ランディさんのFacebookに
「なんとなくSNSの質的変容が
加速しているような気がしています。
うまく言語化できないけれど、……
あるいは自分が変わったから
そう感じるのか。なにかが違う。
ちょっと考えてみます。 」
と書いてあり、そのコメントに
友人の山田スイッチさんがこれからは
手紙の時代かもとコメントしてました。
それを読んで、ヤッタ~と思いました。
昔、趣味は手紙です!なんて言ってた
ことがあるんです。
メールが主流になり、手紙を出すと
返事を書かなければという思いを
強いてしまうのかなと、手紙から
離れていた時期がありますが、
今は、そんなの気にせず書いてます。
手紙を書く時間が好きなんだな~
手紙っていいじゃないですか
ポストに手紙が入っていると、やっぱり
嬉しいし…
SNSを超えて手紙の時代が来たら、
それは、素敵なことだね。
「この歳までこうやって生きて来たから、
もう変わらないわよ」という人が
結構います。
それを聞くと、勿体ないな~
自分で枠を作って、その中に入れて
しまっていると、思うのです。
こういう性格だからって、言うけれど
そういう風に考える癖がついて
いるんじゃないかな…
私の母は、直ぐに最悪のことを
考えるのです。
かなり長い間、母のそういう所が
嫌で、自分はそうはなるまいと思い
抵抗してきました。
でも、これは多分癖で、癖だから
なおるのだと思うのです。
足なし和尚さんが書いていました。
『癖とは、ちょっとしたきっかけで
生じた思いを、自分で育ててしまった
ものだ。
だからそれ以上育てなくてよい。
もしも育て過ぎちゃって困るという
場合は、無造作にやめるより手はない。
要は”ただやめる”という一事にある
ようである。
癖のない世界、これは生まれたての
赤ん坊の世界だ。
大人は赤ん坊を見て、仏さまのようだと
言う。
しかし今そのように言いながら、確かに
そのことを知っていながら、自分では
奇妙な癖を育ててしまって、
それで苦しんでいるのだから、
せわない。』
作家の田口ランディさんが言ってました。
癖はなおるからって…
一度しかない人生だから、より善く
清々しく生きたいよね~
私達は、何かに夢中になっている以外は
思ったり考えたりしてることが、
実に多いです。
この思いというのが、案外ややこしい
のです。
思いを巡らしすぎて、翻ろうしてしまう
からです。
そして、その思いこそが自分だと
思ってしまうからです。
足なし和尚さんこと小沢道雄さんは
「続 本日ただいま誕生」の中で
このように書いています。
『心の問題、いやこの場合
思いの処理と言っておきましょう。
いろいろと頭に浮かびます。
思いが生じて来るのは至極当然です。
「当然なんですよ!」
この浮かんでくるものを、
浮かびっぱなしにして、あえて
いじりまわさない。つまり「勝手に
考えていろ」と、ほったらかす
ことです。
思いを追うからいけないのです。』
私たちは絶えず頭で考えますが、
難しい問題ほど、よろしくない結果を
生むことが、多々あります。
自分の頭で考えることなので、自分の
経験を超えることが難しいからだと
思います。
考え方・思い方の癖っていうのもあるし…
和尚さんの言うように、いじりまわさず
ほっておくのが一番いいようです。
でも、穏やかな気持ちでほっておけない
ので、さてどうするか?となると
脳を休ませるのが一番!
