数日前に、誕生日を迎えました。四捨五入すれば五十になります♪ この年になると、誕生日のお祝いもやるのが面倒なのですが、何にもないのもさみしいので、ケーキ屋さんにケーキを買いに行きました。画像の花は、そのとき、店先に植えられていたものです。
写真をみると、カメラがだいぶ疲れているのがわかりますね。ほんとは、もうとっくに買いかえたほうがいいのでしょうけど、なんだかもったいないので、使ってます。貧乏性もあるのですが、こうして、使いこんでくたくたになって、やわらかくなったものの、やさしさというのも、好きなのです。
一度、どこかが壊れたらしく、何を写してもピンぼけになるという頃があったのですが、いつの間にか持ち直してきて、それなりに感じのいい写真になってきました。そうなると、どうしても捨てられない。このまま、どうにもならなくなるまで、使ってから、新しいのを買うつもりです。おもしろいことになるように、いろいろやってみましょう。
カメラの勉強は、絶対にしないつもりなんですよ。ずっと素人で、お花とカメラにまかせて写すつもりなのです。それでどんなおもしろいものができるか、やってみたいの。今までにも、これはなんだ!と我ながら感嘆するものがたくさんできました。パソコンが壊れて、吹っ飛んでしまいましたけどね。
二番目のデジカメくんも、そろそろ妖精さんに進化しはじめています。もういいよ、ぼくは。カメラはやめる。きついから。もうだめになったな。いろいろなものに、負けてしまったな。すべて、ぼくが写してるつもりだったのに、みんなに助けてもらってた。だからもう、カメラをやめるよ。もういいんだ。みんな、大好きだから。
それだから、写真の花がみんな生きてるように見える。カメラがみんなを、助けてる。そんな写真になってきたかな。
おもしろいですね。
人間が作ったものにも、何かが生きていると感じるときがある。そんなことがありますね。生きているものには、何かがやってくる。見えない美しいものが、愛をささやきにくる。カメラは、生きているから。
もうちょっと使ってみましょ。何にも知らないカメラマンは、カメラにいつも、大変失礼なことをしてますけど。それでも、なんとかなるでしょ。愛がすべてを助けてくれるから。
ペチュニアは、強い花です。いやなこと、悪いことには、はっきりと「馬鹿」と言います。そしてきついお目玉もくらわせます。でも、人間が馬鹿をやめて、苦しみのうちにも、やりはじめたとき、いちばん助けてくれます。
もっとも苦しいのは、自分が馬鹿だとわかったとき。何もかも、自分のやったことが、馬鹿だったと、本当にわかったとき。まるで自分がみじめに思えて、そのまま消え入りたいと思うほど、全身全霊が痛くなる。もうだめだと思うときさえある。そんなとき、ペチュニアは助けてくれます。奈落に落ちていきそうな心を、見えないところで、支えてくれていたりするのです。
そして、重く崩れてしまいそうな魂を、力いっぱいもってくれて、大丈夫だよ、とささやいてくれる。やれるぞ、やれるぞ、やっと気づいたんだ。みんなこれからなんだよ。
ペチュニアは、力持ち。見る人の魂に、きつい一発をくらわせることもあれば、落ちそうな心を全身で支えてくれるときもある。いつも、人間に、なんとなくいやなやつって思われてるのは、力技ができるから。痛いことをやられるから。それでも、人は、この花を、いつも必要としている。だから、町中いたるところに、たくさん咲いている。人間は、心のどこかで、わかっている。ペチュニアがいれば、大丈夫だと。
なんとなく、わかるでしょ?