昨日は、参観日でしたので、午後から小学校に行ってきました。早めについたので、授業が始まるまでに、学校の周りの花を探検しました。写真は、その折に見つけた、モッコウバラです。
とても大きな木で、すばらしく美しかったので、何枚も写真を撮りました。うれしかったので、丁寧にお辞儀をして御礼を言いました。なんだかそこに、品のよいお姫様がいるような気がして、これはきちんと挨拶しなければと思ったのです。
わたしのつたない礼儀に、バラは少し驚いたように、喜んでくれました。まるで、行儀のいい子供の一生懸命にやっていることに、目を細めてくれているかのようでした。
モッコウバラは、きちんとした礼儀正しい人間が好きなようです。
バラは、真実と理想を尊ぶ花ですが、今の時代は、それが激しく侮辱されているので、みなとても苦しそうな顔で咲いています。こんな時代に、理想を叫べば、どんなことをされるかわからないからです。だからバラは今、極限まで自分を殺し、ほとんど形のみで咲いているものが多い。この季節、たくさんのバラが咲きますが、心底美しいと感じるバラに出会えることはほとんどない。人間も、バラに出会っても、うれしいと感じられない。
人間に、気高いこと、美しいことを教えてくれるバラが、形だけの抜け殻のように咲いている。それそのものが、この世界の真実を、叫んでいる。
でも、モッコウバラだけは、出会うとほっとします。それは、モッコウバラが、どんなに苦しくとも、努力だけは続けましょうという花だからです。小さなことでいいから、正しいことを、きちんと、こつこつとやっていきましょう。時に、努力がすべて水の泡になるようなことになっても、くじけずに、いつかしらきっと、美しい実に出会えることを信じて、がんばっていきましょう。
モッコウバラは、正しいことのために、小さなことを大事にして、目立たぬところでこつこつとがんばっている人が好きなのです。そんな人が、本当に世界をよくするからです。
あまりものはいわないし、目立つことは嫌いだけれど、そばにいると、ほっとする。モッコウバラはそんな花です。