世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

たまかぎる

2007-05-31 09:01:10 | 歌集・恋のゆくへ
 
 
よきものと語りながらにをとめごのしろきかひなにあらじほをぬる

 
荒し男の見えぬ剣の胸にひそみいづる方なくわが身をぞ割る
 

たまかぎるほのかにきゆるあまた夜の君にあたへし白き指はも




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緑なれば

2007-05-30 09:33:11 | 詩集・貝の琴
緑なれば 桜さくらとわからず
青き森に和し 清きささやきを弾く
木漏れ日を散らし 喜びの夏の
青々と染む野に 苦しき神の
愛の塵をまく

かろき怒りの 愚かさのあとを
木を背負う蟻のごと 君は嘆く
あるがごとき鎖を 地に描きて
すべて虚無に等しと 苦き血を吐き
まどろみに去ねり

緑なれば 桜さくらとわからず
鳥の眼にこもる 清き魂の音を覚ます
木を背負う蟻の 萎えし足の痛みを
野に休む風の香に教え
愛の塵をまく
愛の塵をまく 


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疏食を飯らい、水を飲み

2007-05-29 10:03:17 | てんこの論語
子曰く、疏食を飯らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中に在り。不義にして富みかつ貴きは、われにおいて浮雲のごとし。【論語・述而】

先生はおっしゃった、雑炊を食べ、水を飲み、肱を枕に眠る。こんなつましい暮らしの中にも、楽しいことはある。正しくないことをして、お金持ちになったり地位を得たりすることは、わたしにとって、はかない浮雲のようなものだ。

前のブログでもやっていた論語のシリーズ、こちらでも時々やっていきたいと思います。

貧乏なことでは、わたしも非常に自信があるほうです。子供四人もいれば、服を買うのも大変、一着400円だとか500円だとかのTシャツを、ワゴンセールであさってます。子供の服だけでも大変なので、自分の服買うとき、罪悪感感じちゃいますよ。靴はいつも1足千円のやつ。でも先日思い切って、2千円のを買いました。冒険したって感じました。なんてことだ。

貧乏自慢も苦しいので、ほんとはもうちょっとお金持ちにはなりたいと思ってます♪ 正直なとこはね。

でも孔先生の言うとおり、こんなびんぼ暮らしでも楽しいことはあるので。一個しかないデジカメくんを大事に、写真を撮るのも楽しいです。素人写真ですが、きれいに撮れるのでうれしい。

詩を書くのも絵を描くのもすきです。体調から今、絵は休止してますけど、詩はいくつでもできる。歌を詠む楽しみもある。みんなみんな楽しい。なんで楽しいかというと、これらのことはみんな、わたしがやっているから。ほんとうのわたしを、楽しんでいるから。自分にうそはついていないから。

自分にうそをついて、お金をもうけたり、派手なステータスを得ても、ぜんぜん楽しくない。刺激的な遊びや、高価な品物を手に入れたり、美しい異性と遊ぶことができたり、いろいろなことはできるんでしょうけど、そんなのみんな楽しくない。

だってうそは、はかないんだもの。何もないの。楽しいことなんて何もないのに、楽しいんだって無理やり思うために、あらゆる努力をしなくてはならないのです。

わたしは、わたしの、ほんとうに好きなことをやりたい。青空の下で、本当の幸福に、笑っていたい。
美しいんだ。何もかも。あふれるほどの幸福に満ちているんだ。ただわたしが、ここにいる。それだけで。

それが本当の世界。

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愛のいたみ

2007-05-28 07:51:28 | 詩集・貝の琴

ほんとうのことばかりいうと
ここではすぐに孤独になる
ここではみな
うその方がいごこちがいいから
自分のついてきたうそが
どんなものなのか 見なくてすむから

だから うそをほんとだっていうことにして
ほんとのほんとには かわいそうなことをする
うその世界で ほんとをやるのは
馬鹿なんだよってことにする
ひりひりする孤独の油を注いで
馬鹿の聖別をする

