~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

鐘を鳴らすのは

2012-07-30 21:53:08 | 日記
初女先生の講演会をやろうという、原動力になっているものは

亡くなった息子の写真を見せた時に、先生の頬を伝わった涙…

あの涙を見た時、私の抱えて来た悲しみや苦しみを全て受けとめて

もらえたと、思ったからです。

それから、私は立ち上がれたのです。

人は、世の中にたった一人でいいから、自分の苦しみを受けとめて

くれる人がいたら生きていけるんだ!と思えたのです。

だから、一人でも多くの人に初女先生に出会って欲しいと思い

講演会をしています。

「泊りもいいよね。」という先生のお言葉に背中を押されて

去年は、宿泊の講演会になりました。

そして、「泊りは深いから」という先生のお言葉に、勇気を

もらい、今年もまた宿泊講演会!

さあ、どんな出会いがあるでしょう…

毎回、これが最後と思ってやっています。


  「光りあるものは 光りあるものを友とする」

日めくりの暦にあった昨日の言葉です。

初女先生という、大きな母性の光

その光のもとに、どんな人が集まって来るのだろう…

今から胸が高鳴ります。

  「その鐘を打つ者は誰ぞ そは汝なりき」

鐘を鳴らすのは、心に響いた一人ひとりです。と、初女先生は

言われています。

11月の宿泊講演会では、きっと沢山の鐘が鳴り響くことでしょう





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イスキアの風を感じながら…

2012-07-28 21:25:46 | 日記
天気予報を見ていると、今日も36度を超えるところがあり、

テレビでは画面の隅に、ニュース速報のように「熱中症注意」の

文字が出ていました。

私が「脱原発」を胸に、無駄な電気を使ってはならぬと、息子の

部屋へ行き「クールシェアしましょ」と、ベットに座ったら、

「何考えてんだよ」と、呆れられてしまいました。

外に行くにも根性がいるな!と思って玄関のドアを開けてみると

灼熱地獄と思っていたのに、何とも心地よい風が吹いて実に

気持ちいいのです。

すっかり情報に惑わされていた自分に気がつきました。

この風は、もしかしたらイスキアにも吹いている風かもしれないって

思えたら、あの梅を干している風景が浮かんで来て、私も!と

思いました。

去年は、初女先生に大変よく出来てます。色がさえないのは紫蘇が

少ないからよ。と言われて、今年はたくさん紫蘇を入れました。

かわいい赤い色になっていましたが、イスキアの梅の赤さには

ほど遠く、でも風を感じながら梅を干していると

ネコの額ほどの庭も、イスキアに繋がっている気がしました。

昨日の夜に講演会の受付を開始したら、今日新潟と仙台の方から

お申込みがありました。

そんなに遠くから来て下さるのかと思ったら、有難くて

ふっと涙がでてしまいました。

雑誌「天然生活」のはたらく台所のトップには、初女先生が…

御年91歳とう字に、まだ90歳よ!なんて思いながら読んで

いましたが、本当に初女先生はいつも働いているなーと

つくづく思いました。

「ずっと台所にいますね。自分の時間なんてない。

疲れるのは疲れるけれど、やめようとは思いません。

だれかの為にやっているようだけれど、その人の喜びが

また自分に返ってくるんです。それは何物にも替えがたい

喜びなんですね」と、いう先生のお言葉に先生の生きる姿が

重なりました。

梅を取り込みに行くと、干した時には気にならなかった

梅についた細かい紫蘇が目に付きました。

イスキアの梅は、あんなに沢山あるのに紫蘇がくっついて

いませんでした。

梅を干すにも、どんなに手を掛けているのかが、初めて分かり

ました。

