世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2011-12-10 09:09:45 | 月の世の物語

「まさか、こんなに早く、地球に戻ってくるとは思わなかったな」金髪の少年が言いました。「そうか、君は最近死んだばかりだったね」黒髪を長く伸ばした少年が、彼の横で腕を組みながら、目の前の池を見下ろしていました。ここはある山の中にある、小さな池の前でした。

「すんごく汚れてる。これをふたりで浄化しなくちゃいけないのか」黒髪の少年が鼻をつまみながら言いました。「中に、箪笥かなんか沈んでるね」「冷蔵庫だよ。きっと地球(ここ)の人間が捨てていったんだ」金髪の少年は頭をかきながら、どうすべきかしばし考えていました。

黒髪の少年は、周りの山を見回しました。木々の隙間から、池から少し上の方に、人間が造ったアスファルトの道が見えました。彼はふっと息を吐きつつ、少し口の傍をゆがめて言いました。
「昔ここは、すごくきれいな池で、白蛇の精霊が棲んでたんだ。その精霊が、ここらへんの山の天然システムを、みんな管理していたんだよ。でも人間が勝手に山を切り開いて、道を造ったりしたもんだから、池が汚れて、精霊は帰ってしまったんだ」金髪の少年はそれを受け、「うん、今だから言うけど、僕は生きてたとき、山に開いたトンネルを車で走ると、何だかいつも悲しい気持ちがしてた。すごく自分が罪深いような気がしてた」と、言いました。

「生きてても、僕らはやっぱり何か感じるんだね」黒髪の少年が言うと、金髪の少年はこくりとうなずき、「でも、どうやって浄化する?あの冷蔵庫とか、ほかのゴミとか、みんな掃除しなくちゃいけないよ。できないことはないけど、ここは人里に近いから、ここの人間にばれてしまうかもしれない」と、言いました。黒髪の少年はきっぱりと言いました。「なに、結界の魔法と、幻の魔法を組み合わせればいい。そしたら人間は簡単に近づいて来れないし、一見ここはとても汚れた池に見える」金髪の少年は口笛を吹き、「相変わらず、頭だけはいいね」と言いました。黒髪の少年は、なんだよそれは、と言い、金髪の少年の頭を小突きました。

黒髪の少年は呪文を唱え、先ず池の中にある冷蔵庫を取り出し、それを池の傍にどんと置きました。「ちょっと待てよ、このゴミはどうする?」金髪の少年が言うと、黒髪の少年は軽々と言いました。「日照界の浄化所に持ってけばいい。あそこなら物質界のものでも処理できる」「あそこは許可証がいるだろう? 事実上、地球上から物質を消してしまうことになるから、ものによっちゃ天然システムのバランスが……」と、金髪の少年が言いかけたとき、木々の間を何か四角い光るものが燕のように飛んできて、彼の指の間に挟まりました。

「何?」と黒髪の少年が聞くと、金髪の少年は、指に挟まった小さな紙を黒髪の彼に見せ、目を丸くして、言いました。「浄化所の許可証だ。しかも聖者様のサイン入り」。
黒髪の少年は、「わお」と言いました。

「よおし、じゃあ遠慮なくやるか!」黒髪の少年は力こぶをつくるように腕を曲げました。「オッケーイ!」と金髪の少年は答え、早速池の中のゴミをさらい始めました。

全ては夜のうちに、行われていました。彼らは池の中のゴミをすべてさらい、一緒に呪文を唱えて、許可証を添えてそれらを日照界の浄化所に送りました。ゴミの山は一瞬で消えましたが、ふたりは相当疲れた気がして、どちらかが長いため息を吐きました。
「邪気があるね。何だろう?」金髪の少年が顔をゆがめて言うと、黒髪の少年は最近覚えた魔法を使い、指で宙に眼鏡のようなものを描いて、それを透き見ました。「ああ、わかった。この近くで最近悪いことをしたやつがいる」「へえ?わかるの?」「うん、ゴミを捨てたんじゃない、とても汚いものを捨てたんだ」「何?それ」「愛の屍だよ。ここらへんで、どっかの男が女性の愛を裏切ったんだ。それで女性がこの池に心を捨てたんだよ」黒髪の少年は眼鏡を消し、ため息をつきました。そして何も言わずにふたりは顔を向けあい、よし、と同時に声をかけ、ふたりで同じ呪文を唱え始めました。最初彼らはかなり強い邪気の反発を感じました。瞬間、心の破れた女性の泣き顔が見えました。黒髪の少年は愛と慰めの呪文に切り替え、金髪の少年も続きました。

ふたりは汗をかきつつ、なんとか邪気を浄化に導き、その残り香を吹き消しました。はあ、と金髪の少年が、息をつき、背を丸めて膝をつかみました。「久しぶりの魔法だからね、君は疲れるだろう。あとは僕がやるよ」黒髪の少年も少し息を激しくしながら言いました。金髪の少年は前を見てきっと目を見開きました。「いや、僕もやる。これくらいできなかったら、僕じゃない」彼は光る金髪を風に踊らせて、言いました。

池の浄化には、ふたりでやって、二晩かかりました。



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2011-12-09 07:42:51 | 月の世の物語

窓辺で、ぬるいお茶をすすりながら、博士はぼんやり、半月を眺めていました。少年が、研究室に入って来て、博士の様子を心配げに見ながら、言いました。
「先生、そろそろ時間ですけど、怪に食べ物やっていいですか?」
「ん?…ああ」
博士は振りむきもせずに言いました。少年は仕方なく、部屋の隅の箱の中を探り、例の光る棒を取り出して、研究室の水槽にいるムカデたちに食事をやりました。
「ほーら、ムカデ一号、二号、三号、御飯だよ~」少年が光る棒を細かく千切ってやると、ムカデたちは大喜びで食いつきました。少年はため息とともに言いました。
「どこ行っちゃったのかなあ?カメリア」すると博士は、空っぽになったカップをもう一度すすりながら、「ああ…」とぼんやり答えました。

カメリアが研究所から姿を消してから、七日が経とうとしていました。最初彼らは研究所とその周辺を探し回り、近所にある研究所にも尋ねてみました。しかし彼女はどこにも見つかりませんでした。博士は、彼女がいなくなって以来、研究もあまり手につかず、怪に食事をやるのもさぼりがちで、ぼんやり考えてばかりいました。

