子曰く、位なきを患えずして、立つゆえんを患えよ。己を知らるるなきを患えずして、知らるべきをなさんことを求めよ。(里仁)
(しいわく、くらいなきをうれえずして、たつゆえんをうれえよ。おのれをしらるるなきをうれえずして、しらるべきをなさんことをもとめよ。)
訳)○先生はおっしゃった。偉い人になれないと嘆くのではなく、どうしてそうなれないのかを嘆きなさい。人に認められないと嘆くまえに、認められるにはどんな仕事をすればいいのかと考えなさい。
孔子のことばはいつも、まっすぐで、嘘がなくて、好きです。要するに、昔から、立派な人になりたいという人間はいっぱいいたんでしょう。どうしておれは偉くなれないんでしょう、なんてことをたずねてくる若者が絶えなかったのでしょうね。
孔子は嘘は言わない。偉くなれないのは、まだ修行が足りないからなんだよ、と本当のことを言います。けれども人間は、あまり努力をしたがらない。苦しいことはやりたがらない。なんとかして、楽にステータスを得られないかと考えて、何かとずるいこともやってしまいます。うそをついてでも、えらくなりたいなって考える人は、昔も今もたくさんいるようです。
偉い人っていうのは、何でも人にやらせることができて、自分では何もしなくていい人のことだと、多くの人は考えているようですが、ほんとは違います。偉い人は、人の三倍もいろいろなことをやる人のこと。普段は胸をそらしてえらそうなことを言っている人に限って、いざというときには何もやらない。何もできない。
ほんとうに偉い人は、あまり人の気づかない、何気ないところにいて、毎日こつこつと、何気ない、だけど大切なことを、きちんとやっている人です。そしてそういう人は、そんなに認めてもらいたいとは考えてはいません。うそみたいな立派な人になりたいとは、考えません。だってそんなものは、自分には考えられないと感じるものだからです。
ほんとうに偉い人は、立派なことを、自然に、毎日のように、喜んでやって、あんまりには、人には言わないものですよ。だって、みんな同じですから。みんな、何気なく大切なことをやって、それで、みんなが幸せになれるってものですから。自分だけが立派ではないと、立派な人はちゃんとわかっているものですから。だから、ほんとに立派な人は、もったいぶったり、おれはえらいんだぞ、なんてポーズをとることができないんです。みんな立派だと考えているからです。
自分だけでは、生きていけないんだと、ちゃんと知ってる人は、みんなを大切にするために、きちんと自分の仕事をしています。わかる人にだけ、わかってもらえればいいと考えます。それが幸せだからです。
そういう人が、立派な人だと、わたしは考えます。