わたしはもう、考えるのをやめた。わたしは、わたし自身を救うために、行く。おまえはいつまで、そこで、考えてばかりいるのだ。
青城澄「月の世の物語・仏」
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これはかのじょのなした月の世の物語の中でも秀逸な一編の中からとった言葉である。
五十六億七千万年後に衆生を救うという弥勒が言ったというセリフだ。かのじょの思想がここに集約されていると言ってよい。
弥勒は衆生を救うのではなく、自分自身を救いに行くのである。それによって、永遠の救いを世に記そうというのだ。
五十六億七千万人が弥勒になる。
これが、真の弥勒の救いなのである。すべての人類が、自分自身の真実に目覚め、あらゆるものを救うための活動を始めるのだ。
真実の天使の救いのテーマはこれだったのだという言葉である。
愛らしい女性が考えていたことは、一筋の道をゆく人間の、自分自身こそが、すべてを救う弥勒だということなのである。
美しいだろう。
北辰制とは、この自己存在の全く正しい在り方を、国というものに表現するものだ。
国の中心にいるもの、北辰は、国の、自分という者を表すものなのである。あらゆるものがここから始まる。あらゆるものが、ここからなっていく。すべては、自分というものが、やるものだからだ。
自分を守るために他者を攻撃することのみの活動をするエゴは、自分とは言えない。それは自分を守るために、何かに動かされている仮定の自己なのだ。馬鹿というものは、この仮定の自己を自分と信じて、あらゆるものを破壊し続けるというものなのである。
しかし、この自己存在に、愛の光に目覚めた、自己活動の中心たる、自分というものが立つと、瞬時に美しい秩序が自分の中に出来上がり、美しい自分の意志によって、すべての創造がなっていくのである。
北辰制とは、国を、偉大なる自己存在にする政治体制なのだ。その体制がなるとき、いかなる国も、神にも匹敵するほど、美しい自己となるだろう。そして、あらゆる美しいことをなしていくだろう。
君たちは絶望することはできない。進化の扉をくぐった感覚で見る世界は、今までとは違うだろう。愛が見える。心が見える。美しいものと、そうではないものの違いがわかる。
その心が導く、本当の自分というものを見出すとき、君たちは自然に、国を美しい自己にするべく活動を始めるだろう。馬鹿は次第に制御されていく。
体制の中で管理され、指導されるべき存在となっていく。そうなれば、馬鹿もまた、発展していくことができるのである。
この体制がこの世界に打ち立てられるのも、そう遠い夢ではあるまい。自分というものをかけらでもつかんだ自己存在は、どんなことにでも挑戦していくからだ。
われわれは君たちに期待している。そして信じている。必ず、本当の自分を旗印にあげ、戦い始めるだろうことを。
一体何と闘うのか。それは馬鹿に迷いはててこの世界に君たちが作り続けてきた、永遠の幻の世界なのである。
君たちはそれにこれから挑み、倒していかねばならない。
できると信じて、やりたまえ。心配することはない。われわれもともにいる。愛ですべてをやろうとするものを、見捨てるものは馬鹿だけだ。
美しい自己存在よ。今こそ、やり始めるのだ。
ポーラースター・システム。
ここにて終わる。