~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

ちょっといい映画

2012-05-31 23:48:10 | 日記
久し振りに一人で映画を観に行きました。

WOWOWに入っているので、ちょっと待てばテレビで観れてしまうので

とんと映画館に行かなくなっていました。

それが、いいのか悪いのか…

それでも、観たいなーと思った映画が「ファミリーツリー」でした。

アカデミー賞の脚本賞を取った作品です。

ハワイが舞台で妻がボート事故で昏睡状態に陥り、完全に崩壊

していた家族が浮き彫りとなり、主演のジョージ・クルーニーが

滑稽なほど真剣に父親に夫になろうとしていく…

そして、やがてこの家族がファミリーツリーとなっていくのです。

観終わった後、温かい気持ちに包まれた気がしました。

家族というものを考えさせられた映画でした。

人生を左右させるような大きな問題が起こった時、その時

家族は今まで以上に強い絆を結ぶか、そのことにより崩壊して

しまうか、大雑把ですが二つに分かれるような気がします。

子供を亡くした後に、離婚する夫婦も多々あるそうです。

強く結び付くか、バラバラになるか、この分かれ道は

どこにあるのでしょうか…

この映画は、朽ち果てていたファミリーツリーが、大地に根を張り

新しい芽が出たことを感じさせてくれました。

なぜ?と思った時に、この父親は逃げなかったからだと思えました。

とことん、苦しい現実と対峙し行動していたのです。

生きているとは、自分の人生にこんなことが起きるわけがないと、

思うような現実が立ちはだかってきます。

その時、どんなに苦しくてもそのことから逃げず向き合うことが

出来るかが、人生の分かれ道になるのかもしれません。

たとへマイナスと思われる結果になったとしても、どれだけ

真剣に向き合えたかが、生きて行く上で大きいし、大切な事だと

思います。

歳を重ね、ふと自分の人生を振り返った時に、温かい気持ちに

なれたらいいなーと、「ファミリーツリー」を観て思いました。

そして、やっぱり映画は映画館で観るのがいい!と…




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おむすびに支えられて

2012-05-30 07:42:59 | 日記
先週は、しんどい一週間でした。

23日に母の手術があり、24日に叔父が亡くなりました。

母の手術は、いのちにかかわる様なものではなかったのですが

姉と待っている間、、何となく落ち着かず、朝作って来た

おむすびを二人で食べたら、すとんと心が落ち着きました。

姉が小さい声で「美味しい」と言ってくれたのを聞いた時

こういう時は、やっぱりおむすびだなと、改めて思いました。

叔父の葬儀に向かう、新幹線の中で「何か食べておかなきゃね」と

おむすびを姉と食べました。

姉がまた「美味しい」と言ってくれました。

何だか、私たち二人をおむすびが支えてくれているようでした。

おむすびは、空腹だけでなく心も中も満たしてくれる力が

あるようです。

「結ぶ」という行為の中に、作る人の心が一緒に結ばれていくので

しょうか…

葬儀で会った福島の叔父が「佐藤初女さんの本を読んで、テレビも

観たけど、あの先生のおむすびってそんなに美味しいのか」と

聞かれて、「美味しいのはすごく美味しいけど、、でもそれだけじゃ

なくて…」と、大切な事を伝えられませんでした。

おむすびを食べた時に、「ごはんが口の中ではらはらとほどけた」と、

初女先生のおむすびを表現してくれた、雑誌がありましたが

初女先生の思いが、静かに心に降りて来る時と同じだなと、

思いました。

初女先生の生き方が、あのおむすびになっているような気がします。

先生のおむすびを食べて自殺を思い留まった若者は、

あの一つのおむすびの中に、初女先生の心と生き方を感じた

からではないでしょうか…

私たち姉妹にとっての、しんどい一週間でしたが

大変な時を、おむすびに支えられて乗り切ることが出来ました。

自分でも、以前より少し美味しく結べるようになったかなと、

思えました。

姉の小さな「美味しい」が、嬉しかったおむすびでした。




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清め塩

2012-05-28 22:40:23 | 日記
叔父の訃報が突然飛び込んできました。

若い時から病気と共に生きて来た叔父であったが、それでも私たちに

とっては、突然の旅立ちでした。

叔父は実家である私たちの家から、大学に通っていたので私にとり

他の親戚とは違い、小さい頃の思い出には叔父の存在がいつも

どこかにありました。

訃報を聞いて、姉と静岡まで飛んで行き最後のお別れをして

きましたが、悲しくて悲しくて…

一緒に暮らしたとはこういうことなんだと、初めてわかりました。

共に食したということは、どんなに時間が経ち離れていても

心に刻まれる存在になっているということなんですね。

叔父の最初の教え子という方が、「早稲田大学を卒業した

新進気鋭の先生は、農業高校の夜学という一番貧しい僕達に

本当に親身になって接して下さった…」と言うのを聞いて

叔父の優しさに再び出会った気がしました。

 姉が新幹線の中で、朝出掛ける時に義母さんが忘れると

いけないからと、お清め塩をもう玄関に置いたというのを聞いて

私は、お清めというのはどうも釈然としないので、昔から

葬儀から帰ってきても、そのまま家に入ることにしていました。

清めるということは、葬儀が不浄ということになってしまう

気がするからです。

今朝、ご会葬の御礼の葉書を読んだらこんなことが記して

ありました。

【清め塩】 生前親しんだ方の葬儀で何か清めなくては

いけないものがあるのでしょうか

大切な方とのお別れです 清め塩は使用致しません


この文章を読んだ時

因習というものが、変わっていくことを実感できた気が

しました。

創の葬儀の時も、こなふうにきっぱりと書きたかったなと

思いつつ、ちょっと嬉しい発見でした。



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祈りの心 木下 晋(すすむ)