一年か…と博士は思いました。カメリアが、おずおずとこの窓から入って来て、博士と出会ってから、そんな月日が経っていました。一年一緒にいた蜘蛛が、一匹いなくなっただけで、なんでこんなに胸が寂しいのか、博士は、少し考えようとしました。しかし思考は鉛のように重く動こうとせず、出るのは小さいため息ばかりでした。

少年はそんな博士が心配で、ムカデの水槽のそばで博士を見ながらじっと立っていました。と、どこからか、かすれた男の声が聞こえました。
「カ、カメ…リァ…」見ると、水槽の中で、背中に3と数字を書かれたムカデが、全身を踏ん張って、懸命にしゃべろうとしていました。少年は驚いて叫びました。「先生!三号がしゃべってます!」博士はそれにははっとして、カップを窓辺に置くとすぐ水槽のそばにやってきました。ムカデは、苦しそうに身もだえしながら、なんとか、声を出そうとしていました。「カメリア、カメリアって言いましたよ!」少年が大声で言いました。「何だ、何を言いたいんだ、三号?」博士が言うと三号は水槽をはいあがるように半身で立ち上がり、言いました。「カメ…リア……せ…せ…せい…いき…行……た……」それだけ言うと、三号は力を使い果たしたように、水槽の底に倒れました。

「ちょっと待て?今何て言った?」「聖域って聞こえましたよ」「聖域って、あの聖域か?!」「ここにはほかに聖域なんてありません!」「カメリアが聖域に行ったって言ったのか?」博士は思わず水槽をゆすりました。すると三号は苦しみながらも小さな声で、「は…い…」とだけ答えました。博士は青ざめました。
「冗談じゃない、あそこの結界は生半可なもんじゃないんだ!!」そう言うと博士は思わず走り出し、窓を開けたかと思うとそのまま空に飛んでいってしまいました。「せんせーい!」少年が窓に飛びついて博士を呼びました。潮風が少年の頬を冷たく打ちました。博士の姿はすぐに、半月のむこうの闇に消えて、見えなくなりました。


青い風の吹く聖域では、いつものように、小さな童女が静かに笛を吹いていました。彼女は笛の音で風を導き、それをもっと高みへと昇らせようとしました。しかしその時、彼女はふと笛を吹くのをやめ、立ちあがって振り向くと同時に、長身の聖者の姿に戻りました。見ると、結界の向こうに、黒くうごめく蜘蛛の気配がありました。カメリアでした。

聖者は杖をとり、蜘蛛を追い払おうとしましたが、ふと何かに気付いてそれをやめました。と、カメリアは、聖者のお姿のあまりの美しさに茫然として、「か、神さま、神さま……!」と言いながら、引き込まれるように走り始めました。途端に彼女は結界に触れ、ばちっと音がしたかと思うと青い炎がゆらめき、その中に一瞬、金髪の少女の姿が見えました。しかしそれは風にくるりと回ってすぐに消え、代わりに、真っ赤な色をした丸いものが宙に浮かびました。聖者は事態に瞬時に気付き、ハッ!と声を破って杖を振り、結界越しに魔法をかけて、その赤いものを小さな結界の玉に包みました。赤いものは、シャボン玉のような結界球の中に、ふわふわ浮かんでいました。そして聖者は今度は大きく息を吸い、その結界球を自分の手元に呼びました。彼は黙ったままそれを手にして凝視しました。赤いものの正体は、まだ数カ月に満たぬ胎児でした。聖者は風のような早口で長い呪文を吐きはじめ、見る間に結界球の中に胎盤とへその緒を作り、羊水で満たして胎内の環境を作りました。

博士が、大慌てで聖域のそばまで飛んできたのは、その時でした。彼は、「カ、カメリア!」と叫びつつ、結界のすぐ外に飛び降り、ふらついて森の下草の中に尻もちをつきました。彼は顔をあげ、結界の向こうの聖者の姿を見ました。聖者は、まるでそこに白い炎が燃え上っているかのように、恐ろしい顔でまっすぐに立ち、光る目で博士をにらんでいました。彼は聖なる仕事を邪魔されたことを、怒っていました。

聖者は、腰を抜かしてものも言えぬ博士に向かって、若い姿には似合わぬ年を経た厳しい男の声で言いました。「半月島の者、魔法は使えぬな」言うが早いか、彼はすばやく宙に光る印を描き、再び、ハッ!と声を上げてその印を結界越しに博士の額にたたきこみました。博士はその衝撃で後ろにもんどりうって倒れましたが、すぐに何かの力に引っ張られ、立たされました。青草の上にふらつきながら、彼は自分の手が勝手に動くのを感じました。手は彼の目の前で、椀の形に合わさり、その器の中に、見る間に乳色に光る液体がたまり始めました。博士が驚いて言いました。「げ、月光が、汲める…」。

「その魔法は一年使える」聖者は博士に冷たく言いました。そして結界球を前に突き出し、息を吹いてそれを博士の手元に投げました。博士は結界球を受け取ると、中の胎児を茫然と見ました。胎児は羊水の中でくるくる回り、小さな声で「神さま……神さま……」と繰り返していました。その声に博士ははっとしました。「カメリア、カメリアなのか?」事態をまだ飲み込めない博士に、聖者はさらに冷厳な声で言いました。

「その者、怪であったがその罪を深く悔い、人間に戻ろうとしていた。だが、霊体の形成が未熟なまま聖なるものに近づいたため、そうなった。今日より十月十日の間、月光水を日に三度、胎盤に注げ。さすれば月満ちた時、それは見事な赤児となって蘇ろう。その後のことは別の者に聞くがよい。わかったか!!」博士は、「わ、わかりました…」と言うしかありませんでした。聖者は「では去れ!」と叫び、杖を一振りしました。すると博士とカメリアの姿は、もうそこにありませんでした。


「うわああああ!」と博士が叫んだ時、博士はもうすでに研究室の中にいました。彼はカメリアの入った結界球を抱いて、背中から床に倒れました。何が何だか、さっぱりとわかりませんでした。ふと気がつくと、少年が、研究室の窓を開けて、茫然と外を見ていました。

「お、おい…、どうした?」博士が、よろよろと立ち上がりながら、少年に声をかけると、少年は「先生?」と言って振り向きました。そして彼は茫然としたままゆっくりと、空を指さしました。「見てください、月が……」博士はカメリアを抱いたままふらふらと窓辺まで歩いてきました。そして少年が見たものと同じものを見て、目を見開きました。少年が震える声で言いました。「月が、望(まる)い……」

