このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。
大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。
また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。
ジョン・ウエインがハワード・ホークス監督の作品に出演する際、律義に必ず着けているベルトのバックルについては諸説あるが、映画「赤い河」(1948年)の撮影中、ホークスがロケ地のメキシコで記念に同じデザインのものを複数作らせ、出演者やスタッフにプレゼントしたというのが真相のようだ。
主人公ダンスン(ウエイン)が劇中で考案する、ダンスンのDに川を描いた牧場のロゴ(上の写真)と、ロープの円の中にはそれぞれのイニシャルが刻まれていた。
ホークスとウエインは友情の証しとしてお互いのバックルを交換しているという説もあり、写真がどれも小さく不鮮明で判別できないものの、そうだったらいいな、という泣かせるエピソードだ。
「ハタリ!」(1962年)の撮影現場で。中央がホークス。左は主演女優のエルサ・マルティネリ(衣裳イディス・ヘッド)、ホークスの右隣で同じバックルを着けているのは撮影監督のラッセル・ハーラン、その隣でカメラをのぞいているのがウエイン。
ハーランもウエイン同様、「赤い河」で初めてホークスと顔を合わせ、その後の彼の作品のほとんどを撮影している。B級映画の現場でくすぶっていたハーランは「赤い河」のあと有名監督たちにこぞって起用されるようになり、ビンセント・ミネリ監督の「炎の人ゴッホ」(1955年)、ビリー・ワイルダーの「情婦」(1957年)、ブレイク・エドワースの「グレート・レース」(1964年)、そして1962年には最高の映画「アラバマ物語」も手掛けている。
こう列挙すると、恩人ホークスのアフリカの現場まで思い出のバックルを着けて馳せ参じる彼の気持ちもわからないでもない。
「ハタリ!」
「リオ・ブラボー」(1959年)
「エルドラド」(1966年)