世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ベニシジミ

2007-12-31 11:32:37 | 箱庭写真集

今日はいよいよ大つごもりですね。2007年も終わり。皆様には、よい年でしたか。

振り返ると、わたしは、大変なことばかりでした。よく生きぬけました。苦しすぎることもあったのですが、身につけた試練を乗り越えるノウハウを、すべて駆使して、しのぎました。

皆様にも参考にしてくださいね。苦しいことがありすぎるとき、人生を放らずにやりぬくためにやる、いくつかの方法がありますが、その真髄にあるものは、ただ一つ。

とにかく、楽しむこと。バカになること。

この一年、何を抜きにしても、自分の魂を生かすために、楽しいと思うことは、すべてやりました。今から思えば、いかにもばかばかしいなって思うこともありましたが、とにかく面白がって、やりました。何もかも、この大切な自分の魂を、守り抜くため。

やたらと絵を描いていたときもありました。写真を撮りまくりました。編み物をしまくりました。音楽に合わせて、踊りまくったりもしました。疲れ果てて、何もなくなったと思えるようなときには、暗闇に一人座っている自分を想像して、それでも自分自身でいるという喜びを、全身に味わっていたりしました。

あらゆるものが、助けてくれました。写真に写った、かわいいベニシジミ。こんな小さな虫さえ、強い力をくれた。愛してるよって、言ってくれるからです。写真をみればわかる。花も虫も、わたしを、愛してるよっていってくれている。みんな、わたしが、どんなことをがんばっているかを、知っているからです。

愛してるよ。

どんなことだってするよ。

愛の響きに心開けば、必ず聞える。どんなにか、みなが、傷ついているもののために、何もかもをやろうとしてくれているかが。どんなにか苦しいことも、やってくれているかが。すべては。

わたしたちが、あまりにも苦しすぎるため。

にんげんが、苦しすぎるため。

にんげんは、愛が必要なのに、愛を嘘にしてしまう。それは、愛してもらわなければ、何もできない自分が、苦しいから。自分たちのために、何もかもをしてくれる愛が、痛すぎるから。

だから愛をいじめてしまう。そして、すべてをだめにしてしまう。そんな自分がまた痛くて、苦しくて、一層愛をいじめようとする。

痛いよ。痛いよ。いやだよ。いやだよ。みんな、つらい。

苦しいにんげんたちを見て、愛は沈黙する。見えない風の向こうに隠れて、すべての光る手を隠す。愛は見えなくなる。

虫の中に、花の中に、木漏れ日の中に、隠れて、聞えないささやきで、すべての涙を包もうとする。

あいしてるよ。もういいんだよ。やめなさい。

もういいんだよ。



来年は、いい年でありますように。

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クローバー

2007-12-30 10:19:10 | 箱庭写真集

これは、幼稚園の近くの空き地に咲いていたクローバー、だと思います。賢治が、「ポラーノの広場」に書いていた、「つめ草のあかり」を思わせる写真ですね。

本当に、不思議なともし火のようだ。

暮れも押し詰まってまいりました。今年は不調ゆえに、御節作りも大掃除もお休みです。おもちだけは買って、なんとかお雑煮くらいは作ってみますが、大晦日は、おそばのかわりにうどんすきでごまかしましょう。

この一年は、心身の不調との戦いでした。家事はしたくてもできなかった。それでも、最初はなんとか無理にでもと、やっていましたが、無理して作った晩御飯を、子供は食べてくれません。無言で、「やめてくれ」と言っていたようです。だから、冷蔵庫に自分で作って食べられるものを買っておいておくと、いつの間にか食べている。そんな暮らしでした。

末っ子は三男と協力しあいながら、たくましくやっていました。自分でケチャップチャーハンをつくれるようになり、わたしにご馳走してくれるようにまでなってきました。犬の散歩も、お風呂掃除も、言わないのに、いつの間にか自分たちでやってくれるようになりました。

