~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

お母さんと話したい…

2014-09-29 23:32:22 | 日記

御獄山が噴火しました。

よく聞く馴染のある御獄山が、噴火をするなんて

紅葉の山が、一瞬にして灰の山となってしまいました。

苦渋の選択の末、怪我をした友達を残し下山してきた

人もいます。

大学時代の仲間で御嶽山に来たそうです。

爆発が起き、「痛い、痛い」という声に友達を見ると

足にひどい怪我をおっていたそうです。

友人たちは警察や消防に電話をかけ続け

救助を求めたそうですが、救助は来ず

怪我をした女性は「お母さんと話したいと

お母さんに電話をしたと言ってました。

テレビでは、その方のお父さんでしょうか

「娘が、母親に連絡して来て『ごめんなさい』と

言ったと…」

怪我をした女性は、動かなくなり友人たちは

彼女を残し下山してきたそうです。

何と辛いことが、起きているのでしょうか…

多くの人が訪れる山が、噴火するなんて考え

られません。

でも、日本には世界の1割の火山があるそうです。

私たちは、火山列島に住んでいることを

を忘れてはいけません。

秋がまた悲しい季節になりそうです…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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金木犀と銀木犀

2014-09-28 21:03:33 | 日記

朝、窓を開けると懐かしい、いい香りに包まれました。

金木犀です。

いつも、いつの間にか咲いていて、ちっとも気づかず

香りによって、金木犀の花が咲いたことを知るのです。

今年こそは蕾のうちに気がついてあげたいと思って

いたのに…

この健気な花には、どれほど支えらたでしょうか

10月は息子の命日月です。

夏から秋に、空気が変わるだけで涙がこぼれていた

私ですが、どんな時も金木犀はひっそりと咲いて

優しい香りで、私を包んでくれました。

金木犀の季節が来るたびに、「有難う、今年は

泣いてないよ!」、言っている私です。

昨日、書のお稽古を終えて、お寺を出ると

ふわっといい香りに包まれました。

誰かが「沈丁花かしら」と言ったので、私は慌てて

「金木犀です!」と声をあげてしまいました。

香りをたどっていくと、小さな小さな金木犀の花が

ありました。

すると、書の先生が「うちには、銀木犀があるわ」と

言われたので、私はその時初めて銀木犀を

知りました。

金木犀と同じだけれど、白い花なので銀木犀

だそうです。

金木犀に、そんな素敵な兄弟がいたなんて

嬉しくなりました。

今年も私は、金木犀に「泣かずに秋を迎えたよ」

と、言いました。

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大いなる沈黙へ

2014-09-26 23:46:29 | 日記

 先日、横浜の小さな映画館で「大いなる沈黙へ」を

観ました。

今、思い出しても言葉が出ません。

すごい映画です…

構想から21年の歳月を費やして制作された作品です。

フランスのアルプス山脈に建つ修道院で、カトリック教会

の中で一番厳しい戒律で知られているところに

監督が一人で入り、修道士たちと生活し撮った

映画です。

カメラマンは監督が務め、照明も無く、会話も無く

ナレーションも無く

音楽も無く、ある音は最小限の生活音と

自然の音と讃美歌

殆んどが沈黙の世界なのです。

監督が、この修道院に撮影の許可を求めた時

まだ早い と言われ

準備が整った と返事がきたのが16年後

だったそうです。

この時の刻みが、この修道院の時間の流れ

なのです。

いくつものドキュメンタリー賞を受賞した作品ですが、

ドキュメントという生々しさが、何処にもないのです。

自分の持ち物はブリキ缶一つ、会話は日曜の

昼食後と散歩の時間だけ許され、俗世間からは

完全に隔絶され、何世紀にもわたって変わらない

生活が営まれているのです。

でも、修道士たちは実に穏やかな顔をしているのです。

観ていて、ふと「幸せとは、心の平安」という言葉が

思い出されました。

どんな状況においても、心が平安であれば、人は

満たされ幸せを感じるものなのだと、修道士たちの

穏やかな顔を見て思いました。

私は、平日に観に行ったのですが、補助席でした。

岩波ホールで公開された時、連日長蛇の列が

できたそうです。

このような映画に、人が集まると言う事は

もしかしたら、私たちは祈りの時代へと歩きだして

いるのではないか…

そんな気がしました。

私の書の先生は、この映画の感想を

「全ての人が心の底に抱えている

不安を呑みこんで、何とも言えない安らぎに

導いていく力を持っています。

生死を超えた世界です。」と、言っていました。

この映画をカトリックの映画と、観てしまうと

表面しか見ることができませんが、

大いなる沈黙の世界に心を置くと…

まだ言葉には置き換えられないものが

心の奥深くに沈んでいます…

 <字幕より>

「主の前で大風がおこり 山を裂き

岩を砕いたが

 

