先日、横浜の小さな映画館で「大いなる沈黙へ」を
観ました。
今、思い出しても言葉が出ません。
すごい映画です…
構想から21年の歳月を費やして制作された作品です。
フランスのアルプス山脈に建つ修道院で、カトリック教会
の中で一番厳しい戒律で知られているところに
監督が一人で入り、修道士たちと生活し撮った
映画です。
カメラマンは監督が務め、照明も無く、会話も無く
ナレーションも無く
音楽も無く、ある音は最小限の生活音と
自然の音と讃美歌
殆んどが沈黙の世界なのです。
監督が、この修道院に撮影の許可を求めた時
まだ早い と言われ
準備が整った と返事がきたのが16年後
だったそうです。
この時の刻みが、この修道院の時間の流れ
なのです。
いくつものドキュメンタリー賞を受賞した作品ですが、
ドキュメントという生々しさが、何処にもないのです。
自分の持ち物はブリキ缶一つ、会話は日曜の
昼食後と散歩の時間だけ許され、俗世間からは
完全に隔絶され、何世紀にもわたって変わらない
生活が営まれているのです。
でも、修道士たちは実に穏やかな顔をしているのです。
観ていて、ふと「幸せとは、心の平安」という言葉が
思い出されました。
どんな状況においても、心が平安であれば、人は
満たされ幸せを感じるものなのだと、修道士たちの
穏やかな顔を見て思いました。
私は、平日に観に行ったのですが、補助席でした。
岩波ホールで公開された時、連日長蛇の列が
できたそうです。
このような映画に、人が集まると言う事は
もしかしたら、私たちは祈りの時代へと歩きだして
いるのではないか…
そんな気がしました。
私の書の先生は、この映画の感想を
「全ての人が心の底に抱えている
不安を呑みこんで、何とも言えない安らぎに
導いていく力を持っています。
生死を超えた世界です。」と、言っていました。
この映画をカトリックの映画と、観てしまうと
表面しか見ることができませんが、
大いなる沈黙の世界に心を置くと…
まだ言葉には置き換えられないものが
心の奥深くに沈んでいます…
<字幕より>
「主の前で大風がおこり 山を裂き
岩を砕いたが
主はおられなかった
風の後 地震が起こったが
主は おられなかった
地震の後 火が起こったが
主は おられなかった
火の後 静かなやさしい
さざめきがあった」
列王記上 19・11・12