みんな大きくなりました。子供たちは本当に大変だったと思う。何も言わないけれど、辛いことはたくさんあったでしょう。

直ったら、やってあげたいことがたくさんある。でも子供たちは、かえって迷惑がるでしょうね。母親はつらいな。子供にしてあげるのが幸せなのに、子供は迷惑がる。やめてって言われても、やるんだなって顔で、あっちへ行ってしまう。あ~あって、ため息をつきながら、やっぱり、子供のセーターを編んだりしてます。

クローバーは、どこにでも咲いているけれど、写真に撮ってみると、とても強いものを感じます。内部で、鋭いものが燃えていて、こちらを刺してくるようです。美しいのに、苦しい。それは、痛いものは痛いと、主張しながら、強烈な意思で痛いものを刺しにくる。そんなものを感じます。

わたしは、口でいうだけじゃないのよ。やるわよ。そういう花。強い。

それでいて、かわいいミツバチがきたりすると、だまって甘いものをくれたりする。花はどんな花も、やさしい。それぞれに個性はあるけれど、どれもみな、愛のために咲いているから、美しい。

けれども、愛は、つらい。それが愛だと気づかれるのが、痛い。愛してるから咲いてるのだとわかってしまったら、みながくるしい。だから花は、気づかれない間に、散ってしまう。花は隠れるのが上手。

愛するのが、とても上手。

わたしも、花を隠して、上手に、愛してみたいです。

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ダイコン

2007-12-29 10:58:20 | 箱庭写真集

これは、今年の春に写した、ダイコンの花。海沿いの道を車で走っていると、空き地の隅の一群れの白い花があるのを見つけ、あわてて車を停めて、撮ったものです。

ダイコンの花は、難しいですね。目でみると、ほんとうに美しいのに、写真に撮ろうとすると、いやいやをするかのように、逃げてしまうんです。なかなかポーズをとってくれないの。たいていの花は、自分の一番美しい顔を見せてくれようとするのに、ダイコンは、決まり悪そうに眼を伏せてしまうか、顔を背けてしまうのです。

自分はそんなに美しくないと思っているのかしら。いえ、そうではないのです。ダイコンは、自分の美しさは、気取ってポーズをとってみせるものではないと思っているのです。ダイコンの美しさは、目に見えぬものをほこりとしているということを、きりりと目でいうときに現れるもの。

ダイコンは目立たない。白く、清らかな花なのに、決して主張しない。ただそこらに目立たないように咲いていて、いつも、だれかの、もっとも美しいところを見ようとしている。ダイコンは、自らは目立たないのに、一番大切なことをしているもの。それが大好きなのです。

だれにもわかってもらえないけれど、一番大切なことをしている。みんなの中で、一番耐えている。目立たないところで、立派にやっているけれど、決して理解はされない。そんなものがいるとき、ダイコンはいつも、じっと見ている。

ダイコンにだけはわかる。だから、ダイコンはいつも、言っている。わたしは知っているよ。おまえがどんなにがんばっていたかを。見ていたよ、いつも。

ほんとうに大切なことをしているものは、もっともバカだといわれる。だれもそんなことをしないよ。損するばかりじゃないか。うそばっかりだよ。やめなさいよ。

みんながそういうとき、ダイコンだけは、じっとまっすぐに見ている。わかるよ。わたしにはわかるよ。おまえは、ほんとうに、いいこだよ。

そんな花が、つまらない空き地のすみに、ゴミ捨て場のごみの隙間に、咲いている。誰かが捨てた野菜くずから芽生えたのだろう。だれも見向きもしない。あんなに美しいのに。

ダイコンの美しさがわかるひとは、すべてを知っている人です。

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さくら

2007-12-28 12:25:39 | 箱庭写真集

これは、今年の春に撮った、ヤマザクラの花です。小さな山の斜面に、ネットフェンスの向こうから乗り出すように咲いていました。たまたま車で通りかかって、あまりに美しかったので、これは絶対撮らなければと、撮りにいったのがこれです。
前のブログでも使ったので、覚えておられる方もいらっしゃるでしょう。

