今日、「こころの時代」で田中雅博さんの
『僧医いのちの苦と共に』という番組が放送されて
いました。
田中さんは、僧侶であり医師であり、自ら末期がんを
抱えながら、患者さんや多くの方と向き合って
来られた方で、70歳でお亡くなりになったそうです。
その田中僧医の言葉が今も私の心に響いています。
『「先生」というのは、先に生まれると
書きますが、「先死」(せんし)は先に死んだ人に
多くのことを学びます…』
「先死」という言葉を初めて聞きました。
私は、息子が亡くなった後、親より先に子供が
死ぬのは一番の親不孝だという言葉に、どれ程
傷ついたかしれません。
その度に「うちの子は親不孝ではありません」と
絞り出すように言っていましたが、打ちひしがれる
母親の私を見て、親不孝の意味するところを
あらためて感じた人もいたと思います。
「先死」である息子の死は、尊い出会いを
もたらしてくれました。そのことが私の生き方を
運命を変えていったのです。
私は、その時死から学ぶことの深さを知りました。
田中僧医は、(死と向き合った時)それぞれの
生き方が、それぞれの宗教になると言われて
いました。
誰もに平等に与えられている「死」なのに
私たちは、自分は「死」とは圏外のところにいる
という意識を、どこかに持って生きています。
ある医師が、自分が病になるなら、肝硬変より
癌の方がいい。癌は時間があるからと言って
いました。
田中僧医も癌は時間が与えらると言われてました。
ご自身もすい臓がんであったそうです。
田中僧医は、患者さんの話を聴く「傾聴」が
とても重要だと語っていました。
初女先生も「森のイスキア」の活動の前は
死を前にした人の傾聴をされていたと聞きます。
死を考えることは、生を考えることになるの
ですね。
「先死」 先に逝った人たちの声に耳を傾ける
大切さを、今日あらためて感じました。
死とは姿かたちの別れであって、無くなる
ことでは、決してないと私は思っています。
「いのち永遠にして」ですから…