舜曰く、嗟、伯夷、なんじをもって秩宗となす。夙夜これ敬しみ、直なれや。これ静絜なれ、と。伯夷、夔・龍に譲る。舜曰く、然り、と。夔をもって典楽となし、稚子を教えしむ。直にしてしかも温、寛にしてしかも栗、剛にしてしかも虐するなく、簡にしてしかも傲るなかれ。詩は意をいい、歌は言を長くし、声は永きにより、律は声を和す。八音よく諧らぎ、倫をあい奪うことなくんば、神人もって和せん、と。
史記・五帝本紀
☆
禅譲は中国の故事からなる言葉であるが、この美しい譲位の形が行われたのは、ほとんどこの事例だけである。昔から王位は血流のみによって決まっていた。
王の息子は必然的に王になる運命を与えられた。これはすぐに馬鹿になった。父から子へ、徳分は移るが、その人徳や力量が遺伝するわけではない。
霊的世界から操作して、偽りで王家に生まれてくる馬鹿が絶えなくなった。ゆえに孔子が生まれた頃には、ほとんど王の徳による善政など望めない世の中になっていた。馬鹿ばかりが偉い地位を独占し、贅沢ばかりをした。見目好い女を後宮に集め、色事に専心し、政治向きのことはほとんど臣下にまかせる王が多くなった。
王宮には追従や虚偽、讒訴、放蕩など、あらゆる汚濁が繁殖した。
実質、後世において、王というものには頼るべき人格などなく、ほとんど子孫を作ることのみに存在するようなものだという評価が付されたのは、馬鹿のこういう活動によるのである。
王家に生まれることさえできれば、王になり、権力も女もほしいままにできるのだと。血流を頼りとして国王を選んでいたのでは、こういう馬鹿がこれからも繁殖するだろう。
北辰制においては、譲位するときは、尭から舜への譲位の形を学んでいこう。これは説話などではなく、遠い昔の人徳ある王が行った実話なのである。
尭というよい王が、舜という人徳の厚い青年を見出し、それに国をまかせるために努力したのだ。
北辰は、次の北辰を見出すための努力もしていかねばならない。人徳が深く、国を愛し、人々の見本となる美しい生き方のできるものを見出し、そのものに、三顧の礼もして、国を頼まなければならない。