モータウン・ヒッツのカバーをまとめて紹介したいといつも考えているのだけれど、あまりに数が膨大でどこから手を付けていいか迷って、結局後回しにしてきた。欲張らず、少しずつ書いて行こう。
まずは、というか、やはりマーサ・&ザ・バンデラスの「恋はヒートウエーブ」(1963年)を。ザ・フーがカバーしたことでイギリスのモッズ青年たちに広く愛聴された、初期モータウンのヒット曲だ。
1965年のザ・フーのライブ。ドラムスのキース・ムーンはこのころからすでに最強(最狂)だ。ビートバンドのカバーの魅力は、ブラスやピアノをどのようにギターやベースで再現するかにかかっていると言っていい。
マーサ・&ザ・バンデラスの「ジミー・マック」はスネークマン・ショーのファーストLP(別名「急いで口で吸え」)に収録されているサンディー&サンセッツのカバーで知ったという方も昔はかなりいた。下の武道館でのライブ(1980年12月、YMOの前座)はレコードとはやや異なってオリジナルに近いアレンジなのが面白い。
マリ・ウイルソンの91年のベストCDに突然収録された未発表バージョン「ホワッツ・ゴーイング・オン」はマーヴィン・ゲイの名曲の最高にチャーミングなカバーなのだが、残念ながらユー・チューブにはない。代わりにやはりゲイのカバー「エイント・ザット・ペキュリアー」を挙げておく。
モッド・バンドのザ・ジャム時代に「恋はヒートウエーブ」をカバーしているポール・ウェラーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」もいい。
ザ・フォー・トップスは何と言っても「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」がお気に入りなのだけれど、この「サムシング・アバウト・ユー」も彼ららしい圧の強いダンス・ナンバーだ。
カバーしているのはデイヴ・エドモンズ。盟友ニック・ロウとけんか別れし他のメンバーにも逃げられてバンド(ザ・ロックパイル)解散の憂き目に遭うが、ELOのジェフ・リンに助けられて作った商業ロック風のアルバムがヒットしていた頃(1984年)の作品だ。
(翌年初来日し、渋谷ライブ・インで観た。朝の山手線以上の殺人的混雑だった。)
(この項続く)
40年たって、頭も記憶も、もうぼんやりしている。
ちょうど40年前の1983年10月23日、神宮外苑の日本青年館でルースターズを観た。最高のライブだった。
そこからの連想で、ではジョニー・サンダースの新宿ロフトでのシークレット・ライブはその翌年だったかな、と思って調べてみたら、初来日は85年2月で、僕が観たのは新宿ツバキハウス(ディスコ)が会場だったが、ロフトでのライブはさらにその翌年86年7月の再来日公演時のことだった。
ステージ上のサンダースは小柄で、おしゃれで、死人のように青白い顔をしていた。当時は不治と言われていた病を患っているという噂があり、終演後、完全防護したロフトのスタッフたちが念入りに場内を消毒する異様な光景は忘れられるものではない。
彼の代表曲と言えば、アルバム「L.A.M.F.」(1977年)の1曲目、「ボーン・トゥ・ルーズ」だ。
Born to lose(Johnny Thunders)
That’s the way it goes
This city is so cold
And I’m, I’m so sold
That’s why I know
なるようにしかならない
この街はすっごく寒い
そして、オレは、オレはすっごく納得した
そのとおりなんだ
I say hit it!
Born to lose
Born to lose
Born to lose
Baby I’m born to lose
やっちまえ!
失うために生まれた
失うために生まれた
失うために生まれた
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
Nothing to do
I’ve nothing to say
Only one thing that I want
It’s the only way
やることがないし
言うこともない
オレが欲しいものはただ一つ
これだけだ
I say hit it!
Born to lose
Born to lose
Born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
やっちまえ!
失うために生まれた
失うために生まれた
失うために生まれた
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
Living in a jungle
It ain’t so hard
Living in the city
It will eat out your heart
ジャングルでの暮らしは
そんなに大変じゃない
都会での生活は
あんたがうらやむだろう
I say hit it!
Born to lose
Born to lose
Born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
やっちまえ!
失うために生まれた
失うために生まれた
失うために生まれた
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
コロナ禍で中止や延期になっていたイベントが続々再開されている。僕が会長職を仰せつかっている会でも、遅ればせながら名刺交換会を4年ぶりに行なうことになった。現在急ピッチで準備が進めているのだが、以前とは別のホテルを使い、担当の事務局員もみな新しいメンバーなので、進行や内容に関してこまごまと尋ねられる。今日はBGMについてだった。
なにか理事長のご希望はありますか?