半月島を照らす月は、真っ白な真円を描いて、静かに空にかかっていました。





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2011-12-08 07:17:01 | 月の世の物語

ある病院の、ある一室で、今、一人の老人が、息を引き取ったところでした。医師が臨終を告げると、ベッドのふちにすがりついていた彼の妻がすすり泣き、後ろに立っていた三人の息子、娘たちが、悲しげにうつむきました。
その様子を、少し離れた所から、今死んだばかりの老人が静かに見守っていました。彼は妻の頬の涙や、子供たちの顔を見ながら、心の中で呟きました。(六十二年か。よく生きたほうかな)。

と、後ろから誰かが口笛を吹く音が聞こえました。老人が振り向くと、壁の向こうが透けて見え、眼鏡をかけた一人の少年が笑って手を振っていました。老人は、「ああ!」と声をあげ、瞬時に少年の姿に戻りました。彼は壁を抜けて病室を出ると、眼鏡をかけた少年と手を握り、抱き合いました。
「やあ、ひさしぶり、わざわざ迎えに来てくれたのかい?」
「いや、そろそろだと思ってさ、待ってたんだ。この頃こっちに呼ばれる仕事が多くて、ついでと言っちゃあなんだけど。」

さっきまで老人だった少年は、金髪に青い瞳の利発そうな少年でした。眼鏡の少年は、金髪の少年を船に乗せると、早速空に飛び出しました。すると金髪の少年は、少しさびしくなり、しばらく低空を飛んでくれないかと眼鏡の少年に頼みました。
「いいよ、六十二年生きてきたんだ。すぐに帰るのはつらいだろう」眼鏡の少年は快く、船を低空に下ろしてくれました。金髪の少年は、生きていた頃住んでいた町を、しばらくじっと見回していました。

「どうだった?人生は」眼鏡の少年が問うと、金髪の少年は町を見下ろしながら言いました。「まあまあかな、と言いたいところだけど、ほんとはかなり苦しかった。仕事で、上司にミスを押しつけられて、クビになりかけたりしたこともあってさ」「へえ」「結局は内部告発があって、上司が裏でやってた使いこみなんかがばれて、僕は助かったんだけど。ショックだったよ。見た目は温厚そうな、とても良い人に見えたから」「ああ、そりゃ人怪(じんかい)だな、多分」眼鏡の少年が言うと、金髪の少年はため息をつきつつ、「うん、僕もそう思う。人怪は良い人のふりが上手くて、裏ではずるいことや悪いこと、平気でやっちゃうからな」と言いました。人怪とは、怪が神の道理を破り、勝手に人間として地球上に生まれてきたもののことでした。「そんなのは今、地球にいっぱいいるよ」眼鏡の少年が船を回しながら言いました。

「ここで生きるのは、相当苦しいんだ、今。」金髪の少年は悲しげな目で町の向こうの山を見ました。「生きてる頃から思ってたけどね。テレビでも世間でも、色んな人が色んな事を言ってた。けど、実際彼らの言いたい事は、ひとつだけだった。『やつらはバカだ。おれはつらい』。」金髪の少年の言葉を受けて、眼鏡の少年が、はっはあ、と笑いました。「うまいね。そのとおりだ。苦しすぎるんだ、ここは。怪の天下みたいなもんだからね」。

船は、山に向かい、その下方にある新興住宅街の上を飛びました。金髪の少年は言いました。「ごらん。あの新しい家。最近人はあんな大きい家を欲しがるんだ。ここでは幸せになるために、あんなものが必要なんだよ。でも、悲しい。ほんとは人間は、もっと小さい家のほうが幸せなんだ」「うん」「僕の妻も、あんな家をうらやましそうに見てたな。僕らの家は、親の代からの古い家だったからね」「幸せだったかい?」眼鏡の少年が問うと、金髪の少年はしばし黙りこみました。地球の風が彼の髪をなでました。彼は空を見上げると、「そうだな」と言いました。「とにかく、子供三人は、みなまともに育ったし」「いいことじゃないか」「うん」金髪の少年は笑い、そろそろいくよ、と言いました。そして眼鏡の少年が、船を上に向けかけたとき、ふと、金髪の少年は気付きました。
「あれ?」
青い小さな光が、空から地上に向かって、まっすぐに降ってくるのが、遠くに見えました。

「なんだ、あれは?」金髪の少年が言うと、眼鏡の少年が答えました。「ああ、あれは水晶の火だ」「水晶の火?」金髪の少年が目を凝らして見ると、青い光は、はるか遠く山の向こうの、白い頂をした高山の上に落ちました。眼鏡の少年は、今、聖者様たちがやっていることを簡単に彼に説明しました。すると金髪の少年が驚いたように言いました。
「地球に聖域をつくるって?!」
「大方の人はそう言ってる。でもほかにも、霊的ネットワークをつくるとか、地球そのものを聖化するとか、色んなことを言う人がいる。聖者様は何かを知ってるみたいだけど、誰も何も教えてくれないんだ」「そんなの無理だよ。こんなところ、どうやって聖化するのさ?」「みんなそう言うよ。でも神様は、百パーセント、いや、二百パーセント無理なことでも、やっておしまいになるからね」「そりゃそうだけど…」「君も、帰ったら忙しくなるよ。何か仕事をしろって、役人さんが言いに来る、多分ね。」

眼鏡の少年は、船をぐいと上に向け、スピードをあげました。金髪の少年は、地球が見えなくなるまで、ずっと下を見ていました。







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2011-12-07 07:04:34 | 月の世の物語

天の国には、大きな学堂がございました。天の国の王様は、神の清らかな御言葉を受け取る霊感にすぐれており、それを人にも使いやすい呪文になおし、日夜新しい魔法を生みだしておりました。ですからその学堂で講義が行われる日には、新しい魔法を学びに来る人が、それはたくさん訪れてきました。

青年は、学堂の末席に座り、王様が宙に描いたみごとな光る印の形に見惚れながら、しきりに帳面に王様の言葉を書き写していました。彼は帳面に写した印の難しい組み合わせを見つつ、(すごいな、今の僕ではとても描けそうもない。ずいぶん練習しないとな)と思いました。

