだろうかと、

神様、見込み違いです!と言いながらも

キュブラーロスの言葉に支えられていた時期が

あります。

初女先生は、「苦しい時は、自分が刷新されている

ときです。

そして、苦しい時には、あぁ、刷新されて

いるんだ」と思うと、ずいぶん慰められる気が

します」と言われています。

友人に「神様は見込み違いをしないから」と

伝えなくては…

 

 

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