~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

深い映画(楽園からの旅人)

2013-08-31 13:02:04 | 日記
先日、久し振りに岩波ホールへ行き「楽園からの旅人」という映画を

観てきました。

偶然にも、小さな森東京のYさんご夫妻と、こもれびのスタッフの

Nさんともお会いし一緒に観ました。

何とも深い映画で、観終わった時の感想は

「うーん、よく分からない」でした。しかし、何かを心に残された

気がして、珍しくパンフレットなどを買いました。

観た時の未消化が、時間が経つと少しづつ発酵して来たのです。

82歳の監督が、全生涯をかけて放った祈りのような作品でした。

観てすぐに分からなかったのは、私の未熟さゆえにだった

ようです。

エルマノ・オルミ監督は映画を通して祈り、初女先生は

おむすびを通して祈る…

共に、礼拝というかたちではありませんが、この祈りの深さが

私たちが、これから生きていく道を指し示してくれているような

気がしました。

 地球の発熱を思わせる、異常な暑さ。

そして、この地に起こった大震災と原発事故

誰もが、一昔前の様に、昨日の続きに今日があり

そして、当たり前のように明日が来るとは、思えない事が

起こっています。

何となく生きていける時代ではなくなっているのかも

しれません。

その中で、この今をどう生きるのかを、82歳のエルマノ監督と

91歳の初女先生が動の祈りの中で、示して下さって

いるのかもしれません。

この映画には「通り抜けること」「渡りきること」という

ギリシア語の副題がついているそうです。

パンフレットには『これは(この副題は)この映画の

ストーリーそのものである。

一体我々は、これからどこへ行こうとしているのか

いま何を通過しているのか。ここを脱し切った時

どこへたどり着くのか。現代人の不気味な運命を

超えた先をも示唆している様に思われるのである。』と

書いてありました。

出来たら、もう一度観たい映画です。



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有りえへん

2013-08-29 20:07:15 | 日記
毎回、これが最後という思いで、初女先生の講演会をやって

きましたが、最後が5回も続き今年は5回目の

「初女さんと結ぶ心のおむすび」を迎えます。

こんなに続けることが出来たのは、初女先生はじめ、支えてくれる

人達のお陰です。中でもスタッフの皆のチカラは大きいです。

「スタッフの人は、参加費を出すんですか」と聞かれ

「私も含めスタッフは、参加される方と同じだけ払って

います。」と答えて、これは『有りえへんことだ!』と、

思いました。

みんな持ち出しているので、ちょっぴりの割引はありますが

この「有りえへん」ことを、気持ちよくやってくれる

スタッフがいるということが、5回も続けられたことに

繋がったんだと、改めて感謝の気持ちで一杯になりました。

初女先生の『本当の奉仕とは、時間が余ったからとか

必要がないからといって差し出すのではなく、

最も大切なことを捧げること』というお言葉を心に

一つひとつ丁寧に心を込めて準備をしていこうと

思いました。



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噛みしめる言葉

2013-08-27 22:26:56 | 日記
初女先生の「天国は、はるか向こうにあるのではなく、

喜びや悲しみ、苦しみ、すべて含めて「今、ここ」が天国だと

思うのです。」というお言葉をずっと噛みしめていました。

悲しみや苦しみがないのが幸せで、天国とはそういうものが一切

ないものだと思ってました。

それが、すべて含めて「今 ここ」が天国とは…

真に受け入れるとは、そういうことなのでしょうか

私にはまだわかりません。

ただ、初女先生の「幸せになるためには、今の状態に満足すれば

いいだけなのです。」というお言葉に、「今 ここ」が天国が

繋がるのだと思うのです。

きっと、苦しみも悲しみも在る今の状態に満足すると

いうことなのでしょう。

あまりに深いお言葉に、今は立ちつくしてしまう私ですが

初女先生のお言葉は、体験の中から生まれてきたものなので

真実なのだと思います。

私が、「そうかそういうことだったのか」と、このことが

すとんと心に落ち、納得できた時に、目の前の景色が

一変するのかもしれません。

その日まで、この初女先生からの宿題を胸に

今、 今 、今を生きよう
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好き嫌い

2013-08-26 21:17:11 | 日記
以前、老人の介護の仕事をしていた時、食の好き嫌いのある人は

人に対しても好き嫌いがあるのではないかと、思ったことがあります。

でも、これと言った根拠があるわけではなかったのですが、

初女先生の本の中に、同じことが書いてあったのです。

「食べ物の好き嫌いの激しい人は、人に対しても好き嫌いが激しく

なんでもこだわりなく食べる人は、人に対しても寛大です。」と

書いてありました。

知り合いの若いお母さんは「この子は、食べたことのないものは

食べないの」と、当たり前のように言うのです。

先日、NHKで子供が手を掛けても朝食を食べないので、

カップにお湯を入れ、チュウブに入った味噌を入れ、

その中に、プチトマトとポテトチップを入れたら喜んで

食べたので、そんなに手をかけなくていいんだと思ったと

言っていたのには、驚きました。

保育園で働いていた時、朝の忙しいお母さん達は、子供が

喜んで食べるからと、菓子パンなどはいい方で、

朝食がジャガリコという子もいました。

先生の講演会の時、子供が添加物の入ったものが

好きなんですけれど、どうしたらいいですか?という質問に

先生が「添加物より美味しいものを作って下さい」と

答えられたのを、今でも覚えています。

子供が小さかった時、ほうれん草を食べさせるのに、なんで

こんなに色々作らなきゃいけないのと、思うほど手を変え品を

変え、作ったものです。

その甲斐あってか、息子は好き嫌いがほとんどありません。

子育て中のママ達が、食べ物の好き嫌いが人の好き嫌いにも

繋がると知っていたら、食のことをもっと大切に考えて

くれるかもしれません。

やっぱり、何があっても「食はいのち」なのです。

私達は食べなければ生きていけないのです。

だから、何をどのように食べるかってことに、もっと心を

傾けなくてはと、思いました。

「美味しい!」と感じると、いのちが喜ぶのですから…
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初女先生の言葉

2013-08-25 22:39:44 | 日記
先生の本を開いていると、ふと見つけた言葉が深く心に響き

忘れられないものになっていきます」。

今日もまた、そんな言葉と出会いました。

  『よく真実に生きるといいますが、真実に生きるとは

   出会う一人ひとりを大切にして、小さいと思うことを

   大事にしていくことではないでしょうか。

   一日一日新しい気持ちで迎え、その日を終えるときには、

   すべてやり終えてたと思えるように、力を出し尽くす。

   一生はその積み重ねです。』

私は、真実に生きるとは、真っ正直に生きることだと思って

いましたが、先生のこのお言葉にはっとしました。

初女先生のお言葉は実に具体的で、そのまま生活に結びつくの

です。

「力をつくす」ではなく、「力を出し尽くす」というところに

先生の生き方が見えてきます。

もう一つ、はっとしたお言葉がありました。


   『 天国は、はるか向こうにあるのでなく、喜びや悲しみ

    苦しみ、すべて含めて、「今、ここ」が天国だと

    思うのです。』

悲しみや苦しみがないのが天国だと思ってましたが、すべてを

含めた「今 ここが天国」なんですね。





































































   