ひととおりの説明が終わると、王様は神の導きに感謝し、皆もそれに従いました。そして講義は終わり、学堂に集まった者は、一斉に王様に挨拶すると、みなざわざわと語り合いながら、それぞれに学堂を出ていきました。青年は帳面の図形を見ながら、少しの間ぼうっとしていました。と、まるで光が寄って来るように、王様がそばに来て、ほほ笑みました。
「どうしました。最近はよくおいでになりますね」
青年はあわてて帳面をしまって立ち上がり、「いや、ちょっと、思うことがありまして…」と言って、先ごろ聖者の仕事を手伝った時、その魔法陣の見事さに感動したことを、素直に話しました。
「ああ、それでですか。確かにあの方はとてもすぐれたお方です。わたしの所にも時々いらっしゃいますが、どんな魔法もすぐに吸収して、上手にお使いになります」
王様は彼の勉強熱心なことをとても悦びました。

「おや? 今日はほかにも御用があるのですか?」王様はふと目をあげて、言いました。「だれかお待ちの方がいるようですね」すると青年は、あっと声をあげました。
「そうでした。すっかり忘れていた。ありがとうございます」青年は王様に礼をすると、あわてて学堂を出て行きました。

学堂から少し離れた小さなお堂の中で、少年が待っていました。青年が姿を現すと、少年は「おそかったですねえ、どうしたんです?」と言いました。青年は、いや、ちょっと、と言葉をにごして、「醜女の君はまだおいででないね」と、言いました。すると少年は、少し口をとがらせて言いました。「もうすぐおいでになりますよ。もうちょっと来るのが遅かったら、お待たせしてしまうところでしたよ」青年は、「わかったよ。すまなかった」と謝りました。

「念のために言っておきますけど、醜女の君の前では、『お美しい』という言葉は禁句ですからね。あのお方はそう言われるとたいそう悲しがって、泣いてしまうんだ」
「わかってるよ。ここの王様は、それでも、そう言うらしいけどね」
「王様はほんとのことしか言わないんだ。それで醜女の君はこの頃、王様のことを、つい避けておしまいになるそうですよ」
「そんなにつらく思うことはないのになあ」
と、ふたりが語り合っていると、お堂の扉がぎいと開いて、醜女の君が姿を現しました。彼女はいつものように、顔を隠し気味に羽衣をかぶり、金の紐で口を結んだ大きな白い袋を手に持っていました。青年と少年は同時に立ちあがり、礼をしました。

「お待たせいたしました。これだけあればよろしいかしら」醜女の君は、袋を青年にわたしました。青年はありがたく頂き、瞬間目を光らせ、袋の中を透き見ました。中には見事に美しい月珠がたくさん詰まっておりました。青年は醜女の君に言いました。
「ありがとうございます。とても助かります。このお礼はいつかまた…」
「いえいえ、いいんですの。お役に立てるだけでうれしいわ」醜女の君は、少女のような愛らしい声で言い、口元に手をあてて、ほほ笑みました。

少年は、その手を見て、はっとしました。醜女の君のお手は、たいそう白く、見たこともないほど美しく整った形をしていました。彼はその手の美しさに引き込まれ、瞬間、我を忘れてしまいました。そして言葉を失った少年を、青年がひじでつつきました。すると少年は、あ、と気付いて、あわててお礼の言葉を述べました。醜女の君はほほ笑みながら、また御用があれば言ってくださいね、と言って、扉の向こうに去って行きました。

少年は、ほっと息をつき、思わず言いました。「あんなきれいな手、見たこともない」。
「なんだ、今頃気がついたのか」青年が笑いながら言いました。「美しいことをしている方の手は、あんなにも美しいんだ」。
「…そうか、やっぱり王様はほんとのことを言ってるんだ…」
少年は言いつつ、醜女の君が去っていった扉を、しばし見つめていました。



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2011-12-06 07:50:30 | 月の世の物語

ある日、月のお役所の、ある一室では、大騒ぎが起こっていました。
「ちょっと待て!ちょっと待て!なんだこの紙の山は!」役人の一人が大声をあげました。すると別の役人が悲鳴を上げるように言いました。「印刷機が勝手に動いてるんですよ!  スイッチ押しても止まらないんです!」
「うわ、うわ、うわ、紙が紙が紙が、印刷機に吸い込まれる。誰か魔法使ってるんですか?」
「誰もそんな魔法使ってませんよ!」
中でただ一人の女性の役人が、紙の束に書かれた文字を読みながら言いました。
「ちょっと待ってこれ何? 怪の分類表だわ。全百五十二種、ムカデに蜘蛛にネズミに蝙蝠にゴキブリに犬、……犬? 犬の怪なんているの?!」
「それよりこっちを何とかしてください、指が、指が止まらないんですう!」中で一番若い役人が、木製の知能器のキーボードを猛スピードでたたきながら、言いました。彼の頭上では、青い水晶が、宙でくるくる回りながら青い光で彼を照らしていました。

「うわ、これのことだったのか!」ある役人が紙に書いてある文字を読みながら言いました。「なんだ?」と別の役人が問うと、彼は言いました。「伝説ですよ。昔ある聖者が、船に乗って地球に行って、猿の姿をした精霊と一緒に、大きなムカデの怪を倒したっていう」「ああ、そりゃ史実だ。実際大昔にそういうことがあったんだよ!」

「班長、班長、字が、字が逃げます!」「なあにい?!」「ほら、ほら!」見ると山のように積み重なった書類の中から、文字が行列をなし、ちらちら青く光りながら、紙を離れて虫のように宙に泳ぎ出していました。
役人たちはそれぞれに呪文を叫び、文字を捕まえて紙に戻そうとしましたが、呪文の言葉が奇妙に滑り、文字たちは全く従いませんでした。

「これは大変だ、大変だぞ」班長は室内の大騒ぎを見渡しながら言いました。
「班長! 彼の様子がおかしいです!」その声に、班長は狂ったようにキーボードを打っている若い役人を見ました。彼の目が異様に光っていました。髪もざわざわ伸びて肌の色も変わり、口のはたから白い牙が見え始めていました。「いかん、変化(へんげ)の病を起こしてる」「このままでは大変なことになりますよ」「どうにかしなきゃ」「だめだ、もうだめだ、誰か、誰か、誰でもいいから聖者様を呼んで来い!!」班長のその声と同時に、女性の役人がふっと姿を消しました。そして数分後、一人の小柄な老人の姿をした聖者をつれて、現れました。

