~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

スタンディングオーベーション

2013-04-29 18:34:12 | 日記
先日、佐村河内守さんの番組を知らせた友人から

 「感動、感動、感動 テレビに前でスタンディングオーベーション

 知らせてくれて有難うございます。

 魂が震えました。凄かった。涙があふれました。」

というメールが来ました。

私も帰ってから録画してあった番組を観ました。

佐村河内さんの交響曲「HIROSIMA」を70分間全曲放送するという

ものでした。

彼のドキュメント番組を放送した後、「HIROSIMA」を聴きたいという

お便りが殺到したそうで、その放送となったそうです。

録画を聴いた時、私はちょっとバタバタした中で聴いたので

メールをくれた友人ほどの感動はありませんでした。

でも、今日その為の時間をつくり、目を閉じて70分間聴いて

いたら、最後の鐘が聴こえたあたりで、号泣となってしまいました。

気がつけば私も、テレビに向かってスタンディングオーベーション。

涙が止まらなくなってしまいました。

これは感動の涙なのですが、希望に対する感動なのです。

暗闇を知り尽くした佐村河内さんが、紡ぎ出す壮大な希望の世界

人はどんな状態にあっても、希望を見いだせる生きものなんだ!と

思いました。

あんまり泣いて、目が開かなくなってしまいましたが、魂が

元気になりました。

いつか「HIROSIMA」を聴きにいきたいと心から思いました。
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闇の中にある光

