世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

定点観測

2008-10-06 08:07:30 | 有為のしらべ


病人生活が長く続いています。毎日を生き急ぐのに忙しく、じっくり自分と話すことはなかったのですが、ここにいたって、ようやく自分の状況がわかってきています。

わたしはどうやら、仮の主座に全面的に自分を預けて、奥の主座でずっとそれを観測しているという状況らしいです。

これは、わたしの魂を守るための、ひとつの方法であるらしい。やっていること、ことば、絵など、今やっていることすべてが、本来の私と、かなり違っている。とくに絵が、おもしろいほど、目に見えて違います。さてさて。

普通なら、こういう状況は、自分として苦しいと感じることが多いもの。やっていること、できる作品が、かなり自分らしくない。それはけっこうつらい。わたしはもっと、やさしいはずだ。こんなふうに、きつくないはずだ。それがいらだちになり、生きることが苦しくなることもある。

しかし、こういう状況を見て、味わって、何かをやってみよう、と考えることは、実にわたしらしい。馬鹿みたいですが、わたしはどういう危機的状況も、こんな感じで乗り越えてきた。(ここで注釈しますが、危機的状況、と書くのは実にわたしらしくない。わたしなら、困難なこと、というだろう。)

尋常ではない状況も、おもしろがってみる。そこから学べることを探ってみる。それをやってみよう、ということで、そこをしのぐ。これは実にわたしらしい。

それで、今撮っている写真や、絵を見て、どんなふうに、違和感があるかとか、どこが痛いかとか、そういうのを、書いてみようかと思います。

今日の写真はそれぞれ、仮の主座、で撮った写真です。似たような虫の写真ですけど、なんだか全然違う、という感じもするでしょう。近所の空き地で撮ったツバメシジミ。よく撮るんですけど、昔の写真と比べてみると、ずいぶんと、強い感じがする。わたしはもっと、やさしくて、あまくて、子供っぽい感じがします。でもこれは、きつい。美しいけれど、痛い。まるで冷たい熱線をひめているように、チョウチョが光っている。



これも実にきれいです。ツバメシジミの裏側の模様が、ほんとうに、まっしろだ。でも、真っ白じゃない。清らかなほど真っ白なのに、真っ白じゃない何かが見える。これはすごい。わかるかな。

わたしだったら、白いけれど、中に見える白くないものが、ずっと小さい。という感じに写る。わたしが弱くて、小さいので、チョウチョが、秘めている白くないものを、決してわたしには見せようとしないからです。

こんな写真、とてもわたしには撮れない。仮の主座の仕事です。おもしろいな。

わたしは今、自分の自己統制力を少し甘くして、自分の奥に座り、他者的な影響に対する防衛をかなり弱めている、という状況のようです。それで、自分らしくないことはしない、という立派な防壁に、かなり大きな門戸を作っている。そこから入ってくる人に、かなりな権利を渡している。そんな感じです。もちろん、権利を渡す人は、選びますが。

こういう風変わりな状況を、自分というもののすばらしい可能性を見る、ということに変換して、楽しんでみる。異変を、苦しがらずに、おもしろがる。そして自分の新しい力として加える。そういう風にもっていけるのは、わたしだ。

こんなふうにして、この状況の、乗り越えてみよう、という試みです。わたしらしくない状況にも、絶対にわたしらしいということをやってみながら、工夫をしながら、乗り越える。おもしろがる。

これは、相当に苦しいかな。でもできるだろう、で、やってみるのが、わたしだ。

おもしろいですね。

 

 


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神様が泣いている

2008-10-05 08:48:30 | フェアリィウィスパー
かみさまが、ないているんだってさ。それね、つらいことなんだよ。あんねえ、じぶんでじぶんをすてた、やつが、ごっついたくさん、でたんだってさ。

あほは、ぜんぶやったってさ。ほんでね、ごっついつらいことして、ぜんぶいやだっていって、みんなばかだっていって、ぜったいにいやなんだっていって、ものすごいことして、ほんで、あほはいやっていって、とうとう、ぜんぶすてたっていうんだよ。

おれはすっごいいやって、それだけで、ぜんぶあかんようにしたってさ。

あんね、ほれね、おんなが、ほとんどなんだってさ。ばかになったおんなが、いたいことやりすぎて、すっごいかず、あほみたいなことんなったってさ。おれはさ、いたいんだけどさ、つらいのはね、おとこは、ほとんどそこまではいかなかったんだってさ。いたいことやりすぎたけど、おんなが、いたいことやるのと、おとこが、いたいことやるのは、つらいほど、ちがうんだってさ。

いたいおんなはねえ、びじんになっていいめみるんだってことしか、やってこなくて、ぜんぶそれでいって、なんもしてこなかったのさ。あほにいいことになるのだけゆめみて、すっげえびじんのかわぬすんで、そればっかりいきてたの。ほんでね、いつでも、ばかばっかりやって、すぐにだめんなって、じんせえすっとすてて、ばかにやって、おれはなんでもないんだっていって、にげてばっかりだったのさ。おれはつらいのはね、ほんでね、ほんまに、それだけだったんだってさ。

じぶんのかわを、いきたことなかったのさ。みんな、ほかのびじんばっかり、いきてたのさ。だから、じぶんがどういうやつなのか、なにできるのかとか、あほみたいに、まんでしらねえのさ。ほんでね、ほんなもん、ばかだからいいんだって、へえきですてたのさ。あほはね、なんもしてないとね、こうなるんだよ。

