~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

去りゆく年に思うこと…

2013-12-31 23:02:21 | 日記
今年も残すこと後、わずかとなりました。

1年を振り返ってみて、最初に心に浮かんでくるのは、やはり

三浦海岸での初女先生と過した時間です。

まだ、あの時からひと月とちょっとしか経っていないのですが、

随分前のような気がします。

でも、思い出すだけで温かいものに包まれたようになるのは

なぜでしょう…

心と心が繋がるという、確かな実感を体験したからでしょうか

初女先生は体験ほど確かなものはないと、言われています。

講演会のタイトル「佐藤初女さんと結ぶ心のおむすび」のように

先生と皆さんの心のおむすびが結べた気がしました。

あの、一時いっときを大切にした時間を、忘れてはいけない!

と、思いました。

初女先生が言われている「いまを生きる」ということの

その今をどう生きるかを、初女先生のお姿から直に感じ取り

「動の祈り」の行動を目の当たりにしたのですから…

生きるとは、今この時しかないのです。

その、今の積み重ねが一年となり、一生となって

いくのですから…

自分の中に、あの忘れられない「今」がある

そのことが私の財産となって、私を支えてくれています。

 新しき年が光の中にあることを祈って…
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悲しみを悲しみのまま終わらさない為に

2013-12-29 22:11:41 | 日記
もう、今年もあと2日となりました。

毎年、この時期になるとあの世田谷一家殺害事件を思い出します。

未解決の事件とはいえ、毎年思い出すのはなぜでしょう…

この事件に関する本は何冊も出ているようですが、手に取ることは

ありませんでした。

何か、このことを知ろうとするには、あまりにも悲しみが

大き過ぎて、避けていました。

それでも、私の心に刺さった棘のようにこの事件はずっと

ありました。

先日、この被害者のお姉さんが書かれた本を読んでみようと

いう気にやっとなり、本を取り寄せました。

『この悲しみの意味を知ることができるなら』という題に

心響くものを感じました。

私も、息子を亡くした後、悲しみを悲しみのまま終わらせたくない

と、思ったからです。

人は必ず死にます。

どういう死であれ、死を迎えない人はいないのです。

では、死をもって終わりかというと、そうではないと私は

思うのです。

死を超え、死の向こうから紡ぎだされるものがあるはずです。

この本を書かれた被害者のお姉さんも、そのことを魂の

レベルで感じたのだと思います。

明日でこの事件は13年目を迎えるそうです。

12年間、忘れられず私の心に棘のようにあったこの事件の

存在の意味が、この本を読んだら分かるかもしれません。

「にいなちゃん」「礼君」

亡くなった二人のお子さんの名前が、親戚の子どもの

ように、すっと出て来る訳が分かるかもしれません。

無念な死であればあるほど、悲しみを悲しみのまま

終わらせてはいけないと思うのです…

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友は友を呼ぶ

2013-12-26 22:36:48 | 日記
土曜日に「佐和子の朝」を見た時、モデルの押切もえさんが

「自分が確立してないと、悪い縁に引っ張られる」と言ってました。

それを聞いた時、「あ!この人分かっている。」と、思いました。

よく、「類は友を呼ぶ」と言いますが、人はラジオの周波数のように

自分の出している周波に合う人が集まってくると言います。

だから、自分がどんな周波を出しているか、意識しなければと

思いました。

初女先生は「友は友を呼ぶ」と言われています。

友が友を呼び、繋がっていく…

初女先生が繋いで下さったご縁に、私はどんなに支えられて

いることか…

「友は友を呼ぶ」ですね。初女先生!

