真実の天使を一度でも馬鹿にしたことがあるものは、わたしたちのブログに来てはなりません。
出ていきなさい。
二度と来てはならない。
かのじょを馬鹿にしたことがあるものは、天使と全く関わりのない人生を歩みなさい。
わたしたちにかかわってはならない。
出ていきなさい。
もう二度と、来てはならない。
かのじょを馬鹿にしておきながら、この記事を無視して明日もわたしたちのブログに来るものには、
大きな罪が発生するでしょう。
ムジカ
これは、北辰制の一つの目標とするべき成果をなした天使である。
日本史には、大化の改新をはじめ、様々なことをなした強い人物像が伝えられているが、それらはすべて真実ではない。彼はお人よしを進化させたような天使だった。だから人の頼みを断ることができず、来るものは拒まずですべて受けいれてしまったら、あらゆる責任を押し付けられて、他人がしでかしたことを全部自分のしたことにされてしまったのだ。
このころの歴史は、何もかもを天智のせいにするために、当時の人間が作りまくっているんだよ。
本当の彼は、それほど大きなことをしたわけではなかった。際立って美しいわけでも、きつい個性があったわけでもなかった。
ただ真実の愛のみによって、誠実に皆の幸福のために働く、そういうことを素直にやってくれたという天使なのだ。
高い愛とは、実にこういう姿をしているものなのだ。
ごく普通の、当たり前の人間の姿をしている。だが、その人がいると皆が幸福を感じる。
その人は、人が嫌がることはしない。自然に、みんながよいことになる方向に、すべてを運んでくれる。その人がいる。ただそれだけで、皆はほっとして、何にも不安がる必要はないような気がする。それが、本当の愛の姿というものなのだ。
北辰制は、この天皇の実像を、一つの道標として、考えていこう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452~1519)
サンドロ・ボッティチェリ
(1444/45~1510)
それぞれの顔を並べてみた。どうかな、目つきが何となく似てるだろう。
なお、レオナルドの自画像としてよく出される赤チョークで描いた老人像は彼の自画像ではない。
それと、ボッティチェリの自画像と良く知られている「東方三博士の礼拝」に描かれている青年も彼の自画像ではない。
上のレオナルド像を誰が描いたのかは不明だが、下のボッティチェリの像を描いたのは、彼の弟子であるフィリピーノ・リッピである。
(1452~1519)
サンドロ・ボッティチェリ
(1444/45~1510)
それぞれの顔を並べてみた。どうかな、目つきが何となく似てるだろう。
なお、レオナルドの自画像としてよく出される赤チョークで描いた老人像は彼の自画像ではない。
それと、ボッティチェリの自画像と良く知られている「東方三博士の礼拝」に描かれている青年も彼の自画像ではない。
上のレオナルド像を誰が描いたのかは不明だが、下のボッティチェリの像を描いたのは、彼の弟子であるフィリピーノ・リッピである。
これまで何度か言ってきたので、わかっている人も多いだろうが、ここでもう一度はっきりと言っておく。
イスカリオテのユダはイエスを裏切ってはいない。イエスが殺された時には、彼はもう死んでいたのである。
イエスは十字架上で死んだのではなく、ユダの他の弟子たちに殴るけるの暴力を受けて死んだのである。十字架にイエスを磔りつけたのは、彼が死んでからのことである。
よってイエスを裏切ったのはユダではなく、ほかの弟子すべてである。彼らはイエスを殺した罪に恐れを抱き、その罪をその頃にはもう死んでいたユダにすべてなすりつけたのである。
このことを、世界中の人に教えなさい。もうユダを裏切り者の代名詞として使ってはならない。
ユダの魂はもう二度と地球に生まれてくることはできないが、イエスを裏切ったという恐ろしい冤罪からは、彼を助けてやらねばならない。できるだけ多くの人にこれを伝えてくれたまえ。
わたしも時々、話題にあげることにしよう。
(『キリストの神殿奉献』部分。自画像。)
この画家が天使だということに、驚かないものはいないであろう。
ジョヴァンニ・ベッリーニは、ティツィアーノの師であり、ゲンマに匹敵する高い段階に達した天使である。
普通彼のような天使は、ひっそりと地上に生まれてきて、決して小さくはない使命を果たすが、ほとんど何もしないまま、誰に知られることもなく、無名人のまま若くして死んでゆく。決して小さくはない使命とは、ただその天使がそこに生きているだけで、そこの人間たちが助かるということだ。天使が生きているというだけで、悪いことが起こらずにすみ、皆がたすかるのである。彼のような天使はそんな人生ばかりを送るのがふつうだが、この人生だけは、画家としての名声を得、たくさんの美しい作品を残して、天寿を全うしている。
(『レオナルド・ロレダン 』1501頃)
ジョヴァンニ・ベッリーニがほかの天使の画家と違うところは、キリストの受難の図を真正面から描いていることである。ほかの天使は、ティツィアーノもボッティチェリもレオナルドも、ゴッホも、キリストの磔刑図を全く描いていない。なぜなら、あれは天使たちにとってあまりに悲しい事件だったからだ。一応言っておくが、ボッティチェリの磔刑図は後半の魂が描いたものであり、ティツィアーノのそれは、彼の人生をのっとった馬鹿が描いたものだ。
(『死せるキリストと二天使』部分。)
だがこの天使は磔刑図や死したキリストの絵をかなり多く描いている。なぜか。それは彼が段階の高い天使であり、まだ比較的若い天使にはわからないことを、知っているからだ。