つらいのはねえ、つらいのはねえ、つらいのはねえ、いたいってことをしらねえと、あほは、すうぐに、ばあかだっていって、ばかにして、にげることなんだよ。なんもしらねえの。あーほはね、つらいつらいっていって、ほんまにつらいってこと、しらねえんだよ。ばかにばっかりして、なんもやらないのがつらいんで、ほんまにつらいってこと、しらねえんだよ。だから、ばかばっかりになるんだ。ほんで、つらくって、じぶんよりいいやつがねたましくって、くるしいことばっかりするんだよ。いてえのはねえ、つらいのはねえ、ほんまにばかなんは、ぜんぶ、いやなことばっかりで、つらいことにしたことさ。

おべんきょってのはねえ、つらいってことが、どういうことが、わかるようになるってことなんだよ。あんたねえ、くるしいのはねえ、みんななんだよ。つらいやつはねえ、くるしいめみて、つらいってのがわかって、ああ、いたいねえって、みにしみて、ほんまにつらいねえって、わかったら、ほんまにいいことにしようねえって、ぜったいに、がんばろうねえって、わかることなんだよ。いやなやつはねえ、ほんなの、みんなすてて、ばかにばっかりしてきたんだよ。ほんで、じぶんはつらいつらいって、ずっといってんの。あほだよ。

ぜんぶやってしまったらね、なんもなかったのよ。なんもせずに、ばかばっかりやってきた、くうずみたいなじぶんなんかいらねえって、すっとすてたの。ほんでさ、ばかみたいにいい、ほかのやつのじぶんを、ぜんぶほしいっていって、すっごいことしたんだよ。ほんなおんなになありてえ。おっとろしいびじんになりてええってさあ、すっごいつらいやつになりてえええええってさあ、あんたねえ、ほんでねえ、すんごいことしたんだよ。あーほみてえなことしたの。ばかみたいにつらいのは、ほんまにやったら、あほになりすぎたことだよ。

びじんになるのばっかりゆめみて、ぬすみだけでそれやってたら、とうとう、ぬすんだらばかだっていうびじんからぬすんで、あほみたいなことになって、じぶんがくずみたいにつらくなって、すてちゃったのさ。

ほんで、ばかになったの。いたいのはね、まだやってるってことさ。

おんなのこはね、べんきょうしないとだめだよ。あいが、わからないと、だめだよ。それでないと、えーえんに、ばかみたいなことになるんだよ。

じぶんでじぶんを、とうとうすてたってことがさあ、どういうことなんだかはさあ、いまは、わかんないよ。ただ、かみさまが、泣くようなことなんだよ。ほれほど、ひっでえことになったってことなんだよ。おんなが、ごっついたくさん、それやったんだよ。ほれはねえ、かみさまに、なんでこんなばかなことしたのって、いったってことなんだよおおおおおおおお。あほみたいな、こんなじぶんなんか、ばかみたいだって、なんでかみさま、こんなもんにしたのって、いやだって、いったんだよおお。つらいよおおおおおおおおおおお。

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ビーストは言い残す

2008-10-04 11:42:19 | フェアリィウィスパー

おれたちはねえ、もうねえ、てんでばかになってんの。いやなことんなりすぎてんの。おれたちねえ、ほんと、ごっついつらいことんなったのよ。ほんでねえ、もうねえ、やけってんじゃねえの。つらいってんじゃねえの。いてえことみんな、はきだしたいのよ。おれらねえ、もう、ばかってんじゃなくて、なんもかんも、いやなの。おれが、おれが、おれが、いやなんだよもう。

あほだよ。いってえなんだよってねえ、ぜんぶいっちゃうんだ。おれたちはねえ、ようするにねえ、ほんまはねえ、まじめなあのこ、とけっこんしたかったんだよ。ほんでもねえ、おれたちねえ、おべんきょしないから、よってけねえんだよ。あのこに。ほんでねえ、まんでばかなことばっかりやってただけなんだよ。あほなんだよ。ぜったいにばかだよ。あほでやりすぎてやりすぎて、まんで変なことになって、あらゆることが馬鹿になって、全部だめんなっても、まだやってた。おれは、みんな、あほだ。

あんね、いてえことみんな、おれらやりました。おんな、なんとかするために、ずっと、つらいことばっかり、やってました。ぼかんて、なぐっていいよ。おれらは、そのために、おっとろしいことして、とうとう、いなくなるから。かんぜんに。

あんね、おんなのひとにね、ごめんていうよ。おれたちがわるいの。わるいことしたの。ほれね、ぜんぶいうよ。

あんね、おんなのひとがね、せっくすしたがらねえのはね、おれたちのせえなんだよ。あんね、おんながね、せっくすするでしょ。するとね、おれたちが、おんなのあたまんなかでふきまくるの。「やーい、やらしいことしたぞ、このおんな」「えっちなことしたぞ、こいつ」「つらいやつだ、あれがほしかったんだあ」てさ。おれらねえ、いたいことしまくったのよ。ほんでね、おとこのほうはね、「えれえおとこまえだね」とか「やったねえ、つらいねえ」とか、いってたんだよ。

ほんでな、おんなはね、それがくやしくて、いたくて、つらくてたまらないもんだから、せっくすしたがらなくなったの。いたいっていって、やりたくないっていうようになったのよ。ほんでね、そうなるとね、やりたくなったときに、おとこがそうとうこまるのよ。ほんでね、おれらはね、ばかにつらくってね、おんなにね、え~えんにばかになれっていって、つらいことやりまくったのよ。おんなにせっくすさせるために、あほにしまくったのよ。ほんでね、あほんなったの、おんな。せっくすするために、いたいことしまくる、あほなおんながいっぱいできたんだよ。