2012-05-26 21:36:07 | 日記
知人から、平塚美術館でやっている木下晋展は是非行くようにと

メールをもらいました。

実は木下晋なる人物は名前すら知りませんでした。

でも、なぜか気になり先月、見逃してしまったジャクソンポロックの

ような後悔はしたくないと思い、見たことも聞いたこともない

木下晋展に行きました。同時開催の棟方志功展とダブルチケットで

両方が観れるのですが、私は先ず木下晋展に…

一歩足を踏み入れ、黒と白の鉛筆だけの絵を観た時の驚き…

そして、合掌図前に立った時、震える思いがしました。

木下晋の絵を観ながら、私の口は勝手に「参った、参った」と

口走っているのです。

何が参ったのかと、自分に問うてみると、私は人間に参った

と、思ったのです。

木下晋のモデルは

瞽女の小林ハルさん、ハンセン病の桜井哲夫さん、木下晋の母…

みんな深い孤独と苦しみの人生を歩んできた人です。

闇が闇で終わらず、闇から放たれる光がそこにあるのです。

瞽女のハルさんは、木下晋から「生まれ変わったら何になりたい

ですか」という質問に「そんなことがあるなら、虫でもいいから

目明きで生れてきたい」と答え、ハンセン病で顔という言葉を

口にするのもはばかれるほどの形相の、桜井さんは「自分は

らい病の犠牲者と思ったことはない。むしろらい病という

衣装を身にまとうことができたおかげで、今日まで生きて

これた」と言っています。

深い闇から放たれる光、その光を木下晋は感じとっているの

だと、私には思えました。

祈りの全てを合掌する手に表現した「祈りの心」は、心の奥底に

降りて来る深い祈りです。

人は胎児の時からすでに合掌し、死して合掌し旅立っていきます。

宗派を超えた根源的な祈りの姿、それが合掌なのだと木下晋の

絵は語っていました。

私は美術館を後にし、駅に向かう途中も、電車のなかでも

「参った…」を繰り返していました。

木下晋の絵に、魂を震撼させられたようです。

ダブルチケットの棟方志功には寄らずに、帰りました。

会場の出口に「5月27日(再放送は翌週)の日曜美術館の

木下晋の番組を観たら、また来たくなるはずです」と

書いてありました。

私の心を震撼させた木下晋とは、どんな人物なのだろう…

(27日朝9時NHK教育 観て下さい)
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寝顔

2012-05-24 19:47:13 | 日記
息子に、1時限目遅れたらヤバいんだ、絶対に起こして!と懇願され

てたので起こしに行くと、目覚ましの音もなんのそので、熟睡して

いました。

アトピーが痒くて、なかなか眠れないと言っていたので

健やかな寝顔を見て起こすのをためらっていたら、小さかった頃の

寝顔が思い出されました。

 昼間喧嘩をしていた創が、弟の寝顔を見て思わず「お母さん

大地、可愛い顔して寝てる」と言い、二人で小さかった弟の寝顔を

暫らく見ていた、そんな思い出が急に立ち上がってきました。

今、思い出しても胸がぽっと熱くなる幸せのひと時でした。

あの時は、そんな幸せはずっと続くものだと思ってました。

すべてが当たり前のように通り過ぎていました。

幸せのかけらを、見過ごして大きな幸せを求めていたのかも

しれません。

こんなふうに、ふいに立ちあがってくる思い出は

一番身近にある、幸せのかけらを拾い上げてくれます。

当たり前のことなど、何もないなかもしれない…

そう思うと、感謝の心が少しだけ深くなる気がします。

ちょっと優しい気持ちになって、優しく起こしていたら

息子は全く起きず、「もう起こさないから!」の捨て台詞

を息子に投げつけてしまいました。

「まったく、もうお母さんは…」という創の顔が浮かびます。

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佐藤忠良さん

2012-05-22 23:18:42 | 日記
今週の「日曜日美術館」で、佐藤忠良さんの再放送がありました。

再び、佐藤忠良さんの言葉と出会いました。

「強い人は優しい」

