祝鮀の佞ありて、而して宋朝の美あらずんば、難いかな、今の世に免れんこと。(雍也)
今の世の中、顔がよくて口がうまくなければ、生きていけないようだ。
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祝鮀(しゅくだ)、宋朝(そうちょう)はともに人名で、前者は衛という国の祭官、後者は美貌で名高い宋の公子だそうです。
こんなことをいっては何ですが、最近、これはみごとだな、という男性を、とんと見なくなりました。やたらと清潔にして、髪型や服装をきれいにまとめた男性だとか、さらさらと軽い弁舌のうまい人だとかは、よく見るんですが。
テレビを見ても、立派に胸をそらして、俺は偉いんだぞ、というポーズをとっているのですが、なんだか今にも張りぼての芯が折れてしまいそうだ、という感じの人が多いのです。
外見は磨きまくり、どこかで聞いたようなことばを、完璧に磨き上げて論理構築した演説をし、一見すばらしいと感じさせるようになんとかつくりあげてはいるんですが、見ていると、苦しいと感じる。
これは、だれかが何とかしないと、みんなだめになってしまうぞ、という感じの人が多いのです。できない仕事を、無理にやったがために、ひっこみがつかなくなって、どうしよう、という目をしているんですよ。それが丸見えなのです。
要するに、外見を取り繕うことの上手な人ばかりが、成功するようになったから、こんなことになったんだな、という感じの男性を、テレビや新聞なんかで、よくみるようになりました。大変だなあ、と感じています。彼らは、一度、ほんとにやってることがばれると、どういうことになるかわかりませんよ。
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君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す。(里仁)
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やるべきことをちゃんとやってる人は、あまりものを言わないものです。やってることそのものが、自分の報酬みたいなものだからです。自分はやれるものなのだという幸福が、なによりすばらしい。だから、特に主張する必要はない。わかってくれるものだけがわかってくれればいい。
格好だけ、完璧にすることが巧みな人は、たくさんいるのですが、そっちに一生懸命になる暇があったら、ほんとの自分を磨くほうが、ずっといいと思うんですが。
自分自身である自分を、何より幸福だと考えて生きている人のほうが、ずっと美しいと、わたしは思います。