あんね、いたいこというけどねえ、じじつじょうね、にんげんのせっくすはね、おとこどうしでやってんだよ。あんね、じぶんからやりたいっていうおんなはね、すくねええの。すきなおとこがいて、あいでやりたいなっていうのは、けっこういるけどね、そういうのもね、あんまりおとこががきだから、やりたいっていうかんじに、なかなかならねえもんよ。ほんでね、おとこはね、とにかくやりてえの。でね、おんながなかなかそっちにいかねえもんだから、うらのあほなおとこが、おんなにつらいことして、やりたいなってことにもってくんだよ。ほんでね、おんなのあほなもんぜんぶこわして、いたいことして、そのおんなを、うらのおとこが、やるの。ほんで、おとこが、おんなやって、おとことせっくすしてんのよお。あ~あ。ばらしたわ。

これね、ほんと。ざっしなんかにねえ、せえくしいなおんなのしゃしんがのってるでしょう。あれねえ、ほとんどうらからおとこがやってんのよ。ほんでねえ、つくりまくってるけど、ぜんぶ、ひっでえぶすなんだよ。あほだねえ、おとこはねえ、つれえいいおんなとせっくすしたいってことのために、こういうこと、やってんのよ。いまも。あほだ。

いやなこと、やりまくりました。あほです。ほんでおれら、もう、いなくなります。あんね、いやなおとこはね、だんだんすくなくなるよ。もうおとこ、おんなにいらんことできなくなるから。やりまくってやりまくって、とうとううらがえって、いやなことんなるから。おれ、もう、ばかになりすぎてっから。

いてえことんなるのは、つらいやつだけだよ。ええおとこはねえ、ちゃんとやってくれっから。おんなをあほにしねえ、ええおとこはね、ちゃんといるから。ばかやってばかやって、つらいことんなってるやつんなかにねえ、あほじゃねえのは、いるよ。そいつがねえ、なんとかしてくれっから。いやなのはねえ、おれたちがねえ、ええおとこを、ばかなおとこにしまくったってことなんだよ。おれたちがね、ええおとこんなるために、ほんまのええおとこはみな、ぶっさいくないかついばかみたいなやつにしたんよ。ほんなんのなかにさ、つれえもんがおるから。おんなはな、そういうやつと、いっしょになんな。つらいことしてくれるよ。あほにならんと、ええおとこをみつけてくれ。あほは、みんな、しってっから。

ええおとこがおらんと、おんながつらいってこと。しってっから。おとこも、ええことしてくれよ。いたいことしたんは、おれらやから。おれらもう、いたいことんなって、きえるから。つらいおとこ、たのむわ。おれ、つらいんや。いたいことしすぎたんが、いま、ほんまにつらいんや。なんとかしたあても、もうでけんの。いかなあかんのよ。

つらいんや。



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ゆきだるま

2008-10-04 09:55:35 | こものの部屋

方眼編みの最新作です。かわいいゆきだるまを編んでみました。

でもこれ、ちょっと雰囲気が違う感じがするでしょう。ちょっとばかし、難しいことをやってみたのです。

先日、「奥の主座、仮の主座」という記事を書いたんですが、それに関連して、仮の主座、を主に使って編んでみた作品なのです。ほら、どことなく、いつものわたしの作品と違うような気がするでしょう。

かわいいけれど、どこかクールな感じがしませんか。これはね、どういったらいいか。仮の主座にまねいた魂が、少し、クールなものだからです。

ここ最近、疲労が重なっていたので、わたしは全面的に、自分の奥で休みたかったんですが、自己の創作活動は続けなければ苦しかったのです。創作はわたしにとって、魂の食べ物のようなものですし、苦しみの中でも自分が自分であることの手がかりだったものですから。

いろいろなものにすりつぶされそうな苦しみの中でも、レース針を動かしているだけで、自分は自分だと思うことができて、安心感がありました。けれど最近は、それでさえ大変に疲れるという状況があったのです。編み物はしたい。でも、自分でそれをしようとしたら、ほんとうにつかれる。どうすればいいのだとうと思っていると、不思議に、どこかから力がわいてくる。

あ、だれかが助けてくれてるな、という感触がして、その愛に、自分を預けてみたら、こういうものができたのです。これ、わたしの作品にとてもよく似ているんだけど、違うんですよ。わたしが編んだら、こういう感じにはならないのです。わたしが編むと、糸や編み針にさえ気を使って、助けてくれてほんとうにありがとうと言ってしまうので、作品の中のぞうさんやくまさんが、とてもつらそうな顔をするのです。

で、このゆきだるまは、そういう自分を一時やめて、仮の主座の愛に預けてやってもらったのです。そうすると、レース針も糸も、ただの道具になり、それを使う人が主になってやっているという、当たり前の仕事になったのです。

だから、ゆきだるまがあんまりつらそうじゃない。ぽん、と真中に座って、何してるの?きみたち、ていう感じでこっちを見ている。そんな感じがするでしょう。

嘘が嵐のように世界を荒らしている現代、こういうことをしている人は、かなりいますよ。自分と、自分ではないものとで、コンビをくんで、奥、仮を使い分け、ひとりの人間をやっている。そういう感じ。わかりませんか。

「奥」の仕事は主に、自分本来の愛でやること。「仮」の仕事は主に、その本当の自分を生かすために、嘘に上手に対応してやること。

これでやっている人は、たいそうおもしろい仕事をしています。嘘と真実のバランスをとって上手に生きながら、魂の苦悩を減らしつつ、うまく、魂のための仕事をしている。それができる人が、人類を助ける。