ここちよい真実は すべてを支えている
やさしい浸透圧の音楽で ささやきながら
目を閉じている人の心臓の
苦しい記憶の痛みが 語りだすのに
いつも耳を澄ましている

涙で目を開けるとき
空があきれるほど澄んで青いのは
今の今まで
ほんとうの空を知らなかったからだ

美しすぎる世界を
虚無の塩でいためてきたうそを
真実が細やかな指でなおしていたことを
初めて知るからだ

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くりかえし

2007-05-27 00:26:27 | 詩集・貝の琴

すべてが こわれても
愛は こわれないんだよ
ぜんまいのちぎれた
ぶりきのろぼっとのように
くりかえし それはかたりかける

こおりついた真空の手で
すべてをひきさいた
あらゆる愛に虚無の刃を刺した
滅びに似たたそがれの光を
偽者の虚無に狂わせて
嘲笑の幻聴で満たした
世界中を

おれは王だ 蝿のように
あらゆるものにがまんならぬ
すべてを処刑する

愛をぶりきのろぼっとにして
ふるびたガラクタの中に捨てた
そのつもりだった
消えなかった光は
無意味の衣の中に守られて残った

倒れた王の干からびた片腕を
繰り返しくるったロボットの
ささやきが愛撫する

あいしているぞ おまえを

アイシテイルゾ オマエヲ



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こどもみたい

2007-05-26 11:30:03 | アートの小箱
昨日、スーパーの鮮魚売り場で、ほら貝を売っていたのです。一個198円。ほら貝なんて食べられるんだあって思ったのですが、どうしよう、珍しい、一個ほしいな。で、ちょっと迷ったのですが、買ってしまいました。

料理の仕方なんて知らないので、塩茹でしてみたんですけど、硬くて食べられなかった。でもいいんです。ほしかったのは貝殻ですから。歯ブラシで磨いて洗ってみたのですけど、けっこうきれい。これで何かやってみたいなあ。工作用ニスを塗るのは簡単だけど、ちょっともったいない。きれいだから、とにかく写真撮ってみよって、窓辺において写真とって見ました。

こういうことをするとね、人様には、あほだねとか、かわいいねとかいわれます。でもね、わたしはね、大人はつらいなって思う。きれいだなって思う心を、素直に楽しめないの。面白いなって思えば、ちょっとやってみればいいの。それだけなんだけど、子供みたいに、失敗して、笑われるのが怖くてやれない。
鮮魚売り場のほら貝。ほんとは料理の仕方とか使い方とか、あるんでしょうけどね、大人のやり方ってのがあるんでしょうけど、人はそこから突っ込みいれられるのがこわくて、おもしろいことできないの。ほんとにお前は子供だなとか、何にも知らないんだなっていわれるのがこわくて、できない。

絵はモリゾの描いた女性の肖像です。タイトルは忘れましたが、笑ってる女性がかわいくて気に入ってます。女の子はかわいい。自分の感性を楽しめる。女の子は一生、すっかり大人になってしまわなくてもいいから。いつだって楽しいもの、きれいなものを手にとって、楽しめる。
でも、大人になってしまったら、完全にそれを捨てなくてはいけない。少なくとも、今の世界では。愛と微笑みだけでは生きていけない世界になってしまっているから。すべてをつまらないものにして、滅ぼしてしまっていい、やっつけてしまっていいってものにしなければ、人間は生きていけないって世界になってしまっている。

モリゾはいい画家だと思うんだけど、相当な評価はされてませんね。理由はひとつ、女性だからでしょう。あんまりにかわいすぎて、本流じゃないて感じにとられるのかな。いろいろ世間をわかっている男の作品のほうがいいって思われるんだろうな。

でも正直、現代アートは息苦しい。芸術が、あまりに高いところ、偉い人がやるものになってしまってて、なんだか苦しい。見て楽しいものって言うより、えらい画家が描いたんだって思わなくちゃいけないのかなって感じでね。

アートの本質は、人間の感性を楽しむってことじゃないかなって気がするんですよ。スーパーで買ってきたほら貝を洗ってみる。貝の美しさを楽しんでみたい。そんなのがわたしは楽しいなあ。

こどもみたいですけどね♪
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それは確か

2007-05-25 14:55:57 | 珈琲の海
夕べから、雨が降っています。五月もそろそろ終わりに近づき、雨の季節も近づいてきました。花屋さんではアジサイの鉢をたくさん売っています。

今日は末っ子の幼稚園の参観日でした。日ごろは花や虫ばかり撮っているデジカメで、紙コップとトイレットペーパーのしんで、かわいい工作をしている息子を撮りました。

末っ子は4人目なので、少子化の昨今、幼稚園に行くと、周りのお母さんまでが子供に見えて困ります。お父さんまでもが、少年みたいに見えます。下手をすると、20歳くらい年下なんじゃないかっていう人もいますね。ファッションも会話も世界が違ってしまう。

長男が幼稚園の頃のわたしも、あんなふうだったのかな、なんて思ったりもします。必死だった。いろんなことがわかってなくて、戸惑いながら母親していた。自分がしたいことと、今していることの、苦しいギャップを、いろいろな工夫で埋めながら、なんとかやっていた。

同人誌をやったり、PTAで新聞を作ったり、絵本の読み聞かせをやったり。子育てをしながら、自分の魂が息できる窓をいつも探していました。

ともだちはいなかった。たいていはひとりだった。木や花や風や神様がともだちだった。自分がこの世界では、変わりすぎているものだと気づいたのは、いつごろだったろう。
魂を真実の空に浸していなければ、生きるのは苦しすぎるのに、この世界では常にうそをついていなければならない。口が言っていることと目が言っていることが違う人と話していると、口と目とどちらに返事をしていいかわからなくなってくる。

