エジプト考古最高評議会は10日、首都カイロ近郊のギザで、クフ王の大ピラミッドなどの建設に従事した労働者の墓を発見したと発表した。ピラミッドは奴隷が建設したされる通説を覆す重要な資料だという。
考古最高評議会のザヒ・ハワス事務局長は、声明で「墓が王のピラミッドのそばに作られたということは、この人たちが奴隷ではなかったことを示している」と説明。
墓の壁に「クフ王の友人」という文字が記されていることからも、労働者が奴隷でなかったと考えられるという。
ロイター
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クフは、天使として記録が残っている最古の名前である。太古の太古の時代は、このように天使が王になることは多かった。その頃はそれほど馬鹿が痛いことをしなかったので、まだ余裕があったのだ。
クフ王は世界最大のピラミッドを建てたことで有名だが、そのピラミッドはどのようにして作られたか。
クフが暴君として人民を支配し、人民の奴隷労働によって建てられたという説があるがそれはもちろん正しくはない。
クフはちゃんと使役した人民に給料を払い、様々な恩典も与えていた。クフは人民を愛し、人民によいものを食わせてやりたいと、金を稼ぎ、それをもっぱら人民のために使ったのだ。自分の暮らしのために使うものは、久しく質素だった。
穏やかな人格だということがぴったりだという王だった。人民は王の人格を愛し、王のために働いた。あれほどの美しく巨大な建造物は、ほぼ人力のみで作られた。SF的な建造法など何もない。すべて、王を愛した人民が、自らの体を使って、石を運び、石を積み、あれを建てたのだ。
奴隷労働では、あれほどの石を、あそこまで大量に運べない。たとえやろうとしても、その苦しさのあまり、途中で絶対反乱が起こる。すべては、クフ王の徳を慕った人民が、自ら労働に従って、建てたのである。
あれは、王と人民の愛の結晶なのだ。だから今でもそこにある。
ピラミッドはクフの墓ではない。あれは墓とは別の目的をもって作られたものだが、その目的はまだ語ることはできない。ただ、クフの墓は別にある。いまだにそれは発見されていない。
だが、それが発見されたとき、人々は驚くだろう。王の亡骸のそばに、それはたくさんの副葬品が見つかるからだ。
それらはすべてが高価なものではない。人民が、貧しい我が家から自ら持ってきた、粗末な品がたくさん供えられているのだ。
王の死を悲しんだ人々が、愛する王のために、自ら持ってきたのである。