主はおられなかった

 

風の後 地震が起こったが

主は おられなかった

 

地震の後 火が起こったが

主は おられなかった

 

火の後 静かなやさしい

さざめきがあった」

  列王記上 19・11・12

 

 

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初女先生へ

2014-09-25 19:44:45 | 日記

早朝に初女先生手紙を書き、ファックスで送信しました。

大切な事を伝えたい手紙は、私は朝早く書くのです。

夜書く手紙は、どうも余計な感情が入ってしまう気が

するのです。

朝は、大切なことを真っ直ぐに伝えられる心で

あるように思えるのです。

今朝は、こんなことを書きました

  『初女先生、お早うございます。

  先生とお話ししたくて、先日お電話してしまい

  ました。(お留守でした)

  先生、今回の運びは今までと全く違います。

  それは、初女ファン・ランディファンというものを

  超え、何か融合された流れる中にあるようです。

  私は今まで、「一人でも多くの人に、初女先生に

  出会って欲しい!」という思いでやってきましたが

  今回は、この人智を超えたチカラの前で

  只、「私をつかって下さい」という思いしかありません。

  自分の思いを入れる隙間もないのです。

  この融合した流れは次なる祈りの時代 へと

  向かっているのでしょうか…

  大いなる力を感じています。

  先生とゆっくりお話がしたいです。

  創も、黄色い蝶々になって、一緒に動いて

  くれていることを感じます。

  思い切り(精一杯)、心を込めて働かせて頂きます。』

                  すなお 

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花子とアンの言葉~ついに私の番が来た

2014-09-23 23:03:51 | 日記

「花子とアン」を観ていると、ハッとする言葉に出会います。

このドラマがきっかけで、もう一度「赤毛のアン」を

読み返した友人が、「赤毛のアン」の中の言葉が、

随分ドラマに使われていると言っていました。

今日は「世の中を渡って行くには、

それぞれに割り当てられた苦労をしなくちゃ

いけないんだ」と言う言葉が、心に留まりました。

そうか、苦労が来た時に、ついに私の番が来たと

いさぎよく引き受けられたら、苦しさも違って

来るはずです。

ああ、なんと言う明解さでしょう…

私は、生きると言う事はそんなに複雑では

ない筈だと思っています。

もし、複雑にしているというなら、それは人間の

頭が難しくしているのだと思います。

そうか、割り当てられた苦労なんだ…

何で、私が!と思うより、「私の番が来た!」と

思えたら、苦労に対しても、心は平安でいられる

はずです。

ああ、私ももう一度「赤毛のアン」を

読み返してみよう…

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あるがままと我がまま

2014-09-21 11:49:23 | 日記

今年、「アナと雪の女王」がヒットして、大人も子供も

「ありのままの自分…」と歌っているのを聴くと

それだけで、気持ちが楽になるきがしますが、

では、一体「ありのまま」とはどういうこと?と

自分自身に問うてみると、歌っているときほど

晴れやかな気持ちにはなりません。

「ありのまま」を辞書で引くと「あるがまま」とも

書いてあります。

田口ランディさんが、「あるがまま」について、

面白い文章を書いています。

「あるがままとわがままは、似ているけれど

でもちょっと違うんです。

わがままは、自分の我を押し通すことですが、

あるがままの人には、あまり我がありません。

あるがままのひとは自分の直感に忠実なのです。

そして、直感というのは「我」が入り込む隙が

ないのです。

「こうしたらうまくいく」「こうやったらすごいものが

できる」「この方法はみんなのためになる」

そう感じた瞬間に身体が動いてしまっているのが

あるがままの人です。

時として直感の人はみんなの都合を無視して

意外な方法を選んだりするので、わがままに

みられることもありますが、あるがままの人は

他人の中傷など気にせず我が道を行きます。」と、

ランディさんは言っています。

アナと雪の女王は観ていないので、この歌詞の

「ありのまま」とは、、どういう状態を示しているのか

わかりませんが、「我」が入るかどうかが

我がままとあるがままの分かれ道となるようです。

折角、この歌が流行って多くの人が歌っているの

ですから、ありのまま(あるがまま)とは、

どういうことなのか、見つめてみてもいいと思いました。

意味を、取りちがえて、いつもまにか我がままの自分を

ありのままの自分と勘違いしていては大変なこと

ですから…

 

