ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

モータウン③

2024年06月03日 | favorite songs

 もう何回も書いたが、1984年の初夏、鮮烈デビューを飾ったブルー・トニック&ザ・ガーデンのライブへ行き、マーヴィン・ゲイの「ヒッチハイク」やフォー・トップスの「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」で踊るのが最高に楽しかった。だから今でも「ヒッチハイク」は井嶋のボーカルじゃないとね、と思っているのだが、このウエスト・ロンドンのアマチュアライブバンドだというザ・ホーネッツのカバーはきびきびしていて、なかなかいい。

 

1982年、デビュー間もない女性3人組のバナナラマはスペシャルズから飛び出した男性3人組ザ・ファン・ボーイ・スリーのデビューシングルにコーラスで呼ばれ、そのあと彼らのプロデュースで一枚シングルを作った。モータウンのザ・ベルベレッツのカバーで、さすがテリー・ホール、選曲が常にナイスだ。

 

司会の隣にポール(・マッカートニー)とリンダがいる。

 

 

 バナナラマの「ヴィーナス」大ヒット後、雨後のたけのこのようにさまざまなカヴァーシングルが作られた。このキム・ワイルドの「キープ・ミー・ハンギング・オン」もその一枚だった。

 

 

 チャリティも盛んな時代だった(1985年)。

 

 オリジナルはマーサ&ザ・ヴァンデラス。マーサの笑顔がいい。

(1964年)

 

 初期のキンクスがセカンド・アルバムでカバーしている(1965年)。この手作り感が好きだ。

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「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」

2024年05月10日 | favorite songs

 

 ブルース・ウイリスを一躍人気者にしたテレビシリーズ「こちらブルーム―ン探偵社」を観ていて一番びっくりしたのは、相手役のシビル・シェパードの母親役がエヴァ・マリー・セイントだったことだ。

クール・ビューティの母親役はやはりクール・ビューティなのか!と。

 それから、このドラマの見どころの一つは、ウイリスが往年の名曲を歌うこと。のちにアルバムを出し、バンド活動も行なった彼だから、なかなかのクオリティだった。

個人的にマンフレッド・マンの「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」は驚いたし嬉しかった。

 

 

 マンフレッド・マンの、と書いたが正確には、エリー・グレニッチとジェフ・バリーの名ソングライター・チームがドゥワップ・グループのジ・エキサイターズのために書いたシングル曲を、イギリスのブルース色の強いビートバンドだったマンフレッド・マンがいち早くカバーしてイギリス、アメリカ両国で大ヒットさせたのだった(1964年)。

 

 

こちらがオリジナル。

 

There she was just a-walkin' down the street,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

Snappin' her fingers and shufflin' her feet,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

She looked good (looked good), she looked fine (looked fine)

She looked good, she looked fine and I nearly lost my mind

 

Before I knew it she was walkin' next to me,

singin' "Do wah diddy diddy dum diddy do"

Holdin' my hand just as natural as can be,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

We walked on (walked on) to my door (my door)

We walked on to my door, then we kissed a little more

 

Whoa-oh, I knew we was falling in love

Yes I did, and so I told her all the things I'd been dreamin' of

 

Now we're together nearly every single day,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

we're so happy and that's how we're gonna stay,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

Well, I'm hers (I'm hers), she's mine (she's mine)

I'm hers, she's mine, wedding bells are gonna chime

 

Whoa-oh, I knew we was falling in love

Yes I did, and so I told her all the things I'd been dreamin' of

 

Now we're together nearly every single day,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

we're so happy and that's how we're gonna stay,

singin'"Do wah diddy diddy dum diddy do"

Well, I'm hers (I'm hers), she's mine (she's mine)

I'm hers, she's mine, wedding bells are gonna chime

 

Whoa-oh-oh-oh, oh yeah

Do wah diddy diddy dum diddy do, we'll sing it

Do wah diddy diddy dum diddy do, oh yeah, oh, oh yeah

Do wah diddy diddy dum diddy do

 

 

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「淫力魔人(ロー・パワー)」

2024年03月25日 | favorite songs

 

