世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ペチュニア

2008-06-30 09:11:38 | 花や木

数日前に、誕生日を迎えました。四捨五入すれば五十になります♪ この年になると、誕生日のお祝いもやるのが面倒なのですが、何にもないのもさみしいので、ケーキ屋さんにケーキを買いに行きました。画像の花は、そのとき、店先に植えられていたものです。

写真をみると、カメラがだいぶ疲れているのがわかりますね。ほんとは、もうとっくに買いかえたほうがいいのでしょうけど、なんだかもったいないので、使ってます。貧乏性もあるのですが、こうして、使いこんでくたくたになって、やわらかくなったものの、やさしさというのも、好きなのです。

一度、どこかが壊れたらしく、何を写してもピンぼけになるという頃があったのですが、いつの間にか持ち直してきて、それなりに感じのいい写真になってきました。そうなると、どうしても捨てられない。このまま、どうにもならなくなるまで、使ってから、新しいのを買うつもりです。おもしろいことになるように、いろいろやってみましょう。

カメラの勉強は、絶対にしないつもりなんですよ。ずっと素人で、お花とカメラにまかせて写すつもりなのです。それでどんなおもしろいものができるか、やってみたいの。今までにも、これはなんだ!と我ながら感嘆するものがたくさんできました。パソコンが壊れて、吹っ飛んでしまいましたけどね。

二番目のデジカメくんも、そろそろ妖精さんに進化しはじめています。もういいよ、ぼくは。カメラはやめる。きついから。もうだめになったな。いろいろなものに、負けてしまったな。すべて、ぼくが写してるつもりだったのに、みんなに助けてもらってた。だからもう、カメラをやめるよ。もういいんだ。みんな、大好きだから。

それだから、写真の花がみんな生きてるように見える。カメラがみんなを、助けてる。そんな写真になってきたかな。

おもしろいですね。

人間が作ったものにも、何かが生きていると感じるときがある。そんなことがありますね。生きているものには、何かがやってくる。見えない美しいものが、愛をささやきにくる。カメラは、生きているから。

もうちょっと使ってみましょ。何にも知らないカメラマンは、カメラにいつも、大変失礼なことをしてますけど。それでも、なんとかなるでしょ。愛がすべてを助けてくれるから。

ペチュニアは、強い花です。いやなこと、悪いことには、はっきりと「馬鹿」と言います。そしてきついお目玉もくらわせます。でも、人間が馬鹿をやめて、苦しみのうちにも、やりはじめたとき、いちばん助けてくれます。

もっとも苦しいのは、自分が馬鹿だとわかったとき。何もかも、自分のやったことが、馬鹿だったと、本当にわかったとき。まるで自分がみじめに思えて、そのまま消え入りたいと思うほど、全身全霊が痛くなる。もうだめだと思うときさえある。そんなとき、ペチュニアは助けてくれます。奈落に落ちていきそうな心を、見えないところで、支えてくれていたりするのです。

そして、重く崩れてしまいそうな魂を、力いっぱいもってくれて、大丈夫だよ、とささやいてくれる。やれるぞ、やれるぞ、やっと気づいたんだ。みんなこれからなんだよ。

ペチュニアは、力持ち。見る人の魂に、きつい一発をくらわせることもあれば、落ちそうな心を全身で支えてくれるときもある。いつも、人間に、なんとなくいやなやつって思われてるのは、力技ができるから。痛いことをやられるから。それでも、人は、この花を、いつも必要としている。だから、町中いたるところに、たくさん咲いている。人間は、心のどこかで、わかっている。ペチュニアがいれば、大丈夫だと。

なんとなく、わかるでしょ?