聖者は部屋の様子を見ると、何も言わずに、光を放ちながら回っている青い石に近づき、ひとこと呪文を唱えると、杖でとんと石をたたきました。すると青い石の光が消え、すとんと若い役人の背中に落ちました。同時に、若い役人はキーボードの上に顔を落として倒れました。聖者は指で古い紋章を宙に描き、口笛の歌を一節吹きました。すると変化を起こした役人も元の姿に戻り、部屋中で泳いでいた文字たちも一斉に紙に戻りました。印刷機も止まり、さっきまでの騒ぎが嘘だったかのように、部屋は静まりかえりました。

騒ぎを聞きつけて、他の部署の役人が何人か集まってきました。
「何が起こったんだ? 一体」誰かが聞くと、「いや、何と言っていいか」班長は事情を説明しました。それによると、金の文字の最初の一画が案外簡単に読め、それが青い石の使い方と文字の訳し方、それを起動する呪文であったということでした。
「それを実際にやってみると、こうなったんです。お騒がせして申し訳ありません」
「いや、みな無事であったからいいが、それにしてもすごいな、この書類の量は」
すると、部屋の隅に座っていた聖者が、くっくっと笑い始めました。聖者は、女性のようにやさしい声で、言いました。「書類の中のどれかに、多分青い石の制御の仕方が書いてあるはずだ。魔法で探しなさい」すると女性の役人が、はい、と言って、口笛を吹きました。と、部屋中を埋め尽くす書類の山から紙が一枚飛び出し、彼女の手の中にするりと入ってきました。
「ああ、ほんとだ、制御の呪文が書いてある」彼女は頭を抱え、床にへたりこみました。

騒ぎが収まり、班員以外の役人はみな自分の部署に帰っていきました。聖者もみなに挨拶し、部屋を出ました。と、廊下に散らばった書類の中に、一枚だけ、奇妙に光っているものがありました。聖者はその紙をかすかな口笛で呼び、それを手にして読みました。そこにはただ一言、こう書いてありました。

「もうすぐ彼が来る」

聖者は、一瞬眼光を鋭くし、その文字を逃げ出さないように紙に縛りつけました。そして静かに紙を折りたたみ、一つの小さな白い石に変えて、それを口に入れ、飲みこみました。

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2011-12-05 07:59:34 | 月の世の物語

深い森の奥、緑の香り濃い聖域の中で、ひとりの童女が、目を閉じて静かに笛を吹いておりました。梢の隙間から、さらりと金の布を下ろすように月光が射し、かすかな風の響きを従えながら、清い笛の音は森の秘密の中に、静かに溶けてゆきました。童女は白い古風な着物を来ており、清めの赤玉を三つ首にかけておりました。黒髪も古風に結い、きれいな赤い紐で髷を結んでおりました。

童女はふと目を開け、笛を吹くのをやめました。見ると森の緑の下草が、微かにゆれてざわめいていました。童女は目をぱちぱちさせながら、しばし息をひそめて、大地の魔法を見ておりました。すると青草が一筋、天に向かってまっすぐに伸び、それが微かな風のそよぎを感じたかと思うと、緑の一部がくらりと揺れ、まるで卵のように、大地から一つの水晶球が生まれました。童女は、にこりと笑いました。水晶球は風の上にくるくると回りながら浮かんでいました。童女は笛を懐にしまうと、水晶球に近づき、くるくる回る水晶球を、小さな白い手で捕まえました。そして、聞いたこともない呪文を旋律にのせて歌いながら、一歩一歩踏みしめて、聖域の外に出ました。

すると、とたんに童女は姿を変え、そこに一人の聖者が現れました。聖者は白い髪をした長身の青年でした。聖者は水晶球が聖域外の風に触れても、びくともしないことを確かめると、月を見上げて、月光を口に吸い、しばし口を閉じた後、ふっと、光の炎を水晶球の中に吹き込みました。すると水晶球の中で、青い炎が燃え始め、それはあたりを青い光で明るく照らしました。聖者は静かな声で、短い呪文を水晶に吹き込んだ後、よし、いけ、と言って水晶球を空に投げました。するとまるで闇にさらわれたように、水晶球は空中に消えて見えなくなりました。

その頃、地球世界のある氷海の底では、ある聖者と、青年が、水晶球の来るのを待っていました。青年は氷海の底に聖者が描いた魔法陣の見事さに息を飲んでおりました。どれだけの間学べば、これほど見事に、正確に描けるのだろう、と思いました。

「もうすぐですね」と青年は言いました。聖者はこくりとうなずきました。この聖者は老人の姿をし、白い髭を長くのばし、とても古い時代の服を着ておりました。青年は今回、彼の補助としてともに地球のこの氷海に下り、魔法陣の下地になる仮の聖域をつくるのを手伝いました。
彼らの周りには、巨大な銀のリボンのような魚が一匹泳いでおりました。それは体の大部分は魚と言えましたが、顔だけは美しい人間の女の顔をしていました。氷海の精霊は水の中に清めの音律を流しながら、来るべき時を共に待っていました。

「今回で十六個目か。神は一体、何をなさろうとしているのでしょう?」ふと、青年が聖者に問いました。聖者はしばし沈黙を噛んだあと、老人の姿に似合わぬ若々しい声で答えました。「はっきりとしたことは言えぬ。神の御言葉は一文字読むのに百年かかるからの」
「確かにそうですが…」青年が言いました。すると精霊が、低い女の声で言いました。「わたくしの予測ですが、神は聖なるものを使って霊的情報網のようなものを地球世界にお創りになりたいのだと思いますわ」氷海の精霊は賢く、かなり位の高い智霊のようでした。
「きっと時がくれば、各地に埋めた水晶の光が全てを上手く運ぶんだと思いますわ。」

「しっ!」突然聖者が声をあげました。「来た」精霊が上を見て言いました。青年は魔法陣のふちに立ち、海に浮かぶ厚い氷の岩を下から見上げました。その氷の岩をすき、大きな光る水晶球が水の中に現れました。水晶球は青い光で海中を照らしながら、ゆっくりと水の中を飛んできたかと思うと、聖者の描いた魔法陣の真ん中に、見事にするりと吸い込まれました。
「入ったな」聖者が言うと青年は地中に目を凝らし、「入りました」と答えました。すると精霊は何も言わずに魔法陣の上にとぐろを巻き、一瞬蒼い髪をした女の姿に戻り、たちまち大きな蒼い氷塊に姿を変えて魔法陣を隠しました。聖者は呪文を歌い、時が来るまでその氷が溶けることも割れることも汚されることもないように、深い魔法をかけました。青年は聖者の呪文に従って声を合せながら、氷が金剛石のように硬く固まってゆくのを見ていました。