ほんとうに美しい。また来年も会えるのが楽しみです。

昨日は、体力的に苦しかったのですが、どうしても見たかったので、隣町の美術館まで車を走らせ、展覧会を見にいきました。

印象に残ったのは、美しい兄弟の肖像を描いたものと、月とサクラを描いた屏風です。画家の名前は前者が菊池契月、後者が加山又造。菊池の名前は、昔女性の絵をどこかで見たことがあり、それがとてもすがすがしく美しかったので、覚えていました。またいつか、見てみたい。伏せた目と、まっすぐに見開く目の向こうから、澄み切った真実を語ろうとする魂が見えてくる。そんな感じの絵でした。

加山又造の絵は二つあって、月とサクラを描いたものが、とても強く、重く、響いていました。声の出ぬうめきが、大地を揺るがそうとしているかのような、怒りでした。この世のものではないような、真に美しいものが、あまりにも愚かな理由で汚され、壊され続けている。その苦しみに、紅蓮を越えた、黒い怒りで答えようとしている。

あまりにも苦しすぎる。

画家は、この世界のあらゆるものに、阿呆だ、と叫んでいるようだ。しかもその真っ只中にいて、完全に痛い、苦しい、強いものを作ろうとしている。激しく痛い、自らの背骨を砕いてでもあげたい真実の叫びを、凍りついた岩の中であげようとしている。

それはいったいどんな創造なのか。苦しすぎるもののなかであげる真実の魂の叫びはどんなものでしょう。これも見てみたい。

美しいですね。

帰ってから、すぐに横になって眠りました。久しぶりによく眠りました。疲れはありましたが、やはり見に行ってよかった。

この世界は美しい。この世界の美しいものを、いっぱい見てみたい。




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ながみひなげし

2007-12-27 10:01:34 | 箱庭写真集

今年の春に撮った、ナガミヒナゲシです。日を浴びて、まるで金色に見えます。とてもやさしい。好きな花で、春にはこの花ばかり撮っています。

芥子やポピーの園芸品種は、どれも華やかすぎるほど華やかで、きつい感じがするのですが、この花は、その華やかさをおとなしくさせて、品よくかたちつくっているような気がして、とても好きです。きれいにしようと思えば、いくらでもきれいにできるけれど、それでは見る人が痛いでしょう。少し抑え気味にして、微笑と心だけで着飾って、ほんのりとそこにいる。どこにでも咲いている。そういうのが、なんだかすきなのです。

愛は、いつも、着飾らない。なんでもないという顔をして、そこらじゅうにいて、当たり前のことをして、すべてを支えている。美しすぎるものは、平凡すぎるほどの服をきて、当たり前の顔をして、みんなをいっぱいいっぱい愛して、何でもやっている。ずうっと、ずうっと、やっている。

そういう花が、わたしはとても好きです。

カテゴリ「花や木」にしたい内容ですが、デジカメくんのために、「写真集」にしました。まだ、空や、編み上げたセーターなどを撮るために、がんばってくれてます。このナガミヒナゲシは、ほんとにきれい。デジカメくんの一番の傑作ではないでしょうか。

また明日も、デジカメくんの傑作を紹介したいと思います。

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2007-12-26 10:54:06 | 箱庭写真集

空の写真ばかりだと、なんだか召されてしまいそうになるので、いけませんね。今日からしばらくまた、過去の傑作集をやることにしました。以前紹介したことのあるものもあるかもしれませんが、楽しんでくだされば幸いです。

今のデジカメくんで撮ると、花も空も物悲しく写ってしまいます。傷ついて、きれいに撮れなくなったのが、デジカメくんも悲しいのかもしれない。このまま何も撮らずに、眠らせてあげたほうがいいんでしょうね。でもしばらくは、使わせてほしい。もう少ししたら、新しいのを買うから。

これは、今のデジカメくんが、元気だった頃に撮ってくれた写真です。雨に濡れた草が美しい。美しい写真をいっぱい撮ってくれましたよ。埋もれているのがたくさんあります。できるだけたくさん紹介しましょう。