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セリ

2008-06-29 08:37:32 | 詩集・貝の琴

よんでいるよ
いきなさい

見えない赤子の 夢に描いた
小さな紙芝居の ふりをして
にんげんたちが やりはじめた

握りしめた汗が
塩の石になるまで 叫び続けた
苦い日々の壁を 壊して
みな飛び立っていく

はるかに はるかに
まだ見えない
おれたちの 山に向かって

みんな 美しくなるよ
みんな すきとおってくるよ
みんな 幸福になるよ

いってきなさい
まっているよ

新しいものはすべて
これから君が生み出すのだ


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ツユクサ・2

2008-06-28 08:33:26 | 花や木

昨日、今年初めて出会ったツユクサです。

ツユクサについては、去年も書きました。うちの近くの空き地の草むらに、生えていたツユクサ。その空き地の草むらは、少し前に刈り取られて、もうありません。毎年楽しませてくれていた草むらがもうないのは、少しさみしいですね。思い出がたくさんあるから。

あの草むらのツユクサが、一番最初に教えてくれたのです。心を開けば、花の言葉がわかるんだよと。それはすてきな邂逅でした。心に苦悩を抱いて、救いを求めるようにツユクサによっていったとき、瞬間、ツユクサの青が燃えるように光って見えたことがあったのです。そのころから、花の言いたいことが、だんだんはっきりとわかるようになってきた。

こうすればいいんだね、ということを、ツユクサが教えてくれたのです。ツユクサは、本当にやさしい。悲しいことも、苦しいことも、みんな知っている。その上で、澄んだ愛で、いちばん大切なことを教えてくれる。君たちの魂にとって、もっとも大切なことは、こういうことなんだよと。

ツユクサは、いろいろな苦しみにしばられて、あえいでいる人間の心を、すがすがしい空に導いてくれる。いいんだよ。素直に言いなさい。あなたの心が、もっともほしがっている美しいものをあげよう。それがあれば、大切なことがわかるようになって、とても楽になるよ。

心が、だれにもいえない痛い矛盾の中で苦しみあえいでいる時。絶対に人には話せない苦悩の中で、泥のように悶えているとき、ツユクサのところにいって、泣いてみてください。素直になっていいんだよ。なんでもいいなさい。そう言ってくれる。ほしいものをあげるよ。美しいものをあげるよ。

愛しているよ。みんな君が大好きだよ。君はほんとうにいい子だよ。やっていこうね。苦しい時は、絶対に助けてあげるから。

愛してるよ。


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ヒメジョオン

2008-06-27 08:43:53 | 花や木

きょうも、お花です。毎日毎日、よく書くことがあるなとお思いの方もいるでしょうな。わたしも、よくやってるなと思います。たまには、日常の小さなことでも書きたいと思うんですけど、なぜだか、重めになってしまうのが私。お花の話をしようとしても、なぜだか、相当に大きなテーマに飛び込んでしまう。難しいことをやろうとしてしまう。こういうのが私なんだなと思いつつ。始めます。

画像はヒメジョオンです。野原でよく見る普通の花ですが、この花、なんとなく、いつものヒメジョオンと違うでしょう。ヒメジョオンに限らず、キク科の花は、どこか男性的で、人間に厳しいことをいう花が多いです。人間がいつも、馬鹿なことをするので、厳しく怒っているという顔をしています。

このヒメジョオンも、去年までは、とっても渋い顔をしていました。なんておまえたちは馬鹿なんだ、と言ってるんです。ほんとに、人間に、怒っていたんです。ものすごく、怒っていたんです。それは、人間のしていることが、あまりにも、未熟だから。大切なことを、何もわからないで、とんでもないことを軽々としてしまうから。

魂の世界では、花たちはとても大切な仕事をしています。いろいろなことをしています。美しいことを大事に、こまやかに美しくやさしい絹のような愛を、日々織り続けているのです。だけど人間は、花たちが苦労して作ったその絹を、軽々と破り、ずたずたに砕いて、踏みつけていくのです。それで平気で、自分たちが一番偉いのだという顔で、通り過ぎていくのです。

多くの花たちは、溜息をつきつつ、仕方ないね、でなんとかしてくれますが、中にはほんとに怒ってる花も多いのです。

花たちが織り上げている愛の絹は、さみしがっている人間の魂をそっと包んだり、傷ついている魂の痛いところに巻いてあげたり、汚れている心をぬぐってあげたりするために、使っています。それは人間にとって、ほんとに助かることなんですよ。それをまるでわからないで、花なんてみんな馬鹿なものだ、何にもわかってないよって感じで、馬鹿なことをし続けている。

