~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

宿泊の講演会

2011-05-31 22:04:20 | 日記
去年、森のイスキアが主催した、酸ケ湯での宿泊の講演会に

行きましたが、まさか自分がそれをやるとは思っても居ません

でした。

初女先生の「泊りもいいよねー」の一言が、私を突き動かしたのです。

講演会だけなら、沢山の人に来てもらえます。

それをなぜ、宿泊で…

私は、たった一泊でも初女先生と寝食を共にすることに、意味が

あると思ったのです。

イスキアでは、朝ごはんの時に先生が「今日は○月○日です。」と

言って、朝一番の先生のお言葉があり、朝食になります。

初女先生と頂く食事…

時間がゆっくりゆっくり過ぎてゆく…

初女先生の佇まいを見ているだけで、心が穏やかになっていく…

共に生活することにより、感じられるものが、気づきがそこには

ある筈…

そして、そこに集った人達の繋がりが生まれて行く…

講演会だけでは、得られないものが確かにあるはず…

イスキアに行けるのは、本当に少ない人数だから…

宿泊の講演会、それが「今、ここがイスキア」となれば…

初女先生と過す、豊かな優しい時間…

これが、私が宿泊の講演会をしたい訳です。

初女先生の宿泊の講演会は、大抵100人なのに、今回は半分の

人数…

先生は「調度いいねー」「ゆっくりできるね」と言って下さって

います。

頑張りまーす!

スタッフのみなさーん、来て下さるみなさーん、そしてそして

天国の創、みーんなの力を、心を合わせて、響き合う集いと

しましょう!