雑誌には、「祈りを込め、心を尽くす台所仕事」とありました。

どんな小さなことにも、心を離さない初女先生

どこを取っても、初女先生の生きる姿が見えてくるのです。

「いのち」を生きるとは、そういうことなのかもしれないと

働く初女先生姿が、心に浮かびました。
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今日と言う日に…

2012-07-27 22:31:26 | 日記
初女先生の講演会「佐藤初女さんと結ぶ心のおむすびⅣ」の

お知らせをアップして、やっと体調が戻ったので予約を開始するのに

いつがいいかと思ったら、今日しかない!と思いました。

だって27日は、創の月命日だから…

やっぱり、初女先生の講演会をやる時は、創への思いが深くなり

あの子と一緒にやっていると思えるのです。

第一回の講演会は、息子の誕生日だったし…

亡くなった息子とと共に、初女先生の講演会をさせて頂けるなんて

これも、神様の計らいの中にあるのでしょうか

月曜日に障害を持ったM子さんと北鎌倉の葉祥明美術館へ

行きました。以前、初女先生の講演会の準備に入る時に、

高山千代美さんと葉祥明美術館で、創の存在を感じながら講演会の

話をしたことがありましたっけ…

先日の鎌倉でも、私の周りに何回も黄色い蝶々が飛んで来て

創が「母さん、僕がいるからね」と言っているようでした。

青森からその時91歳になられている初女先生が、三浦半島まで

来て下さるということは、どんなに尊いことか、そのことを

思っただけで感謝で胸が一杯になります。

初女先生の「あなたに喜んでもらえるように いつも感謝の心で」

を胸に、明日からまた歩きだそう…

創の日に予約開始!

さあ、どんな出会いがあるでしょうか

出会いは「神さまの時間」ですよね、初女先生!



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20歳の誕生日

2012-07-26 06:48:28 | 日記
今日、7月26日は息子の誕生日
彼女の出来た息子から
「誕生日はデートだから
なんにもしなくていいよ」
と言われ、これが成長と
いうことかと思いつつ、
何だか戦力外通告を
受けたような淋しさも、
若干ありました。
今朝、テーブルの上に
置いてある携帯が
光っていて、早朝から
誰だろうと思って開けると、
ゴルフに行った夫が
私と息子に同じメールを
くれていたのです。
「20歳のお誕生日
おめでとうございます。
夜はデートかな
お父さんはゴルフだけれど、
夜の食事はOKです。
生憎お母さんは
具合がよくないけれど、
乾杯は大丈夫でしょう。
貴方の都合を教えて下さい。」と、年甲斐もなく絵文字を
散りばめたメールでした。
読み終わった時、
なぜか涙が溢れてしまい
ました。
息子の誕生日は、
お兄ちゃんの分を
生き抜いていることを
実感させてくれる日でも
あるのです。
そして、そのことを
思う時、やっぱりうちは
4人家族なんだと…
20歳の弟を13歳で
旅立った兄は、
どう見ているのだろう
でも、何があっても
私たち家族の真ん中には、
お兄ちゃんがいる
創がいるってこと…
お兄ちゃんの年齢を
どんなに超えても、
弟はお兄ちゃんを
尊敬し大好きだってこと…
届いているよね。
天国のあなたに…
20歳おめでとうの光を、
天国から降り注いであげて!
20年前の今日、いきなり
弟が生まれて、目を丸く
して驚いていたあなたの
顔が思い出されました。
一緒に祝いたかったなんて、
今さら言わないけれど
お目出度い誕生日に、
なぜか涙がでてしまいます。
創に「母さん、泣くなよ」
と叱られそうです。
二十歳の君が起きて来る前に、もう一度顔を洗おう
笑顔で「お誕生日おめでとう!」と言うために…
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大安吉日のアップ