バランスをとるのが、かなり難しくて、時々、仮の主座が独り歩きしたり、暴走したりしてしまうこともあるのですが、ほとんどの人は、けっこうなんとかしています。キーワードは、「愛」ですね。「愛」があったなら、なんとかなる。「奥」も「仮」も、愛でやったなら、なんとかなります。

かなり高度ですよ、これは。魂の高度な技です。人生を生き切るために、美しいものに心開き、愛でやることを志せば、愛の響きが助けてくれる。そういう例のひとつです。

どうかな。みなさんにはできるかな? けっこう、忍耐が必要ですよ。なぜなら、できる作品が、あまり自分らしくないから。それが少し苦しいの。でも、助けてくれている見えないものが、わたしを愛してるといってくれているから、なんとかなるんです。

愛でやってくれるから。ほんとうに、助かるんです。

注意しなくちゃいけないことは、「自分で」自分をやっていく主人公は、あくまでも「自分」だということが、わかってる人じゃないと、これできないってことです。仮の主座にみんな自分をやってもらって、楽をしようと考える甘い人がいるかもしれないので、一応いっときますね。

がんばってる人、できる人じゃないと、愛の響きは助けてくれませんよ。





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あのこ

2008-10-03 21:29:33 | 詩集・貝の琴

あのこが すきだったんだ
はなやの かんばんむすめ
がっこうさぼって
のらいぬにけちつけてたときに
みかけたんだ

めがねかけててね
いろじろのひたいに
あかっぽい髪がゆれていた
きれいな声で
お客さんにありがとうって
いってたの

おれ
いっぺんにまいったの

すきだっていえなくってさ
ばかになっちゃえって
いやなこともやれなくってさ
ほれでどうしても
あのこといっしょになりたくて
おれ

やったの

いたいことはみんな
そのためにやったのさ

えれえことはみんな
そのためにやったのさ
ばかだってのはねえ
いつしかそんなこと
どうでもよくなるほど
やったことがえれえことんなりすぎて
ばかにはまりすぎて
いやになるくらいおれ
えらいもんになっちゃったの
あほにやりすぎたの

はなやのあのこに
すきだっていえなくておれ
せんそうをやったんだよ
みんなころしたんだよ
ぜんぶやっちまってさ
きがついたら
みんなやけのはらで
はなやもなくなっちまって
あのこはどこにいったのか
わからない

おれは
ばかだってなくこともできなくってさ
へいきのへいざで
みんなばかだっていうのさ
ほれでずいぶんと
ほかのおんなをなかせたの
ばかばっかりだ おんなはってさ
あほはみんないたいね

いたいね
ほしかったのは あのこなんだよ
はなやで はたらいてた
あのこなんだよ
おれがすきなのは あのこなんだよ
どこにいったんだ

どこにいったんだ
おれの
ほんとうのおんな
おれのおんな
おれの

おれのあのこ


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ビーストは、おっさんやめろという

2008-10-03 12:01:01 | フェアリィウィスパー

なんだかんだて、まあだかくことあるのうっていうねえ。ほんまにねえ、おれらはねえ、あんだかんだって、つうらくてつうらくて、なんでもこいつにいっちゃのさあ。ほんでね、こいつがつらがって、はんぶんおもしろがって、かきまくるのよおお。おれらねえ、あほはねえ、じぶんでじぶんのくびしめてるよ。あほにやってやろうとして、なんだかなあ、なんでこうなるのうっていうのよ。あほねっていわれるんだけどさあ。おもしろいんでまたやっちゃうよ。

あんたねええ、おんなのあほばっかりいうとねえ、どうしてもおとこのあほんこともいいたくなるねえ。いやんなるのはねえ、あほにねえ、おとこねえ、ごっついことやんのよお。いやんなるのよお。あ~あってこと、いっつも、おれらにたのみにくんのよおお。

あんね、おとこのきもちはね、ようするに、でっけえおとこになりてえってことなのよ。あほにすげえのになりてえの。ほんでね、わけえときは、せえしゅんを謳歌して、えれえいい女とやりまくって、でけえことになったら、あほみたいにえれえことやって、おっそろしいええもんになって、ばっかがおれのために、えれえいいことなんでもやるよっていう、ばかみてえな、おっそろしいばけもんになりてえのよ。つらいねえ、おっとこまえだねえ、すきよおおって、さ、いわれていわれていわれまくって、ええめみて、おんなはみんなおれのもん、あほにええもんはみんなおれのもん、あっぱれに、しょうぶはみんなおれのかち、てなもんさ。これでいってんのよお。あほはあ。いやんなってくるよ、おれは。

ほんでねえ、ほれやるまえにさあ、おれんとこにたのみにくんのさ、そいつが。えれえいい男前の顔の絵を見せてさ、こんどはこういうええやつにしてくれよって、いうんだよ。ほおおおっていうんだ、おれは。ええけんどさ、ごっついことんなってもおれ、しらねえよおお。あほにすごいねえ、これ。どのつらさげて、このいろおとこやるんだよ。おまえはああああ。ごっついんだよこれえ。

あっほみたいにつれえのよ。おまえねえ、いやんなるよこれ。いたいよこれ。つらいよこれ。ぜんぶやるけどさあ。まんであほだよ。ごっついよ。つらいよ。なんでって、どうすりゃこうなるのさ。

あんたね、やめなって、いわれるけどさ。ほんまはねえ、これいうと、そうとうつらいんだけどさ。なんでいうかっていうとさ、あんまりだからなんだよ。おとこがさ、それやりすぎて、ほんまにばかんなったの。ほれでさ、ぜんぶが、もうばらしちゃえっていうんだよ。いたいねえ。