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感謝の心

2011-05-30 23:54:33 | 日記
毎月送られてくる冊子に、こんなことが書いてありました。

大学生の時、その人が初めて体験したボランティアが、インドの

マザーテレサの施設で、路上で行き倒れになっている人や

重病で死を待つだけの人達を助けて、施設に収容することをしていた

そうです。その時、ただ死を待つだけの人達の間でも、幸せな人と

そうでない人がいることに気づいたそうです。

それは、感謝の気持ちを持っているかどうかで決まるそうです。

起き上がることも出来ない重病な人でも、感謝の気持ちを

持っている人は、安らいで幸せだったそうです。

初女先生が、いつも感謝の心でと、言われていることは

その心が、人間の真の幸せに繋がるからなんですね。

     「いま」を満足すると

          感謝の気持ちがわいてきます

                         佐藤 初女
    
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地球の木に学んだこと

2011-05-29 21:34:32 | 日記
昨日の田島征三さんの講演会の主催は、地球の木でした。

私は地球の木の活動など何知らず、電話で講演会の申し込みを

しました。

私がチラシで見て知ったと言うと、終わった後に田島さんとお食事会

がありますが、出られますかと聞かれ、思わず「ハイ!」と返事を

してしまいました。

ところが行ってみて、その会が地球の木の総会であることが

分かりました。

総会の後で、田島さんが「地球の木」の活動で訪れた、ラオスの

話をする筈が、震災の話から学生時代の安保の話しなど

なかなかラオスにたどり着かず、主催者はドキドキしたそうですが

聴いている私は、田島ワールドにスッポリ引き込まれてしまい

ました。

講演が終わった後、食事会に参加と言ったけれど、この会が総会

であることを知り、そっと帰ろうと降りていくと。「お食事会

出て下さい」と声を掛けられたのです。

「私、今日がこの会の総会だと知らずに参加してしまいました。

だから、失礼します。」と言うと「全然構わないの、どうぞ

参加して下さい」と…

お言葉に甘え、懇親会に参加すると、理事の方まで声をかけて

下さり、「この方、初めてですからお話してあげてね」と…

挙句の果ては、「あなた、田島さん好きなら隣に座れば」

と言って、田島さんの隣の席を空けてくれるのです。

さすがに、私も遠慮しましたが、このフレンドリーさとこの会の

懐の大きさに、感激しました。

受け入れるとは、こういうことなのですね。

ふと、8月の講演会もこんな温かさと、懐の大きさを目指したいなーと

思いました。

心をひらき、どんな人も受け入れることで、心が通い合うことを

地球の木から教えてもらいまし。
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田島征三さん

2011-05-28 23:17:15 | 日記
今日は田島征三さんのお話を聴きに行きました。

田島さんの展覧会は、20代の頃から事あるごとに行っていました。

そんなことを人に言うと、「田島さんのファン?追っかけ?」と

言われますが、どれもピンときません。

田島さんの作品は、私のとってもっと深いところにあるのです。

息子を生まれて初めて展覧会に連れて行ったのも、田島征三さんの

個展でした。

その時、田島さんの作品と一緒に展示してあった、信楽の

知的障害者の作った土鈴が気に入り買ってきました。

今、その土鈴は息子の祭壇に置いてあります。

2001年に息子が亡くなり、2003年の田島さんの伊豆高原の個展に

私は初心者マークを3つも付けて、死ぬ思いで行ったのです。

その展覧会は、それまでの田島さんのものとは全く違う、

気が遠くなるほどの木の実を使った作品でした。

驚きと共に、元気をもらいました。

今日の田島さんのお話は、やはりあの大震災のことから始まり

ました。

田島さんは、深い深い胸の痛みを「砂の墓標」という作品に

したそうです。

「僕はボランティアにも行けないし…」と、その思いを作品に

したそうです。

誰もが、あの震災に胸の痛みを感じ、どうしたらいいのだろうと

思っていたのですね。

田島さんの「砂の墓標」は3月14日には出来あがっていたそうです。

きっと作品を創ることが、田島さんの祈りだったのでは

ないでしょうか…

今日は懇親会まで参加させてもらいました。

「地球の木」というところの主催でしたが、その会の活動を

全く知らない私を、本当に快く迎入れてくれました。

この心は初女先生の講演会にも!と思いました。

自己紹介の時、田島さんの震災の話しが心に響いたので、

思わず、初女先生が「死ねない」と言ったことを言ってしまい

ました。

帰る時、田島さんに「息子を亡くした後、伊豆高原の展覧会に

行って、木の実の作品を観て本当に元気をもらったんです。

木の実のいのちと作品が私に元気をくれて、生きて行こうと

思えたんです。」と言って、息子の祭壇にある土鈴のことを

話すと、「あれ創った人、きのこ採りに行って山の中で寝ちゃって

亡くなったんだよ」と…

あの土鈴を喜んだ息子も亡くなり、作った人も亡くなっていたのか

と思うと、生とか死とか関係のない繋がりを感じました。

別れ際、田島さんに握手をしようと手を差し出したら、ハグして

くれました。

田島さんの気持ちが、すごく温かく有難く私の心に伝わってきました。

「さよなら」のかわりに「元気でいて下さいねー」と言うと

いたずらっ子のように笑いながら「死んでられなーい」と

言って私を見送って下さいました。

子供達が小さい頃から、田島さんの絵本をどれほど読んだか…

この出会いも息子からのプレゼントでしょうか…

何だか、すべてが繋がっていると思えた、今日と言う日でした。





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分かち合い

2011-05-26 18:46:23 | 日記
夕刊に、仙台のグリーフケア研究会だ主催する、「わかちあいの会」

に震災で家族を亡くした遺族8人が参加した、という記事の掲載

があり、タイトルが「分かち合う痛み」とありました。

ふと、2005年の第一回イスキアの集いを思い出しました。

あの時、初女先生の講演会で質疑応答というのでなく、もっと

思いを共有したいと、「分かち合い」としました。

しかし、「分かち合い」という言葉に対する、人々の警戒心の

様なものも感じ、「イスキアには丸いちゃぶ台があって、それを

囲んで、…」などと「分かち合い」について、司会のTさんが

優しく皆さんの心の垣根を取り払うように話してくれました。

オウム真理教などの事件を見て来た為か、分かち合うなどと

言うと、言葉だけでもう警戒されてしまうような、世の中の

雰囲気があったように思います。

でも、初女先生の講演会では、それからずーっと「分かち合い」で

やってきました。

今では、それがとても自然な事として、皆さんが受けとめて

くれています。

分かち合うことに、警戒せず心をひらいて下さっているのです。

いろいろな事がありましたが、6年前より人と人の繋がりが

確かになって来ているのかもしれません。

私の知っている、ほんの一部かもしれないけれど…

「分かち合う」という言葉が、温かい言葉だと感じられるように

なった世の中が、嬉しい!