2012-07-25 20:56:26 | 日記
月曜の夜から、何も食べられなくなり、水も受け付けない状態に

なってしまいました。

チラシのことなど気になりながらも、パソコンすら開けられず…

でもスタッフのTさんが、私がHPにアップする時は、大安吉日が

いいなーと言ったのを覚えていて下さり、24日の大安にまるで

映画の予行の様に堂々アップして下さいました。

私が動けなくなっている間に…と、思ったら有難くて皆でやれる

ことに、感謝一杯になりました。

水も飲めず、頭痛で眠ることも出来なかった時、講演会を

やれるだろうかと弱気になりましたが、今日治療が終わり

出された玄米を食べたら、力が出てきました。

いのちが動き出した気がし、「食はいのち」を実感しました。

元気になったのでパソコンを開いたら、こんなに大きく講演会の

お知らせが…

初女先生が「今までにない写真だね。いいねー」と言って下さり

皆で知恵を出し合って作ったチラシ。

何だか全てが愛おしく感じます。

プロでもない私たちが出来ることは、一つ一つに心を掛けていくこと

どんな出会いがあるでしょう…

今、ここがイスキアとなることを願いながらやっていこうと、

心から思いました。



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谷内六郎と南桂子

2012-07-22 17:28:54 | 日記
先日、谷内六郎の記念切手が売りだされたので、さっそく買いに

行きました。

小さな切手の中に、谷内六郎の世界がありました。

昔から、谷内六郎の絵を観るたびに、この人の描く子供はどうして

こんなに寂しげなんだろうと、不思議でした。

お祭りも花火も海水浴も、子供にとってはどれも嬉しい晴れの日

なのに…

いつだったか展覧会に行った時、谷内六郎は幼少の時に喘息で

寝ていることが多かったというのを知った時、絵の中の

子供たちの寂しさが、谷内少年の寂しさだったんだなと思いました。

今日の日曜美術館は、南桂子でした。

私は、この版画家の名前は初めて聞きました。

でも、絵を観た途端「この人の絵だったのか」と以前観た

少女の瞳が頭に浮かんできました。

どの絵も、深い孤独の中にあるような少女の瞳

この悲しみは何処から来るのだろうと思っていたら、南さんは

子供の時に両親を失い、精神的には孤児のようだったと、

言われていたそうです。

幼い時の孤独はその人の人生に深い影を落とすものなの

でしょうか…

でも、その深い孤独を垣間見る時、自分の中にある悲しみや

孤独と共鳴するような気がします。

それは誰もが、心の底に抱えている深い悲しみで有り、孤独

なのかもしれません。

歳を重ねるごとに、谷内六郎と南桂子の寂しさが心に

響いてきます。

生きているとはそういうことなのでしょうか…



    人は、誰も生きない、

          このように生きたかったというふうには。

    どう生きようと、このように生きた。

          誰だろうと、そうとしか言えないのだ。

                      長田 弘
  
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素直な心

2012-07-20 20:39:37 | 日記
支笏湖の講演会で、興味深い質問がありました。

「愛と言うことを他の言葉で言うとなんですか?」

初女先生は「素直。愛の語源は素直だそうですよ」と、答えられ

ました。

信仰の根源も素直な心だそうです。

初女先生は「素直に、明るく、感謝の心」を心がけているそうです。

たとへ悲しみや苦しみを抱えていても、それを素直な心で受けとめる

ことの出来る人は、立ち直りも早いように感じますと、言われて

います。

深い苦しみの中にいる、私の友人を初女先生と引き合わせた時

先生は「すごく、素直な人だねー」と、感心されていました。

それ以来、お会いする度に「あの人は素直だよねー」と言われます。

私など名前は直(すなお)ですが、素直な心にはまだまだです…

先生は「食べ物が正しく行われているところに、問題は起こらない

正しい食事のところには、必ず正しい解決が出て来る」と言われて

いました。

素直な心は、食事によっても作られるものなのでしょうか…

「素直に、明るく、感謝の心」





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宮迫千鶴さんが感じたマザー

2012-07-19 21:45:21 | 日記
支笏湖での講演会は、あまりに盛りだくさんで何から書いてよいのか

迷ってしまいます。

支笏湖ユースの中に作られたCafeイスキアに置いてあった、雑誌の

