テレビで辰巳芳子さんが出ていました。
辰巳芳子さんの言葉を聞いていたら、初女先生と
重なるところが、随所にありました。
食と向き合うとは、そういうことなのかと
改めて思いました。
『いのちを繋げて「食」を考えないと!
だから、簡単なことではありません。
家庭料理とは、時間と手間をかけ、家族の愛と
いのちの愛をかたちにするのです』
初女先生も「食はいのち」と共に生きてこられた
方です。
おむすび講習を受けた人が、すぐに「初女さんの
おむすび」と言って教えてしまうと、先生は
「そんなに、簡単なことではないんだよ」と、
淋しそうな顔をして言われます。
辰巳さんは「米と日本人は離れてはならない。
米は他の穀類とは違う」と、言われていました。
初女先生も講演会の冒頭で「日本は瑞穂の国と
言って…」とお米のことを、よく話されていました。
本当にお米とは、不思議な食べ物です。
毎日、毎日ご飯を炊くのに、毎日違うし、だから
蓋を開ける前は、いつも「今日のご飯は、
どんなだろう」と、どきどきするのです。
米の浸水も気温によって違ってくるし、ご飯が
炊き上がり蓋を開ける時は、祈るような気持ちが
自然に起ってくるのです。
ふっくらと炊き上がった時は、それだけで幸せな
気持ちになるし…
この国では、遠い昔から神事に米を供えて
来たのがよくわかる気がします。
きっと、生きることと直結して、「食はいのち」が
農耕民族の日本人の中にあったのだと思います。
今、米の消費量が減った上に、安い輸入米に押され
米農家が、米の生産で食べていかれなくなっています。
瑞穂の国に生まれた私たちが、こんなにお米を
食べなくなり、大切にしなくなったら、祖先から
受け継いできた農耕民族の心が、無くなってしまう
ような気がします。
外国人は、ご飯が味がないと言います。
この微妙な甘みがわかり、美味しいと思えるのは
米を食し、大切にしてきた日本人だからです。
辰巳さんは、毎日の調理を「単調な繰り返しだから
内面的なものをもたないと、やっていけない」と
語っていました。
本当に、直ぐに楽なほうに行こうとする自分が
います。
米について考えるだけでも、何かが変わってくる
気がします。
いくらパン食が増えても、私達の体の中には
農耕民族のDNAが歴然とあるはずですから…