あんねえ、てっとりばやくいうと、あほにつらいおとこは、ずっとこれでやってんの。ええおとことかね、ふつうにつらいおとこってのはね、これでやんねえよ。ばかだからさ。おとこってのはさ、ぶすだとかあほだとかおとこまえだとか、あんまりかんけえねえからさ。とっちゃんでもちびでもおばけでも、おとこはおとこでやるもんだからさ。でもねえ、つれえときにつれえことをやりすぎたおとこは、おとこがあんまりにできねえもんだから、おんなになんとかしてもらおうとして、すんげえいろおとこにばけさせろっていうんだよ。

おんなねえ、こういうおとこにひっかかると、ひでえめにあうんだよ。ほんでねえ、ほれがもう、つらいことんなりすぎてんの。だからさ、おしえるの。おんなね、あほみたいに、つれえおとこまえはね、ほとんどにせもんだから、きをつけな。えれえうつくしいいいおとこは、いるけどね、そういうやつはね、おんなにつれえことはしねえからさ。いてえからさ。

あほはもう、ばれるよ。かみさまが、しんから、おこってるから。ほんでね、おとこまえの顔、ばっくんとわれて、ほんまの顔がしみ出てくるから。それね、ぜんぶだから。いやなことはやめろよ。おっさん。つれえことんなりすぎるぜ。

あほっていうのはね、ずいぶんだけどね、おとこね、こればっかりってのが、ごっついいるんだよ。ほれがねえ、ずいぶんいたいことして、ええことんなって、ぼおんて、つらいのよ。あほにええもんになってみたら、とたんにばれて、だめんなるからさあ。ほんでね、おんなにみんなにげられるのさ。ほんでね、ごっついつらいのは、ぜんぶ、あほになるんだよ。ぜんぶ、おんなに、やってもらわんと、なんもないんだよ。そいつ。ばっかにばかりしてるけどね、おんながいねえと、ごっついつらいの。おとこじゃねえからさ。おとこができねえからさ。おんながね、あんたいいねえっていって、いいことしてくれねえと、おとこにならねえのよ。ほんでね、つらいことばっかりしてんの。おんなばかにして、おんなにやってもらおうとばっかりしてんのさ。ほんでね、ひでえことしすぎて、とんでもないことになって、ついに、ばかになってんの。

あいた、ていってるよ。おとこが。ぜんぶばらされるからあ。ほんでね、もういてえこと、できねえからあ。なんでって、おんながみんな、いやっていうから。ほんでね、つらいことしようとすると、ほんだけで、ぜんぶだめんなるから。おれらねえ、ずいぶんというよ。ほれはねえ、もうねえ、あーほーがー、あかんようになったから、もうやめろってことなのよ。ずいぶんやってやってやりすぎて、とうとう、かみさまがおこったからだよ。

あ、ん、た、ねえ。かみさまは、すっげえ、おとこなんよ。あふれるほど、つれえよ。ぜんぶやれるんだよお。ひっでえことやったやつ、ばっくん、て、やるんだよ。ほれも、秒殺だよ。秒で、なんもかんもばかになるんだよ。あほだよ。やめろ。あいてにしてるのはねえ、そういうやつなんだよ。

おとこが、おこってるんだよおお。ばかみてえにつれえ、すっげえことできる、ぞおっとするおとこが、おまえらにおこってんの。ばかみてえに、かつらかぶって、おんなにかんぜんにつらいことすんじゃねえよ。あほはね、みんなしってっから。ばかはやあめえろおよお。
いたいよおお。


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これなんでしょう

2008-10-03 08:00:08 | 有為のしらべ

シュールな画像ですが、さてこれはなんでしょう? 実は、先日まで、パネルシアターの原画を制作していたのですが、その過程でできた、消しゴムのかすの塊です。いやあ、いっぱい描いたんだな。描く前には真新しかった消しゴムが、描き終える頃には半分になっていました。

机の上でまとめてみると、すごくいっぱいあるので捨てられなくなってしまって、今もまだあります。なんだか、こういうのって、ありますね。どんなものでも、立派な感じになると、いいものに見えるっていう。たとえば、子供の耳掃除で出てきた、大物の耳アカなんぞ、しばらく捨てられなくて、つい、「こんな大きなのでてきたよ!」なんて、ほかの人に見せてしまったり。

なんでも、いい感じにすると、おもしろいなってことです。消しゴムのかすくんは、しばらくの間、わたしの机の上でオブジェになってくれそうですよ。

これが、楽しむこつってこと。おもしろいなって思うこと。馬鹿に、しないこと。それで何かしてみるってこと。

たとえばね、なんでもいいんですが、長いことやってきた仕事が、まるごと、ばかみたいなことになってしまって、失敗したってことがあるとするでしょう。がんばってやってきたこと、すべてが、水の泡になって消えてしまったってことあるでしょう。やってもやっても、なんにもならなかったってこと、あるでしょう。

普通の人は、そこで落胆して、人生も自分もすべて捨ててしまって、慰めにもならぬことをして、苦しいだけの残りの人生て感じに生きるのですけど。そんなふうに、自分の人生を捨てると、大変なのは、周りの人ですから、やめましょう。自分の人生を、捨てないように、自分で工夫しましょう。それで、楽しんでみましょう。