人間はどうして、学ばないんだろう。なぜ、自分たちだけが、何もかもしっているんだって考えているんだろう。

去年までは、ヒメジョオンは、こんなふうに、とても人間に怒っていたのです。だから人間も、この花を見ると、なんだかいやな感じがして、通り過ぎていったのです。かわいいけど、あまりきれいに見えないのは、人間にきついことを言ってるからなんですよ。

でも、この今年の花は、意外なほど美しいでしょう。びっくりするほど、かわいいでしょう。なぜなんでしょう。それはね、人間が、ようやく、気づいたからです。花が、すごいって。いろんなことをやってるって。それで、いろんなことを、知ってるって。

それで、人間が、愛の響きの世界に気づいて、いろいろなことを、やり始めたからです。そんな人間が、増えてきたからです。だから、ヒメジョオンは、言ってるのです。

そうか。君たちは、やるんだね。助けてあげるよ。ぜったいに、助けてあげるよ。

それで、こんなに、美しく見えるんですよ。

愛に目覚めた人間たちのために、花が、動き始めているのです。なんだか、今までとは違うことが、見えない世界で始まっている。

いよいよ、動き始める。

なんとなく、わかるでしょ?


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ヤマモモ

2008-06-26 14:11:53 | 花や木

花や木との話が続きます。最近はこればかりですね。いろいろとやってますが、論語のときは論語ばっかり、花のときは花のことばっかり。たまにはほかのことをと思うのですが、やっぱりそっちに行ってしまう。今は、これをやりたいってことなんですな。自分には素直になりましょう♪

これは、小学校のお庭に植えられている、ヤマモモです。今、赤い実をたわわにつけています。とってもきれいでしょう。食べると、刺激のある甘苦い味がして、おいしいのですが、子供たちは苦手なのかな、誰も食べていないみたいです。

モモだとか、マメだとか、人間の食べ物になってくれる植物は、どれも、たいていはとても親切で、やさしいものが多いです。豆と話をしていると、いつも「いいよ、あげるよ」と言ってくれるのです。与えたい、与えたい、あいしてるよ、そんな風に言ってくれるのです。食べ物になってくれる植物は、親切そのものの気持ちでやってくれるものがおおいのです。大根もそう。

でも、人参やいちごや、サツマイモは少し違いますね。いいよ、あげるよ、全部食べなさい、でも、勉強もやりなさい、と言います。なんとなくわかるでしょ。これらは、あげるけど、そのかわりに、ちゃんとやるのですよ、という厳しいお母さんのような植物です。

で、ヤマモモはというと。「食べてもいいけど、ちょっとつらいよ」と言います。害はないんだけど、食べると、少々君たちにとって、まずいことになるよ。なぜというとね、ヤマモモが君たちにあげるものは、君たちにはちょっと難しいんだ。まだできないことを、やらなくちゃいけないかもしれないんだよ。だからね、あんまりは、食べないでね。

ほら、なんとなく、わかるでしょ。

ヤマモモはおいしいです。スーパーなどでも、パック詰めになって売っていますよ。でも、あんまり食べたいと思わないでしょ。おいしそうな感じ、しないでしょ。ヤマモモ農家の人には悪いんですが、それはヤマモモが、ずっと人間にそう言ってるからなんですよ。「食べてもいいけど、食べないほうがいいよ」と。

つまり、ヤマモモは、まだ人間にはわからない、難しいことをやっているのです。それはね、これから、人間がどんどん勉強していけば、いずれはわかることなのですが、今はまだ、できないことなのです。ですから、今ヤマモモを食べれば、きついことになるかもしれないのです。たとえば、我慢できないことを、我慢しなくちゃいけないようなことになるかもしれないんですよ。

だから、あまり食べないでおくれ、とヤマモモは言います。きっといつか、ヤマモモが、人間のために役に立つときがくる。でもそれはね、人間が、もっともっと真実について勉強して、難しいことができるようになってからでないと、いけないんだよ。

ヤマモモはね、知ってるんだよ。まだ人間が知らない、とんでもない真実を。それはまだ、君たちに隠しておかねばならないんだ。それはね、愛が、どれだけ苦しいことを、やっているかを、知ることに、君たちが立派に耐えられるようになってからでないと、教えてはいけないんだ。

愛してるんだよ。世界のすべてが、君たちを。絶対に、なんとかしてあげるからね。

ヤマモモは、そう言っています。




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何の花?