8月の初女先生の講演会では、たっぷりと皆さんと分かち合いを

したいなーと思っています。

きっと、初女先生もそれを望んでいる筈だもの…

悲しい事も辛い事も、嬉しい事も分かち合えたら

大丈夫、前を向いて歩いて行けるって思えるよね。

きっと…

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初女先生の言葉

2011-05-25 23:09:46 | 日記
震災の後、多くの人が地に足がつかなくなり、どうしたらよいのか

分からなくなりました。

私も、自分を見失ったように、心も体も動かなくなりました。

初女先生は、このことを受けとめながら、揺るぎのない生活を

送っていました。

そして、私の友人がイスキアで初女先生から、聞いたという

言葉に私は、改めて初女先生の母の強さを見た気がしました。

89歳の初女先生は、震災があって「死んでられない!」と

言われたそうです。

すごい言葉です。

震災が起こる前までは先生は、時々「生きていたらね」と言って

いたのに…

先生は「心には前に進むための言葉を」と言われています。

89歳で「死んでられない」と言わしめた先生の思いに、私たちは

姿勢を正される思いがします。

初女先生を求めて求めている人達が、本当に沢山います。

8月の講演会の申し込みを開始して、たった9日で定員の半分の

お申し込みが来ました。

チラシは昨日の国分寺のガイアシンフォニー2番の上映会に、

初めて置いてもらったところです。

まだ、チラシの発送もしてないのに…

本当に、今という時代が初女先生をどんなに必要としているかを

ヒシヒシと感じます。

初女先生の「死んでられない」というお言葉に、私自身どんなに

励まされたことか…

先生の大切なお時間を頂く8月の宿泊講演会、心を込めて

準備をしますね。

初女先生と掛け替えのない時間を過ごすために…





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おむすび

2011-05-24 20:21:09 | 日記
初女先生が、講演会で必ずと言っていいほど、口にされるのは

「日本は瑞穂の国と呼ばれ…」という言葉です。

お米は、私たち日本人にとって、やはり特別な食べ物なのだと

思います。

ご飯を炊く時の、水加減をみる先生の真剣さと、その空気感…

ご飯が神聖なものだという気持ちになります。

イスキアではご飯は必ず初女先生が、よそって下さいます。

それはまるで、宮澤賢治の永訣の朝の詩にある、雪のひと碗のように

食べた者を清めてくれるような気がします。

おむすびはご飯と塩と梅干しと海苔だけ、こんなシンプルな食べ物が

他にあるだろうかと思うのですが、それが魂の食べ物

ソウルフードなのです。

俳優の藤田まことさんは、沖縄で戦死したお兄さんの為に

ご自身が亡くなる何年か前に、沖縄の海に塩おむすびを捧げた

そうです。

イスキアで食べた、初女先生のおむすびは心に寄り添って

くれるおむすびでした。

8月の講演会ではおむすび講習会もして頂きます。

「初女さんと結ぶ心のおむすび」という講演会をやって来ましたが

ついに、本当に初女さんとおむすびを作るのです。

初女先生と寝食を共にし、そして最後はおむすびを結ぶ…

講演会だけでは得られない、深い心の交流が出来るかもしれない

私と先生を繋いでくれたのも、おむすび

今度はそのおむすびが、来て下さった皆さんを繋いで

くれる…

本当の心のおむすびが結べるかもしれない…

よーし、頑張るぞー

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降りて来た課題

2011-05-23 23:15:40 | 日記
今度の8月の講演会で、3回目の主催となります。

それまで、東京のイスキアの集いのスタッフをしてましたが、自分が

主催をしてみて初めて分かることが沢山ありました。

初めての逗子での講演会は、亡き息子の誕生日に初女先生の講演会

をやるというので、熱い思いだけでやりました。

私の思いはすべて叶ったと、1回で終わるつもりでしたが

先生の新しい演題「出あいは未来をひらく」という言葉を

聞いた途端「私、やります!」と言っていたのです。

場所が取れず、平日の昼間という時間帯になり、どうしようと

折れそうになるたびに、スタッフや初女先生に支えてもらいました。

そうしたら、いつの間に心が繋がってスタッフも

会場の来て下さった皆さんとも、本当に心が通い合い