2013-04-26 22:43:31 | 日記
明日は早く出掛けるので、今日はブログを書かずに寝ようと思って

いましたが、お知らせしなければという思いが抑えられず

パソコンに向かっています。

つい最近知ったのですが、佐村河内 守さんという全聾の作曲家

この方の番組が27日、15時からEテレで放送されるのです。

現代のベートーベンと言われているそうですが、ベートーベンが

聴覚を失い作曲をしていたという事は、あまりに昔で神話の

ように、自分とはかけ離れた話しとして聞いていました。

しかし、佐村河内さんは同じ時代を生きているのです。

彼は小さな光であっても、闇の中にある光は強いと言っています。

そして、人生は苦である。苦難、闇の中にいるからこそ真実の

音をつかむことができると…

本当に、闇を知っているからどんな小さな光であっても

感じることが出来るのかもしれません。

被曝二世の佐村河内さんの紡ぎ出した「HIROSIMA」を聴いて

見たいと思いました。

彼は「自分の作品を聴くことができない悔しさとみじめさは

今も乗り越えられない」と言っています。

でも、客席で拍手の振動を感じることができ、それが

唯一の救いになっているそうです。

明日、佐村河内さんの番組を観て、生きるという事と

再び向き合いたいと思いました。

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一方通行の交換日記

2013-04-25 22:21:27 | 日記
今日は、あの福知山線脱線事故があった日、あれから8年を迎えた

そうです。

新聞に当時39歳の娘を失ったお母さんが、事故から1年経った時に

一方通行の娘への交換日記を始めて、今日で2558日なると載って

いました。

 日記を書くことで気持ちを落ち着かせようとした。

 しかし、年月を重ねるにつれ、「会いたい」という思いが溢れてきた

 4月11日「もう一度逢いたいだけ。どうしても逢いたいけれど

 無理かな」と、記した日記が載っていました。

ノートは11冊になり、これからも交換日記は書き続けると…

私も、息子に会いたいを繰り返し泣き続けていた日々が何カ月も

ありました。

もしも神様が願いを一つだけ叶えてくれるなら、私は自分の命を

差しだしてもいいから、息子に会いたいと思っていました。

亡くなって1週間くらい経った時、夢に息子が出て来て

「お母さん、俺 死んだんだよ。認めろよ」と言ったのですが

とても認める事なんて出来ませんでした。

息子の姿を追い求めている時は、どうやっても逢うことが

出来ないのですから、苦しみは増すばかりでした。

人に会うと、「死ぬ楽しみが出来ました」なんてことを

口走っていました。

その1間年は、小3だった次男の記憶が私の中にないのです。

本当に愚かな母でした。

友人に「貴方が悲しむ時、亡くなった息子さんも悲しんでる」と

言われ、あの子の喜ぶことをしたい、あの子が祝福してくれる

ことをしたいと思っているうちに、息子の姿を追い求めなく

なっていたのです。

すると、あの子の存在を近くに感じられるようになり、

悲しみはあるけれど、その質が変わってきたのです。

娘への思いを2558日も日記にしたためているお母さん、

娘さんの姿を求めなければ、娘さんの思いは届いて来るはず

だって一番近くにいるんですから…

心が悲しみで埋まっていると、声なき声が聴こえてきません…



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上野にて…

2013-04-24 20:04:41 | 日記
昨日の絶不調から復活し、今日は上野の書展の展示に行って

きました。

この時期の上野公園の新緑の美しさは、いくら見ていても

飽きません。

と言っても、ゆっくり見ている暇もなく会場に…でしたが

明日から始まる『墨人展』の飾り付けです。

先生達が作品を見ながら、作品の展示を場所を決めて

行くのですが、隣に来る作品で双方が生かし合ったり

また、その逆になったりするのです。

その現場を見せて頂くことは、すごく面白かったです。

私たちの書の先生が、飾りつけは絶対に行くと言っていた意味が

分かりました。

今回、特別展示で現代書の創始者と言える、井上有一・

森田子龍先生の作品も展示されました。

そこに、私の拙い作品を出していいんですか?という感じです。

習字も習ったことがなくて、学校の書写の時間が大嫌いだった私が

こんなに書の世界に魅かれるようになるとは…

でも、これも息子が導いてくれた世界です。

私は「創(つくる)」という息子の名前が大好きでした。

でも、あの子が亡くなりどうしても創という字が書けなくなって

しまい、何としてもあの子の名前と向き合い書きたいと思い

書を習い出したのです。

最初に書いた作品の「創」は今も祭壇の横に飾ってあります。

小さな作品で、筆もすごく未熟なんですが、泣かずに書ける

様になった時に生れた作品で、自分でも気に行ってます。

いつか大きな「創」を書きたいと思っていますが…

今回は自分の名前「直」を書きました。

今まで書いた中で、一番大きな作品です。

まだまだ拙い筆ですが、ちょこんとある感じが私らしいなと

思えるのです。

井上有一や森田子龍先生の作品のずっと奥に、ちょこんと

「すいません」と言うように、ある「直」という字

天国の創は「お母さん度胸あり過ぎ」と、笑っているかも

しれません。

先生の「直の字が立体に見える」というお言葉に励まされて

精進して、もっといい字を書きたいと思いました。

帰り道、雨に濡れた新緑の美しさに、溜息がでました。

自然の創り出す美の世界は、心が洗われる気がしました。

どんなに頑張っても、自然にはかなわないなー

人間って…