 ライブハウスで知り合った友達がレコードコレクションを見たい、とアパートに遊びに来た。

玄関を入って早々に、棚に並べたレコードの背表紙を食い入るように見始めた。

「井浦くんのレコードって、全部うるさいね。」

僕は思わず苦笑いして、それって誉め言葉?と尋ね返した。右の方にセルジュ(・ゲンスブール)やジェーン(・バーキン)のアルバムなんかもあるけどね。

あのさ、きみが今、嬉々としてターン・テーブルに載せようとしているレコード、それが一番うるさいと思うよ。隣りの住人から苦情が来ない程度のボリュームにしてね。

 翌1983年6月、そのイギー・ポップの初来日公演を中野サンプラザで観た。

当時イギーが置かれていた状況は長いキャリアの中で最悪だったし、そのため二流のバックバンドの演奏のクオリティも低かったが、それでも彼の手抜きなしのステージアクトは胸に残るものだった。

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モータウン②

2024年02月26日 | favorite songs

 マーサ&ザ・バンデラスの3曲目のカバーは、キンクスの「ダンシン・イン・ザ・ストリート」(1965年)にしよう。この曲はミック・ジャガーとボウイがデュエットでカバーして大ヒットしたのを記憶している方も多いと思う。

 ザ・フーもお気に入りの曲だったようで、フランスのテレビショウで演奏した最狂の映像(1966年)が残っている。

 

6分08秒から。

 

 

ついでにザ・ブロッサムズ時代のダーレン・ラブの熱唱も(1965年)。

 

 彼らと同時代に活躍した、歌って弾けるオルガン奏者のジョージー・フェイムの「ショップ・アラウンド」(スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ)も最高に素敵だ。声が良く、おしゃれで、カバーのセンス抜群。非の打ち所がない。

 

 最初期のモータウンヒットをいち早くレパートリーに取り入れたのがビートルズの「マネー」(1964年)だった。

1969年、バンドの正式解散直前にジョン・レノンはカナダ、トロントで開催されたロックンロール・リバイバル・フェスティバルへの参加を急遽決めた。観衆を前にしたライブ活動をサボっていたレノンはステージに上がる直前まで極度の緊張から吐いていたという。

カバー曲から始まって、ビートルナンバー、最新ソロシングル、と進んで行く簡潔なステージは撮影が稚拙でイライラするものの、やけっぱちを通り越した強烈なエネルギーが伝わってくる。

隣でヨーコ・オノが披露する前衛パフォーマンスのバギズムは個人的によくわからないが、清々しい青空のアルバムジャケットは、確実に時代を超えていると今なお思う。

 

 

 

 

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モータウン

2024年02月23日 | favorite songs

 モータウン・ヒッツのカバーをまとめて紹介したいといつも考えているのだけれど、あまりに数が膨大でどこから手を付けていいか迷って、結局後回しにしてきた。欲張らず、少しずつ書いて行こう。

 まずは、というか、やはりマーサ・&ザ・バンデラスの「恋はヒートウエーブ」(1963年)を。ザ・フーがカバーしたことでイギリスのモッズ青年たちに広く愛聴された、初期モータウンのヒット曲だ。

 

1965年のザ・フーのライブ。ドラムスのキース・ムーンはこのころからすでに最強(最狂)だ。ビートバンドのカバーの魅力は、ブラスやピアノをどのようにギターやベースで再現するかにかかっていると言っていい。

 

 マーサ・&ザ・バンデラスの「ジミー・マック」はスネークマン・ショーのファーストLP(別名「急いで口で吸え」)に収録されているサンディー&サンセッツのカバーで知ったという方も昔はかなりいた。下の武道館でのライブ(1980年12月、YMOの前座)はレコードとはやや異なってオリジナルに近いアレンジなのが面白い。

 

 マリ・ウイルソンの91年のベストCDに突然収録された未発表バージョン「ホワッツ・ゴーイング・オン」はマーヴィン・ゲイの名曲の最高にチャーミングなカバーなのだが、残念ながらユー・チューブにはない。代わりにやはりゲイのカバー「エイント・ザット・ペキュリアー」を挙げておく。

 

  モッド・バンドのザ・ジャム時代に「恋はヒートウエーブ」をカバーしているポール・ウェラーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」もいい。

 

 ザ・フォー・トップスは何と言っても「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」がお気に入りなのだけれど、この「サムシング・アバウト・ユー」も彼ららしい圧の強いダンス・ナンバーだ。

カバーしているのはデイヴ・エドモンズ。盟友ニック・ロウとけんか別れし他のメンバーにも逃げられてバンド(ザ・ロックパイル)解散の憂き目に遭うが、ELOのジェフ・リンに助けられて作った商業ロック風のアルバムがヒットしていた頃(1984年)の作品だ。

(翌年初来日し、渋谷ライブ・インで観た。朝の山手線以上の殺人的混雑だった。)

(この項続く)

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