器用に生きていくことはできなくて、結局は自分に正直になるほうを選んで、今、半引きこもりです。
ひとりぼっちは多少なおりました。ともだちはできた。花や木も、昔よりももっと親しく話しかけてくれるようになった。いろいろなもの、すべてに愛があることがわかった。

ほんとうのわたしは、まったくべつのものであることがわかった。

いろんなことと格闘しながらやってきたことの数々には、実りがあるものもないものもありました。ただやってきたっていうことだけが、最低限のみのりってのもあったけど。なかなかに楽しかった。過ぎてきた年月は、あほみたいに苦しい、子供じみて何もわかっていないわたしの、やりつづけてきたことの心が充満している。

わたしはわたしをやってきた。ぼろぼろになりながら。それは確か。
それは確か。

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地球の女神

2007-05-24 11:37:59 | 画集・ウェヌスたちよ
家の改装が終わったので、ずっと額縁屋さんに預けてあった絵をとりにいきました。
写真が少しまずいですが、タイトルは「地球の女神」
青い紙をデザインカッターで切って、ケント紙にはりつけただけの、切り絵です。額縁のほうが重厚なつくりですが、なかなかにいいなって、自負してます。

これは女神の絵なので、わたしのサインは絵に入れてません。昔の宗教画などには、画家のサインは入っていませんしね。描いたというより、描かせてもらったという感じです。

悲しみに満ちた地球の女神。あらゆることに耐えている地球の女神。

この美しすぎる世界の女神はどんな方だろう。美しすぎる方に違いない。

デザインカッターひとつしか、ほぼ使えない、画家ともいえない画家ですが、なんとか描くことができました。神様が助けてくれたんだと思います。

わたしは女性の首絵みたいな絵しか描けないんです。主婦だし母親だし、ほかにも同人誌とかPTAとかいろいろやっていたので、じっくり腰すえて油絵などを学ぶ時間はなかった。てっとりばやく短時間でできて、しかもしあがりの美しいもの、といったら、切り絵があったんです。線が命の切り絵。色をつけることもありますが、つけないほうがきれい。

最近はいろいろあって、新作の制作が滞っているんですが、おいおい、ブログでも紹介していきたいと思います。
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やくそくのかぎ

2007-05-23 07:30:21 | 詩集・貝の琴

雲の光に
ふとかげった露草が
青ざめた泥の中に
隠れようとする

忘れ去った小箱の中に
鍵を隠していたことを
思い出した
あれは何の鍵だったか
どこに隠した

泥の中の夢の音が
耳鳴りのように頭を刺す
しびれている記憶のかげで
その声はつぶやく

見てはならなかった

心臓を隠したあばらを
誰かが割る音がする
壊れる前に
一切を苦しめなければ
でも

ああ あれは
約束の鍵

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それは知らない

2007-05-22 17:02:43 | 珈琲の海
今日は涼しい五月晴れの日でしたね。

改築中の家ができあがったので、そろそろ家具を移して、ちゃんとしなきゃいけません。ホームセンターに行って、夫といっしょにカーペットを選んできました。
畳の部屋はやめて、みんなフローリングにしたんです。子供がしょっちゅう落書きしたり、ジュースをこぼしたりして、畳が傷むので。

ホームセンターからの帰りには、いつものうどん屋さんで、夫といっしょに食事をしました。いつものお店にいつものメニュー。自閉っこは滅多に変えません。いつもと同じがいい。時には違うメニューもいいんじゃないかなって思うんですけど、今日のうどん焼きは少々味が薄かったので、ちょっとしまったって思ったりもしんだけど、やはり同じメニューが、なんだか安心。

写真の花は、うどん屋さんの前に咲いていた花です。だれかが世話しているんでしょうね。いつもきれいな花が植えられています。
向かいの空き地でアゲハを発見したので、追いかけたのですが、残念、逃げられてしまいました。とろいわたしには、アゲハは手に負える被写体ではないのかも。花はじっとしてくれるからいいな。

平和な一日です。空には雲ひとつない。風も涼しい。空を見ると、苦しいくらい、苦しい。青いだけじゃない。何もかも愛している大きすぎるものの微笑が、見えないままに見える。
真実が見えない、重くて軽くて硬い、音の板になって目の中に降りてくる。

世界は静かに存在している。わたしは走っていく。知っている。あれを知っている。知りながら走っていく。

語らない言葉の中に、透明なわなのように、金色の苦しい魚を放っておく。いつかしら青い花を持った魚が、世界中に繁殖していることに、みんなが気づく。だれが種をまいたのか。それは知らない。
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