そうだねえ、会場のホテルにボサノバのCDがあったらそれでいいな。なければ、思い切って初期のビートルズでもいいかも。
ボサノバの代表曲と言えば、「イパネマの娘」だ。
ボッサの魅力を世界中に伝えた名曲中の名曲。
原詞はポルトガル語だが、英語詞がつけられたことでよりポピュラーになった。
イパネマの娘(英語詞訳)
背が高く、日焼けした若くてラブリーな
イパネマの娘が歩いて行く
彼女が通りすぎるたび、みなため息をつく、ああ
彼女の歩く姿はまるでサンバのよう
スイングはとてもクール、揺れはジェントル
彼女が通りすぎるたび、みなため息をつく、ああ
でも、彼は悲しそうに彼女を見つめるだけ
どうやって彼女に思いを伝えたらいいのか
よろこんで彼はそのハートを差し出すだろうに
でも、彼女は毎日海へ向かって歩いて行く
彼ではなく、まっすぐ海を見つめて
背が高く、日焼けした若くてラブリーな
イパネマの娘が歩いて行く
彼女が通りすぎるとき、彼は微笑むが
彼女は目もくれない
ニック・ロウが2001年にリリースしたシングルCD「僕等の町」のボーナス・トラックとして、シュレルズの「ママの御意見(ママ・セッド)」のカバーが収録されていた。
シンプルなアレンジが胸にしみる。
ご存知の方も多いと思うが、シュレルズはビートルズが「ベイビー・イッツ・ユー」、「ボーイズ」をカバーしたことで名を残した4人組ガールグループだ。
ニック・ロウはかつてエルビス・コステロとのデュエットで「ベイビー・イッツ・ユー」のカバー・シングルも出しており、お気に入りのグループなのだろう。
シュレルズ(1963年)
ママが言ってた
いつかこんな日が来るって
ママが言ってた
いつかこんな日が来るって
ある日街に出ると
とても素敵な気分
そして男の子に出会い
一目ぼれすることもあるって
でもママが言ってた
いつかこんな日が来るって
ママが言ってた
いつかこんな日が来るって
私は目を見開き
でもすべてわかっている
今はまだ教会の鐘が私のためじゃないことを
ママが言ってた
いつか私もお相手を見つける
私だけを見てくれる男の子を
だから他を逃しても心配ないって
ママが言ってた
いつかこんな日が来るって
ママが言ってた
いつかこんな日が来るって
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, mama said
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, mama said
One day I went walking
And everything was fine
Then I met someone
And I almost lost my mind
But mama said there'll be days like this
There'll be days like this, mama said
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, my mama said
My eyes were wide open
But all I could see
Chapel bells were ringing
For everyone but me
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, mama said
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, my mama said
And then she said one day you’ll find someone
Who looks at you this way
Then you won’t have to worry
If some get away
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, mama said
Mama said there'll be days like this
There'll be days like this, my mama said
There'll be days like this, mama said
若いころ、お金がないならセンスで勝負だ、と友人がよく言っていた。
残念ながらあまりお金に縁がないまま一生を終えそうなので、これからも自分のセンスを大切にして行く。
バンドやシンガーのセンスはカバー曲のチョイスにあらわれる。
なかでも最高にセンスがいいな、と思うのは、テリー・ホールとラモーンズ、日本人だと高橋幸宏だ。
テリーとユキヒロは同じトッド・ラングレンの「アイ・ソー・ザ・ライト」をカバーしている。
下の映像はフレッド・ペリーとのコラボ・イベントにテリーが登場した2014年のもの。
もうだいぶ容姿がヨレヨレになっているが、声は変わらずピカ一だ。
「愛の悲しみ」は1965年のアメリカのザ・マッコイズのヒット曲を翌年、イギリスのザ・マージーズがカバーしてシングルヒットさせた。
その後1973年にデビッド・ボウイがカバー・アルバム「ピンナップス」で取り上げ、こちらも大ヒットさせている。
余談だが、「ピンナップス」に収録されているピンク・フロイドの「エミリーはプレイガール」の、サロン・ミュージックのカバー・バージョンが大好きだ。最高にセンスがいい。
愛の悲しみ
きみの長いブロンドの髪とブルーの瞳
僕がきみから得たものといえば悲しみだけだ
悲しみだけ
きみは僕の金を使ってふざけていた
きみは悲しみのハイクラス・ゲームに興じていたんだね
悲しみの
きみはすべきことをしたためしがない
きみは悪魔の娘だと何かが僕に言う
悲しいね
悲しいね
僕は彼女を知ろうとした
抗うことなどできないから
どれだけ彼女が恋しいか僕は分かっていなかった
悲しいね
悲しいね
きみの長いブロンドの髪とブルーの瞳
僕がきみから得たものといえば悲しみだけだ
悲しみだけ
きみの長いブロンドの髪を思って
昨日は眠れなかった
きみの長いブロンドの髪を思って
Sorrow
With your long blonde hair
and your eyes of blue
The only thing I ever got from you
was sorrow
Sorrow
You acted funny trying
to spend my money
You're out there playing your high class games of sorrow
Sorrow
You never do what you know you oughta
Something tells me
you're a Devil's daughter
Sorrow, sorrow
I tried to find her
'Cause I can't resist her
(I tried to find her)
I never knew just how much I missed her
Sorrow
Sorrow
With your long blonde hair
and your eyes of blue
The only thing I ever got from you was
sorrow
Sorrow
With your long blonde hair
I couldn't sleep last night
With your long blonde hair