「よし」聖者は言いました。青年は、氷塊に触れつつ、精霊に言いました。「どうだい、苦しくはないかい?」精霊は答えました。「大丈夫です。ちゃんとできますわ」。青年はほっと息をつきました。
「ではいこう、また次がある」聖者が言いました。青年と聖者は、精霊に別れを告げると、静かに海を昇っていきました。

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2011-12-04 08:10:53 | 月の世の物語

女は、ある高地の崖のふちに立ち、眼下に広がる原野を見ていました。彼女の背後には白い山猫が一匹、岩の上に寝そべりながらくすくす笑っていました。「また男を一人、地獄に落としたんですってねえ」猫は女に言いました。女は古道の魔法使いでした。彼女は黒髪の美女の姿のままで、杖を持ち、空や風の様子を見ながら言いました。「それがどうだって? だいたい人間の男ってのはね、女を馬鹿にして自分を偉いことにしとかなきゃ、何にもできないのよ」山猫は笑いながら、「はあい、ご正解」と言いました。「実際、今わたしがやってることも、そういうやつらが嘘ばっかりついてやってきたことの、尻ぬぐいじゃないの」すると山猫は、「またまたご正解ぃ」と言って笑いながら立ちあがり、魔法使いのそばに歩いてきました。そして原野を見渡しながら、「でも、あなただってずるいですよ。そうやってすんごい美人に化けて、男に寄って来いって言ってるようなもんじゃないですか」と、言いました。
女は空を見上げ、「さてと、そろそろかしらねえ」と、とぼけました。

あ、と山猫が声を上げ、首をのばしました。魔法使いは目を金色にし、杖を空に突き出しました。空に星のような光が一瞬きらめき、笛のような音をたてて、何かが落ちてきました。「くるわ」女は崖を飛びおり、原野に立ちました。山猫も続きました。空から、青い炎を宿した透明な水晶球が、原野を目指して流星のように落ちてきました。「大きいわ。大丈夫かしら」魔法使いは言いながら飛ぶように地を走り、水晶を追いました。「よし」彼女が言うと同時に、水晶は事前に彼女が清めておいた魔法陣に落ちました。

彼女が魔法陣のところにやってくると、水晶は陣の真ん中に半分埋もれていました。後から山猫が追ってきて、「半分しか入っていませんねえ」と言いました。魔法使いはちくしょう、と思わず汚い言葉を吐いて、急いで清めました。「地球は甘くないわ。あれだけやって、半分しか埋もれないなんて」魔法使いは言いながら、元の姿に戻り、杖で風をかき混ぜ、もう一度清めの魔法を始めました。呪文を三度繰り返し、月光と日照の二つの紋章を描き、最後に大地の紋章を描いて、大いなる地球の神の助けを請いました。と、雨のすじのように清い光が上方から降り、魔法陣に深く染みこみました。水晶球はかすかに揺れ、音もなく地中にすっと吸い込まれました。

「いけます。かなり深いところまで行きましたよ」猫が地中を覗き見ながら言うと、魔法使いは、「よおし」と言って大地を、とん、と杖で突きました。「本番はこれからね」魔法使いは空を見上げ、地球世界の日照をにらみました。金色の目が鏡のように映え、神がともにいる、と彼女の胸にささやくものがありました。

山猫は後ずさりし、彼女の魔法を見ていました。魔法使いは目を閉じ、両手を大きく空に向かって開くと、今度は赤子を呼ぶ母のような声で、歌い始めました。ときおり、小鳥の声が混じり、緑の森を吹く風のような音も聞こえました。すると、水晶球の埋もれた魔法陣の真ん中から、青い芽が顔を出しました。魔法使いの額を汗が流れました。彼女は歌いながら、高い精霊に助力を請いました。すると彼女の歌にそって見えないものがともに歌い出し、それは空に響く合唱となりました。

魔法陣の真ん中に芽生えた緑は、幹を伸ばし枝を伸ばし、見る間に大きくなりました。彼女は歌い続けました。途中で声がとぎれかけたとき、だれかが代わりに彼女の声を使って歌うのを感じました。魔法使いは神がともにいることを確信しました。頬に涙が流れ、何かが彼女の胸を歓喜に導きました。命がうごいていました。瞬間光の中ですべてが溶け合い、それと同時に、何かが爆発したように強い風が渦を巻き、気付いた時には、目の前に大きな緑の大木が立っていました。

魔法使いは、大地にばたりと倒れました。「大丈夫ですか?」山猫が近寄りながら言うと、魔法使いは、大丈夫よ、と答えました。そして半身を起し、「こんどはあなたの番ね。ちゃんとわかってる?」と言いました。すると山猫は彼女の目の前で、瞬時に本来の姿に戻りました。それは原野と同じ色の肌をした美しい若者でした。彼は山猫の姿を捨て、「わかってますよ」と言いつつ、大木の中に入っていきました。彼はこの原野の精霊でした。

しばらくして彼女は立ちあがり、緑の大木を見上げ、元は山猫だった精霊に声をかけました。「気分はどう?」すると木はざわりと枝を揺らし、答えました。「なかなかです。木もいいもんですねえ」彼はこれから、何百年かの月日を、地中の水晶を守る神木として生きるのでした。

魔法使いはふうと息をつき、今回はきつかったわ、と言いつつ、また地に座りこみました。



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2011-12-03 08:40:57 | 月の世の物語

太平洋の真ん中に浮かぶ小さな火山島で、子供がひとり、しきりに赤く熱い溶岩を杖でつついていました。いえよく見ると、溶岩の正体は毛並みの赤い光る犬の群れでした。犬は火山に棲む精霊で、大地の炎の化身でもあり、一たび怒ればどうすることもできない野生の熱を秘めて、激しく子供に吠えかかっていました。
「しっ、しっ、おとなしくして」彼は、犬を恐れることもなく、小さな杖を振り、鎮めの詩を歌いながら犬たちの怒りを冷ましていました。そうして、山の火が大きく燃えすぎないように、いつも気をつけていました。