「出あいは未来をひらく」が響き合う講演会となりました。

そして、3回目である今回は宿泊の講演会です。

これもまた、生れて初めてのことばかり…

動きだそうとした時に、大震災が起こり、私の中ですべてが

止まってしまいました。

先生は3月12日に、遅れているけれど飛行機が飛ぶと

分かると、行けるとこまで行きます。と言って帯広の講演に

行かれました。

私は、ずっと体も心も止まっていました。

動揺する私に先生は「今はじたばたしないで、受けとめることです」と

言われました。

5月にイスキアで先生にお会いすると、何があっても変わらない

確かな生活がそこにはありました。

イスキアで得たエネルギーが、講演会への力となり、やっと

動き出すことが出来ました。

今回は、すべてが初めてのことばかり…

今日、ふっと今度の講演会の私の課題は「受けとめる」なんだ!

と思えたのです。

そう思って初女先生を見てみると、その受けとめる大きさ、

深さは、すごいものがあると改めて気が付きました。

それは、まさに母なる大地です。

母なる大地の初女先生に見守られながら、私の受けとめる心を

耕して行かねば…

大きな受け入れる心になるために…
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大地よ

2011-05-22 22:13:39 | 日記
映画「東京アイヌ」に出ている宇梶 静江さんが震災のあと

詩が降りて来たと、「大地よ」という詩を書かれました。

私は、宇梶さんの友人であるKさんから、その詩を送って

もらいました。

震災の意味を考えなくてはと、思っていた私にとってこの詩は

深く心に響き、これからの私たちの進むべき道が記されているように

私には思えました。


          大地よ 
                  宇梶 静江

        大地よ

      重たかったか  痛かったか

       あなたについて

      もっと深く気づいて 敬って

      
      その重みや

      痛みを 知る術を

      持つべきであった


      多くの民が

     あなたの 重さや痛みとともに 波に消えて

         そして

     大地にかえっていった


       その痛みに 

     今 私たち

     残された多くの民が

     しっかりと気づき

     畏敬の念をもって

       手をあわす


               東日本大震災によせて  


      (宇梶さんは首都圏アイヌグループの連絡会会長。

       伝統的なアイヌ刺繍を生かした古布絵本作家。

       本年度 吉川英治文化賞受賞)
      
     
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おむすびの祈り

2011-05-20 23:11:34 | 日記
震災であたふたして、地に足が付かなくなった時、おむすびを作ったら

心が落ち着きました。

若いお母さん達もやはり、不安で一杯だったけれど、おむすびを

作ったら、普段の自分を取り戻したと言います。

これは、なんなのでしょう…

瑞穂の国に生れた日本人のDNAに組み込まれているのでしょうか

スーパーに物がなくなり、計画停電が行われた時、ご飯さえあれば

おむすびがあれば、大丈夫って思えました。

そして、今こそおむすびの祈りなんだ!と…

あの時から、ずーっとやりたいと思っていたおむすび講習会を

8月の初女先生の講演会に向けて、プレでやっていくことに

なりました。

今回、木更津から森のこだまの小玉さんが来て下さり、

初女先生のおむすびを教えてくれます。

集まった人達と、おむすびを結び心をむすびたい…

おむすび講習会のことをイスキアで初女先生にお話したら、

「そう、いいねー。」と喜んで下さいました。

被災地の人は、本当に深い悲しみと苦しみを背負っているし

離れている私達も心が痛いです。

放射能は日々降りそそいでいるし、私達はなすすべも有りません。

そんな時、心をしっかり支えてくれたのが、おむすびを作ること

おむすびの祈りでした。

6月19日、鎌倉からおむすびの祈りを発信しま~す。

(ホームページに掲載しました。見てね)

鎌倉発、おむすびの祈り、イスキアまで届けー!
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