今は、編み物三昧の生活です。今日で、一応子供のセーターが編みあがりそうです。今年の冬は編み物で乗り越えることになりそうだ。次は、自分のセーターを編んでみるつもりです。

出来上がったら、お見せしましょう。編み物をするのは、実に10年ぶりくらいだったので、道具などはほとんど買いなおさなければならないくらいだったのですが、はじめるともうやめられなくて、夢中になっています。一つ編み終わる頃になると、もう頭の中で、次の編み物のデザインが踊り始める。

最初は、生成りの毛糸で自分のセーターを編もうとしたのですが、なんだかうまくいかなかったのは、白っぽいのがちょっと痛かったからだと気づきました。白より、グレーか黒のほうがいいような気がする。それはきっと、ちょっと疲れているからでしょう。生成りの毛糸で編んだストールは、暖かくてやわらかくて、重宝していますが、最近は少し疲れる。白いのは今、避けたほうがいいみたい。

色にも、いろいろ、意味があるようです。

わたしは今、光のやわらかい、閉じた子宮のような、安心できるところで、休みたいと願っているんでしょう。そのためには、色は抑えたほうがいいんでしょう。

いい毛糸が見つかるといいんですが。

それでは、明日。



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空の絵本・6

2007-12-25 13:53:39 | 空よ

美しい青空の写真です。これは洗濯物を乾すためにベランダに出たときに見た空、だったかな。ひきこもりのわたしが写真を撮るポイントは、だいたいスーパーの駐車場、幼稚園や小学校の近く、うちのベランダと決まっています。

遠くに出かけたくても、なかなか体が言うことをききません。

隣町の美術館で、今いい展覧会をやっているので、見にいきたいのですが、この調子では、いけそうもありません。昨日は、せっかくのイヴなので、子供たちをつれて外食に出かけたのですが、レストランを出た帰りによったスーパーで、急に気分が悪くなり、しばらくトイレの中で死にそうになっていました。

なので、今日は一日ふとんの上で過ごすことにしています。子供のセーターの袖をちまちま編みながら、ほかにはなにもせず、何も考えずにすごそうと思っています。

せっかっくのクリスマスなので、それにちなんで今日は聖書のことばでも紹介しようと、計画を練っていたのです。おもしろい記事を書こうと思っていたのですが、昨日のことで、頭の中にあったことばが消し飛んでしまいました。かなりいいものが書ける予定だったのですが。

やれやれ、サイアクです。これより悲惨なイヴを過ごした方はいらっしゃるかな?

ともあれ。みなさまには、よいクリスマスでありますように。

お幸せがありますように。

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空の絵本・5

2007-12-24 09:10:53 | 空よ

今日もデジカメくんは、空の写真を撮ってます。時々花の写真も撮るんですが、気のせいかな、ちょっと復活してるみたい。赤いサルビアの花が、きれいに撮れました。もっといいのが撮れたら、また紹介してみましょう。

春までにはなんとか、新しいデジカメがほしいですね。

今日はクリスマスイヴですね。サンタの御用は、わたしはもう昨日すべて済ましてしまいました。体調面から、イベントを規則どおりにこなすことは、とてもできないと思ったからです。でも、子供たちはプレゼントをとても喜んでくれました。

本屋さんで、新しい編み物の本を一冊買い、4男にセーターを編み始めました。毛糸が足りるかどうか、微妙なところなので、ベストになるかもしれませんが、夜中までかかって、後ろ身ごろを編み上げました。

詩もぼちぼち書いているし、絵も紹介したいのがあるのですが、最近はなんだか、日常のつまらないことを、ちまちま書いているのが楽しいです。おもしろいこともなさそうな、毎日の病人生活の中で、小さな楽しいことをつまみだして、書いている。

