イエスが彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大勢なのですから」と答えた。そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。
マルコによる福音書
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馬鹿は大勢になると狂う。自分の力を過信し、自己の燈明を下げ、暗黒の自我に巣くう獣性に自分を下げて、あらゆるものを食い始める。
愛は善と美の衣をまとい、秩序の光ですべてを導き、世界を幸福に創造していくものだが、獣性の暗黒は、ただ自分を生かすという目的だけのために、あらゆるものを暴力的にむさぼるのだ。
嫉妬が巨大な妖怪になり、愚昧が巨大な糞の山になる。
それが獣のように小さいうちはまだいいが、人間のように霊魂が大きくなり、それなりの知恵がついてくると、それは膨大な悪に発展する恐れがある。
獣的な性欲を満たすだけのために、最も美しい女神を犯そうとして、馬鹿は大勢の暗黒に飛び込み、あらゆる法則を捻じ曲げて、暴走して恥じない。
民主主義は、このような獣性の暗黒に、権力を渡す可能性があるのである。そして国を女のように犯して殺そうとするのだ。
人民の中には、大勢を味方につけて権力を手に入れれば、好きな女を好きなだけ犯せると思っている、馬鹿がたくさんいるからだ。
このような人民の中に巣くう獣性を飼いならし、国に善を流し、人民を真に幸福にする政治を敷くためには、自己存在の理想を具現する、高い人格を中心に据え、それをあらゆる活動の目当てとできる政治の形が最もよいのである。これを北辰制という。
それは絶対王政に似ているがまた違う。
絶対王政は上から無理やり下ろすものだが、北辰制は人民の方から自ら立ち上げるものである。
大勢の権力である民主制がどのような乱を国に落とすかということを学んだ人間は、愛の重要性を知り、自らの手で、美しい北辰に等しき愛の人格を、政治の中心に据えねばならない。