海風を浴びた犬たちが冷えておとなしくなると、子供は少しほっとし、固まった溶岩の岩に腰かけて、少し休みました。と、青い空の高いところから、何か小さなものが、流星よりも早くこちらに向かって降りてきているのが見えました。子供は「あ、やっときたな」と立ちあがって、杖をふりました。

やってきたのは、豆のさやのような船に乗った、ひとりの少年でした。少年は子供のすぐ近くまで船をもってくると、「やあ、頼まれたもの、持ってきたよ」と言って、船の中から大きな袋を出し、子供に渡しました。子供は袋を受け取ると、早速袋を開いて中を確かめました。袋の中身は、豆真珠の白い粉でした。子供はその粉を一つかみ取り、それを犬たちに向かって振りかけました。すると犬たちは、くうんと鳴いて、さらに深く眠りに落ちました。

「ありがと、今お礼のもの作るから、待っててよ」子供は言うと、溶岩のまだ赤い所を少しとって、それに呪文を混ぜ込んでから、くるくると風で回して、小さな玉を作り始めました。「これでいいや、後は風がやってくれる。ねえ、できるまでちょっと時間がかかるから、その間何か話をしないかい?」と子供がいうと、船の中の少年は、そうだねえ、と考えて、言いました。「月の世に聖域ができたの、知ってるかい?」「知ってるよ。そんな話は、こっちにも風が運んでくるんだ」子供が言うと、少年は船から身を乗り出し、「いや、それがさ」と言いました。「どうやら、あの聖域には、神さまの秘密があるらしいんだってさ。」

「神さまの秘密?」と子供が言うと、少年は「月の世の占師がね、みんな言うんだよ。もしかしたら神様は、地球世界にも聖域を作るつもりなんじゃないかって」と、言いました。すると子供はくすっと笑いました。「まさか。こんな蜘蛛やムカデばかりいるところ、どこをどうやって聖域にするのさ」
「ぼくだってそう思うよ。でも、どんな占師が何度占っても、いつも同じカードが出るんだってさ。聖者さまは、誰も何も言わないけど、何か知ってる感じなんだ」少年が言うと、子供も、ふうん、と言って、「確かに、神さまは、ときどきとんでもないことをなさるからねえ」と言いました。

子供は立ちあがり、海の遠くに見える、白い雲の塊を指さしました。「ほら、あそこにも神さまがいらっしゃる。ずいぶんと前からあそこにいらしてるんだ。」
「うん、多分あそこで何かやってるんだね。でも、なんだか、ちょっと変じゃないかい?」
「変てなんだよ。それはとても失礼だぞ」
「そういう意味じゃなくてさ、地球世界には滅多に来ないような神さまが、今いっぱいこっちに来てるってことなんだよ」言われて子供は、あ、と声をあげました。「ほんとだ。言われてみれば、確かにあの神さまをこっちで見るのは初めてだ。」
ふたりはしばしの間、神宿る白い雲の塊を黙って見ていました。

「神さまは何をおやりになっているんだろう?」少年がひとり言のように言ったとき、子供が、あ、できた、と大きな声で言いました。少年が振り向くと、ピンポン玉ほどの小さな灰色の玉が、風の中でくるくると回っていました。子供はそれに、えい、と声をぶつけ、玉を半分に割りました。すると中から、卵の黄身のように、熱い金色をした光玉(ひかりだま)が現れました。
「はい、これ」子供は玉を少年の方に差し出しながら、ちょっと得意そうに言いました。「地球の火で作った魔法玉は、特別に強いんだ。たぶん千年は光が燃えているよ」少年が玉を手にとってみると、本当にそれは暖かく、まるで全身の血流を光る熱がめぐってくるように感じました。少年は子供に「ありがとう」と言い、玉をポケットの中に入れました。

別れの挨拶を交わすと、少年は船を動かし、青い空を登り始めました。子供は彼の船が見えなくなるまで、杖を振っていました。



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2011-12-02 08:28:20 | 月の世の物語

そこは小さな白い部屋の中でした。部屋に電灯はなく、代わりに白い壁や天井がやわらかな光を放っていました。鍵のかかったドアには鉄格子の入った窓があり、その窓の向こうに、廊下の向こう側の黒い窓を横切る、金の月光の筋が見えました。

男が一人、部屋の隅に座って壁にもたれていました。彼はここに来てからというもの、自分以外の人間を見たことがありませんでした。ただ、鉄格子の向こうに、ときどき人の足音がぱたぱたと聞こえたり、歩きながら話す人間の声と足音が、前を通り過ぎていくことがありました。
また時に、ドアが開き、検査だという声がして、見えない人間に、光る粉を飲まされたり、薬のしみこんだ紙を体にはられたりすることがありました。ここは病院だろうか? なんでみんな透明人間なんだろう、と男は考えました。

ある日、ばたばたという大勢の足音と声の一群がやってきて、男の部屋の前で止まりました。そして胸に響くバリトンの声が言いました。
「この人だね。例の罪びとは」すると、若い女の声が答えました。「ええ、そうです。生前、彼は幼女三人を、悪戯目的で誘拐して殺しています」だれかがため息をつきました。「むごいね」「ここに落ちてくる罪びとはみなこんなものですよ」「こっちの検査結果によると、十七番目の霊骨が……」

声の一群は彼の部屋の前でしばしがやがやと騒ぎ、また去っていきました。男は部屋の隅で、もたれた壁からずりおち、床に倒れました。彼は、体を抱えて、ふっふっと笑い、まるで氷の中にいるように体を縮めました。つらい、つらい、つらい、つらい、と自分の中で誰かの声がしました。

男はいつしか眠りにつきました。夢の中で彼はきれいな薄紅の花が咲き乱れる野にいました。彼は笑って、苦しいことなど何もなかったように青い空や雲の流れを見あげました。心地よい風が彼の胸を涼しく通り、それは彼の傷んでいる骨や血を健やかに清めてくれるようでした。
と、突然黒いものが遠くの空に現れ、風景に黒い染みがだんだんと広がってくるように、彼に近づいてきました。男は逃げだそうとしましたが、そこから動くことができませんでした。近付いてきたのは、一頭の、大きな鯨でした。鯨は小さな目で彼を見ると、静かな声で言いました。
「もうすぐ彼が来る」
男は、え?と声をあげました。鯨はもう一度、「もうすぐ彼が来る」と言って、ゆっくりと方向を変え、再び空の向こうに飛んでゆきました。

