ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

カーソン・マッカラーズ(上)

2016年06月14日 | 日記
 カーソン・マッカラーズの長編小説「結婚式のメンバー」の新訳がさる11月に福武文庫から刊行された。タイトルはなぜか「夏の黄昏」―陳腐だ。それはともかく6月には自水社から「悲しき酒場の唄」も復刊されている。どういった風の吹き回しだろう?
 カーソン・マッカラーズ、旧姓ルーラ・カーソン・スミスは1917年にアメリカ南部のジョージア州コロンバスで生まれた.オリバー・エバンスの「ハー・ライフ・アンド・ワーク」によれば彼女は子供の頃から背が非常に高く、男の子や大人たちは「上の方は寒くないかい?」とか「頭にレンガを乗っておけばいい」などと言ってからかったという。彼女はピアニストを志し、時計商だった父は暮し向きがあまり裕福でなかったにもかかわらずピアノを買い与えた上、近くの陸軍基地内に住んでいたピアノの名手である将校夫人の下ヘレッスンに通わせたりした。彼女はまたフォークナーやユージン・オニール、D ・Hoロレンスを愛読する早熟な文学少女でもあった。18歳でジュリアード音楽院入学のためニューヨークヘ出て来るが地下鉄の中で学資と生活費をすられてしまう。音楽校をあきらめた彼女はさまざまなアルバイトをしながらコロンビア大学の夜間クラスに出席創作の才能を磨いた。
 20歳の時一時帰省した故郷で知り合った文学青年肌の軍人リーブス・マツカラーズと結
婚、彼の赴任先の田舎の基地内でそれぞれ小説を書く穏やかな新婚生活を送る。
 1940年春、ヒユートン・ミフリン社に持ち込んで1500ドルの奨励金をもらった「ろうあ者(ザ・ミュート)」を書き改めた処女作「心は孤独な狩人」を出版、俄然注目を集める。翌年発表した「黄金の眼に映るもの」は南部の伝統的なゴシック小説の流れをくむ、暗くニューロテックな物語で、前作ほど熱狂的な賞賛は得られなかったが、年月がたつにつれ評価が高まった奇妙な作品である。

 彼女の夫リーブスはとても弱い人間だったらしい。妻の成功に嫉妬する強さすら持ち合
わせず、ただただ酒に溺れて行った。そんな彼にカーソンは愛想を尽かしてニューヨークのブルックリンにあつた芸術コロニーヘ単身転居し、二人は離婚した。ところが第二次大戦が勃発しフランス戦線へ出征したリーブスが負傷して帰国すると二人は再婚、パリ郊外に居を構えた。しかしその生活は前と同じことの繰り返し―いや、それ以下であった。戦争によって神経を痛めつけられたリーブスは酒に加えて麻薬にまで手を出し、ことあるごとにカーソンヘ心中を迫る。たまりかねた彼女はまた単身アメリカヘ戻った。その数週間後、リーブスは睡眠薬を飲んで自殺した。1953年のことである。
 デビュー作で既にくっきりとあらわれている彼女の奇妙で風変わりな愛情論・愛情観がこの、同じ男性との二度の結婚と破局によって(適切な表現ではないが) 一層深化したのは確実だ。 (58年、彼女はリーブスとの生活をもとにした「素晴らしさの平方根」という戯曲を発表している。ただし、彼女の唯一の失敗作といわれ、現在では本国でも入手不可能。)
 話が前後してしまったが、「結婚式のメンバー」はマッカラーズが1946年に発表した長編第三作である。この小説もまた「心は」に劣らず自伝的な色彩が濃い。再び絶賛を受けたこの小説を彼女は同じ南部出身の劇作家テネシー・ウィリアムズの勧めによって戯曲化する。劇はブロードウエイで大ヒットし、ロングランとなった。フランキー役はジュリー・ハリス。のちに同じキャスティングで映画化されている(日本未公開)。監督は名匠フレッド・ジネマンだ。 
 「結婚式のメンバー」は邦訳が講談社からハードカバーで出ていたが現在は絶版。それから、英潮社が出しているぺンギン・ブックスとの注釈本のセットもある。これはとても重宝な本だ。さらにもう一つ、マッカラーズ自身によって戯曲化されたバージョンだがこれはニューディレクションズ社からペーパーパックで出版されている。表紙は舞台のワン・シーンである。 (つづく)


 「ママが遺したラブソング」(2004年)より
 グレイハウンド・バスを待つ間、ヒロインの高校生(スカーレット・ヨハンソン)が読んでいる、母親の遺品の本に注目(4分29秒から)

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