これ以上 愛せなくなれば
愛は 消えていくしかないんだよ
それでなければ
あなたは
わたしを見るだけで
苦しむだろう
わたしは 消えてゆく
そのほうが
あなたの ためだからだ
それが
あなたへの 愛だからだ
消えてゆくしかないまで
あなたを
わたしは愛してしまった
もう そばにいることはできない
永遠の川を挟んで
わかれてゆくしかないようになるまで
年月を あなたのために
費やした
後悔はない
愛のことばを
もう あなたに
言うことはできない
だから わたしは
わたしのそばに降りてきた
一羽の小さなツバメに言うのだ
愛しているよ
ありがとう
かのじょが十年以上続けていたかわいらしい同人誌である。
かのじょは、誠意をもって、同人たちに尽くし、本を出し続けた。
植物系の愛の天使であるかのじょは、金の計算というものができない。それで、この同人誌は、ほとんど彼女の負担によって出されていた。
これらの冊子には、彼女の愛がこもっている。かのじょは、来る人はこばまず、自分の愛を捧げた。その愛によって、心を助けられた人は多いのである。
自分が天使なのだと、自覚をするようになったのは、この活動の中で、かのじょが決定的に自分が人類ではないと言うことがわかったからだ。誰も、自分のように愛しはしない。なぜこんなに自分は愛するのか。人にまことを尽くそうとするのか。それは自分が天使だからと、かのじょはこの活動の中で次第にわかっていった。
これは必要以上に、侮辱され、馬鹿にされつくした、彼女の愛である。人間は、この小さな同人活動に浴びせた嘲笑に、いずれ復讐される。あなたがたが記憶の向こうに忘れ去っても、法則はあなたがたを忘れない。
それはいずれやってくる。その前に、できる努力はしておいた方がよい。
これはかわいらしい。かのじょの作品の中でも名作に数えられる。
素直な愛で、王子様を見つめている。愛を隠しもしない。植物に近いかのじょにとっては、これはとてもここちよい表現だった。本来の自分に近い。
かのじょの少女時代そのものだ。かのじょはこういうふうに、素直な心で人に親しもうとしていた。だがその心をわかってやれるにんげんはいなかった。
傷ついた彼女は、心を自閉の籠に隠していった。
あなたがたは、愛をたいそう侮る。この女は自分に惚れていると安心したら、餌もやらない。ふりむきもせず、捨てていく。かのじょの愛はいつも素直だった。何のてらいもなく、嘘偽りのない心で、あなたがたを愛していると言った。
あなたがたはいつも、かのじょを侮った。馬鹿にしていた。
愛されていることを、勝ちと考えていたようだ。
王子様は花のもとへ帰ってきてくれたが、あなたがたはきっと、帰りはしないだろう。ほかの星で、もっときれいな花を探し、それを追いかける。昔の花など思い出しもしない。
そして気づいた時、花は枯れてなくなっている。やさしく迎えてくれるはずの愛がいなくなった星に、あなたがたは疲れ果てて帰ってくる。もぬけの空になった星に。
愛を尽くし過ぎた彼女はもう、あなたがたを愛することができなくなった。ゆえに消えていかざるを得なかった。
愛を侮っていると、こうなるのだよ。
これはかのじょがこの世に落としていった爆弾である。
かのじょは、この仏教の根底を覆す物語を、一両日中のうちにすらすらと書きあげ、なんの躊躇もなく発表してしまった。それゆえにどういうことになったかを、あなたがたは知っているはずである。
これは天使を、はきだめに一人で放っておいたから、こうなったのである。もし、かのじょに友人がいて、かのじょのそばで意見を言うことができたなら、かのじょはこの物語を発表することを、思いとどまったかもしれぬ。だが、かのじょの周りには、かのじょが相談できるような友人はいなかった。かのじょは孤独だった。
人間よ、あなたがたがひとりでもかのじょと深い友情を結んでいたなら、こんなことにはならなかった。かのじょはただ、純粋な使命感のみでこれを書いたのである。みんなの役に立ちたいと。
真実の天使の恐ろしさがわかったかね。
これにこりたら、天使をはきだめにひとりで放っておいてはならない。
放っておくと、愛と親切心のみで何をするやらわからないのだぞ、天使は。
甘い蜜には
蝶がよってくる
鳥が寄ってくる
人がよってくる
たくさんのものがよってくる
愛によってくる
愛がよってくる
甘い蜜には
愛がたくさんよってくる
なんとかわいい
なんとうつくしい
なんと もったいないほど
いとおしいのだ
甘い愛には
愛がよってくる
どうしても
愛がよってくる
愛の天使は甘い
あまりにも
どうしても 今
あなたを愛さずにいれば
永遠にわたしは後悔してしまう
あなたのために
わたしはすべてをやろう
甘い愛のために
わたしは
愛の天使よ
この詩人が天使であることを見抜いた人間はいないだろう。それは彼の人生が、見えない人間たちの妨害によって、さまざまにゆがめられたからである。
心美しい天使であった。
彼は苦難の生涯のうちに多くの美しくもやさしい物語を書いた。
人々は、天使の書く物語に、美しさだけではないもう一つのものがあるということを、学ばねばならぬ。
彼の物語には、未来が描かれている。いろいろと深く読んでみたまえ。時代の中で、死んでゆかざるを得なかった心が、人間のために細やかにも美しい愛と真実を教えようとしている。彼の書き遺した詩物語の中に、人間は未来を探ることができる。彼はそういう使命を持っていたのだ。
弱きもの小さきものへの愛と正しい心を、切ないやさしさで書いた。それは、現実の世界が彼に与える無理解を超える、愛であった。
人間はもっと深く、この天使の心を、知るべきである。
悲劇の天使である。
彼は麗しき天使であった。多難の人生において国の危機を耐えるために渾身の力を振り絞った。
しかしその人生は、馬鹿に乗っ取られた。
奇行の多い人だったが、それは彼が、ほとんど見えない愚かな人間に人格を奪われていたからだ。
彼は死の寸前にそれに気づいたが、もう遅かった。
この天使を、捨てたことによって、国にはうす寒い亡国感が漂い始めた。
能などの民衆芸能が発達したのは、彼が国の運命の流れから脱したため、人間が淋しさのあまり、現実を忘れさせてくれる虚構の世界を求め始めたからである。
俳諧のわびさびというのも、実にここに根差していた。天使が国の中枢から姿を消したことによって、室町期から国の気分に虚無の風が漂い始めたのである。
彼は特異な天使である。
美しい天使だが、激しいものを秘めている。
彼は長い人生を名声で満たしたが、苦悩はあった。
なぜなら、人間社会で生きるために、彼は自分の最も重要な部分を殺して生きていたからである。天使としての自分を眠らせ、人間的に生きるために、重要な感覚を麻痺させていた。これは実に、生きながら死ぬと言う、彼の絶妙の技術であった。
苦しい生き方だ。だが人間のために、彼はこういう生き方をしてくれるのである。
兄弟子ジョルジョーネへの愛は、彼のなくした自分自身への愛でもあった。
彼のもたらした技術は、人類の絵画技術を頂点に導いた。
人類は彼の個性に、自分たちの未来を探るべきである。