唯、坐って丹田(おへその下)を
意識して深い呼吸をすればいいのです。
色々考えや思いが浮かんで来たら
スクリーンを見るように流していけば
いいのですが、そのことに囚われて
しまう場合は、数字を数えると
いいようです。
禅宗のお坊さんが座禅のことで
そのように言ってましたから…
思いに囚われなくなると、生きるのが
とても楽になるし、あまり腹が
立たなくなります。
本当に自分は感情の外にいると言うのが
何となく分かってきます。
お任せの世界です。
初女さんは、よく自然に任せましょ。
と、言われてました。
まぁ、脳を休ませるつもりで
ちょっと坐ってみてください。
別の世界が拓けるようになるかも
しれません。
そのことに味をしめて、私は毎朝
坐りだし、1年8か月になるかな…
今日は、いいお話しを聞きました。
私達は、今をより善く生きることだけを
考えていればいいと…
そうなんですよね。
生きるとは、”今”この時を
生きているのですから…
初女さんもよく言ってました。
「先を考えるから不安になるの
今より確かなことはないのだから、
今を生きてください。、」って
本当にそうです。
歩いていて曲がり角を曲がった先のこと
だって、分からないのですから
先のことを頭で、色々考えは、
心配し不安を募らせるのは
逆に言えば「、今を生きてない
ことになるのですよね。
生きるとは、とてもシンプルなことだと
思います。
今をより善く生きよう!こう思うだけで
元気が出てくるし、生きることに
積極的になってきます。
朝目覚めたら、今日もより善く生きるぞ
と、言葉に出すだけで違ってくると
思います。
1度しかない自分の人生だから
誰だってより善く生きたいじゃないですか
『私はなんにも心配していないの
今を生きているから。
心配する人は必ずといっていいほど
先のことばかり考えますが
先の見えない未来のことに
あれこれ心を惑わしても
不安が募るばかりです。
今ほど確実なものはありません。
今に感謝していると、
とても自由な気持ちになり
一歩一歩確実に進んで行けるように
思います。
佐藤初女』
何年ぶりかで、Mさんに電話をしました。
便りのないのは良い便りというから
いい状態にあるかなと思って…
受話器の向こうから、以前と変わらぬ
おっとりしたMさんの声が聞こえて
きました。
ああ、元気でいるんだな~と思っていると
「前も大変だったけど、今はもっと大変」
と近況を伝えるMさんの話を聴いて
あまりの過酷さに言葉を失いました。
Mさんとは一緒に森のイスキアに
行ったこともあります。
初女さんと繋がる人は、起伏の多い
人生を送っているな~とつくづく思い
ました。
人は生まれる時に人生の計画書を
書いて生まれてくると聞いたことが
あります。
それは、いい生活をしようとかではなく
魂を成長させる為の計画書だそうです。
生まれて来る時には、全てを忘れて
誕生するそうです。
中村天風先生は、”全き善”と言われ
起こること全て善きことであると…
確かに、人生最悪と思った息子の死が
初女さんとの運命的な出会いを与えて
くれ、今の私があるのです。
魂を成長させるために、過酷と思われる
ことを選んで生まれてきているので
しょうか…
Mさんの人生も私の人生も…
初女さんとご縁のあった人たちの人生は
何と起伏の多い人生でしょう
だから、初女さんと巡り合ったのかも
しれません。
そして、過酷な今に天国を見出そうと
している人たち…
きっと、この起伏の多い人生は、
計画書通りの人生なんでしょう…
『天国は、はるか彼方に
あるものではなく
今ここに始まっているように
思えてなりません。
私にとっては、苦しみがあっても
”今、ここ”が天国です。
佐藤初女』
昨日は、9月伐採された樹齢100年の
山桜のお別れコンサートに行って来ました。
春に見事な花をつけ桜の世界に包み込んで
くれた山桜が、切り株だけになっていました。
跡には家が何軒も建つそうです。
山桜とのお別れに140人もの人が
集まって、音大生の奏でる
バイオリンの音色に心を寄せ、
桜にお別れをしました。
人間のやることは惨いな~と、
切り株を見ながら思いました。
今朝の日曜美術館は写真家の
宮崎学さんの特集でした。
野生動物などと向き合っている
宮崎さんは
太陽は1つ、そのもとに生きるものは
みんな店子なんだよ、
たかだか、地球の片隅に住まわして
もらっている人間だものと、言ってました。
本当にそうです。
また「自然は人間が考えるほど
小さいところで動いてない。
もっともっと大きいところで
動いている」と…
そして「文明が沸点に達した時に、
バブルというか、落とされる」と、
原発事故のことを言ってました。
人間は、地球を支配しているのではなく
地球に住まわせてもらっている
一つの種なのだということを
忘れてはいけないと思いました。
有難う 山桜さん
昨日は、写真家の田淵睦美さんが
私の職場に来てくれました。
話が弾み、12月に出る初女さんの文庫本の
こととなりました。
私は「あなたに喜んでもらえるように」が
文庫になると思い込んでいたのですが、
中央公論新社から出るのは、
「初女お母さんの愛の贈りもの」でした。
初女さんの本は全部持っているので、
家に帰ってこの本を見てみると、
まさに”おむすびの本”と言えるような
おむすびが縦糸となっているのです。
今月、主婦の友社から「おむすび」が
出版され、来月この本が文庫化される
このコロナ禍、人の触れたものは安心
出来ないというという流れの中で、
おむすびが必要とされる時が来ていると
感じました。
おむすびは、ソウルフードだから!