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一線を超えるということ

2013-04-22 21:50:53 | 日記
初夏を感じさせる日があったかと思うと、昨日はいきなり冬に逆戻り

体が気候について行けず、すっかり風邪をひいてしまいました。

今日は用事があり、駅まで行ったのですが、背中がぞくぞくして

頭が痛くなったので、出掛けるのを諦め家に帰ってきました。

その時、初女先生はこういう状態でも出掛けられるんだなー

イスキアにお客様を迎える時も、具合が悪い時もあるでしょうに

それでもやっぱり、先生は台所に立たれるんだろうな…

そう思うと91歳の先生が、どんなに頑張っているかが感じ

られました。

先生が言われている「ある線までは誰でもやれること。

そこを一歩超えるか超えないかが、人のこころを響かせる

ものになる。」というお言葉が、まさにいのちを削るような

ことであるということ…

以前は、少し先の話になると先生は微笑みながら「私が

生きていたらね」と言ってましたが、最近はその言葉も

聞かれなくなりました。

一線を超えるということを、私はまだ体験していません。

歳を取ると、自分で自分の体がままならなくなると言います。

91歳の先生の身体の状態を、私は想像することも出来ませんが

一線を超える行動が、どんなに大変なことか…

疲れたとか、辛いとかいう自分のことは置いて、すべてを

「神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる」

という初女先生の生き方の凄さを、感じています。

でも、先生のその凄さは、私は言葉にすることもできません。

唯、先生の健康を祈ることしか出来ません
    
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お陰さま

2013-04-20 21:42:11 | 日記
今日、テレビで「加藤和彦音楽会」というコンサートを放映して

いました。

加藤和彦が特別好きだったかと言うと、そうでもないけれど

亡くなってから気になる人となり、亡くなってから彼の歌が

より響くようになりました。

音楽的才能はすごく高いものを持っていたと思いますが、

加藤和彦の作る歌は、誰でも口ずさめそうなやさしい音楽です。

今日、きたやまおさむと坂崎幸之助が歌う、加藤和彦の歌を

聴いて、改めてクールに見える加藤和彦の中に宿っている

優しさを感じました。

息子が最後に口ずさんでいたのが「あの素晴らしい愛をもう一度」

でした。

息子の中学の合唱コンクールのクラスソングでした。

3回忌の時に、担任の先生が指揮をして同級生が歌ってくれました。

テレビから、この歌が流れて来た時、やっぱり涙が溢れてきました。

加藤和彦が亡くなった時、こういう歌を作った人が自死する

なんてと、割り切れない気持ちで一杯になりましたが、

今日は、この歌に息子の姿を重ねながら、私も小さい声で

歌ってみました。

晩年の加藤和彦の曲は、1曲1曲が心に降りて来るような歌です。

コンサートの中で、きたやまおさむが「お陰さまというのは

陰に隠れている部分で、陰に隠れている部分に支えられている

加藤和彦のお陰で自分がある」と言っていたのが心に残りました。

生きてるってことは、沢山のお陰さまに支えられて生かされて

いるんでしょうか…

陰に隠れているお陰さまに支えられて…

お陰さまで、今日も私は生きています。

感謝です。


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私の中の想像ラジオ

2013-04-19 23:36:48 | 日記
想像ラジオの本を読んでから、私の中で低周波数の何かが鳴って

いるようです。

感動というのではなく、心の引っかかりが私に問いかけているよう

です。

息子が亡くなった後、何も考えてないのに、大根を切った瞬間に

涙があふれ出し止まらなくなったりということが、よくありました。

感情というものは、脳を通って出てくるものだと思っていましたが

この、突然の涙はなぜなのだろうと、自分でも分かりませんでした。

私の友人の子供を亡くした方も、突然涙が出て来ると言って

いました。

私は、この涙は自分の悲しみの深さだと思っていましたが、

想像ラジオを読んで、あれは息子の悲しみでもあったのでは

ないかと思えたのです。

息子の1周忌の時に、同級生の女の子が、山ちゃんが夢に

出て来て、「お母さんにいくら電話かけてもでないから、

有難うって言っておいて」と言ったのと教えてくれましたが

あの時、きっとあの子の想像ラジオは鳴り響いていたのに

悲しみで一杯だった私の心には、息子の声が届いて

来なかったんじゃないかと、今頃になって思うんです。

不意をつかれたような、突然の涙はイスキアを訪れた時から

なくなりました。

私の悲しみが変わり、息子の悲しみが軽くなったのかも

しれません。

私たちの目は、大き過ぎても小さ過ぎても見えません。

目に見える世界より、見えない世界の方がずっと大きいのかも

しれません。

見えないから居ない、ということにはならないのかもしれない…

耳を澄まし、心を澄ましてみれば聴こえてくるかもしれない

大切な人からの想像ラジオが…

声なき声のその思いが…
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魂で受けとめるということ

2013-04-18 07:34:12 | 日記
苦しみの受けとめかたが変わるという、初女先生のお言葉から

「魂で受けとめる」ということが、私の中に降りて来ました。

私自身はすごく納得したのですが、魂で受けとめなければ

立ち上がれない苦しみと言うのを、体験する人のほうが少ないかも

しれないと思いました。

このことを伝えることは、至難の業かもと思いつつ、それでも

