この日が来ると想いだす、「くーもにそびゆる高千穂の たーかね颪に草も木も 靡きふしけんおお御代のー・・・」当時小学校から国民学校に変り、朝礼には毎回東京の方に向かい宮城遥拝と云い、最敬礼と君が代斉唱をしていた。
当時国の記念日と祝日とあった様な気がする、どちらが大事かは思い浮かばないが皇室優先の様だった、節が付く日は特に大事な日だったと思う。
又その日にはそれぞれの節の歌が在って、その式典を行い国歌斉唱と共に歌い、教育勅語を校長先生が奉読、講話を聴いて饅頭などを戴き開散だった。祝日でお休みなのにそれだけの事で登校は嫌だったが、ミカンや饅頭が戴けるのは楽しみだった。正田虎四郎町長さんの自腹の供物だったソウだが。
昭和十二年の入学だから十八年の六年卒業まで、続き進学と高等科に分かれたがその頃は勤労動員で工場で飛行機や鉄砲玉などの兵器を作って居た。
我々高等科生の中には十九年に(とは言え若干十三才だった)少年兵志願をしていたが、昭和二十年八月十五日正午に詔勅が在り敗戦、軍隊へ入らなくて済んだギリギリの年代だった。
改憲も戦争をしない為のものだったら止むを得ないが、民主主義の危うさもあり過去の例もある、最近のアメリカ大統領選の様子を見ていると何とも危うい気がする、特に共和党の様子は、良識を信じ祈るほかは無いのだが。
地球の安泰を祈りつつ ナムー アーメン アッラー・・・・・