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未来とは…

2014-09-19 22:58:12 | 日記

「深き森の語らい」の申し込みがはじまってから、

バタバタと過しているので、本を読む時間もなくて…

でも、そんな時でも必要な言葉はちゃんと頂けるのだと

思えることがありました。

昨日のブログを読んで下さった方から

未来とは今である

         マーガレット・ミート」

というお言葉が届いたのです。

初女先生の「今を生きる」とは、未来をも

含んでいるのかと、ハッとしました。

やはり、今を生きるということが、すべてに

繋がるんですね。

マーガレット・ミートの別の言葉も記して下さった

のですが、それはまさに初女先生、そのものと、

言うべき言葉でした。

 「思いやりがあり、行動力のある人は

 たとえ少人数でも、世界を変えられる

 それを決して疑ってはなりません。

 実際、それだけが これまで世界を

 変えてきたのですから

      マーガレット・ミート 文化人類学者」

未来とは今である!と思えば、折れそうな時も

立ち上がれる気がします。

どんな時にも、何処からか光はさしている

たとへ自分が気がつかなくても…

 

 

 

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いのちを掛けて書く(筋ジストロフィーの書家)

2014-09-18 22:44:45 | 日記

先日テレビで、筋ジストロフィーの書家石井誠さんの

ことを放映していました。

数年前、新聞の記事で知った石井さんは、大きな筆を

持って、紙の上を車いすで移動しながら書いて

いました。

筋ジストロフィーは、進行性の筋肉の病で、最近の

石井さんの映像をみると、呼吸器をつけ、病気の

進行の速さが目に見えてうかがえるようでした。

いのちをかけて、「生きる」というテーマに全身で

挑んでいる石井さんの姿に、石井さんの「書」に、

深く心を揺さぶられました。

1枚書くと横になり、その1枚に全てを込めて

書いているのです。

私など、少しでも筆と一体になりたいと書きまくる

のですが、石井さんの書く姿を見た時、そんな

書き方でいいのかと、厳しく問われた気がしました。

彼に残された時間は、そんなに多くはないと思います。

「死」と隣り合わせの中で、いのち・生きるという

ことを書き続ける石井さん。

いつか、彼の作品を見てみたいと思いました。

手島右卿賞を取った彼の作品は、映像の中に

あっても「いのち」がこだましているように

感じました。

いのち一杯生き切る

石井さんの「書」は、いのちを伝える「書」です。

 

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皆の思いが繋がっていく

2014-09-16 21:28:33 | 日記

チラシが出来、チラシの発送作業をしています。

チラシが出来ると、なぜかチラシがチカラを発揮して

くれるのです。

私は嫁入りさせる様な気持で、チラシを送るのです。

すると、チラシが人と人をつないでくれるのです。

何と、田口ランディさんもチラシを引き受けて下さり

私はゆうパックに、まるで福袋のように詰めるだけ

詰め込み、「節操がなくてすみません」なんて

手紙を添えて送ってしまいました。

送った後から、あんなに頼んでしまったことに深く

反省したのですが、すでに送った後…

そうしたら、ランディさんから、全部配ったという

メールがきたのです。

講師にチラシを頼むけしからん主催者なのに

そんなこと気にせず、協力して下さる

ランディさん!

めちゃくちゃいい人!

主婦の私のチカラは小さな小さなものですが

皆がチカラを貸してくれ、それがひとつの

うねりのようになっているのを感じます。

一人ひとりの思いが繋がっていくようです。

有り難う ランディさん

有り難う 初女さん

有り難う 皆さん

有り難う チラシ

森のこもれびに、有り難うがこだましてます!

 

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悲しみを超えると…

2014-09-14 17:55:35 | 日記

写メールで、私の書いた『悲』を送ったところ

「悲しみというより、祈りのような優しさに溢れて

います」というお返事を頂きました。

私が「最初は自分が通ってきた慟哭の様な『悲』を

書こうと格闘していたのですが、書いて行くうちに

この悲しみに支えられて今の自分があると

気づいた時に、悲しみに感謝する気持ちが湧いて

きたのです」と伝えると、「やはりそうでしたか…

悲しみを超えると感謝にかわるのですよね。

ささやかな私の体験から。」という返信が

届きました。

Kさんもまた、お子さんを亡くされ今は初女先生を

サポートされている、なくてはならない方です。

「悲しみを超えると感謝にかわる…」

私は今の今まで気がつきませんでした。

私たちは、どんなことがあっても前向きに

生きていける力をもらって生れてきているん

ですね。

感謝なしには一歩も進めないと、確か初女先生も

言われていました。

息子の亡くなった秋という季節がきても

涙がでないのは、そこには悲しみを乗り越えた

自分がいるからでしょうか…

息子の死がどうしても受け入れられず

初めて森のイスキアを訪ねた帰り、

私は、いつの日か感謝を持って息子の死を

受け入れられる日が来ると、確信を持って

思えたのは、このことだったんですね。

11年の歳月がかかりました…

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