2008-06-25 08:56:11 | 有為のしらべ

おとなりのおうちの、庭先に植えられている花です。変わった花で、ほかでは見たことがないので、いろいろ植物図鑑のサイトをめぐってみて、調べてみたのですが、わかりません。葉っぱがミントに少し似てるので、シソ科かな?と思うのですが、ご存じの方はいませんか?

これは花に見えますが、どうやらつぼみのようです。何というに、今は、ピンク色の小さな花が、この薄紅のさやの中からちらちら咲き始めているからです。最初はこれが花だと思っていたのですけど。

露が二つのって、まるで子犬の顔のように見えて、かわいいでしょう。

お花の話を、人間のことばに訳すのは、今日はお休みです。時々ね、わかりやすく人間の言葉に直すと、だいぶ長く説明せねばならないと感じることがあるからです。人間の言葉は、花にとったら、だいぶ、苦しいと感じるものです。つまりは、花にとっては少し単純すぎるのです。

また、人間は、言葉を嘘にしてしまうことを平気でやるので、とても難しいのです。本来は、言葉は、嘘になってはいけないものなのですが、人間は長い長い間、嘘をつき続けているので、人間の言葉は、花にとっては、少しやっかいなものでもあります。

花は、自分の形そのもの、存在そのもので歌い、語りますから。それそのものが真実ですから。うそがとてもいたい。それでも、愛でなんとかしてくれる。花は本当に、親切なのです。

花に心親しみ、その真実に触れ続けていると、人間の世界の嘘が、容易に見えるようになってきます。たとえば、テレビの中で踊っている女の子が、まるで薄っぺらな幻に見えたりするのです。ほんとうにきれいな女の子が、習った踊りを一生懸命に踊っているのですが、そして、とても美しいことを言っているのですが、その人の顔自体が、そんなのみんな嘘だよと言ってるのです。ほんとはみんな、馬鹿なんだよ、人間なんて。だって、みんなのやってること、知ってるもの。こんなきれいごとを、立派に嘘でやってのけて、みんなをだまして、それが人間なんだってことにしてる。馬鹿ばっかりだから、これでいいんだよって。

ほんとはみんなわかってるのに、こんなもんなんだよってことにして、苦しい現実から逃げている。もういやだよ。嘘ばっかりは。でも、なんでもないことにしないと、痛いんだよ。みんな嘘なんだよ。

苦しいよ。

きらびやかな幻が、すべて嘘だとわかっていても、やらなくてはならない。すべてないことにすることなど、できるはずがないことを、やってきてしまったから。目を閉じて、心を閉じて、ばかみたいな人形になって、やっている。すべてが、それだけになってしまったら、自分は、どこにいけばいいんだ?

わたしは、何なのだ?

本当の世界に帰れば、こんな苦しみなどすべてなくなる。本当に美しいのは、自分が、ほんとの自分であることだから。真っ正直に自由な自分は、そのまま愛だから。愛で生きることが、ほんとは一番楽なんだよ。だって、そのままでいいんだもの。

愛なんだよ。愛なんだよ。君は、愛なんだよ。花々の言っていることは、すべてそれです。それぞれに違うことばで、ずっと人間の魂に語り続けている。生きることが苦しいのは、君が、自分の最も間違ってはいけないところを、すっかり間違えてしまっているからだと。

さて、画像の花は、なんていってるんだと思います? それぞれに、自分で、訳してみてくださいね。簡単よ。花のことばを自分の一番やわらかなところに受け入れて、感じたことを、素直に書けばいいのです。