初めて聞いた時も心響いた言葉ですが、今また、さらに深く響いて

います。

初女先生は、震災の後「これからは自分で判断し行動して

いかなければ」と、言われていました。

これは弱い心では出来ない事です。

震災の後、誰もが立ちどまり自分の生き方を見つめたと思いますが

これからは、本当の強さが必要となる時代がきたのだと思います。

本当の強さとは、強じんな強さではなく、しなやかな強さだと

私は思っています。

初女先生は、本当に優しい方です。そして本当に強い方です。

佐藤忠良さんの「強い人は優しい」という言葉は、

初女先生そのものです。

彫刻家として、人の顔を見つめ続けて来た佐藤忠良さんは

「顔が、人が咲かせる花なのだ」と言われています。

先日、イスキアのスタッフの人が、雑誌に載った先生が

すごく綺麗だからと、教えてくれました。

お会いする度に、先生の透明な美しさに感動してしまいます。

忠良さんの言葉に「そうか、顔は人が咲かせる花なのか」と

初女先生のお顔を思い浮かべ納得しました。

誰かが言ってました。

イスキアのマリア様と…



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天からの贈り物

2012-05-21 22:01:06 | 日記
今日の金環日食を観る為に、昨日外出した息子に日食グラスを

頼みました。

息子からの何個?というメールに、お父さんもいるから3つと書いて

何気なく、いくら?と送ったら、何と1480円との返事が…

慌てて「1個!」と返信しました。

こんなに高いのだから、サングラスの様なものを想像していたら

厚手のボール紙で出来ていたので、私が「これはぼったくりだよ」

と言うと、息子が「仕方ないだろ何十年に一度の稼ぎ時だから」と

私は前日の日曜に、太陽の位置を確かめに日食のおこる時間に

外へ出てみました。内心では海に行かないとダメかと思いつつ…

そうしたら、玄関をでたらもう太陽が見えたのです。

その時初めて、太陽は星と違ってどこからでも見えると分かった

のです。

日食グラスを祭壇にお供えして(何でもお供えするので)

わくわくして寝ていたら、明け方に雨の音か聞こえてきたのです。

6時ぐらいは曇天で、日食の時間が近づいてきたら、雨が降って

きたではありませんか、日食グラスはお供えだけで終わって

しまうのか…「そんなの嫌だ!」と私は何度も雲の様子を

見に、外へ飛び出しました。

息子も主人も呆れて、「もう諦めろよ!」と諭すのですが

私は「雨になんか負けないもの!」と時計と空を

にらめっこしてました。

そうしたら、奇跡のように雨が上がって光がさしてきたのです。

日食グラスで太陽を観たら、光の輪が見えてきたのです。

自分の目で見るのは、どんな写真よりも感動的!

光を直に感じることのできる感動が、そこにはありました。

1個の日食グラスを家族3人で使いまわし、こんなところに

ささやかな家族の絆を感じたりして…

私たちの頭上にある宇宙を感じた時、何か大きなものに

守られているような気がしました。

そして、人間同士争ったり傷つけあったりすることが、

どんなに愚かな事かと思えました。

宇宙の壮大なドラマに感動した私たちは

「日食グラスの元とったよね。やっぱ、買っておいて

よかったよね」と、家族全員納得でした。

使い終わった日食グラスはまた、祭壇にお供えしました。

18年後も使えるかしら?

近所のおじいちゃんは、サングラスの2枚重ねで観たと、

老人力はすごい!

一日中感動していた今日という日でした。

日食の時間に雨が上がり、雲がきれたのは

これはきっと、天からの贈り物?
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マザーテレサ

2012-05-19 23:58:25 | 日記
初女先生の講演会をする時に、行政に後援申請に行くと

先ず聞かれるのが「何をしている人ですか」です。(役所の人は

初女先生もガイアシンフォニーも知らない人が多いのです)

先生のことを説明すればするほど上手く伝わらなくなって…

カウンセラーですか?エッセイスト?料理研究家?