でも、ただご飯を結べば、ソウルフードの
おむすびになるかと言えば、決して
そうではないのです。
初女さんんもこの本に書いてます。
『ただご飯があれば美味しいおむすびが
できるわけどもありません。
お米の洗い方、水加減、炊飯器の
スイッチを入れる時間、炊き上がった
ご飯のほぐし方、お米の一粒一粒が
呼吸できるようににぎること、
のりをつける温度とタイミングなど、
すべてが整っておいしいおむすびに
なるのだと思います。
おむすびは「いのちと食」を考える
原点になるかもしれません。
生きること、いのちの恵み、
食べること、これらを切り離して
考えることはできません。』
初女さんのおむすびへの思いの深さに
私は、1ミリでも近づきたいです。
初女さんのおむすびを伝えたいという
思いが、分断を生んでいるコロナ禍で
益々大きくなりました。
この本に私はなぜかは初女さんに2つも
サインをしてもらっていました。
初女さんから贈られたこの2つの言葉が
私の心に響いています。
『おむすびを祈りで
佐藤初女』
『祈りのうちに
今を生きる
佐藤初女』
電車を待っていると、自動販売機を
掃除している若者が目に留まりました。
そういうお仕事なんでしょうが、
実に丁寧に細かいところまで拭いて
いるのです。
誰が見ているわけでもないのに、手の届く
ところは、全部拭いているのです。
その丁寧さに見とれてしまいました。
手を抜こうと思えば、いくらでも出来るのに
きっと、この人はどんな時にも
そうなんだろうなと、思いました。
私なんかお料理は、手を抜かないけれど
他のことは、まぁいいか~で済ませて
しまうことが多いです。
特に苦手な片づけは、”まぁいいか~”の
連続です。
初女さんは、どこを取っても初女さんの
生き方が見えてきました。
一生懸命お掃除する青年を見て、初女さんを
思い出しました。
生きる姿
調理には生きる姿があらわれます。
慌ただしい人は慌ただしくつくりますし
落ち着いてる人は落ち着いてつくります。
「忙しくて時間がない」と言う人も
いますが、そうでなく
できないなりに”なにができるだろうか”
と考えると必ずなにかしら方法が
みつかります。
”やろう”と決めて、初めてしまえば
いいんです
佐藤 初女
昨日、家に帰って来ると本が届いてました。
何と、初女さんの新刊です。
タイトルは、その名もズバリ「おむすび」
私が初女さんのことを、初女さんの
おむすびをお話しした翌日に
本当に不思議な気がします。
初女さんがご存命の時は、新刊が出ると
いつの頃からか、必ず送って下さいました。
だから、「おむすび」を手にしたとき
初女さんがいるような気持になりました。
この本は、以前に出版された
「愛蔵版 初女さんのお料理」と
「初女さんのお漬物」を再構成したものだ
そうです。
長年、初女さんの本に関わって来られた
編集者の方が、初女さんの心を届けるように
つくられた本です。
初女さんの細やかな心が、温もりが伝わって
きます。
見ているだけで、初女さんのお料理を
頂いているような気持になり
心が満たされて来るのです。
ああ、私は初女さんの心を頂いて
来たんだなと、この本を手に取りながら
思いました。
天国の初女さんから届いたような
おむすびの本です。
有難う、初女さん
これから、ゆっくり頂きます。
100名以上の方を前にお話させて
頂きました。
(オンラインで20日から視聴できる
そうです)
タイトルが「私はなぜイスキアの精神を
引き継いだのか」というもので、
これは天から降りて来た
ものだそうで、最初は重過ぎる
このタイトルにビビリましたが、
このことと向き合う必要があったんだと
終わってみてわかりました。
10分という時間の中で息子の死と
初女さんとの出会い、初女さんの心を
おむすびを縦糸としてお話したのですが
初女さんを知らない方々に伝わるだろうか
という不安もありました。
でも、初女さんは自分の中にあるものを
話せば大丈夫と言われていたので
自分を信じてお話しました。
そうしたら、涙して聴いて下さった方が
沢山いらっしゃって、私は感謝で胸が
一杯になりました。
人生のどん底と思われた息子の死が
私に未来を与えてくれているのです。
息子が亡くなった後、私は「死ぬ楽しみが
出来ました。」と言っていたのです。
死ねば息子に会えると思ったので…
その息子の死が私に生きる希望を与え
続けています。
人間の頭では、考えられないことです。
識別するという、大脳の蓋を取って
しまうと、私たちは無条件の愛に包まれ
今、この時を生きていると思えるのです。
『天国は、はるか彼方にあるものではなく
今ここに始まっているように
思えてなりません。
私にとっては、苦しみがあっても
"今、ここ”が天国です
佐藤 初女』