きっと、それぞれに、違うはずです。おもしろいのは、時々、まったく違った意味になったりすること。

花のことばは、それはそれは、美しくて、不思議なのです。みんな、それぞれに、感じたことは違う。でも、それが美しいリズムで魂に響いてくるなら。それはみんな、正しいのです。






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愛の響き

2008-06-24 08:24:11 | 生命

先日、山で見つけたカマキリの幼生です。アジサイの葉の上で、聖者のようにぴくりともせず止まっていました。

カマキリはとても美しい虫だと思います。捕食者の面構えが、なんともせい惨に美しい。むごいことをやりながらここまで美しいのは、見えないところで、聖なる仕事をしているからです。それはものすごく苦しいのです。ほんとよ。

先日、あるブログで、カマキリが卵を産む位置で、その冬の雪の高さがわかるという俗説が、科学的に否定された、という記事を読みました。なんでも、北の国では、カマキリは卵が雪に埋もれない位置に、卵を産むという俗説があるそうです。でも、それは間違いだと、なんとかという自然科学者の方が、実験をして証明したそうなのです。

ブログを書いてる方は、何でそんなことで熱くなるの?なんて書き方してましたが、科学者の人って、おもしろいですね。で、わたしはというと、ほんとはね、それはね、ちがうんですよ、と言いたいのです。

虫はね、人間が思っているよりも、ずっとすごいのです。虫は、この世界に流れている、わたしたちにはまだわからない、清くて高い波動の世界に生きているのです。人間には少し、厳しすぎる魂の世界に属しているのです。

この世界は愛の世界。人間もまた、世界に愛されている。人間はかわいい。なぜなら、虫のことなんか、何も知らなくて、ただ美しい、すごいと、はしゃいでくれるから。なんでも喜んでくれるから。だからね、虫の世界にいる清い魂は、人間に協力することがあるんですよ。

要するにね、人間が、カマキリの卵の高さで、冬の雪の丈がわかるべな、といえば、実際に、カマキリがそうやってくれるんです。それでね、人間が、そんなの迷信だべな、ていえば、やめるのです。それだけなんですよ。

なんとなく、わかるでしょ。そういうことって、あるでしょ?

そう思えば、そうなるなってこと。

それが愛の響き。

見えない何かが、愛してくれて、助けてくれているのです。カマキリの卵の高さで、雪の高さを教えてやろうと。人間はそれをわからないの。馬鹿だな。こんなことで、カガクテキ実験をやるのは、少々、教養がお粗末ですよ。ガッコの勉強は上手でも、人生勉強が足りません。

科学者は、もっと違うことに情熱を傾けねば。愛はいつも見ている。何のためにそれをやっているのか、いつだって見抜いている。

真実は一体何なのか、人間の理性の光でつかもうとするのが科学。それで、おもしろい世界を創ってゆく。

自分の魂が、おもしろいと感じなければ、科学は間違ってしまいますよ。ほんとのことは、もっともっと高いところにあるのだと、感じていなければ、変なところに迷ってしまいますよ。

頭がいいからえらいのではないのよ。そんなことでやれば、虫に、仕返しされますよ。

愛は、人間が思っているよりも、ずっと、すごいんですよ。




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花モチーフの亀

2008-06-23 09:02:40 | こものの部屋

今日はカメです。うちにも、小さなクサガメがいるのですが、なかなかにかわいいです。カメは金魚のように美しくもないし、カエルのようにすばやく泳いだり跳んだりすることもない。鳥のように飛べることも、きれいな声で歌うこともない。猫のようにかわいらしく甘えてくることもない。

ただ、水槽の中で砂利をかき混ぜながら動いているだけです。それなのに、いついつまでも長生きして、ずっとそばにいる。ほとんど何の役にも立たないのに、ずっといる。何日か餌を忘れても、世話をするのを怠けても、ずっと生きている。なぜかずっとそばにいる。それだけで、ほっとする。いなくなると、きっと誰よりもさびしい。

亀はずっといる。ただそこにいる。なぜそこにいるんだろう? なぜ生きているんだろう? 亀は、ふと自問することがある。わたしはこんなにも不格好で、醜くて、できることといったら、隠れるだけで、歩くのも泳ぐのも遅い。

鳥はとても美しくて、遠くまで飛ぶ。魚もそれは美しくて、素早く泳ぐ。それだけで生きている価値がある。でもわたしは? わたしはなぜ生きているんだろう? 亀は風に聞いてみる。すると風は答えてくれる。すべては神がお創りになったから。神にお聞きになったら?

