No,46
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル、「シャルル七世の戴冠式のジャンヌ・ダルク」、19世紀フランス、新古典主義。
アングルは少々問題のある画家だが、ジャンヌを誇り高く描いている絵というとこれが一番なのでとりあげた。
ジャンヌ・ダルクの実像はもう少し少年的だ。細く、背が高く、髪が短かった。男は、その姿を見ると、呆然とした。
美しいというレベルではない。きつい女だったのだ。男ではないのに、すごい。そういう女だったのだ。
男の原理における戦いが、堕落に帰して、現状を打開できる光の見えない闇に落ちたとき、このような女性原理の光が、事態を解決に導くことがある。
彼女らは、男のように汚い知恵や手段を使わない。ただ、清らかな愛で、皆のために、皆を救いたいと思うのだ。ジャンヌはまさにそういう女性だった。その行動の元にあるものは、ただみなへの愛だった。国を救いたかった。その愛の姿に、男は呆然とし、戦ったのだ。
女の戦い方というのは、男とは違う。ただ真正面から愛を振りかざす。男はそれにかなわない。そして男性原理を超えた愛が、あまりに堕落した男の戦いを、清らかに断ち割る。そして苦しい現状が打開され、国は奇跡的に救われる。
実に、このカードが出てきたら、もう終わりだというカードなのだ。男が女にかなうわけがない。
しかし男は、自分が馬鹿になるのがいやなばかりに、ジャンヌを惨く殺す。
しかし、ジャンヌは滅び去らぬ。見事によみがえる。
万物を生み出す女性は、自らをも生み出すことができるからだ。