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聖夜

2013-12-25 21:18:44 | 日記
今年はクリスマスイブが平日なので、仕事はあるしどうしようかなと

迷っていたのですが、前日イスキアのスタッフと話した時に

「明日は、礼拝に行かれるんでしょ。共に祈りましょう」と言われ

背中を押された気持ちになりました。

鎌倉なら、仕事が終わってから行けるので、Kさんの教会に

行かせてもらう事にしました。

外の喧騒とは、全く別の世界のように、教会のクリスマスは

聖夜という言葉そのものです。

礼拝を守りながら、あー今この時に初女先生もYさんもAさんも

祈っておられると、思うと心が繋がって行く気がしました。

讃美歌をうたっている時には、初女先生が歌われる「浜辺の歌」

が、思い出されました。

教会からの帰り道、Kさんが「あちらでは息子が主人に天国の

クリスマスを教えているかもね」と、言われました。

天国のクリスマスってどんなでしょうか…

礼拝している時、初女先生のあのどんな人に対しても

平等に接して下さる愛は、信仰から来ているんだなーと

改めて思いました。

ベルギーの教会で、アダムとイブの木彫りの像を観て

感動されていた初女先生

あの先生のお姿が、ふっと思い出されました。

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M子さんとの小さな旅

2013-12-24 08:17:01 | 日記
初女先生の講演会で忙しかったので、M子さんとの外出がずーっと

出来ませんでした。

昨日は、富士山を見せてあげる!と、張り切って小田原へ

向かいました。

東海道線の車窓から、きれいに富士山が見えるので…

ところが、昨日は生憎の曇り空。

富士山は全く見れず、私はがっくりしたのですが、M子さんは

富士山とは関係なく、車窓の風景を楽しそうに観ていました。

外出に小田原を選んだのは、富士山とお城の天守閣からの

風景を見せてあげたいというのがあったからです。

M子さんは、城内の展示物など目もくれず、わしわしと

階段をのぼって行き、一気に天守閣についたのです。

私が「見て!あそこが三浦半島、M子さんのお家の方よ!」

と、言っても遠い目をして、私の声など届いてない様子

やっぱりつまらなかったのかなーと、思っていたら、外に

出ると、何度も天守閣を見上げているのです。

M子さんは、自分の思いを言葉にすることは殆んどないけれど

きっと、色々感じているんだろうなーと、思いました。

城内の動物園は、今はもうなくなっていましたが、おさるだけは

いたんです。

今まで、動物に全く興味をもたなかったM子さんが、

おさるさんに手を振ったのです。

(M子さんの手の振り方は、皇后さまのようなので、何だか

高貴な方のようなのです)

駅に戻ると、セラピー犬の募金をやっていて、ワンちゃんが

いました。

M子さんが、じーっと見ていたので、「触っていいよ」と

言われましたが、触るまでは出来なかったので、私が

撫でて「かわいいねー」M子さんの気持ちを言葉にして

ワンちゃんに伝えました。

障害者の方と歩いていると、いつもは何でもないエスカレーター

の昇降が、あー障害のある人やお年寄りに優しくないなーと

気が付きました。

いつの頃からか、エスカレーターは急いでいる人の為にか

ふたり並んで乗らないのが、マナーのようになっています。

でも、M子さん一人で乗せるのは心配なので、並んで乗ると

何とも肩身が狭く、たえず後ろの人に気を遣うのです。

いつから、日本人はこんなに気ぜわしくなったのでしょうか…

 帰りの電車の中では、M子さんは楽しそうに笑っていました。

駅に着くと、有難うというように何度も電車に手を振って

いました。

こうして、久し振りの私たちの小さな旅が終わりました。

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素敵なコンサート

2013-12-22 23:29:09 | 日記
今日はちょっと早いクリスマスプレゼント?で、息子と二人で

山崎まさよしのコンサートに行ってきました。

コンサートをアリーナなどの大きな会場でやるアーティストが

大勢いますが、

音楽会場でないので、音は決して良くなく雰囲気を楽しむ

というコンサートになっています。

ところが、山崎まさよしは音に拘り、今日は木のホールと言われて

いる、神奈川県立音楽堂でした。(800人くらいかな)

音の響きが素晴らしいホールで、しかも弦楽四重奏とのライブ

何とも贅沢なコンサートに、観客は大満足でした。

山崎まさよしは、震災以降 元来の音楽ビジネスの方法論では

お客さんに本当の歌を届けることが出来ないと、意志を固く

しているそうです。

そして、「待っている人がいるところにライブに行く」という

衝動に動かされ、山崎まさよしに歌いに来てほしいという

会館・学校などでもライブが開催されるそうです。

山崎まさよしも、震災で立ちどまり、新たな道を歩き始めて

いるんだなーと思いました。

本当に本当に素敵なコンサートでした。

音楽は音楽ホールで聴くのが一番!

息子と感動したねと、ひと足早いクリスマスプレゼントを

もらった気分になりました。

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しあわせ

2013-12-20 23:35:19 | 日記
誰もが「幸せ」でありたいと願って生きています。

幸せになることって、そんなに難しいのかなと、思っていたら

渡辺和子先生の「あたりまえのことが、ありがたいことだと

気づけば、幸せの度合いが高まる」という言葉に出会いました。

初女先生は「響き合う人に出会った時が幸せ」と、言われて

いました。

以前、私は健康である、経済的に安定してるとか、自分の作った

幸せの条件に自分をあてはめて、私は幸せなんだと、

納得していた時がありました。

学生時代はいつも目標を掲げられ、その目標に向かって

努力することを求められてきたので、幸せの条件を作り

その条件をクリアすることが、幸せになることだと思って

いたのかもしれません。

渡辺先生や初女先生の「幸せ」をみると、誰もが幸せに

なれるんだと思います。

幸せは、目に見えないものだから、心で感じつかまえて

いくものなのだと…

誰もが幸せになりたがっている「幸せ」は、自分の

心の有り様なのですね。

「明るく・素直に・感謝して」初女先生の大切にされている

このことが、幸せの扉を開いてくれるんだと、思えました。
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『ごちそうさま』