ほんとうに苦しいときは、こんな感じなんでしょう。でも、苦しいとはあまり感じない。苦しいことを、苦しいと感じすぎないように、今はあらゆることをやってみて、なんとかしてる。そんな感じです。きっと今の苦しさは、過ぎてみて初めてわかるんでしょう。

とにかく、できるだけ、今を楽しんでみる。楽しそうでないことも、無理やり楽しんでみる。そんなことで、やってるのかな。

かなり、おもしろいですよ。

さて。

みなさまには、どうか、美しいイヴを、おすごしください。

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セーター

2007-12-23 10:16:31 | 珈琲の海

息子に編んだセーターができあがりました。男物のセーターを最後まで仕上げたのは、実に、17年ぶりです。新婚の頃、夫に編んだっきり。しかもそのセーター、夫が着てくれなくて、今はわたしが愛用しています。

中2の次男に、早速着せてみたのです。かなりの男前になりましたわ♪ でも、本人はくすぐったかったのか、すぐに脱いでしまいました。あーあ。またたんすのこやしになるかな? でも、寒いときには着てね。

マフラーが4本、ぼうしが三枚、ベスト、セーター、各一着に、ストールが一本と、今年の冬は編みまくりました。まだ白い毛糸がたくさんあるので、これであと何か編んでみるつもりです。ベストにしようか、それともポンチョにしようか、悩み中です。

冬至はもう過ぎましたね。寒さはこれから本格的になります。寒さに心も体も痛めないように、暖かくして、お過ごしください。

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空の絵本・4

2007-12-22 09:55:05 | 空よ

今日のは、幼稚園の近くの駐車場から撮った空です。街中で撮ると、電線やアンテナなどが写りこみやすいので、これもちょっとトリミングしてます。
雲の穴の形が、まるで光る鳥のようです。

今日から、こどもたちは冬休みです。なので昨日は、学校に、懇談会や教育相談に行ってきました。幼稚園、小学校、中学校とはしごして、先生と子供たちについて話をしてきました。

体調から、あまりこみいった話はできなかったのですが、おもしろいなと思ったのは、学校の先生は、上に上がるほど、ふつうっぽくなってくるなってことです。幼稚園の先生は、年をとってても、まるで子供みたいにかわいい。にこにこして、おもしろいことを自然にやってる。いろいろあるんだろうけど、かなり、子供たちに染まって、あほっぽいことでもまじめにやって、うれしいなって顔の人がいっぱいいます。小学校の先生も、ほとんど同じ。

でも、中学校、高校になると、先生もちょっと、いばってきますね。素直になれない。やんちゃというより、手ごわくなってくる子供たち相手に、大人の手も使うぞって感じで、えらいんだぞって感じを出してくる。

高校の先生は、特に、つらいなって感じです。高校生になると、まるっきり先生をバカにしてきますから。それくらいの年齢の子は、世界中をあほみたいなものだ、て思わないと、生きられないってくらい、この世界の、微妙な、痛いとこがわかりはじめてくるからなんです。

要するに高校の先生は、生徒たちに、ばれちゃうなってとこを、なんとかしなくちけないから、つらいんですね。子供たちは、大人の顔の向こうにあるものを、ぜんぶ見破ってしまう。なんだこんなの、てんであほだって、思って、それが顔に出ちゃう。そして、苦しいことが増えてくる。

こどもたちは迷い始める。

いいことばかりじゃない。いやなこともいっぱいある。でも、自分にはまだ、まるっきり力がない。不安ばっかりだ。子供なんていやだ。大人なんてバカだ。痛いよ。苦しいよ。

目覚め始めた子供たちは、親から与えられたきれいな服を着て、上等な自転車に乗って、走ってる。でも、見えない孤独の檻に、ずっぽりとはまって、何かをずっと考えている。大人になりきれない、おれのちっぽけさがいやだ。

どうすればいいんだろう?


愛してるよって、わたしはいうよ。なんでもしてやるよ。全身で痛がっているおまえが、痛いよ。

ずっと見てるよ。

空も山も海も、みんな、おまえを見ているよ。

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