彼が描いたキリストの死に顔を見てみたまえ。彼がいかにイエスを愛しているかがわかる。こんな美しい死に顔をわたしは見たことがない。彼はこの絵によって、われわれに何かを教えようとしているのである。何を教えようとしているのか。それはこれからわかる。
(『聖母子と聖カタリナ、マグダラのマリア(聖会話)』)
ジョヴァンニ・ベッリーニは今まで紹介した天使の中では最も段階の高い天使である。彼はあまり目立たない地味な所に陣取って、われわれにはまだできない、高い仕事をしているのである。
(『聖母子(双樹の聖母)』 1487年頃)
美しいが、ほかの画家と比べると、幾分人間から遠いような冷たさを感じるだろう。段階の差がそれを感じさせるのだ。だが彼が描いた絵は、大事にしていかねばならない。それらは必ず、人類の未来に大きく貢献することになる。
たまかぎる ほのかに光る ほほゑみを いかに愛でむと 迷ふわれかな
うるはしき ことをせむとふ まなざしの 清きかをりを 何にたとへむ
山の辺に きみをとらへて かりそめの こひもかたらむ 霧の佐保姫
しらたまを 口にふくみて とほき日を 思ふまなこに しらたまの見ゆ
もろもろの 花のかをりを たしかめて 蘭のごとしと いふ人のあり
血のごとき 赤き苺を ひとくちに 噛みて知るべき 親心かな
こくりこの 日向に咲きて 揺れ動く 心ささへて よきことといふ
*
(写真は1977年頃、青城澄15歳)
別館の掲示板で語ったように、サンドロ・ボッティチェリとレオナルド・ダ・ヴィンチは、魂を共有している。この天使は、いわばレオナルドの分身である。
ひとりで二人分の人生をやるとき、結局はどちらかを選んで他方は他の者に任せて捨てるほかないが、天使の霊がサンドロではなくレオナルドを選んだのは、サンドロが勉強をせずに、絵ばかり描いていたからだ。他人には彼が馬鹿に見えた。美しい絵を描くが、全然わかっていない馬鹿だと、周囲に思われていたのだ。
もちろんこれには意味がある。要するに、人間に嫉妬されないように、天使の優れた部分をできるだけ外に出さないようにして、馬鹿に見えるようにしていたのだ。サンドロはそういうことで、なんとかしようとしていたのだが、どうしても、人間は彼をただの絵描きとしか思わず、本気では相手にしなかった。これでは使命を果たすことができないと判断した天使は、レオナルド一本で生きることに決めたのだ。
天使の魂が去って行った後のサンドロの人生が、どういうことになったかは、皆知っている通りだ。天使としてのボッティチェリは、ザクロの聖母を描いた後あたりで、事実上死んだことになる。その後のボッティチェリは全く別人だと言ってよい。
だがサンドロが何もできなかったわけではない。以前サビクがアンデルセンの童話に、かのじょに関する予言が含まれているというようなことを言っていたが、サンドロの絵にもそういうことがあった。かのじょはサンドロの美しい絵の中に、自分の身に起こる現象が描かれているのを見たのだ。君たちは見てもわからないが、かのじょはそれに気づいて以来、サンドロの絵が教えることを参考にしつつ、生きていった。それで、かなりの難を乗り越えることができたのだよ。
天使と言うのは、こういうことをよく経験する。まるでお互いの愛が溶けあって来るかのように、過去の天使の仕事が、未来の天使を助けることがあるのだ。
サンドロ・ボッティチェリはかのじょのために、すばらしいことをしてくれたのだ。
ところで、前にも言ったように、普通ボッティチェリの自画像と思われている、「東方三博士の礼拝」に描かれている男は、ボッティチェリではない。本当の彼はこのフィリピーノ・リッピが描いた絵のように、かなり美しい青年だった。
こちらの絵と比べてみたまえ。目の光がなんとなく似ていると感じないかね。
古代アテナイの政治家であるが、これは鞭の天使の典型的表現だ。
度量の大きな男が、政治的活動を通して民衆を導く。われわれの活動が人間世界で正しく表現されるとき、こういう形になることが多い。
ペリクレスは繊細な男だが、勇猛をもって民衆をよく導いた。彼の下でアテナイは最盛期をむかえた。人間はこの男を慕い、よく働いた。波乱はあったが、政治は安定し、国民の生活は落ち着いていた。わがままを言うやつはいたが、彼が出てくればなんとかなった。そういうやつだった。
彼は今も人類の天使として活動している。だが昔のように、政治家としての活動はまるでできていない。民主化が原因となり、天使が政治的活動をすることが非常にむずかしくなったからだ。
これが人間にとってよいことになるはずはない。天使が政治的指導者になれば、それだけで国は安定する。だが、天使に選挙活動などできるはずがないのだ。本来、そういうことをする必要がないのが天使だからだ。
政治の舞台から天使を排除する今の政治は、貧しいと言わざるを得ない。
暖かき天使である。
彼は指導者というよりも、みなの仲間という感じで人間に接した。仲間を暖かく包み、みなででっかい良いことをしていこうという天使だった。
だが彼は、ある悲劇的な事件により、二十代そこそこという年齢で急死した。存命中にできたことは、ある悪党をこらしめるということだけだった。ゆえに三国志は、すべてが偽史である。
なぜこういうことになったのか。それは、この人生を機に、この天使が人類の天使から撤退したからだ。その寒さのゆえに、彼を惜しんだ人間たちが、彼の人生を六十代まで伸ばし、彼を皇帝にまでのしあがらせ、壮大な偽史を創作したのだ。
実に、これは真実である。
このように人間は、天使を失うたびに、未練をひきずって過剰反応をする。三国志が今も人間の心に響いているのは、劉備玄徳の暖かさを、人間が忘れられないからだ。