2013-12-19 19:46:44 | 日記
NHKの朝のドラマの「ごちそうさま」を、初女先生は

「私も観るように言われるけれど、なかなか観れなくてね…」と

言われてました。

私も観ていて、「あれ?これって初女先生の言われてることみたい」

と、思う事がしばしばあります。

ひょっとして、このライターは初女先生の本を読んでいるのかな

と、思ったり…

この間は、主人公が関東大震災で連絡がとれなくなっている家族を

心配していて、でも包丁をつかって手を動かしていると心が

楽になれる、みたいなことを言っていたので、初女先生が

苦しい時に、いつもよりちょっと大変な手のこと(手を遣うこと)

をすると良いと言った言葉が、思い出されました。

「人の役に立つことで、自分も救われる」という台詞に

自分の体験が重なりました。

今日は「食べなければ人は生きていけない。

あなたと私が、どこがどれほど違っていようとも

そこだけは同じなんです。」という言葉に、初女先生が

食を、食べることを本当に大切にしていることに

繋がるものを感じました。

「美味しいものを食べるのではなく美味しく食べることが

大事」と言われている初女先生の心が、このドラマから

感じられるのです。

日本語には「いただきます!」があり「ごちそうさま」が

あります。

私たちの祖先が、いかに食べることを大切にしてきたかが

わかります。

それは、いのちを頂いてきたからだと思います。

冷凍やインスタント食品という、いのちが感じられない

食事からは、生れてこない言葉です。

「食事は人を変える 大きな力を持ってます」と

初女先生は、きっぱりと言いわれています。

心からの「いただきます」と「ごちそうさま」が

自然に出て来る、そんな食事を作りたいなー



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おむすびと心

2013-12-18 23:14:40 | 日記
初女先生のおむすびを食べた人は、「ふっくらとして柔らかいけれど

崩れない、口の中に入れるとご飯がほどける」と言われます。

なかなか、そんなおむすびは作れません。

先生は「おむすびって、みんな簡単に考えているんだよね」と

言われ、おむすびがちゃんと伝わってないということに、

本当に困っていらっしゃいました。

講演会の時に、「おむすを作ると、海苔を合わせたところが

爆発するのはなぜですか?」と、質問された方がいました。

先生は、ちょっと不思議な顔をなさって「私の結ぶのを見ていて

下さい」と、言われました。

前泊の人との交流の時に「おむすびが堅くなるのですが

どうしてでしょうか?」という質問に先生は、

「それは心です」と、即答されたそうです。

そうか、心か…

そう考えると、おむすびは簡単なことではないです。

おむすびを結ぶ時の手の形も、心という字のようになります。

ふっくらと柔らかいけれど、崩れないというのは

初女先生の心、そのもののような気がします。

先生は「調理する姿勢には、その人の生き方がそのまま

反映されます。

特におむすびは、素朴な食べ物だからこそ、作った人の

心がはっきりと表れてしまう。

ご飯を洗うところから、海苔を巻くところまで、片時も心が

話せません」と、言われています。

初女先生のおむすびを形だけで捉えて、その人が教えていくと

先生のおむすびとはかけ離れたものが、初女さんのおむすびとして

伝わっていることに、本当に心を痛めておられました。

先生、おむすびは、作る人の心そのものなんですね。

だから、おむすびによって心が結ばれていくんですね。
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効率って

2013-12-16 22:50:33 | 日記
講演会からひと月が経とうとしています。

その間に、時間を見つけては写真の発送をしてました。

たいした文章ではないのですが、手紙を書いて…ということを

していると時間ばかりがどんどんと経って、出せる手紙は一日

5~6通です。

子どもが、どうしてそんなに効率悪いことするの?と、呆れて

いました。

そんなの印刷しちゃえばいいんだよと…

そういえば、講演会の準備もずーっと効率の悪いことばかり

していたなーと、思いました。

私の職場も効率を考えたたら成り立たないところです。

1冊100円のメモ帳の表紙を、障害者の人と作るのです。

10時から3時までで、4冊出来たら良い方です。

1冊ずつステンシルの型を置いて、筆で色をつけて

行くのです。

以前は、障害者の人が作ったということで買って

もらえましたが、今は商品の出来が問われるので丁寧に

きれいに作らなければなりません。

Mちゃんは、お仕事が大好きで、来るとすぐに「おしごと」

「おしごと」と言います。

きれいな表紙が出来ると、すごく嬉しそう

1冊ずつ仕上げるのが良くて、効率をあげようと

まとめて同じ作業をやると、つまらなそうな顔に

なってしまいます。

世の中が、効率ばかり求めたら、Mちゃんの好きな

お仕事はなくなってしまいます。

効率が悪いってことは、マイナスじゃないと思ってくれる

人が増えたら、もっと生きやすい世の中になるかも

しれません。

息子に、効率が悪ーいと言われた手紙書きも、

やっと終わり、一つ肩の荷が下りました。

初女先生と一人ひとりの方が手を握り締めている

写真を見て、あの感動が再び甦ってきました。

先生に接した人達は、丁寧に生きるということを直に

感じとって下さったようです。
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