「大震災直後、津波で流されてしまった家具や備品、活動車を購入しに、岩手内陸の奥州市へ一人軽トラックで向かった。事業所を開設するたび家具を購入していた店に着くと、僕の顔を見つけて社長夫人が飛んできた。手を取らんばかりにして、無事を喜んでくれた。この方は商売上手な上に、ご子息を二人ともKO大学医学部へ進学させた、掛け値なしにすごい女性だった。
一緒に店内を回って現金で買えるだけ買い、トラックに積めるだけ積み、残りはそちらのコンテナ車で届けてもらうことになった。
帰り際に、豪華景品なのだろう、前澤牛の大きな詰め合わせをいただいた。ご家族で食べて元気を出してくださいね、と。
事業所へ戻り、購入してきた家具を下すと、僕は調理員さんを呼んでその前澤牛を市販の焼き肉のタレで濃い目に味付けしてもらい、オードブル皿に盛ってアルミホイルをかけた。
消息が気になっている方がいた。
起業当時、大変お世話になった他法人の年上のケアマネジャーだったが、人づてに聞いたところによれば、被災した施設の利用者・職員とともに、中学校の体育館で避難生活を続けているという。
焼け野原の中の泥だらけの道を、釘など踏まないよう気をつけながら運転して、なんとかその体育館にたどり着くと、偶然にもその方が入り口に立っていた。
理事長さん、ご無事だったのですね、とかすれ声で言う。
オノデラさんこそ、ご無事でなによりでした。
これ、いただき物で、しかもわずかばかりですが、前澤牛を焼いてきたので、温かいうちにどうぞみなさんでお召し上がりください。
でも、理事長さんのところも、みな流されたと聞きましたが、、。
ウチは幸いホームが一つ残ったので、そこにごちゃごちゃみなでいて、まだいい方です。さあさあ、温かいうちに―途中から気恥ずかしくなってきて、その場は逃げ出すように事業所へ戻った。」
「その後、そちらの法人さんは職員全員を一時解雇で手放し、そのケアマネジャーは僕に履歴書をくださった。僕は思った、映画「素晴らしき哉!人生」のセリフを借りて言えば、オレはザ・リッチスト・マン・イン・タウン(街一番の豊かな男)だな、と。」
2分35秒ごろから。あ、泣きそう。