★ハートの6
あるクリスマスが近い日、久しぶりに帰国した手品師さんが、画家さんのもとを訪れた。手品師さんは、彼のアトリエに入るなり言った。
「やあ、これが前のアトリエと同じアトリエと思えないな」
「うるせえ。大体は前とおんなじだ。ちょっときれいになっただけだよ」
「お嫁さんに苦労かけるなよ」
「かけてねえよ」
画家さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、アトリエで会話を交わす二人。離れていた月日を感じない。イーゼルにかけてあるカンヴァスには、詩人さんの顔があった。
「この絵、前にも見たことあるな。どっかで」
「ああ、スケッチブックの素描をもとにして描いたんだけど、すぐに売れた。そしたらしばらくして、あれとおんなじ絵を描いてくれって、ほかから注文がきたんだ」
「へえ、渡のファンか?」
「そ。レプリカを描くのはあまり好きじゃねえけど、ま、客は大事にしないとな」
手品師さんは、カンヴァスの中で笑っている詩人さんに、愛おしそうに視線を注ぎ、言った。
「あれから何年経つのかな。君は、国境を越えて、どこに行ったんだ?」
画家さんが手品師さんを振り向き、言った。
「国境か。渡は、渡の国境を越えた。それはきっと…」
「きっと、何さ?」
「たぶん、人間の国境だ」
「人間の国境ね…」
手品師さんは絵の中の詩人さんを見ながら、わかるような気がするよ、と、言った。
「お嫁さんは?」
「実家に帰ってる。予定日が近いんでな」
「来年早々だそうだね。年末年始、忙しくなりそうだ。男の子だって?」
「ああ、医者の話では、90パーセント男だってさ」
「あててやろうか?」
「何を」
「男が生まれたら、渡って名前をつけるつもりだろう」
画家さんは黙った。そして、絵の中の詩人さんの笑顔を見た。
「もう少し、生かしてやりたかった。なんも、おれにはできなかったけど」
「君のせいじゃないよ」
「わかってる」
出されたコーヒーを飲みながら、手品師さんは椅子に座り、しばしの間、思い出にふけった。右手が無意識のうちに動く。気付くと手品師さんは、一枚のカードを手にもっている。ハートの6だ。
くるしいことの すべてを
あしたのひかりに とかして
ぼくはゆく
もう後ろは見ない
扉は開いて
金色の花の洪水のような
光があふれてくる
ああ お日様の向こうにある
お日様が 流れてきたのだ
ぼくのところに
知っているかい
ちきゅうをふく すべての風は
神様が あいするみんなの
頬にキスをするためにあるのだ
ぼくは歌でそれを
みんなに教えに行く
国境を越えて
魂も心も体も瞳も叫ぶ唇も
すべてが変容して
いつしかぼくは
ふしぎな一羽の小鳥になっている
あててみせよう
君が出す次のカードは
ハートの6だ
「この絵、ぼくにも描いてくれないか。もう少しサイズを大きくして。買うよ」
「え?そりゃいいけど」
画家さんは少しきょとんとして、手品師さんの横顔を見つめた。手品師さんは、絵の中の詩人さんをじっと見つめている。
「ハートの6か。まだわからない。何が言いたかったんだ?渡」
手品師さんは詩人さんと無言で話をしていた。画家さんは何も言ってはいけないような気がして、黙っていた。
(仕方ないね。答えを教えよう。詩の解説なんて、詩人の仕事じゃないけれど)
聞こえない声が、言った。
(愛がすべてだってことさ)
ふたりは、なんだか胸が暖かくなった。なんとなく、昔と変わらず、3人でここにいるような気がした。
国境を越え 怒りを捨て
すべてを 導くために
君はゆく
(つづく)