2日間はまずまずの天気でしたが・・・
軍艦島クルーズがある肝心な最終日は朝から怪しい雲行き
長崎港の常盤2号桟橋から出航
雨が降り出してきて行ってみないと上陸できるかはわからないそうで船長の判断次第です・・・
長崎港には日本海上自衛隊のイージス艦がメンテナンス中でした
ここに停泊してると言うことは平和な証ですよね
恰好いいです
三菱重工長崎造船所
三菱のこのマークがなんとテニスコート 1枚分なんだってデカい
軍艦島まで片道約45分くらいなんですがその間はずっと大変でした
波にぶつかりながら進むのでバッカンバッカン船底に衝撃があり大揺れで船内は悲鳴が起きてプチパニック
やっと軍艦島に着いたときは目の前の御婦人がグッタリしてました
そんな苦しい思いをして来たのに結局この日は船長の決断で上陸断念
70%の上陸確立だそうですが運が悪かったです
平成27年7月には「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されました。
「軍艦島」は長崎港の南西およそ19kmの海上にある島の俗称で、正式には端島(はしま)と言います。
江戸時代後期に石炭が発見され、その後明治23年から本格的に海底炭坑として良質な製鉄用原料炭を供給してきました。
YouTubeにアップしてみました
幅160m、長さ480m。東京ドームのグラウンドおよそ5個分という小さな島ながら、最盛期には5,200人もの人々が住み、
東京の9倍を超える人口密度は世界一とも言われました。
上陸出来ない代わりに船のデッキに出て大揺れのなかで撮影会
軍艦島の半分は鉱場なので居住地がとても狭いためか、大正5年に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅である30号棟が建築されて以来、
次々と高層アパートが建設されました。
採掘技術の発達とともに島のまわりを拡張。
塀がぐるりと島を取り囲み、高層アパートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ていることから軍艦島と呼ばれることになりました。
国のエネルギー転換政策を受けて昭和49年に閉山
すべての島民が島を去ることになりました。
ツアー最大の目的だったのに悪天候で軍艦島に上陸は出来ませんでしたが
それでも波にもまれながらも軍艦島を360度方向から観ることができました。
上陸してなにのに上陸証明書を頂きました
デッキに出て写真を撮ってる時まではnamiは元気でしたが船内に戻って停泊してプカプカしてる最中についに軽く船酔い
半分以上の人が船酔いでビニール袋片手に辛抱の時間でした
上陸できなかったので近くの高島へ寄港
石炭資料館や軍艦島の模型等々をみてきました
namiは船酔いで気分が悪かったので見学はせずに休んでいてここでどうにか回復することができました
高島での石炭事業はその発展の礎とも言えるもので、この高島が「三菱発祥の地」と言われています。
岩崎弥太郎は海運業で大きな成功を収め、「東洋の海上王」とまで言われた人物で、三菱財閥の創始者です。
真田真珠でランチ 美味しかったです
真珠店なのでリーズナブルなネックレスとブレスレットのセットを記念に購入。
磁石で簡単にロングのネックレスにもなるので気に入ってます
昼食後は雨の降る中傘をさして長崎平和公園へ
ところが暴風雨で平和公園散策どころではありません
手前は旦那サマですが後ろのご婦人のご注目です傘が強風でひっくり返ってしまいました
申し訳ないですが面白傑作写真です
皆さんそそくさに退散で振り返れば誰も居ません
2泊3日の旅は最後の日だけは雨になってしまって残念でした
軍艦島へ行く船があんなにハードとは夢にも思いませんでした
知っていたら行ってなかったと思います
雨の中を九州佐賀空港から羽田空港へ
夜11:00には無事帰宅。留守番のハッピーちゃんのお出迎えしてくれました
長崎名物かんころ餅をお家用に買ってみました
焦げるくらいにトーストすると美味しいと店の人に教えて頂いたのでやってみました。
はじめて食べましたが美味しかったです
かんころ(サツマイモのゆで切り干し) もち米