風は神様の住んでいる場所も教えてくれる。でもそれは、ここからはるかに遠い。亀は最初、とても無理だと思って、あきらめる。けれど、少し経ったら、どうしても知りたいという気持ちが、強くもたげてくる。わたしはこんなにも醜くて、なんにもできないのに、なぜ神はわたしをお造りになったのか。それがどうしても知りたい。

亀は動き始める。神様のお住いに向かって、のろい足で、一歩一歩、歩き始める。しばらく行って、わかったことは、自分には足があるってこと。のろいし、短くて醜いけれど、がっしりした丈夫な足。ゆっくりだけど、絶対前に進む足。

わたしはのんびりだけど、馬鹿だから、我慢するのは得意だわ。これでやっていこう。時々、ネズミやリスが枝の上からやめなさいっていうのが聞こえる。からかっているのは子ザルの声。でも亀はがんばる。神様のところに行くの。そしてどうしてわたしをお造りになったか、尋ねてみる。馬鹿だなってたくさんの生き物がいう。君のそんなのろい足では、生きてるうちに行けっこないじゃないか。時々、風が何かを言いたげに見ていく。でもわたしは馬鹿だから、聞かないの。ずっと、前に進んでいくから。

途中、亀は、花の咲き乱れた野原に出会う。あまりに美しい花たち。カメはうっとりして思う。なんてきれいなんでしょう。こんなにきれいな花を踏んでは失礼だわ。遠回りしていこう。

亀は前に進む。ただ進む。その亀の甲羅に、いつしか、きれいな花もようができ始める。それは、亀のやさしい心を知った花たちが、亀の甲羅に描いていったのだ。がんばっている亀の心が、あまりにかわいかったので、亀がだれにでも愛されるように、花がそっと美しさを分けてくれたのだ。

亀はきっと、自分の甲羅が美しいことなど、一生わからないだろう。

やさしい気持ちで、ひたむきにがんばっているものには、見えない愛が集まってくる。そして、なぜだか、本当に美しくなってくる。

不格好で醜いのに、何にも出来ないのに、亀はなぜだかかわいく見える。それは、亀のやさしい気持ちに、愛がたくさん集まってくるから。

神様はもうとっくに答えているのよ。風がそっと、亀の耳にささやいていく。

このカードの意味は、「美しいもの」です。


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ケープ

2008-06-22 08:10:27 | こものの部屋

紺のコットン糸で編みました。一応ケープですが、腰にまいてオーバースカートとして利用しています。紐をぬけば、ストールにもなりますよ。

最近のはやりですが、Tシャツやポロシャツが、やたらと小さく丈が短くて、ジーパンはまた上が浅いので、わたしのようなおばさんは、おへそが見えてしまうのです。かといってワンサイズ大きくすれば、幅が大きすぎるし、こまったもんです。

そこらへんの理由から、オーバースカートなんてものもはやるんでしょうけど、若い人のように派手で可愛くしたくなかったので、抑え目にしてみたのですが、実際つけてみると、かなりかわいめになって、困ったなってとこです。

最近の服の流行は、どうにかならんものかと考えている人は、そう少なくないんではないでしょうか。あのチュニック風の服は、誰にでも着れるようにいろいろ工夫はしていますが、正直いって、困りものです。あのデザインは、着る人を選ぶのですが、そこは、似合わない人にも似合わせるために、やたらと工夫してるとこが、鼻につきすぎて、かえっていやみになってる。そろそろ終わってほしいな。