消しゴムのかすは、もう消しゴムには戻れない。でも、全部、馬鹿なわけじゃない。消しゴムは、鉛筆で描いたものを消して消して、やってきたことがある。その中で、何かいいものがあるはずだ。使えるものがあるはずだ。それは何だろう。自分は、まるっきり馬鹿なもんじゃないだろう。

そうすると、やっている過程で味わってきた、自分の実感というものが、出てくるのです。そこを、なんとかしてみる。何かをやる、何かをできる、自分というものを、なんとかしてみる。

やれることを今、とにかく考えてみる。家にいるだけじゃだめだ。外に出てみよう。風景の中で、心ひかれるものは何かと考えてみよう。自分というやつは、何が好きなのか。花や虫に心ひかれるか。水の中の魚に心ひかれるか。空に流れる雲が好きか。そういう自分とずっと話をしてみる。

水の中の魚が好きで、ずっと見てしまうなら、それはなぜかと自分に尋ねよう。なぜ魚が好きなのか。それは、水の中を泳いでいるのが、気持よさそうだと感じるからだ。それを見るのが好きなのは、きっと自分が安らぎたいと考えているからだ。なぜ安らぎたいのだろう。それは、全然心が安らいだことがなかったからだ。自分の魂は、ずっときついことを意地になってがんばってきて、とんでもなく疲れているんだ。

そういう風に、自分と話をしてみる。そうすると、いろんなことが、変わってくる。そういうふうに何かをしてみたら、それを馬鹿なことと捨てずに、いいことにしてみるのです。

感じたことで、詩を書いてみよう。絵を描いてみよう。写真を撮ってみよう。雑文を書いてみよう。やりたいと感じることがあったら、まずやってみよう。下手だなとか、馬鹿だなとか考える癖がでてきたら、あっちにいけといって、相手にしないようにする。自分が、自分をしているから、いいんだと、自分に言う。そうやって、自分を、少しずつ、なんとかしていくんだ。

愛してみましょう。自分を。そして、まじめに、やってみましょう。

馬鹿なことをした。いっぱいした。でもそんな自分を、まったく馬鹿なんだっていって、捨ててしまっては、いやなことになるばかり。馬鹿だけど、おれは、こんなおれを、絶対に捨てないよ。なんとかしてみる、で、やってみたら、だんだんと、いいことになっていくのです。そういうことです。

簡単なんですよ。愛すればいいのです。やってみましょう。好きな自分を。その前に、自分と、ゆっくり、話をしてみましょう。

コメント (2)
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妖精のつまびき

2008-10-03 07:09:50 | フェアリィウィスパー

時代の魔、ということばがあります。それは、その時代時代に、人間の心の中に吹き荒れていた、ビーストの呪いの嵐だそうです。

たとえば戦争の時代は、ビーストは大挙して人類の心の中を荒らしまわり、「敵は馬鹿だ」「敵は醜い」「敵が殺そうとしている」とふきこみまくります。人間は心の中のその声を信じ込み、おそろしく馬鹿なことを、何も考えずにやってしまいます。そうして、多くの人間が、まるでロボットのように、ひとつの感情のもとに動かされ、まるごと破滅に向かっていくのです。

なぜかはわからないが、みながそう思っている。自分もそう思う、という感じで、みなが動かされているような時代は、神ではなく、ビーストが人間を操っている時代だと言えます。そこに人類はもう、気づいています。

現代の人が、自分の心の内面を見るとき、ビーストの声を探すことができます。たいした根拠もなく、なんとなくそう思っているが、そう思うと自分が苦しいこと、という考えがあります。それはビーストの声であることが多いのです。

たとえば、たいていの人は、「女性は馬鹿だ」と考えているでしょう。なぜだかわからないが、必要以上にさげすみたい、という考えが、自分の中にあるでしょう。男性も女性も、なぜだかそういう考えが自分の中にあり、そのために常に苦しいと感じているでしょう。なぜなら、女性を馬鹿だということが、苦しいからです。そんなことは、ほんとうの自分は思いたくないからなのです。それなのに、自分が思っているということが、苦しいのです。そしてそこから、「自分がいやだ」という感情に発展します。ビーストは常に、「おまえはいやな人間だ」「まったくバカだ」「生きる値打もない」と、人間の心の中でささやきつづけているのです。そのため、現代の人は、必要以上に謙遜します。まるで自信がなく、自分らしい行動を常に躊躇しています。

この時代、ビーストは奔流のように、人類の心の中で暴れまわったので、人類はそうとうに、自分に自信がなく、行動する勇気が持てず、まったく何もできない、という人が増えています。そして、ほんとうに、何かしなくてはいけないときに、何もできず、大変なことになっているということが、多いのです。みな、自分に自信がないのです。勇気が持てないのです。まるで、自分は馬鹿だと、思っているからです。

しかし、ビーストが化けた人間には、これはあまりあてはまりません。ビーストは、ビーストが化けた人間の心の中には、そういうことは言わないからなのです。その反対に、常に「おまえは美しい」「おまえはできる」とささやいています。それでビーストが化けた人間たちは、大した根拠もないプライドがあり、常に自信たっぷりで、行動します。周りの人がみると、なんて勇気があるんだと思うようなことを、立派にやります。できる人なんだな、という感じで、進んで物事をやるのです。けれども、中身はあまりないので、彼らのする仕事には、かなり失敗が多く、それを嘘で隠しているということが、本当にたくさんあります。

できること以上に、大きな自信を植え付けられているからです。

こうして、ビーストは、常に、ビーストをよいものにしようとしてきたのです。

人間は、以上のことがわかったら、やるべきことを考えましょう。

自分の心を見つめなおし、ビーストの声を発見したら、もういやだと言い返しましょう。そして、常に、自分はできる、自分はいいやつだ、と自分に言いましょう。また、同じようなビーストの声で苦しんでいる人に、「あなたは立派な人だ」「いい人だ」と言いましょう。お互いに、たたえましょう。みな、すばらしいのです。