文章が心に留まりました。

今は亡き、宮迫千鶴さんが書かれた

「青森のマザー・テレサ「初女さん」に会った」というA4の切り抜き

です。

宮迫さんは、初女さんは現代の日本人にとって「となりのトトロ」

に出て来るおばあさんのような安らぎを与えてくれる人なんだろうな

と、思っていたそうです。

トトロのおばあさんは、失われた故郷のような存在であり、

映画の中の初女さんは、「心の故郷」のような感じがあったそうです。

ところが『2泊3日の対談を通して、出会った初女さんの他者に奉仕

する人生の「信念」や「実践」、「祈り」を貫く確信の深い

生き方には、ここに一人の偉大な「マザー」がいることを

知らされたのである。

現代という時代は女性がいつまでも「女」で有り続けることを

よしとする風潮がある。

だがそのぶん、多くの女性はどのようにして「母」になっていいのか

迷っている時代でもある。

初女さんの魅力は「母」なるものの力であり、母性の根源としての

「受容性の発揮」を、長年の他者への奉仕活動を通して実践

しているところから、おのずと生まれているものである。

以後、私はひそかに初女さんのことを「青森のマザーテレサ」と

呼んでいるのだが、対談本、楽しみにしてください。』

と、言う言葉で結ばれた、この切り抜きは相当古いものでした。

もしかしたら、初女先生をマザー・テレサと言ったのは宮迫さんが

最初かもしれないと思えました。

この短い文章の中で、これだけ深く初女先生を語った文章に

私は初めて出会いました。

宮迫さんが鳴らした鐘が、私の心に響き渡りました。
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悲しみと苦しみ

2012-07-18 07:45:54 | 日記
昨日のブログに、マザーテレサがの人生最後のところで言われた

「大変苦しみました」ということと、初女先生がシスターに「あなたも

苦しみましたね」と、言われたということを書いて、思い出したことが

ありました。

息子を亡くし数年経った頃に、家庭のことで大変苦しんでいた友人に

「あなたのは、苦しみじゃなくて悲しみだからいい」と、言われた

ことがありました。

その時、私にとって悲しみは苦しみでもあったので、その言葉の

意味がよく分かりませんでした。

でも、今やっと少し分かりました。

彼女の苦しみがどんなに深いものだったかということを…

私が彼女から言われた時は、私はすでに初女先生に出会っていて

悲しみの質が変わろうとしている頃だったと思います。

だから彼女は、私にそう言えたのでしょう。

神様は、その人の人生を深くし心を成長させるために、

容赦ない試練を与える時があります。

その苦しみは、まるで出口のないトンネルに入りこんだようです。

でも、出口のないトンネルはないのだから、きっと光に出会う

日はくるはず…

マザーテレサも初女先生も苦しんだということは

苦しみが魂を磨いてくれているのかもしれない!と思えました。

私の友人も長いトンネルを抜けました。







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感謝と喜び

2012-07-17 22:34:45 | 日記
「感謝と喜びが支え」支笏湖の講演会での、私のノートに記された

初女先生の最初の言葉です。

この日の先生のお話はいつもより、さらに深いものでした。

私も今、先生のお言葉を自分の中で反芻しながら、大切なこと

ばかりで、何から書いたらよいのか戸惑っています。

分かち合いの中で「初女先生は日本のマザーテレサと言われる

ことをどう思いますか?」という質問がありました。

先生は、マザーの人生の最後のところのお言葉が

「大変苦しみました。」だったと…

そして、イスキアに鐘を贈って下さったコネチカット州の

シスターが、イスキアを訪れ初女先生に会われた時、

「あなたも苦しまれましたね。分かりました。私も苦しみました」

と、言われたそうです。

先生は「皆、苦しんでいるんですね」と、慈愛に満ちた

お声で、私たちに語りかけて下さいました。

「苦しまれましたね」。と言われた先生が感謝と喜びが支えだと

言われる…

この二つの言葉が、私の心の深いところに降りてきました。

マザー、鐘を贈って下さったシスター、そして初女先生

本当の苦しみを知っていらっしゃる方の愛の深さ…

その大きな愛 母性に支えられて私たちがいる…

初女先生は「いのちが繋がっていく。そして何かの結びが

あって展開していく」と語られました。

この短い言葉の中に、初女先生の人生を感じました。



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