男ものも女ものも、Tシャツが小さく短かめになっているのは、たぶん体を大きく見せるためなんでしょう。大きく見せるのは、強くてできる人に見せたい、という心理もあると思います。最近は、ゆとり教育なんだので、真面目に勉強することがださくなっているので、大人になっても、半人前、まるで仕事ができないって人が増えています。それで、せめて服ででも、できる人に見せたい、という心が働くんでしょう。

ハンバーガー屋さんでも、まともに注文が伝わらない若い店員さんがいますよ。言ってることわかるの?ていう感じで、注文してみたら、あ、ハンバーガーが一つ足りない、なんてこと、よくありました。

学校で、人の話を聞くこと、自分の言いたいことを正しく伝えること、勉強しなかったんですね。だから、仕事場で、いつも子供扱いされて、苦しいから、ファッションで、できるかっこいいやつになりたくて、あんな服がはやるんでしょう。

いい加減にやめなさいと言いたいのは、ほんと、わたしがおばさんだからなんですが、ほんまに苦しいわ。

言わないとわからないの? て感じで言いますが、中身ができてないのに、服だけでできるヤツに見せたら、馬鹿にしか見えませんよ。だって、できもしないのにえらそうに胸張って歩いてるって、まるわかりなんだもの。

子供だから、世間は点数甘めに見てくれるって時代じゃなくなってきています。というのも、子供な大人がやってることが、実際、大変なことになってきてるから。

勉強せんかい!!!と、わたしならどなってやりますよ。



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芋虫の憂い

2008-06-21 08:02:55 | こものの部屋

少々変わった蝶の絵です。この蝶は、花ではなく葉っぱによっていきます。そして蜜ではなく、露を飲みます。本当は葉っぱを食べたいのですが、最近、なぜか食べられなくなったのです。

そう。この蝶は、自分が蝶になっていることに、まだ気づいていないのです。なぜなら、彼は、昔、小さな芋虫だったころ、自分のあまりの醜さに、すっかりいやになり、夜に逃げてしまったからです。

自分の姿を、誰にも見られたくなかったのです。自分は、こんなにも醜い、ばかみたいなものだと、ずっと思ってきて、昼に眠り、夜にだけ動いていたのです。夜なら、自分の姿を見なくて済むし、だれにも会わなくて済むからです。

だから彼は、自分がどんどん大きくなって、突然動けなくなったり、眠り込んでしまったりしたことを、病気か何かと思って、別に気にもしなかったのです。昼の世界に生きていたなら、彼はきっと、見違えるほど美しくなった自分に気づいたことでしょう。けれども、ずっと光から逃げていたがために、なんともおかしなことになってしまった。

彼は、昔のように葉っぱが食べられなくなったことに、不安を感じています。なんとなくいやなことになったのだと、考えています。まったく自分は、何をしてもだめになるんだと、考えているのです。そして、飢えをしのぐために、露を飲んでいるのですが、何かいつも物足りないと感じているのです。なぜなんだろう? なぜなんだろう? 何かが足りない。おれときたら、なんでこんなに、いつだって不幸せなんだ。

光の世界では、彼と同じ仲間が、美しい花々の上を飛び回って、甘い蜜に酔いしれて、生きることの楽しさを謳歌しているのです。彼はそのことを、まったく知らない。

とんでもないことになっていることに気づいた夜風が、彼にささやきます。

「なにをしているの? そんなところにいてはだめよ」
「おまえは、美しい蝶なのよ。なぜそこにいるの?」

でも彼は、自分がまったく醜い芋虫だと考えているので、振り向きもしません。夜風はため息をつきながら、もう一度言います。

「おまえは、飛べるのよ。美しいのよ。気づいて。気づいて。もうすっかり変わっているのよ」

けれども彼は耳を貸さない。自分の美しい翅が、闇に埋もれているのに全く気付かないまま、昔と変わらず、芋虫のように葉っぱの上を這い続けて、自分の運命が悲しい、つらい、苦しいと、ずっとうめき続けているのです。

このカードの意味は、「馬鹿者」です。

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