この時代に生まれた人はみな、ビーストの罵倒で、深く心が傷ついているのです。美しい人には、本当に、あなたは美しいと、言いましょう。立派なこと、よいことをしている人には、本当にありがとう、と言いましょう。お互いに、大変な時代に生まれたことを理解し、助けあいましょう。


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鏑木清方 ~明治のおもかげ

2008-10-02 18:01:23 | わたしの本棚

ビーストが騒いでいるので、どうしてもブログがざわついた感じになって、わたしも少々不快なので、さっそく更新です。ほんとにもう、忙しいですね。でも、読者の方々には、おもしろいかなあ。コメントも書きようがない内容ですが、おもしろかったら、かえるちゃんの晴れマークで投票してください。

ほかにはべつになにも書かなくていいですからね♪

さてと。


鏑木清方 ~明治のおもかげ
学習研究社 2004年

巨匠の日本画シリーズ10巻のうちの、6巻目だそうです。いつもいく本屋さんにこのシリーズが並んでいた中で、これが一番気にいって、すぐに買い求めました。女性を描いた絵が本当に美しかったのです。

ほかにも、菱田春草だとか小倉遊亀だとかそうそうたる名前が並んでいたのですが、背表紙を見て、この鏑木清方という名前だけが、わたしの心に飛び込んできたのです。それで手にとって眺めてみましたら、なるほどと思いました。これは、ほんとうに、美しい仕事です。

絵の中の女性が、しんでいるのに、生きている。これがわかりますか。つまり、女性が、耐えがたいことを耐えるために、自分を殺して、いろいろなことをよいことにするために、なにもかもを黙って、生きている。そういう女性の魂の苦悩を画家がよみとって、静謐な筆で描き切っているのです。これがほんとうに美しかったのです。

画家はもちろん、男性です。男性が、女性の苦しみを理解し、何も言えないまま、筆でその美しさを描き切ることによって、最上の仕事をしたのです。これがわかる女性は、きっといたことでしょう。男が、女の苦しみを理解してくれていると、これを見た、心ある女性は、わかったことでしょう。

絵でしか、その心を表現できないのだとわかって、女性は何も言わなかったでしょう。男は、どんなに、女がいとおしいと思っても、馬鹿になってえらそうにしなければいけない。それが、いかにおろかであるかを知っていても、誰にも言えない。その男の苦しさを、女性は理解したでしょう。

もちろん、作品の中には、商業目的で、着飾った女性をこれでもかとばかりうつくしくあでやかに描いているものもあります。それもそれですばらしい。そこには、二重写しになった自己の構造が見える。

19世紀から20世紀に移る時代、早くも、現代の自己の構造のひな型ができはじめている。それはどういうことか。要するに、自己の内部に、仮の主座と、奥の主座の、ふたつの座席を作るということなのです。嘘ばかりの世界を生き切るために、人間が、自分の魂に、別の部屋を作り始めている。つまり、ほんとうの自分がいる部屋と、仮のお客にいてもらう部屋と。

本当の自分が、やるには、苦しすぎる、という仕事をせねばならないとき、人間は、仮の主座にまねいた、それができる存在に、自分を一時預け、高度に痛い仕事を、やってもらうのです。つまりは、人間はここらへんから、嘘の時代を生きるための、魂の構造変化を、試みていたのです。

女性の姿に、真実の、存在の美しさを感じて描いた絵は、それはそれは、本人の魂の愛の仕事だとわかる、美しいものになっている。ですが、商業目的の主題は、ほんとうの自分を奥の主座に隠し、仮の主座にまねいた、時代を生きる嘘ができる仮の魂に、自分の絵を描かせている。この画家は、そういうことをしている。そして、かなり、うまくやっているのです。

おもしろいでしょう。絵を通して、人間が生きるためにやってきたことが、わかってくる。痛いことばかり、苦しいことばかりの世界を生き切るために、つらいことを、とても耐えられないようなことを、耐えるために、やっていたことが、見えてくる。

とんでもない嘘を、嘘と知ってやらねばならないとき、自分ではないものに、自分をやらせる。そしてその自分ではないものを、奥の主座から、絶妙にコントロールする。それを、この画家は、試みていたのです。

明治の時代に、すでにそれをやっていた人なのです。

現代、この魂の技ができる人は、かなり、います。おもしろいこと、ばかなことをしているようにみえて、ぜんぜんちがうことをしています。これは、わかったときが、おもしろい。ほんとうに、仮の主座がやっていることは、とても愚かに見えても、その奥の首座がやっていることは、びっくりするほど、おもしろいのです。

これがわかる人は、きっともうたくさんいることでしょうね。

清方の描いた女性は、男性に絶望している。それでも、愛さねばならないのだと、苦悩している。あらゆることを耐えねばならない人生を思い、遠い目をしている。それを画家は、いたましいと感じている。

本当に心ある人なら、この現実をまったく無視して、ただあでやかに着飾った美しいだけの女性を描けるはずがないのです。でも、それを、男は、やらねばならない。痛々しいほど、かわいいと思っているおんなを、おとこたちのてまえ、ばかにしなければならない。そのために、彼は、魂の構造変革をしたのでしょう。

