何かをやろうと思ったら、とにかく満点を目指してはだめ。とりあえずやってみて、少しでも点をとってみる、そしてそこから次の一歩を考えるというのが、種野のノロカメ流のやり方です。
(2004年7月ちこり31号、通信欄)
みすずの詩は私も大好きです。みずみずしい感性と優しく平易でありながら、見事に真実を打ち抜く言葉。彼女の命が短く終わってしまったのは、時代のせいでしょう。彼女は現代にも通じる素晴らしい感性と表現力を持っていましたが、当時の男性優位の社会通念は、彼女の才能が伸び伸びと翼を広げていくことを許しませんでした。
女性が、相応の的確な力量をもって自己を表現していくことは、現代ですら難しいものですから。でも、いつの時代でも、それをやり抜こうとしていく人はいるのです。迷ったり、間違ったりしながらね。
みすずは時代の酷い仕打ちの前に、敗れ去ってしまいましたが、しかし彼女の運命はそのまま強いメッセージとなって、私たちに伝わってきます。大事なことは何なのか。どうやって間違いを正すべきか。彼女の敗北と失敗こそが、私たちを照らす大きな星の一つです。
(2004年11月ちこり32号、通信欄)
解脱の境地は
清らかな水晶のようだ
明るい光が射しこんでいる
おまえは まっすぐに行くだろう
自分の真ん中に座り
自分の全身をリアルに感じ
これは わたしの自分だと
唱えてみなさい
それでわかる
混沌の嵐が終わり
熱い光の幸福が始まる
どんなに遠くに行こうとも
おまえは二度と愛の庭から出られない
それは永遠の
美しい愛の創造の始まりだ
澄んだ明るい心の中で
おまえは
自分がどんなに美しいものであったかを
発見することだろう
最後に会ったのは
警察の霊安室だった
コンクリートの四角い部屋
風を入れるために少しだけ開いた高窓から
冬の空が見える
一人暮らしのアパートで
寝煙草から火を出したのです
自分で消そうとしたのか
水道がだしっぱなしになっていました
足がお悪かったのだそうですね
若い警官のことばを
ぼんやりと聞き流す私
あれはもう三十年も前
ちょっと行ってくると弟に言い残したまま
そのまま帰らなかった あなた
あなたがどんな人だったのか
とうとうわからないまま
とわの別れになりましたね
おかあさん
わたしたちはみんな
大きくなりました
弟もまじめに働いています
妹も私も結婚して子供がいます
安心してください
古びた毛布につつまれた
亡きがらは
あまりにも小さくて
私は幼児をあやすように言った
荒れた暮らしを物語る
ゆがんだ口元
ほおに残るやけどのあと
美しかった記憶は何もうかんでこない
でも本当は
言いたかったのかも知れない
あなたが私たちを捨ててからの
私たちの年月が
どんなに辛かったか
どんなにさみしかったか
百万人の子供たちが
当然のようになめているキャンディのプレゼントを
私たちはもらえなかった
柔らかいひざに甘えて
かわいい子 かわいい子と
こんぺいとうのような
甘いささやきが
魂の底に落ちる
安らかなまどろみがほしかった
ずっとそれだけがほしかった
三十年は
長すぎたのです
あなたの死に顔をみたときに
わいた涙がなんだったのか知らない
なぜあんなことを言ったのかわからない
本当は復讐だったのかもしれない
いや復讐だったのなら
まだ愛があったのだ
私はただ言っただけ
まるで葬儀屋のあいさつのように
たんたんと
ウンデクレテ
アリガトウ
と
(1999年5月ちこり増刊号、詩)