世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

家の前の家族とともにいる自画像

2016-07-31 04:25:34 | 霧の風景


モーリス・ドニ、20世紀フランス、ナビ派。

暖かそうな男に見える。心底よい人間に見える。描く絵もやさしげでかわいらしい。だがこの男は偽物なのだ。他人の皮をかぶって生きているのだよ。時代を経て20世紀に入ると、このように本物の真似が非常にうまい偽物がたくさん出てきた。他人になりたい、よい人間になりたいという心が、よい人間というものをつぶさに研究し、もろにそのものになりきるということを始めたのだ。あからさまな偽物よりずっと悲しい。おもしろい画業を残しているが、いずれ砂のようにくずれていくだろう。このようなことをしたということが、人間にとってはたまらなく恥ずかしいことだからだ。
これからしばらくの間、自画像というものを追いかけてみよう。人間が自分というものをどう思っていたのかを、わかることができるだろう。






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女性の肖像

2016-07-30 04:20:21 | 霧の風景


コンスタンティン・エゴロヴィチ・マコフスキー、19世紀ロシア、写実主義、ロマン主義。

本物の美女を描いた絵を探した。なかなかに見つからない。本物の美女というのは、よほど強い魂でない限り、すぐに死んでしまうからだ。この女性は名前は伝わっていないが、本物の女性のようだ。美しい。だが、バックの霊界にいる人間に邪魔をされて、本来の自己活動をだいぶ奪われている。それで何となく偽物っぽく見えてしまうのだ。本物の美女はこういうことをされるというのが、この世界なのだよ。幸福になってほしいが、どことなく不幸の影が漂って見える。この女性はどうなったろう。シダルのように愛に破れて死んでしまったかもしれない。






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ライラックのある静物

2016-07-29 04:20:27 | 霧の風景


ニコライ・ペトロヴィチ・ボクダノフ・ベルスキー、19-20世紀ロシア、印象派。

休憩だ。少し休もう。
青い花は心が安らぐ。紅が愛だとすれば、青は永遠の象徴だ。愛に守られていれば、永遠の静けさの中で、しばし眠っていてもいい。
自己活動に疲れたときは、青い花を見るのがいい。






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ハールレムの聖エリサベト養護院の理事たち

2016-07-28 04:13:35 | 霧の風景


フランス・ハルス、17世紀ネーデルラント、バロック。

集団肖像画の典型であるが、この絵の中に登場する男はみな偽物である。本物の人間は一人としていない。これらはみな、他人から富と美を盗み、他人の人生を奪っている馬鹿なのである。それが養護院などという福祉施設の理事として働き、善人のふりをして生きているのである。なぜこんなことになるかというと、人間は自分がいやだからだ。本当の自分は馬鹿なことをしてしまった罪の人だからだ。だから罪のないように見える他人になりたがり、他人から顔や人生を盗んで善人になって生きるのである。そしてその顔を、自慢げに見せつけて、高い金を払って絵に描かせているのだ。馬鹿の見本というものである。しかし画家の目は鋭い。すべては嘘なのに、真実の人間のふりをして誇り高く気取っている人間の姿をそのまま写しとっている。これがこの二千年というものの、人間世界の現実なのである。






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ジョン・F・ケネディの肖像

2016-07-27 04:34:01 | 霧の風景


ジェイミー・ワイエス、20世紀アメリカ、コンテンポラリー・リアリズム。

これは本物の男だが、最も悲劇的な例である。大勢の馬鹿の霊にバックから激しく攻撃され、あらゆる邪魔をされたため、人格が激変してしまったのだ。本来この男は禁欲的な正しい男なのだが、性的欲望を我慢できない黒い男に変えられてしまったのだ。功績は大きいが、この男が悲劇的に死んでしまったため、これよりのち、こういう大きな男が人間としてこの世界に生まれてくることができなくなった。生まれてくれば必ずこういう目にあうからだ。そしてこの世界に生きる男はほとんどが馬鹿ばかりになった。人類の救済をかける究極の難の時代において、男はほとんど何もできなくなったのだ。






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座るデーモン

2016-07-26 04:16:13 | 霧の風景


ミハイル・アレクサンドロヴィチ・ヴルーベリ、19世紀ロシア、象徴主義。

これは馬鹿のセルフイメージである。馬鹿はこういう美形になりたいのだ。少年のような顔、寂し気な表情、イエスを思わせる細身の引き締まった体。すべてが女性の心を引き寄せるためのものだ。馬鹿はこういう美青年になって、女性に甘えたいのだよ。こんな男はよくいるが、ほとんどは偽物だ。本物の美男はもっと独立性を強調した姿になる。女性はこんな男を見たら気を付けるがいい。かわいらしく見えるが、女をむさぼるばかりで、決して愛そうとはしないからだ。






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ハレムの中の裸婦

2016-07-25 04:16:20 | 霧の風景


テオドール・シャセリオー、19世紀フランス、ロマン主義。

ハレムとはイスラム教国の王室の後宮のことをいうらしいが、要するに女性を性奴隷にしたところである。男は金と権力を持つと、大勢の美女を集めて後宮に閉じ込め、もっぱら男にセックスの奉仕をさせることを強いたのだ。これが男の馬鹿というものである。男は、閉じ込めた女性一人一人に、馬鹿をやったつけを払わねばならないのだ。一夜限りの相手をさせた女にでも、一生をかけて尽くさねばならないのだよ。それが法則なのだ。このようななめらかな女の肉体が欲しいばかりに、男は女性の人生を破壊したからである。






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ディオゲネス

2016-07-24 04:09:41 | 霧の風景


ジャン・レオン・ジェローム、19世紀フランス、アカデミズム。

アレクサンドロス大王は、樽の中に住む哲学者ディオゲネスに会った折、自分以外の人間になるとしたらディオゲネスがいいと言ったそうだが、わたしはそれは馬鹿だと思うね。のんきに日向ぼっこをしていて日陰になるからそこをどいてくれと言った哲学者よりも、馬鹿と失敗ばかりをやり、傷だらけになりながら世界中を暴れまわり、結局は何もならなかったアレクサンドロスのほうが尊い。アレクサンドロスは戦いに明け暮れる自分の身を振り返り、心の平安の中に生きているかに見えるディオゲネスをうらやんだのだろうが、ふたりの人生を比べれば、なしたことが大きいのはアレクサンドロスのほうだ。高尚な意見を述べてあくせくする人間社会を馬鹿にしていたディオゲネスは、自分の身が奴隷に売られようとしても反抗すらしなかった。そして結局は、何もせずに終わったのだ。






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2016-07-23 04:16:10 | 霧の風景


フランツ・フォン・シュトゥック、19世紀ドイツ、象徴主義、表現主義。

男は女に頭を下げねばならない。それでなくては次の時代には進めない。それは男が今まで決してやれなかった挑戦だ。できないものは男ではない。罪の影に封じ込めた女性を解放し、その真価を認めなさい。






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薔薇の庭

2016-07-22 04:12:43 | 霧の風景


マリア・オーキー・デューイング、20世紀アメリカ、女流。

美しいね。厳しいことばかり言うので、少しは心を安らげよう。
棘は薔薇の唯一の欠点などというものもいるが、それはちがう。薔薇の棘は、傷つくことなしでは真実をつかむことはできないという暗喩なのだ。美しい薔薇を手に入れたいのなら、棘を恐れずに庭に入っていきなさい。そしてそれが容易に摘むことはできないものだとわかるまで、挑戦してみなさい。真実の美がどういうものなのかということがあなたがたにわかるまで、薔薇はその庭に咲き続けてくれるだろう。






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