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祈りが届きました

2013-08-23 23:22:15 | 日記
初女先生のチラシが届いた方から、先生の祈りが届いたという

お手紙やメールが届きました。

チラシを送る時、どうしても折って封筒に入れることが出来ず、

1枚送るのもA4の封筒に入れて送っています。

このチラシを大切に届けたいと思うからです。

質素な部屋の片隅で、一心におむすびを結ぶ初女先生

そのお姿からは、静寂と祈りと孤独が見る者の心に、真っ直ぐに

入ってくるのです。

見ているだけで、こちらの姿勢は正される気がします。

自分が清い心を持って、この講演会に携わらなければ

先生の祈りを汚してしまうような、そんな気持ちになるの

です。

先生の祈りを心を込めて届けていきたいと、強く思いました。

「おむすびの祈り」を届けたいと…
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昨日より今日が…

2013-08-22 23:02:51 | 日記
今日、スタッフの人から「昨日より今日、今日より

明日がちょっとだけよくなるようにと、初女先生がおっしゃった

お言葉を胸に前に進んで行こうと決めました。」と書かれた

メールを受け取り、あー初女先生はそうだ!そういう生き方を

なさっている、そうやって91歳まで生きて来られたんだ!と

先生の凄さを改めて感じました。

そしていつも、全力で向かわれている初女先生です。

サインされる先生の丁寧さを見たら、誰もが驚き、そのお姿に

先生の生き方を感じるのです。

サインを待って並ばれていた方が、申し訳ないとそっと本を

しまい、握手だけして帰られる人がいつも何人か

いらっしゃいます。

先生と握手された方は、握手ではありません。祈りですね。

と言われ、涙ぐんで帰って行かれたり…

ある時は、握手に長蛇の列が出来、終わった時には先生のお体が

傾いてしまったこともあるそうです。

先生が、「もうこれ以上出来ないというところまでするの」と

言うのを聞いたことがありますが、高齢な先生がそこまで

しなくてもと、思いましたが、その行動が心に響くもの

となるのですね。

先生の言われる「動の祈り」とは、容易いことではありません。

生活すべて祈りと言われる先生の自己に対する厳しさは

言葉では言い表せません。

「昨日よりは今日、今日よりは明日がちょっとだけよくなる

ように」この言葉にはっとしました。

私の中にいつの間にか、自己のマンネリ化が起きていて

それに気づかない自分がいたからです。

初女先生の講演会に携わると、いつもよりずっと先生のことを

考えることが多くなります。

そうすると、ご褒美のように気づきが与えられるのです。

スタッフさんが送って下さった先生のお言葉、私も胸に

刻んで進んで行きたい…



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百合の花に教えてもらったこと

2013-08-21 23:23:29 | 日記
何年前からだろうか、側溝のわずかな土に毎年百合の花が

咲くようになりました。

鳥が運んで来たものかもしれません。

蕾をつけるまでは、雑草かしらと思うほどひっそりとして

いるのですが、ある日突然はっとするような真っ白な花を

咲かすのです。

ところが、今年は蕾はつけたものの、この暑さと雨がないので

花を咲かさないうちに枯れそうになっていたのです。

末期の水とボールに水を汲んで来てあげると、翌日みごとに

咲いたのです。

今にも枯れそうだったのに…

たった1杯の水が花を咲かせる力に繋がったのです。

ふと、人もそうかもしれないと思いました。

絶えず降り注ぐ愛がなくても

ここ!という時に、愛を感じると生きていける

初女先生は、その「ここ!」という時に思いを寄せ愛を

注いで下さる方です。

どんな状態にあっても、その存在を丸ごと包み込んで

下さる方です。

百合に花は、側溝のわずかな土に、なんの不平も言わず

花を咲かせています。

いのち一杯生きるということを、百合の花に教わった