役所の人の求める答えは、どれも先生から遠く離れていて

私は、思いあまって「マザーテレサのような方です。」と言うと

すぐに納得され書類を受け取っもらえるのです。

これって何なのでしょう…

マザーテレサと聞くと、誰もがマザーの献身的な愛を思い

浮かべるからでしょうか…

私もマザーテレサのことをよく知っているわけではありませんが

初女先生の愛とマザーの愛が繋がっているような気がするのです。

でも、勝手にマザーテレサなんて言ってしまっていいのかしらと

思うところもありました。

ところが、今日買った雑誌の表紙に

「日本のマザーテレサ 佐藤初女」と書いてあったのです。

やっぱり、初女先生はマザーなんだ!と思ったら嬉しくなって

しまいました。

先生のページを開くと「日本のマザーテレサ 佐藤初女さん

いのちのおむすび 食べることは生きること」と書いてあり

この短い言葉に先生のすべてが凝縮されているようで

何度も読み返してしまいました。

先生のひろげた掌についている3粒のご飯粒の写真には

「手に着いたご飯粒をひとつひとつ丁寧にとって、

おむすびにつけて、また握る。その作業は詩的でさえある」

というコメントが添えられていました。

 「初女さんのおむすびを口にした。口の中でご飯がはらはらと

ほどけた。」

そして、その後に続く先生の言葉

「ご飯の一粒一粒が呼吸しているのがわかるでしょう?」

もう、この文章を読んだだけで、一生に一度でいいから

初女先生のおむすびを食べたいと思う人が、どれだけいること

でしょう…

11月の三浦の講演会、そして「おむすび講習会」に向けて

私は心が洗われていくような気がし、本当に丁寧にやりたいと

思いました。

初女先生の「私は調理するときは、食材とのいのちと心を

通わせるようにしているの」と言う言葉に、やっぱり

初女先生は日本のマザーテレサだと思いました。

この雑誌の題もしゃれてました。

「嗜み(たしなみ)」

日本人が忘れていた言葉です。







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心を繋げていれば…

2012-05-18 07:53:09 | 日記
出会いの中で、突然交流が途絶えてしまうことがあります。

私が、逗子で初めて初女先生の講演会をやる時に、背中を押して

くれたOさんとの交流も、ある日を境に途切れてしまいまた。

そのことが気になり、時々Oさんのホームページを検索してました。

ずっと更新されてないと、どうしたのかしら?と思い気になり

そのうちホームページが開けなくなった時は、体調を崩して

いるのではと、心配になりました。

交流が途絶えてしまった原因は、きっと私にもあったのでしょう。

気になりつつ、一度横浜の初女先生の講演会のお知らせを

差し上げただけで、そのままにしていました。

それが、昨日思わぬことに、その方から連絡を頂いたのです。

やり残していた、ガイアシンフォニーの7番の上映会を

やろうと思ってと…

ずっと動き出せずにいたけれどと、話してくれるOさん声が

明るかったことに、安心と嬉しさがこみ上げてきました。

電話を切った後に、初女先生のお言葉が思い出され、

やっぱり、初女先生のおっしゃる通りだ!と思いました。

   「今はつらい関係だとしても、つねにこころを通わせて

   いると、いずれ新たに出会い直すチャンスが巡って

   くるはずです。

   わたしはそう信じて、ただ静かに時を待つことにしています」

                 佐藤 初女 
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期間限定

2012-05-16 17:19:24 | 日記
新聞の読者が投稿した川柳に、こんなのがありました。

   「人間も期間限定で生きている」

当たり前のことなのに、言葉になると「そうか、期間限定なんだよ」

と、あらためて納得するのはなぜでしょう…

分かっているのに、どこかエンドレスの様な錯覚をして生きて

いるからなのでしょうか…

でも、自然災害がどこにいても起こりうることを知り、

多発する事故に、人間に良心があることを忘れさせるような

痛ましい事件…

新聞を開いて、生きている方が不思議かもと思う事もありますが

直に、期間限定のいのちであることを忘れてしまいます。

期間限定のいのちの期限は、神様しか知りません。

私達は、夜眠りにつき、朝目覚めるのが当たり前って思ってますが

それって、きっとすごい事なんですよ。

内村鑑三は、毎朝「復活」と思って目覚めていたと聞いたことが

あります。

初女先生は「体が、もう80年以上も

少しも休まず働いてくれていると思うと、本当に「ありがたい」

という思いで一杯になるのです。」と書かれています。

私たちは、自分のいのちの期限はわかりませんが

でも、期間限定のいのちを生きているということを心に留めて

おかなければ…


     すべてが今この瞬間に

         あると思うから

     刻まれるこの時間を大切にする

                    (佐藤 初女)
               
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