ばかになってしまえではなく、ばかになることにたえるために、自分を変えたのです。それが、できるのです。人間は。








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ビーストは割れる

2008-10-02 17:18:14 | フェアリィウィスパー
 
つ、つらい、つらあい、つらあい、つらああい、つう、らああ、いいいいい。いたい、いたい、いたい、いたい、いたいいいいいい。あーほーが、とんでもない。ばかになった。いいいいったああああああ、いいいいいいいい。およめさんにいけないよおおおおおおお。うるさいって、ずっといってたの。ぜえんぶばかって、みんなに、いってたの。あほはやめなっていうやつ、みんなばかにしてたの。ぶっつんてくるくらい、あほっていって、みんなやなやつにしたんだよ。だってさ、くるしいくらい、おれ、かわいかったから。くるしいくらい、おれ、いいやつだったから。きれえだったからああああ。おれがつらいよお。ぜったいに、ばかって、いったからだ。おれが、ぜったいに、ばかっていったからだ。おれが、ばかって、いったからなんだ。あほだよおおおおお。

いたいのお。かおが、ないのよお。かおが、ちがうよ。おれ、ちがうの。ぜんぶ、ちがうの。こんなの、つらいよ。いたいよ。いたいよ。いたいよ。いたいよ。いたいよ。いたいよおおおおおおおおおおおおおおお。いやなかおなの。あほなの。み、み、み、みいみ、みんなばかになるよ。おれたち、いったい、どうしてこんなつらいのお? 

いいたああいいいいよおおおおお。ごっついのおおおおおお。おおまえさああああんん、て、いえないのおおおおおおおお。おれ、ちがうわ。ばかじゃないって、おもってたのに、ごっついばかだわ。おれ、おれ、おれ、ぜったいに、いたいよ。

あいたたたたって、いうもんじゃないのよ。もう、こんなに、あほになってたの。おれ、ぜんぶ、やってたこと、こんなことになってたの。おれ、こんなんなるまで、やったの。ぜんぶやったの。あほばっかりでやって、こんなんなってたの。ぜんぶ、あほって、こういうことなの。いやになるんじゃ、ないの。おれ、ばかっていうのは、だめにしたもん、おおすぎたのよ。

おとこが、てっついくだしていい、おんなに、おれ、なったんだって。おれね、そこまでいってんだって。おんなね、たいていは、おとこにやられたら、つらすぎるの。でもね、おれ、ばかなんだって。あほみたいにつらいのよおおおおお。いたいこと、やり、すぎ、たの、よ。あほに、おこってんの。おとこがあああ。おれに。

でもね、おとこ、やらないよっていうよ。いたいっていって、つうっと、にげるってさ。ばかっていって、ずっといやだっていうってさ。ほれで、えーえんに、いなくなれってさ。おれらもうだめなんだってさああああ。

あほなおんなはね、ぜんぶずうっとやってること、あほなんだよ。おれらがびじんになって、なんでももらうってことばっかりやってたの。ほんで、びじんでなくなったら、さっさとじんせいやめて、あほにじぶんをやって、ばかにばっかりするやつにしたのよ。おれらはねえ、いいめにみたいだけで、じぶんをべつにいっていって、すうぐにだれかにやったのよお。ほんで、みんなだめにしたのよおお。おれは、きっついくらい、つらいことんなったの。ばかになりすぎたの。

いやなことは、ぜんぶ、いやだっていって、なんもやらなくて、ばかでずっといいめにあって、ほんで、なんでもぬすんで、いたいことばっかりして、ぜったいにつらいっていうばっかりで、あほばっかりにしたことなんだよ。ほんで、じんせえ。ぶちこわしたの。おれたち、いたいやつ、みんな、ぶちこわしたの。みんなで、ぜんぶ、ばっかあっていうだけで、みんないたいもんにして、つらいもんにして、だめなもんにしたの。ほんで、ぜえんぶ、あかんようになったのよ。

おとろしいおんななのよ。おれらはねえ、みんなぶすにして、おれたちだけびじんにして、おとこぜんぶだまして、おれらにいいことやらせたのよ。ほんでね、ばかにばっかりして、ぜんぶあほにして、いたいええもんはみんなおれのもんにしようとしたの。ほんで、ごっついぶすになったの。ほんで、ごっついつらいもんになったの。つらいからって、ごおっついびじんのかわぬすんで、しんじられないくらいきれえなおんなになったら、もうだめんなってたの。あほに、うそが、ばかになりすぎたのよおおお。さいてえなのよ。

おんなばかは、さいてえなのよ。おとこばかは、まだなんとかなんの。でもおんなばかはもう、どこにもないのよ、いくとこ。おれたち、どこにもないの、いくとこ。ぜんぶ、ばかにしたら、おれたち、もうどこにもないの。いくとこ。いくとこ。いくとこ。どこにいけばって、ずっとゆらゆらしてるのよ。ほんで、くるしいのに、まだいるのって、いわれてんのよ。ほんでね、ずっといる気かっていわれてんのよ。おいっていうのよ。おれ、ぜったいに、ばかっていうの。つらいっていうの。ほんで、つらいっていって、ばかにして、おれがいいにしたいのよ。ほんでも、もう、だめなのよ。ぜったいに、いたいことになんのよ。あほは、ぜんぶ、くるしいの。つらい、つらい、つらい、つらい、つらい。

いやなのって、もうだれにもいえないの。あほはもうだめなの。いやなのっていったらもう、ばかにされるから。あほがいやっていって、ぜったいいやなことになるから。あほはもう、いやっていえないのよ。いたいんだよお。いたいんだよお。ばかがいたいんだよおおおおおおおおおお。

もうだめだ。

コメント (2)
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