書いてみようと思いました。

私は、息子が亡くなったという事が、どうしても受け入れられず

苦しみ抜いていました。

息子の生も死も私が生きるんだと、前向きに前向きに考えようと

していました。

もう、大丈夫という心の状態になったと思っても、ふとしたことで

その思いはすべて潰され、さらなる悲しみと苦しみが襲って

くるのです。

その繰り返しに、自分自身がボロボロになっていくのです。

でも、私が悲しんでいたら息子はもっと悲しむと思い、何とか

立ち直らなければと必死でした。

主人も小3だった次男も、目を離すと私が死んでしまうと

思ったと、言ってました。

この苦しい現実から逃避するということが出来ず、ひたすら

向き合っていました。

しかし、どんなにしても苦しみは歴然としてそこにあるのです。

そんな中で、私が初女先生に出した手紙が、先生とのご縁に

繋がり、イスキアへ呼んで頂いたのです。

先生は、唯々私の話を聴いて下さったのですが、

帰る新幹線の中で、何も解決してないのに、私はいつの日か

息子の死を感謝をもって受け入れられる日が来る!と、

確信を持って思えたのです。

その日から、息子がいないという苦しみに押しつぶされる

ことがなくなったのです。

なにも、現実は変わっていないのに…

今、思うとこの時私は魂でこの現実を受けとめられたんだと、

思うのです。

フランクルを読んだときも、ナチの収容所にいる現実を彼は

魂で受けとめたと感じました。

ボストンマラソンのテロで子供を失った親は、この現実を

どう受けとめるだろうと思った時、どうにもならない現実を

受けとめていくには、やっぱり魂で受けとめていくことしか

ないように思えるのです。

初女先生は、体験ほど尊いものはないと言われています。

言葉で伝えることは、無理があると分かっていますが

書かずにはいられなかった私です。

もしかしたら、亡くなった息子が書かせているのかも…




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苦しみの受けとめかたを見つめて

2013-04-16 18:55:29 | 日記
先日書いた「苦しみの受けとめかた」を、もう一度見つめ直して

みようと思います。

人は次々と苦しみを体験しますが、苦しみの質が変わってくるので

しょうか?という問いに、初女先生が「同じです。受けとめ方が

変わってくるのです。」と答えられたことについて、もう少し

深く考えてみようと思います。

困難や苦しみが降りかかって来た時、苦しみながらも出来るだけ

前向きに、ポディティブに考えたいと思ってきました。

でも、初女先生の言われている「受けとめ方が変わる」というのは

このことを言っているのではないような気がするのです。

前向きに受けとめることによって解決できる問題は、それで

いいのですが、深い深い苦しみはそれでは解決できないのです。

前向きに捉えようと思ったり、このことの意味を考え

出来る限りプラス方向にもって行こうとしても、次なる

苦しみや悲しみが来ると、すべて潰されてしまうのです。

そのくり返しに、私自身ズタズタになったことがあります。

先生の言われる「受けとめ方」を、私はまだ1度しか体験

してないので、偉そうなことはいえないのですが…

うまく言葉が見つからないのですが、先生の言われる

受けとめ方が変わるとは、魂の受けとめ方が変わると言う

意味だと思うのです。

本当に深い苦しみや悲しみは、気持ちや考えを変えるという

程度では、真の解決の至らないのだと思います。

魂で受けとめなければ、本当の意味で立ち上がることが

出来ないのだと思います。

私は息子を亡くした時に、このことを初めて体験しました。

腹を決め、魂で受けとめられた時に、初めて何があっても

揺るがず立ってられる、受けとめ方が出来たのです。

頭ではなく、気持ちでもなく、魂で受けとめる…

初女先生が「神の計らいは限りなく、生涯私はその中に生きる」

というところに到達されたのは、深い深い苦しみを魂で

受けとめてこられたからだと思うのです…

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想像ラジオ

2013-04-14 15:20:28 | 日記
先週の新聞の書評に、いとうせいこうの「想像ラジオ」が載っていて

何だか気になり、すぐ買って読んでみました。

大震災で津波にのまれた主人公が、杉の樹のてっぺんで自分が

生きているのか、死んでいるのか分からないまま想像力を電波に

ラジオ番組を流し始めるという、とんでもなシチュエーションの

小説です。

脚本かと思うほど、会話で話が進められ、浅田次郎の作品のように

場面が立ち上がってくるわけでもない、必要なの?と思う場面も

あるのに、なぜか心に引っかかりをつくっていく作品なのです。

死とは死者とはなにか?読んでいると、このテーマが心の底に

低音で響いてくる…

震災で亡くなった人達は、自分の死さえも認識できないうちに

逝ってしまったのかもしれません。

フィクションなのに、リアリティーを感じる不思議さは

なんだろう…

書評を書いた中島岳志氏は「いつからかこの国は死者を

抱きしめていることが出来なくなった。それはなぜか?

生者が死者の声をキャッチするのは、悲しみが湧く時だ。

それは、不意にやってくる。

あとは耳を澄ますことができるかどうかだ。」と書いています。

生者が死者の側に立つことはできないけれど、想像してみる

ことは出来るかもしれない…

耳を澄ませば、雑踏の中に、風のざわめきの中に言葉には

ならない声があふれているかもしれない…

フィクションの中のリアルは、もしかしたら真実かも

しれないと思えた本でした。
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