今日の”こころの時代”は、作家の
高史明さんでした。
私が子どもを亡くした後、最初に行った
講演会が、高史明さんでした。
高さんは息子さんを自死でなくされています。
「ぼくは12歳」という息子さんの詩集を
私は独身の時に買って持ってました。
私の息子は自死ではなかったけれど、
高さんの息子さんのことが心に浮かび、
高史明さんに会いに行ったのです。
高さんは「生きることの意味」という本を
出されて、その半年後に一人息子さんが
12歳で自死したのです。
息子の死によって人生が変わり、親鸞を
随分読まれたそうです。
高齢になった高さんが、やはり息子さんの
ことを語っていました。
息子さんに導かれての人生なんだな~と
思いました。
人は誰でも死にます。
でも、子どもの死というのは、大きな意味を
持ち、親の生き方を変えます。
私も子どもに導かれ、今があります。
うちの子は、私を育てるために命をかけて
くれたのかな~と思うことがあります。
高さんの息子さんは、自分が信じられないと
言って、亡くなったそうです。
私は今、「自分を信じて」と言っています。
何だかすべてが繋がって、別々じゃないと
思えるのです。
高さんの息子さんとも私は繋がっていると…
『ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
“じぶんじしんだから”』
『じぶんじしんの
のうより
他人ののうの方が
わかりやすい
みんな
しんじられない
それは
じぶんが
しんじられないから」
岡真史(ぼくは12歳)から』