「もうすぐ彼が来る」と彼はつぶやいて、はっと目を覚ましました。気がつくと彼は、手術室のようなところにいて、ベッドに寝かされていました。姿の見えない女の声が、彼に言いました。「目を覚ましたのね。心配しないで、何も怖くはないわ」彼はものをいうことも、動くこともできませんでした。みると手術室の天井には、電灯ではなく、奇妙な青い炎が、天井に固定された水晶玉の中で燃えており、それはなにものをも焦がすことなく輝いて、部屋を青く照らしていました。

別の女の声が彼に言いました。「あなたは、今回の罪で、霊骨が一つ砕けてしまったの。人が大きな罪を犯すとね、魂の中の骨がだんだんと傷んでくるのよ。それでこれから、その砕けた骨の代わりに月長石の骨を魂に埋めるの。ちゃんと根付くといいんだけど」女の言葉にかぶさるように、バリトンの男が言いました。「根付くさ。過去に失敗例はない」「確かに、失敗例はありませんわ」「心配は禁物だ。主たる愛がある限りは、全てはよい方向に進んでゆく。われわれも、そしてこの罪びともまた、愛の一部なのだから」

男は目を閉じました。ベッドの周りを何人かの男女がせわしく動く気配がし、誰かが自分の体の中でしきりに何かをいじっているのがわかりました。しばらくしてバリトンの男の声が響きました。
「よし、だいじょうぶだ」
その声に、彼がふと目を開けると、そこには白い服をきた男女が六、七人立っていて、彼を一斉に見つめていました。
「浄化の風がくるまでには、骨はもう治っている。君の試練はそれからだ」バリトンの男は厳しい声で言いました。男は茫然として、周りを見回していました。


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椿

2011-12-01 07:33:07 | 月の世の物語

「そうか」と、博士は小さな声で言いました。彼は研究室の窓辺で、一匹の蜘蛛の怪と、話をしていました。その蜘蛛の話を聞いて、博士は衝撃を受け、何を言っていいかわからず、眼鏡をはずして目を覆い、しばしうつむいていました。そして途切れた会話が、そのまま消え入りそうになる直前、博士は顔をあげ、言いました。
「よく話してくれたね、カメリア。つらかったろう」

カメリアというのは、その蜘蛛の名でした。言葉を話す怪は珍しくはありませんが、彼女のように流暢にしゃべる蜘蛛を、博士はほかに知りませんでした。この窓の隙間から、彼女が研究所に入ってきてからというもの、博士はその蜘蛛と会話することが多くなり、名前が必要だと考えた博士は、彼女が好きだという花の名前を、彼女の名にしたのでした。
カメリアはその名前を、少し恥じらいながら悦びました。自分はそんなにきれいなものじゃないのに、とこそりと言いましたが、博士は聞こえないふりをして、その日から彼女をカメリアと呼ぶことにしたのです。

カメリアは、研究所で博士や少年と暮らしているうちに、だんだんと心を開くようになり、自分からいろいろなことをしゃべるようになりました。彼女から得る情報は、博士の研究の大きな助けとなりました。そしてある日、とうとう彼女は、自分が怪となった元々の出来事を、博士に話したのです。

それは遠い昔のことでした。彼女はある男と恋に落ち、彼を深く愛しました。しかし男はある日、彼女の目の前で「こいつは俺の女だから好きにしていい」とその仲間の男たちに言い、彼女は数人の男たちに輪姦されたあげく、首を絞めて無残に殺され、捨てられたのでした。
その日から彼女は、男を激しく憎み、幸福に結ばれた男女を妬み、多くの人を殺し、あるいは不幸のどん底に落とし、とうとう怪に落ち、神さえも憎む毒を吐くようになったのでした。

つう、とカメリアは鳴きました。博士はふと目を光らせ、カメリアに、「それは、つらいっていう意味だね」と言いました。カメリアは少々あわてて、なんでわかるの?と博士に聞きました。博士は笑顔を見せ、「なんとなくさ。怪はよくつらいつらいと泣くけど、君はなんだか、その言葉が苦手なんじゃないのかい?」するとカメリアは、何だか、自分の胸が広くなったように感じました。実に、そのとおりだったからです。

「先生はすごいのね、なんでもわかるみたい」カメリアは言いながら、博士のほほ笑む顔をしばし見つめました。博士は、まだいろいろと彼女に質問したいことがありましたが、今の彼女の気持ちを思い、ほかの話をすることにしました。彼は窓の外を見上げ、半分に欠けた月を指さし、「どうして、この島から見える月が、半分しかないか知ってるかい?」と問いました。カメリアは、いいえ、と言いました。
「あれはね、科学的な視点からでは、世界の半分しか見ることができないっていう、神さまの僕たちへの教えなんだよ。でも僕はあえて科学にこだわって、こうして科学的な方法で、どうにかして怪を救えないかと考えている。でもなんだか、今は少し、魔法を使ってみたい気分だ。使えるものならね」
博士は月を見上げながら、静かに言いました。カメリアはその横顔を見て、自分の中で、何かきりりと痛むものを感じました。

カメリアは、自分が不幸に陥れた、ある夫婦のことを思い出しました。仲睦まじく愛し合っている彼らを妬んだ彼女は、その幸せを無残な形で破壊しました。
普段の彼女なら、彼らの不幸を見て、「馬鹿な人たち」と言って大笑いするはずでした。だのになぜかそのとき、彼女は笑えませんでした。冷たい悲哀が胸をつかみ、彼女の足は震え、不意に、恐ろしいことをしてしまった、と思いました。

彼女がこの研究所を訪れたのは、それから何年か経ってからでした。半月島の研究者の噂を蜘蛛仲間から聞き、彼女は何かに導かれるように、風に乗って島にやってきました。そして博士と少年に出会い、カメリアと呼ばれ、こうして過す日々に、幸福さえ感じるようになりました。

カメリアは黙ったまま月を見上げている博士の横顔を、じっと見つめていました。彼を照らす月の光が、ふと強く輝いたような気がしました。カメリアは震えました。そして自分に、(だめよ、わたしは毛むくじゃらのおばけなんだもの)と言い聞かせました。

魔法は、もう起こりはじめているのかもしれませんでした。


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