気がしました。

いのち一杯、私は生きているだろうか…






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祈りのうちに…

2013-08-20 07:13:30 | 日記
昨日、初女先生から届いたFAXを読むと、一時の休みも無く

働かれている先生のご様子が伺われました。

こんなにお忙しい先生に来て頂くことに、自分の姿勢を問われる

思いがしました。

8月11日から、講演会の受付を開始しましたが、いつもと少し

違うのです。

去年は、あっという間に一杯になってしまい、チラシ出来あがった

時には、そのチラシが殆んど配れないという状態でした。

今年は、とてもゆっくりなペースなんです。

なんでだろう?初女先生を必要とされている方は、たくさんいるのに

と、思った時に気が付きました。

私たちスタッフの祈りが足りないと…

昨日届いたチラシを見て、先生の祈りを届けなければと強く

思いました。

それには、私たちスタッフが先ず祈ることが大切!

初女先生を必要としている人のもとに、このチラシが

講演会のお知らせが届きますようにと、祈りながら

行動すること!そのことが足りなかったと、はっとしました。

初女先生は「今を生きて下さい」と言われています。

でも、先生の著書「おむすびの祈り」にサインされる

お言葉は、もう一歩深く

  「祈りのうちに 今を生きる」です。

「おむすびの祈り」の講演会とやろうとしている

私たちスタッフは、講演会に繋がる一つ一つのことを

祈りの中でやって行かないといけないと、思いました。

いつもと違う、ゆっくりペースのお申し込みが

私達に、先生が一番伝えたいことを教えてくれていたのです。

「祈りのうちに今を生き」それが「おむすびの祈りに」に

繋がっていくことを信じて進んで行きます。

そのことが、よく響き合える森のこもれびのスタッフだから…

初女先生、心を尽くし準備をして皆さんをお迎えしますから

きっときっと響き合う1泊2日になると思います!

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祈りが届くチラシ

2013-08-19 14:58:14 | 日記
今日、講演会のチラシが届きました。

包みを開ける時の緊張かは、何とも言えないものがあります。

チラシと対面した時、息を飲む思いで、じっとチラシを見つめて

しまいました。

初女先生の祈りが届いてくるようなのです。

この写真をじっと見ていると、馬小屋でイエス・キリストを

お産みになったマリア様が浮かんで来るのです。

質素な部屋の片隅で、一心におむすびを結ぶ初女先生

先生の「動の祈り」を、切り取ったような写真です。

見ているだけで、心が落ち着き、全ての人が初女先生の

祈りの内にあるように思えるのです。

初女先生を必要としている方のもとに、このチラシが

届くことを祈りながら準備をしていこうと思いました。

この写真を見たら、先生のおむすびがどんなに深いものかを

きっと分かって頂けると思いました。

そして、私達がやろうとしている講演会がイベントでは

ないことが、伝わると思いました。

この夏、一緒にイスキアに行った友人から手紙が来ました。

『私は、困った時の神頼みとか、正月の神社へのお参りくらいで

お祈りしたことがありません。

マリア様も十字架も他人事で興味は全くありませんでした。

でも、イスキアに泊まって、先生の作って下さったお食事を

頂き、お話を聴いてもらって、教会ではないけれど

あそこには、マリア様がいらっしゃるんだ…

いつでも迎えて下さるんだ…と気づいた時には、涙が

溢れてきました。』と、書いてありました。

私は、初女先生がいらっしゃるイスキアの存在を、改めて

感じることが出来ました。

先生の祈りをこのチラシにのせて届けたいと思いました。

(ホームページにもチラシを掲載してます。

但し本物の方がいいのが残念です!)

先生の祈り、お届けいたします!

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